第55話 恋人たちの甘々エピローグ
さて、俺は晴れて哀川さんと付き合うことになりました。
あれから小さな変化がちょこちょこ起きている。
まず週末は哀川さんが必ず泊まりにくるようになったこと。
今までも泊まりにはきてたけど、それが定例化した感じ。
次に学校でも話すようになった。
俺たちがいきなり親しげに話し始めて、クラス中がざわつき、近藤も『涅槃に至ったのか……!?』と目を白黒させている。言葉の意味はよく分からないけど。
あとはそう……。
「……あ、そろそろお昼御飯の支度しようかな」
思考を一旦止め、俺は立ち上がろうとする。
今日は日曜日。
ここは俺の部屋。
ベッドの縁に寄りかかっていたところから、腰を上げ……かけたところで、
「どこいくのよ~?」
ベッドでゴロゴロしていた哀川さんに後ろから抱き留められてしまった。
ちなみに俺は部屋着のTシャツ姿。
哀川さんは柔らか素材のルームウェア姿。
定期的に泊まるようになったので、買ってきたそうだ。
モコモコの素材に包まれた胸がむにゅっと背中に当たる。
ダブルの柔らかさがやってきて、俺の鼓動が跳ね上がった。
「ちょ、哀川さん!?」
「なーにぃ?」
「当たってるよ!」
「なにがー?」
「だ、だから……胸が当たっております」
「嬉しいでしょー?」
俺の肩の横から顔を出し、にんまり笑顔。
……どうやらわざとやってるらしい。
「こうしたらハルキ君、嬉しくて動けないんじゃない?」
「そりゃ動けないよ。動けないし、倫理的によくないというか……っ」
「んー?」
これまにんまり笑顔で首をかしげる。
「もう付き合ってるんだから問題ある?」
「ないけれども! まだ昼間ですし、あとお昼御飯の支度がありますので……!」
死ぬほど名残惜しく思いつつも、哀川さんの腕を優しく掴んで解こうとする。
しかし、
「やっ!」
駄々をこねる子供みたいな声を上げ、さらに抱き締められてしまった。
「行っちゃヤ。ハルキ君はこのままここにいなさーい」
「えー……」
ぎゅ~と抱き締められ、俺の後頭部が柔らか&モコモコな胸のなかに埋まってしまう。
ちょ……っ!?
嬉しいやら困るやら。
あーもう、と俺は苦笑する。
付き合ってからの変化で一番大きいのは、やっぱりこれかもしれない。
恋人同士になってからというもの、哀川さんが――めちゃくちゃ甘えん坊になった。
家だとすぐに引っ付きたがるし、ちょっとキッチンに行くだけでもこうして可愛く邪魔しようとしてくる。
ええ、はい、そうですね。
可愛くて仕方ありません。
「でもキッチンに行かないとお昼作れないよ?」
「むう、それは困るわね……ハルキ君のご飯食べたいし」
「でしょ?」
「でも行っちゃダメ」
「困ったなぁ」
……と口では言いつつ、ちょっとデレデレしてしまってるのも自覚してる。だって後頭部が天国だし。
どうしようかなぁ、と思っていると、哀川さんが俺の頬っぺたをさわさわしながら口を開いた。
「そうだ、良いアイデアを思いついたわ」
「お、どんなアイデア?」
「あたし、ハルキニウムを充電する」
「ハル……? え、なに?」
頬っぺたをさわさわされながら首をかしげる。
すると、後頭部の柔らかいものがふにゅっと形を変えるのがわかった。
ほ、本当に天国だなここ……っ。
一方、哀川さんは俺の感動をよそにドヤ顔で解説してくる。
「ハルキニウムっていうのはね、ハルキ君が発してる、あたしを幸せにする次世代エネルギーなの。それを充電すれば、お昼御飯を作ってる間の10分くらいは君が離れていても我慢できるわ」
うん、なるほど、よく分からない。
しかもいつの間にか10分でお昼御飯を作らなきゃいけないというミッションまで課されている……というのはともかく、ちょっと気になった。
この……ハルキニウム?
