第46話 もう君への好きを止められない(哀川さん視点)
――……告白はまだできない。
美晴に見送られてバスに乗り、その後、あたしたちは在来線に乗って札幌まで移動してきた。
用事はすべて済ませたし、あとはここで観光していこう、ってハルキ君と話していたのだけど……ちょっと北海道の広さを甘くみていたみたい。
札幌に着いた頃には、完全に陽が落ちてしまっていた。
夜の帳が降りて、観光名所はもうどこもしまっている時間。
仕方ないので、せめてと思って、郊外の高台にやってきた。
ハルキ君と並んでフェンスにもたれかかり、札幌の街を見下ろす。
「へえ、きれいじゃない……」
「だね。必死に検索した甲斐があったよ」
「ふふ、お疲れさま」
ハルキ君がスマホで探してくれたのは、地元の人しか来ないような小さめの丘だった。
それでも眺めはなかなかのもので、階段を登ってきた先、あたしたちの目の前には普段は拝めないような景色が広がっている。
空には星々が輝いて、眼下には札幌の街の光。
穴場だからか、まわりに観光客の姿もない。
最高のロケーションだった。
景色を眺めたまま、あたしは隣のハルキ君に言う。
「帰ったら……あたしもアルバイトを始めるわ」
「え、どうして?」
「今回の旅費、ハルキ君に返さなきゃいけないもの。それに美晴に何かあった時、すぐまた来られるようにお金を貯めなきゃ」
「ああ、同じこと考えてたね」
「え?」
意外なことを言われ、あたしはハルキ君の方を向く。
彼はちょっと嬉しそうに苦笑していた。
「俺もバイトを増やそうと思ってたんだ。美晴ちゃんが『助けて』って言ってきた時、すぐに駆け付けられるように」
「君ってば、本当もう……」
嬉しいような、困ったような、なんとも言えない気持ちになってしまった。
彼は続けて言う。
「でも哀川さんにはあんまりアルバイトして欲しくないかも」
「どうして?」
「別に旅費なんて返してくれなくていいし、それに……」
ハルキ君は視線を逸らし、指で頬をかく。
「……その、一緒にいられる時間、減っちゃうかもしれないし」
「…………」
君ってば、本当もうっ!
いきなり可愛いことを言われ、気持ちが舞い上がりそうになってしまった。
ハルキ君のこういうところ、本当に困る。
いつも唐突にこっちの胸を撃ち抜くような言葉を放り込んでくるんだから。
実際、本当に困る。
だって……まだ告白できないし。
「はぁ……」
「な、なんでため息つくのさ!?」
「別に。こっちの話よ」
わざとそっけなく言い、そっぽを向いてやった。
そう、まだ告白はできない。
本当はハルキ君に気持ちを伝えたい。
ありったけの想いを聞いてほしい。
もちろん言わなくても、あたしたちはすでに心は通じ合っていると思う。
だって責任取ってくれるって言ったし。
ずっと一緒に歩いていくとか、一生守るとか言ってくれてるし。
でもあたしたちはまだ決定的な言葉を交わしていない。
「えーと、哀川さん……? なんか怒ってる?」
「べっつにー」
恐る恐る顔色を窺ってくるハルキ君が可愛くて、わざと不機嫌そうに頬杖をついてみた。
実際、あたしは何も怒ってない。
ハルキ君が何を考えているかなんて、ちゃんと分かってるから。
あたしから言わなくても、待っていればハルキ君から告白をしてくれる。
でもそれは今じゃない。
彼はまず……ゆにちゃんと話をするつもりなんだろう。
自分に好意を持ってくれている女の子にきちんと筋を通して、それからあたしに想いを告げるつもりなんだと思う。
ハルキ君はそういう人だ。
だからあたしも今は我慢。
夜景がきれいで告白には最適のロケーションだけど、今は……言えない。
そうやって我慢しようとしていたのに――。
「哀川さん、これ着て」
「え?」
「ちょっと冷えてきたから」
「――っ」
突然、彼は自分が着ていたジャケットを脱いで、あたしの肩に羽織らせた。
心底安心できるハルキ君の匂いと、肌寒い風から守ってくれるジャケットの温かさ。
その二つが同時にきて、あたしの心臓は跳ね上がってしまう。
「い、いきなりやめてってば……っ」
「あれ? 寒くなってきたのに俺が気づかないから怒ってるのかと思ったんだけど……違った?」
「ぜんぜん違うしっ」
「あ、でも機嫌直ったね?」
あたしの顔を覗き込み、ニコッと笑顔。
「……っ」
その笑顔が可愛くて、あたしは赤面してしまいそうになる。
マズい、と思って慌てて顔を背ける。
そうしたら逆に顔を覗き込まれてしまった。
「哀川さん? どうしたの? 顔、赤くない?」
「~~~~っ」
だから……っ。
近い! 近いってば……!
