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哀川さんは都合のいい女になりたい  作者: 永菜葉一


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第54話 哀川さんは都合のいい女になりたい

 夜風が心地よかった。

 ここは隣駅にある、高台の公園。


 いつものアパートそばの公園よりも空が近い。


 でも札幌で哀川(あいかわ)さんが告白してくれた時の高台よりはちょっと低めかな。


「今日一日、すごく楽しかったわ」


 黒髪を風になびかせて、哀川さんは笑う。

 その後ろを歩きながら、俺も同じように笑った。


「めいっぱい遊んだもんね。何が一番楽しかった?」


 水族館を出た後、俺たちは遅めのランチを食べて、ウィンドウショッピングをし、喫茶店で休憩してから……この高台にやってきた。


 柵の向こうにはきらめくような街並みがどこまでも広がっている。


 住宅街のなかのちょっとした高台なので、俺たちの他に人影はない。


 札幌の時の高台と同じだ。

 まあ、そういう場所をわざわざ探したのだけど。


「そうねえ……あたしはやっぱり水族館のアザラシが一番良かったかも」

「またアザラシ……」


「アザキ君は?」

「待って。無理やりアザラシと俺を混ぜないで」


「アザラシとハルキ君でアザキ君。これは流行るわね」

「どこで? そんな不思議生物どこで流行るの?」


「もちろん、あたしのなかで。今年一番の大流行よ?」

「うわぁ、一番流行ってほしくないところで流行り始めた……っ」


 ちょっと想像してみる。


 自分がアザラシのようなつぶらな瞳になって、ボールを鼻でリフティングしながらアウアウ言っているところを。


 ……地獄絵図だ。

 ……でも哀川さんは好きそうだ。


「ねえ、ハルキ君。本格的にアザキ君をキャラクター化してみない?」


 あご先に手を当て、真顔で提案してくる、哀川さん。

 ここで止めておかないと、とんでもない事になりそうなぐらいの真顔だった。


「してみません。冷静になろう、哀川さん。君は今、錯乱している」


「失礼ね。合掌してお坊さんごっこしてる時の男子ノリなハルキ君よりは錯乱してないわ」


「あ、一応、錯乱してるって自覚はあるんだ……いや待った! 俺の僧正(そうじょう)は錯乱の産物じゃないから! あれは友情の賜物(たまもの)だから!」


「ふーん」


 なぜか拗ねたように唇を尖らせる、哀川さん。

 

 え、なんで拗ねるの?


 と思った矢先、ずいっと顔を覗き込まれた。


「じゃあ、友情とあたし、どっちが大切なの?」


「えっ!? そんな『仕事とあたし、どっちが大切なの?』みたいな感じで聞かれましても……!?」


「じゃあ、僧正(そうじょう)とあたし、どっちが大切なの?」


「えっ!? そんな…………いやなに!? なんなの!? 例えも思いつかないくらいワケ分からんないよ、その質問!?」


 や、ひょっとしたらこれが世に言う、禅問答というやつなのか?


 さもありなん……いや絶対違うな。

 ないない。さもなしなん、だな、これは。


 そうして俺が困り果てていると、哀川さんはクスクス笑い始めた。


「やっぱりハルキ君って、癒し効果があるわね。アザラシよりずっと優秀だわ」


 ……どうやら、からかわれたらしい。


「もう勘弁してよー……」

「焦った?」

「本気で焦った……」


「安心して? あたし、面倒くさい女じゃないから。『仕事とあたし、どっちが大切なの?』なんて問い詰めたりしないわ」


「…………」


 ん、なんだろう?