明らかに哀川さんの発想じゃない。
「ちなみにそのハルキニウムって、どこからの情報?」
「唯花さんよ?」
やっぱりか。
上の階の奏太さんの彼女さんである。
最近、哀川さんは唯花さんとよく話すらしい。聞いている感じ、彼女としての立ち振る舞いとかを教わってるようなのだけど、たまにこういうよく分からない情報が飛び出してくる。
「あのね、彼氏エネルギーが足りない時は『ニウム』を充電するといいらしいの。唯花さんもよく充電してるらしいわ」
「そ、そうなんだ……」
ご近所さんのセンシティブな話を聞くのは気まずいなぁ……!
次に奏太さんに会った時、俺、どんな顔すればいんだろう。
「それで……充電ってどうすればいいの?」
「唯花さん曰く、したいことをすれば良いそうよ?」
「びっくりするぐらいアバウト……!」
それ、ただのイチャイチャする口実なんじゃ……って、あ、そうか。
実際、イチャイチャする口実だな、これ!
すべてを理解し、涅槃に至った。
ちょっとドキドキしつつ、俺はさらに訊ねる。
「それで……哀川さんはどんなことがしたいの?」
「んー、そうね……」
一瞬、考え込む仕草をしたかと思うと、彼女はふいに答えた。
少し照れたように目を逸らして。
頬を朱色に染めて。
こっちに主導権を預けるような微妙な疑問形で。
「キス……とか?」
「――っ!?」
直球なご要望にドキッとしてしまった。
こっちの顔も熱くなってしまう。
哀川さんは逸らしていた視線を戻し、チラッとこっちを見る。
「……だめ?」
おねだりするような表情。
すごく可愛い。
その上、俺が可愛いと思ってることも哀川さんには筒抜けだ。
照れくさい。
この空気がもうすっごく照れくさい。
でもぜんぜん嫌じゃない。
「それでハルキニウムが充電できるんだよね?」
「うん、できる……」
「だったら……」
俺は体を起こし、半分座ったまま背伸びするように顔を上げる。
チュッ……と唇が触れ合った。
至近距離で見つめ合う。
お互いにかぁーっと頬が赤くなっていく。
「充電……できた?」
「えっと……」
哀川さんは恥ずかしそうにつぶやく。
「まだ、足りない……かも?」
「だったらもう一回しなきゃだね。その……ハルキニウムのために」
「うん、ハルキニウムのためだから……」
すごいな、ハルキニウム。
充電のためだって言えば、何回だってキスできる。
唯花さんはとてつもない教えを与えてくれたのかもしれない。
でも俺たちはまだ恋人初心者だ。
2回目のキスをし、3回目のキスをしたところで……恥ずかしさがメーターを振り切ってしまった。
「ハ、ハルキ君、もう溜まったから! 充電できたから! これ以上はちょっともう恥ずい……っ」
顔を真っ赤にして哀川さんが離れる。
俺もすでに頭から煙が出そうだった。
「そ、そうだね! 過充電になってもよくないし……!」
俺は頭をかいてキッチンに行こうとする。
でもそこで哀川さんにTシャツの袖をちょこんと摘ままれた。
「哀川さん?」
「えっと、ね……」
もう充電はできている。
恥ずかしさのメーターも振り切れている。
だけどまだ甘えたい……という顔だった。
そして、その発露のように彼女はぽそっと。
「好き」
潤んだ瞳が熱っぽく見つめてくる。
「あたし、君が好き」
クラッときた。
鼓動も跳ね上がった。
ああもう、本当にこの人は……っ。
「俺も好きだ! 哀川さんが大好きだ!」
気づいたら思いっきり抱き締めてた。
モコモコ素材の細い体をこれでもかと抱き締める。
哀川さんはそれを噛み締めるように、
「~~♡」
と声なき声を上げてしがみついてくる。
「……あたし、今すっごい幸せ」
「俺もだよ。幸せ過ぎて怖いくらい」
「ねえ、もう一回……したい」
とろんとした目で、上目遣い。
「して。キス。ハルキ君にキスされたい」