せっかく我慢しようとしてるのに……っ。
あたし、攻められるのは弱いのよ……っ。
駄目だ。
ここは空気を変えないと、もう理性が保たない。
あたしはハルキ君の胸をグイっと押して遠ざける。
「ちょっと……真面目な話がしたいんだけど、いい?」
「え? あ、うん」
ハルキ君は目を瞬いて、うなづいた。
ふう、良かった……これで気持ちを落ち着けられるわ。
あたしはハルキ君が貸してくれたジャケットの前を引っ張って温まりつつ、呼吸を整える。
実際、真面目な話はしたいところだった。
自分の心の整理と、そしてここまで連れてきてくれた彼へのお礼のために。
「父親のことなんだけど」
「うん」
彼の静かなうなづきを心地良く感じ、あたしは話し始める。
「子供の頃、父親に置いていかれて……たぶん、あたし、世界全部に見捨てられたような気持ちになってたんだと思う」
幼い子供にとって、世界の大部分は親で出来ている。
だから父親に捨てられて、あたしは世界から『いらないもの』扱いされたように感じていた。
「その喪失感はきっと……この歳になっても残ってた。母親とも上手くいってなかったし……だから自暴自棄になって、ハルキ君にもずいぶん迷惑かけちゃった」
「本当だよ。毎回、あの誘惑に耐え抜いた俺を褒めてあげて下さい」
「ふふ、ありがとう。よく出来ました♪」
ハルキ君がイタズラっぽく笑い、あたしも笑い返して、なでなでと彼の頭を撫でてあげた。
「でも今回、父親に会って、どんな人間だったのかをこの目で見て……考え過ぎだったんだ、って分かったわ」
肩の力を抜き、あたしは夜景を背にしてフェンスにもたれかかる。
「あの駄目な父親は、あたしの世界の大半なんかじゃぜんぜんなかった。世界どころか、ただのちっぽけな人間だったわ。そんなものにあたしが縛られる必要はない」
空を見上げる。
星々の間を縫うように、きれいな月が浮かんでいた。
「母親もきっと同じね。今までは母親を見てると、あたしの嫌なところを鏡映しにされてるようで不愉快だったけど……あたしと母親は違う人間だわ。やっぱり縛られる必要なんてどこにもないのよ」
「哀川さん」
ふいに彼が隣から告げた。
祝福するような笑顔と共に。
「大人になったね」
「――っ」
その瞬間、なぜか泣きそうになってしまった。
わっと涙が溢れそうになって、慌てて手のひらで覆う。
必死に平静を装おうとするけど、どうしようもなく声が震えてくる。
「ハルキ君のおかげよ……っ。君があの日、真っ暗な公園であたしを見つけてくれたから……。あたしを見捨てず、そばにいて、抱き締めて、強くなって、ここまで連れてきてくれたから、だから――」
あ、ダメだ。
もうダメだ。
あたしは自分の限界を悟った。
せっかく我慢しようとしてたのに。
そのためにわざわざ真面目な話を始めたのに。
逆に……気持ちが溢れちゃう。
あたしは弾かれるようにフェンスから離れ、彼の胸に飛び込む。
「ハルキ君、あたし……っ!」
ずっと『好きになっちゃうかも』と言い続けてきた。
ずっとまだ本気じゃないとアピールしてきた。
でもとっくの昔に気づいてる。
すでに『かも』なんかじゃなく、あたしは君のことを……っ。
「――っ」
「哀川さん?」