 言い回しがちょっと気になった。


「じゃあ、友情……っていうか、『僧正とあたし』は?」

「それは気になる」


 真顔だった。


「ハルキ君がたまにやる男子ノリ、本気でワケ分からないもの。君の中にあたしにとって意味不明な領域があるのは、すごく気になる」


「……なるほど」


 当分、哀川さんの前で合掌するのはやめておこう。


 ……まあ、それはともかく。


 今日のデートには目的がある。

 俺の気持ちを彼女に伝える。

 そのためにわざわざ札幌の高台に似た、ここに来たのだ。


「色々あったね、今日まで」


 哀川さんと一緒に夜風に吹かれ、俺は柵に寄りかかる。


 すると俺の空気が変わったのを悟ったらしく、哀川さんの肩がピクッと反応した。


「そ、そうね……」


 ぎこちなくうなづき、俺と同じように柵にもたれ掛かって、夜景を見つめ始める。


 視界に広がるのは、俺たちの街。


 電車で隣駅にきたけど、高台からなら一望できる。


 俺のアパートは視界の奥の方にあるはずだ。

 その手前にいつもの公園があって、学校はもう少し左側に建っている。


「初めて哀川さんと会ったのは……クラス替えの時だったかな。2年になって教室にきて、席の一番前にすごく綺麗な子がいたのを覚えてる」


 哀川さんは苗字的に『あ』で『い』なので、出席番号は1番だ。


 確かクラスのみんなが教室に入って早々、哀川さんの綺麗さに度肝を抜かれていた気がする。


「あたし、ルックスが良いからね。でも……ハルキ君は別に一目惚れなんてしなかったでしょ?」


「あはは」


 笑って誤魔化すしかなかった。

 確かにそれはそうなのだ。


 哀川さんは綺麗だし、一緒にいるとドキドキするけど、彼女の外見から惹かれたんじゃない。


「最初はやっぱり『放っておけない』って気持ちが強かったかな。なんせ初めの頃の哀川さん、すっごく危なっかしかったから」


「う……っ。そ、それは……反省してる」


 哀川さんはバツが悪そうに目を逸らす。

 俺は彼女へと手を伸ばし、頬のそばの黒髪を指先で梳いてみた。


「あ……っ」


 ドキッとした表情の哀川さん。


 実は俺も鼓動が早鐘みたいになっている。

 でも冷静なフリをして話し続けた。


「少し不思議だったんだ。俺は人からよく距離を取りがちだって言われるけど……哀川さん相手には最初から距離なんてゼロだった。それはなんでなんだろう、って」


 指先に彼女の体温を感じる。

 少し火照った、頬の感触。

 それがとても愛おしい。


「きっと俺たちは似てたんだね」

「似てた?」

「うん」


 俺には両親の喪失と親戚のトラウマがあった。

 哀川さんも母親や父親への確執があった。


「お互いに似たような傷を持ってたんだ」


 だから、安心できたのかもしれない。


「ああ、そうね……そうだったと思う」


 一歩間違えたら傷の舐め合いみたいになってただろう。

 

 たとえば俺が哀川さんの色香に溺れて、一日中、学校にも行かず、2人だけの世界で閉じこもり続けたりとか……そんなひどい関係にだってなり得たと思う。


 でも、そうはならなかった。


 俺たちは支え合って、ちゃんと未来へ進もうとしている。


 だから。


「これからも哀川さんと生きていきたい」


 髪を梳いていた指先を開き、彼女の頬に触れる。


「哀川美雨(みう)さん」

「……っ。は、はい」


 哀川さんが緊張した顔で背筋を伸ばす。

 そして俺は――。


 ふいに突風が吹いた。


 高台の丘を駆け上がってくるような強い風。

 それは哀川さんのワンピースの裾を――大きく(ひるがえ)した!


「あ……」


 と、そこまでは焦っていない、哀川さん。

 たぶんまわりに俺しかいないからだと思う。


 しかし一方の俺はというと、


「ちょおっ!?」


 緊張の極致からのハプニングでメチャクチャ動揺してしまった。


 舞い上がるスカート。

 あらわになっていく、白い太もも。


 嬉しいけど、今じゃない!


 俺は大慌てでスカートを抑えようとする。


「あ、ハルキ君。別にこのくらいの風なら――」


 抑える寸前、風が止んだ。


 スカートは元の位置に下がっていき、代わりに行き場を失う、俺の手のひら。


 それがどこへ向かうかというと、


「きゃっ」

「うわぁっ!?」


 哀川さんの左胸を鷲掴んでしまった。

 もう言い訳のしようのない、完全な鷲掴みだ。


 ワンピースの白い生地に手のひらがどんどん埋まっていく。


 ふにゅうっ!


 って感じだった。


 俺、大混乱。

 生まれて初めてのラッキースケベだった。

 

 柔らかい。

 どうしよう。

 柔らかい。

 どうしよう!