間髪をいれず、またキスをした。
今度は長く、お互いの想いを伝え合うように。
息が続かなくなるくらい唇を重ね続け、息継ぎのように同時に離れる。限界まで呼吸を我慢してたのがおかしくて、2人一緒に笑ってしまった。
「ははっ、窒息するかと思った」
「ふふっ、ハルキ君、へったぴー」
「えー、お互いさまでしょ?」
「そうね。これから上手くなっていきましょ」
ぽふっ、と哀川さんが俺の胸に寄りかかる。
「初めてこの部屋にきた時は、こんな幸せな気持ちになれる日がくるなんて思わなかった……」
「そうだね。まさか哀川さんと付き合えるなんて、想像もしてなかったよ」
彼女の黒髪をゆっくりと撫でる。
哀川さんは気持ち良さそうに目を閉じて、受け入れている。
そうして温かな体温を感じながら、ふと思った。
「そういえば哀川さん、初めの頃は『好きになっちゃダメ』って言ってたよね?」
それは『都合のいい女』になりたいという彼女の根幹。
優しい人には幸せになってほしい。
優しい人には自分みたいな女と付き合ってほしくない。
だからほんの一瞬だけ役に立つだけの『都合のいい女』になりたい。
彼女はかつてそう言っていた。
答えが分かった上で、俺はあえて尋ねる。
「今はどう?」
「それ聞く?」
「うん、ちょっと聞いてみたいと思って」
「もー。そうね……」
俺の胸から離れ、哀川さんは乱れた黒髪をかき上げる。
「あたしには君が必要……それはたぶん最初の頃から無意識に気づいてた」
彼女の手のひらが俺の頬に触れる。
「だけど、今はもう分かってる」
耳に届くのは、愛おしい囁き声。
「君にもあたしが必要だって。君と一緒に生きていくのは他の誰でもない、あたしなの。だからもう『好きになっちゃダメ』なんて予防線は必要ない」
ふわりと花が咲くように、彼女は最高の笑顔で微笑んだ。
「あたしのこと、もっともっと好きになって! 君の『好き』、ぜんぶあたしにちょうだい! 百倍にして返してあげるからっ!」
じん、と胸が震えた。
嬉しくて嬉しくて、もう居ても立ってもいられない。
「哀川さん……っ!」
「きゃっ」
我慢できなくてまたキスしてしまった。
勢いがつき過ぎて、ベッドに押し倒すような形になってしまう。
白いシーツに黒髪が広がり、哀川さんは赤い顔で唇を尖らせる。
「ハルキ君ったら……強引なんだから」
「ごめん。でも百倍にして返してくれるんだよね?」
「もう……お昼御飯はいいの?」
「ご飯も大事だけど、それはあとで考えよう」
「あは、しょうがないわね」
細い腕が伸びてきて、両頬を柔らかく挟まれた。
「じゃあ、今度はあたしを充電させてあげる♡」
両手でそっと導かれて、また俺たちはキスをした。
哀川さんのニウムは……アイカワニウムかな?
なんだか愛情いっぱいの可愛いニウムっぽい響きだと思った。
――あの日、真夜中の公園で出逢った俺たちは紆余曲折を経て、幸せな未来にたどり着いた。
支え合うことで一緒に強くなって。
独りでは越えられなかった壁を乗り越えて。
今はもう胸を張って生きていける。
「ねえ、哀川さん」
「なあに?」
彼女の髪を撫でながら囁く。
万感の想いを込めて。
「俺と出逢ってくれて、ありがとう――」
哀川さんは唇に弧を描き、淡く微笑む。
「それ、あたしのセリフ。……ありがとう、ハルキ君。あの日、あたしを見つけてくれて」
暖かい陽射しが窓から差し込んでいる。
穏やかな微睡みのなかで、また俺たちはキスをした――。
………………。
…………。
……。
これは孤独を抱えた少年と少女の物語。
月夜に出逢った2人は惹かれ合い、
哀しみは川に流れて愛へと変わり、
やがて春の音が聞こえ始めて、
彼と彼女は、末永く幸せに暮らしましたとさ――。
次回更新:土曜日
次話タイトル『おまけ 美雨って呼んでみよう』