抱き留めてくれたハルキ君が戸惑ったように名前を呼ぶ。
あたしは……ギリギリで唇を噛み締めて耐えていた。
言いたい。
伝えたい。
聞いて欲しい。
でもここまでワガママ放題してきたから、せめて告白くらいは彼のペースに合わせないと。
あたしは肩を震わせて必死に耐え、全力で話題を変えに掛かる。
「……お礼がしたいの」
「お礼?」
「そう」
彼の胸のなかから見上げると、上目遣いで見つめるような形になった。
「あたしをここまで連れてきてくれた、お礼。北海道だけじゃなく、あたしの人生を変えてくれた、そのお礼がしたいの。だから……何でも言って?」
「何でもって……何でもいいの?」
「いいわ。君が言うことなら、何だって従う」
たとえば、ここで今すぐ脱げって言われたって、ためらわない。
行きのバス停では胸を触るのを我慢させちゃったし、ハルキ君が言うなら迷わずにセーターも、ノースリーブも、下着だって脱ぎ捨てられる。
本気でそのつもりだった。
その本気はちゃんと伝わっていると思う。
なのに。
「だったら……」
彼はちょっと照れくさそうな顔で、あたしにとって完全に予想外なことを言った。
「連絡先、交換してもらっていい?」
「はい?」
思考が止まった。
何がなんだか分からなかった。
でも彼はすごく真面目な顔になって続ける。
「ほら、北海道に来る直前、哀川さんが学校に来なかった時があったでしょ? あの時、連絡先を聞いておけば良かったって、ものすごく後悔したんだ。だから教えてほしいな」
「え、いや、そんなの、いつだって……」
「いつだって良いことだから、思い出した時にちゃんと交換しておきたいんだ」
「でもあたし、すごい覚悟で……どんなにイヤらしいこと言われても、叶えてあげるって気持ちで……」
「わかってる。目で伝わってきた。そりゃ、したいよ? こんなチャンス、絶対逃したくないよ? バス停でのリベンジ、いつ出来るのかって俺、結構ソワソワしてたし」
でも、と彼は真顔で言葉を紡ぐ。
月明かりの下。
真っ直ぐにあたしだけを見て。
「ずっと哀川さんのそばにいたいから。こっちが俺の最優先事項だ」
「――っ」
胸が信じられないくらい高鳴って、呼吸が止まった。
その瞬間、気づいてしまった。
…………あ。
無理だ。
もう無理。
あたし――――我慢できない!
気持ちが弾けた。
「ハルキ君っ!」
押し寄せる感情に任せて、彼のTシャツをぎゅっと掴む。
借りていたジャケットがパサリと落ちた。
彼の瞳にあたしの必死な顔が映る。
小高い丘には2人以外、誰もいない。
「あたし、あたしは――っ」
そして。
夜空と街の光が交差する丘で。
心地良い夜風に髪をなびかせて。
ずっと胸に秘めていた想いが。
今、解き放たれる。
「――君が好きっ!!」
その声は凛と響くように北の空へと木霊した。
何一つ隠さない、素直な想いが彼へと届く。
真っ赤になる、ハルキ君。
真っ赤になる、あたし。
恥ずかしくて。
照れくさくて。
どうにかなってしまいそう。
でもいい。
構わない。
こうなったらしょうがない。
あたしはもう――君への好きを止められない。
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