 札幌のホテルの時はワケが分からないうちに失神させられてしまったから、まともに意識があるなかでは、ほぼ初めて触る哀川さんの柔肌だった。


「ご、ご、ごめ……っ」


 哀川さんは今さら怒ったりしない。

 それはわかる。

 問題なのは告白の空気が爆散してしまったことだ。


 とにかく空気を戻すためにもまずは謝らないと……っ。


 しかしそんな俺の段取りは、これまた木っ端微塵に打ち砕かれた。


「もう……ハルキ君ったら、そんなにあたしが欲しいのぉ?」


 左胸に触りっぱなしの手のひらに、上からそっと手のひらが重ねられた。


「だったら素直にそう言ってくれればいいのに♪」

「――っ!?」


 大混乱からの大戦慄。


 哀川さんの目が……ハートになってる!

 札幌の時と同じだ……っ!


 説明しよう。


 哀川さんにはヤキモチを妬くと目のハイライトが消え、ブラックホールになるという謎の特徴がある。


 同様に、なんていうか……大人なモードになると、目にハートが浮かんでくるのだ。


 これは札幌で失神する寸前に知った、新たな発見だった。


 問題は哀川さんがこのモードになると、俺では手も足も出なくなってしまうということ。いつかは哀川さんをベッドでメロメロにしてしまうくらいの王者になりたいと思う。


 でも今の俺にはそこまでの戦闘力はない。

 

 大失態だ。

 このままじゃ告白なんて出来っこない。


 なんということだろう。 

 俺が哀川さんに告白するに当たって、最大の壁となるラスボスは――なんと哀川さん自身だったのだ!


「お、おち、落ち着いて! ここ、外だから! 法律とか色々あれだから……っ!」


「はいはい、わかってる♪ ハルキ君はそういうふうに嫌がってるところを無理やりされちゃうのがいいのよねっ」


「良くない良くない良くない! それはさすがに誤解だからーっ!」


 哀川さんが俺を押し倒しそうな勢いでしな垂れ掛かってくる。


 マズい!

 本格的にマズすぎる!


 何か手はないか。

 このモードの哀川さんを止めて、主導権を取り戻す手は……っ。


 そうして、さ迷わせた視線の先にふいに――月が見えた。


 いつかも見た、美しくて優しい月。

 その柔らかな光が俺に天啓を与えてくれた。


 これだ……っ。


「哀川さん!」

「え? ……ふえっ!?」


 俺は彼女の両肩を掴むと、すかさずその額に――キスをした。


 途端、瞳のなかのハートが弾け、哀川さんは真っ赤になって離れていく。


「い、いきなり何するの!? 君はまたこんな不意打ちみたいに……キ、キスなんてしてぇ!」


「約束だったから」

「や、約束?」


「次は、ちゃんとするって」

「あ……」


 それは北海道行きを決めた、夜の公園でのこと。


 俺は同じように哀川さんの額にキスをしたのだけど、あの時は親戚のことで吐いた後だったのでゲロチューになってしまい、次は気をつけると哀川さんに約束したのだ。


「だ、だからって今しなくても……」


 哀川さんは黒髪の毛先をいじってモジモジする。


「キスって……ほら、ちゃんと付き合ってからするもの……でしょ?」


「うん、だから今、した」

「……っ」


 俺は一歩前に出て、ちょっと強引に哀川さんの細い腰を抱き寄せた。


 彼女の表情に一気に緊張感が戻ってくる。

 同時にバツが悪そうに目を逸らし、哀川さんはつぶやく。


「ひょっとして、あたし今……ちょっと暴走してた?」

「してたね。だいぶしてた」


「だから……キスして止めてくれたの?」

「ロマンチックだったでしょ?」


 我ながらちょっとキザかもと思った。


 でも効果はあったらしく、哀川さんは俺の腕のなかで恥ずかしそうに身動ぎする。


「じゃあ、これからもあたしが暴走したら、ハルキ君……キスしてくれるんだ?」


「うん、するよ。でも出来たら……おでこじゃなくて、唇にしたいかな?」

「……っ」


 ピクッと反応し、哀川さんは頬を染めてうつむく。


「ハルキ君の……えっち」

「え、唇にキスってエッチなの?」


「わかんないけど……なんかすごいこと言われた気がするから」


 確かに唇へのキスは女子にとって、男子が思う以上に大きなものなんだと思う。


 実際、札幌では色々あったけど、俺たちはまだキスをしたことがない。


 それは……ちゃんと付き合ってからすることだから。


「伝えたいことがあります」


 俺は哀川さんの手のひらを握り締める。

 お互いに指を絡め合い、まるで宣誓するような形になった。


 これまで色んなことがあった。

 色んな人に助けてもらった。


 おかげで俺たちは今、ここにいる。


 月明かりが優しく降り注いでいた。


 俺は神様なんて信じない。

 そんなものがいるなら父さんと母さんは死ななかった。

 トラウマになるような子供時代だってなかったはずだ。


 でも今だけは……何かに感謝したい気分だった。


「俺の人生最大の幸運は、君に出逢えたことだと思う」


 もう過去に囚われることはない。

 この目は真っ直ぐ未来を見ている。


 ほんの少し前なら、こんな自分は想像も出来なかった。


 哀川さんと生きていきたい。

 その想いが過去の鎖を断ち切って、この足を前へと進ませてくれた。


 今願うのは、君との幸せな未来だけ。


「哀川美雨さん――将来を見据えた上で、俺とお付き合いして下さい」

「しょ……っ!?」


 前提が予想外だったのか、哀川さんが目を見開く。

 ついでに仰け反りそうになったけど、ギュッと手を握って遠くへはいかせなかった。


「しょ、将来って……!? どういう意味なの!?」

「うん、そういう意味だよ?」


 哀川さんもわかってると思うので、俺は当たり前の顔でうなづいた。


 だって、俺たちはとっくに誓い合っている。

 離れる気なんてないし、離す気もない。


 だからそれをちゃんと言葉にしただけだ。


「哀川さんは俺の『都合のいい女』になってくれるんだよね?」


 ニコッと笑顔。


 さあ、これが最大の殺し文句。

 何度も言われたお返しに彼女へと言葉を紡ぐ。


「将来は俺と結婚して下さい。お嫁さんになってくれた、哀川さん――それが俺にとって1番の『都合のいい女』だよ」


「――っ!」


 宝石のような瞳が揺れた。

 限りなく透明な雫が溢れ、白い頬を伝っていく。


「そん、な……」


 彼女はうつむき、細い肩を震わせた。


「……ズルい……ハルキ君……告白だけだと思ったのに、これじゃあもうプロポーズじゃない……」

「そのつもりだよ?」


 してやったり、と俺は笑ってみせる。

 彼女はうつむいたまま、涙声でつぶやく。


「あたし……そのうちまたさっきみたいに暴走しちゃうかもしれないわよ……?」

「いいよ。その時はキスして止めてあげる」


「実は……自分で言うほど、面倒くさい女じゃない……かもしれない。結構、重たい女かもしれないわよ……?」


「知ってる。それだいぶ前からだから」


「それから、それから……っ」

「いいよ。全部いい」


 まだ言い募ろうとする彼女の言葉をやんわりと止め、その涙を指でぬぐう。


「君がいいんだ。君じゃなきゃダメなんだ」


 はっきりと断言し、俺は大きく深呼吸。


 そして。

 俺たちの街を望む高台で。

 柔らかな月明かりに照らされて。

 ずっと伝えたかった想いを叫ぶ。


 もう月まで届けという勢いで。




「俺は哀川さんが好きです――っ! 一生、幸せにします! 結婚を前提に! 俺とお付き合いして下さ――いっ!」




 その瞬間、彼女の瞳からまた涙が溢れた。

 そして弾かれるように抱き着いてくる。


「はいっ! 不束者(ふつつかもの)だけど、一生よろしくお願いしますっ!」


 飛び込んできた彼女を思いっきり抱き締める。

 

 言えた。

 やっと言えた。


 嬉しさと愛しさが溢れて止まらない。


 勢い余って、彼女を抱き締めたままダンスのように回転。ワンピースのスカートが(ひるがえ)っても今度ばかりは気にならない。


「哀川さんっ、好きだ! 大好きだ!」

「あたしも好きぃ! 世界で一番、君が大好きっ!」


 見つめ合って。

 愛の言葉を囁き合って。

 どちらともなく目をつむる。


 そして俺たちは正真正銘、唇同士の――キスをした。


 夜空と街灯かりがきらきらと輝いて、まるで祝福するような景色のなか、今はもう未来のすべてを信じられる。


 これから先は、きっと幸せなことしか起こらない。

 それでも、もしも辛いことが起こっても、君となら乗り越えていける。


 美しい月の夜。

 俺と哀川さんはこうして、恋人同士になりました――。



次回更新:木曜日

次話タイトル『第55話 恋人たちの甘々エピローグ』


木曜日のエピローグ後、土曜日に『哀川さんと名前で呼び合う』おまけエピソードを更新して完結です。

同じく土曜日から新作で「ゆにちゃんルート」を始めます。よろしくお願いします。

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