1-8. 衝突
ジャブジャブという水の音がかすかに聞こえる。
目を覚ますと金髪の女性の背中が見えた。
「リーナ、おはよう。よく眠れた?」
アイリスは体を布で拭きながら振り返るとニッ笑顔を見せた。
「おはよう。おかげさまでよく眠れたよ。ありがとう」
「ぐっすり寝てたから起こさないようにと思ったんだけど、起こしちゃったね」
「いや、そんなことないよ。気にしないで」
わかった、とアイリスは答えると体を拭くのを再開した。
私は藁のベッドから体を起こすと改めて自らの体を確認する。
朝起きたら人間に戻ってましたということは、……なかった。
銀髪の長髪、浅黒い肌、尖った耳。見まごうことなく今日も絶賛ダークエルフだ。
「どうかした?」
体を拭き終わり服を着たアイリスが声をかけた。
「いや、ダークエルフだなぁと思って」
「何それ」
そう言うとアイリスは笑った。
まぁそうなんだろうけど、私はまだこの現実を受け入れられていないところもあるのだ。
「イリス起きてる?」
突然テントの外から声がかけられた。
聞いたことがない声だった。
「うん、起きてるよ」
アイリスは答えると入り口の布をめくった。
そこには一人のエルフが立っていた。
金髪の長髪に色白な肌、スラリと長い手足に尖った耳。
アイリスとよく似ていた。
「エライザ、おはよう。何か用だった?」
「うん。タマラさんがご飯持ってけって」
エライザと呼ばれたエルフは手に持っていた二つの器をアイリスに渡す。
「ありがとう。リーナ食べれないものとかあったりする?」
アイリスは両手に器を持ったまま振り返ると私に訊ねた。
「たぶん大丈夫だと思う」
正直エルフの食べ物がわからない。
漫画やアニメでは肉や魚は食べず、植物中心の食生活として描かれていた。
やはりこの世界でもそうなのだろうか。
「そっか。じゃあこれどうぞ」
アイリスは片方の器を差し出す。
私はそれを受け取った。
「ありがとう。えっと、エライザさん?もありがとうございます」
私はアイリスとエライザに礼を言った。
「いえいえ。冷めないうちに食べちゃって」
アイリスは笑って答えるがエライザは少し警戒したような表情でこちらを見ていた。
「ねぇ、イリス。本当に大丈夫なの?」
エライザはアイリスを引き寄せると耳打ちした。
「何が?」
アイリスはキョトンとした表情でエライザを見た。
「そのダークエルフよ。本当にダークエルフなの?」
「うん、間違いないよ。私がちゃんと確認したんだから」
「イリスのスキルを疑ってるわけじゃないけどさ…」
エライザは何か言いたそうだったが、それ以上は言わなかった。
「大丈夫、大丈夫。エライザが心配するようなことは何もないよ」
「……」
エライザは明らかに納得していないという表情で私を睨みつける。
そんな風に見られてもどうしようもないのだが…。
とりあえず愛想笑いを返すしかない。
「私だけじゃないよ。里のほとんどエルフがそのダークエルフのことあんまり良く見てないよ」
「里長やほかの族長は認めたんだよ」
「それはそれ。これはこれ。スパイだとか疫病神だとかみんな言ってるよ」
「何それ!誰がそんなこと言ってるの!」
珍しくアイリスが激怒する。
「私はイリスのためを思って言ってるの。わかるでしょ」
怒るアイリスをエライザは諭す。
「あなたもわかってるんでしょ。ダークエルフなんてもういないの。エルフの格好して里に侵入して私達を騙そうとしてるんでしょ!」
「えぇ!?騙すって…、そんなことはないです」
エライザの矛先が私に向けられる。
当然疑いは否定する。
「嘘!裏で人間達と通じてるんでしょ!わかってるんだから!」
「そんなことしてませんよ」
わかってるって一体何を知ってるんだろうか?
しかし相当疑われているということはよくわかった。
何とか疑いを晴らす必要がありそうだ。
「私は他者との『思念』がわかるの。だからあんたが外に向けて『思念』を飛ばしてるのもわかってるんだから!」
「はぁ!?」
何だそれ?
『思念』を飛ばす?それはつまりはテレパシーみたいなもののことだろうか。
そのテレパシーで外へ里の情報を出している、ということのようだ。
この私が?いつそんなことやった?
「それはありえない!」
私より先に反論の声を上げたのはアイリスだった。
「なんでよ!」
エライザが怒鳴る。
「だって、リーナは…、魔法が使えないんだから」
「はっ?…何だって?」
「だから、リーナは魔法が使えないって言ってるの!」
「魔法が使えないって何よ…。そんなエルフいるわけないじゃない!」
エライザは明らかに困惑していた。
ふと気がつくと、二人の口論を物陰から多くのエルフ達が覗いていた。
という事はさっきのアイリスの発言も当然聞かれていたと考えておいた方がよさそうだ。
「あの、落ち着いてください」
私はこの場を何とか落ち着かせようとする。
「うるさいわね!あんたは黙ってて!」
エライザに怒鳴られる。
そんなに怒らなくていいじゃないか、と不服に思っていたときだった。
「何をしている!」
聞いたことがある声がした。
「こんな朝から何を言い争っているんだお前達は!」
里長のレノンだった。
その傍らには女性のエルフが不機嫌そうな顔をして立っていた。
「違うんです里長。イリスが騙されているので、私達は目を覚まさせようとしてるだけなんです」
エライザはレノンに怯まず反論した。
「私は騙されてなんかない!いくらエライザでも言っていいことと悪いことがある。勝手なことを言わないで!」
今度はアイリスが叫ぶ。もう滅茶苦茶だ。
最初に声をかけてきたときには随分と仲良さげだったのに、どうしてこうなってしまったのか。
私はただ事の成り行きを見守るしかなかった。
「エライザ。私は食事を届けるようにって言っただけだよね。何でこんなことになってるんだい?」
最悪の雰囲気の中、口を開いたのはレノンの隣に立っていた女性エルフだった。
「タマラさん、違うんです。私の話を聞いて」
「そんなことはどうでもいいんだよ!エライザ、どうしてこんなことになってるのかって聞いてるんだ!」
タマラはエライザの発言を遮って追及する。
「そのダークエルフが人間に情報を漏らしてるって、みんなが…」
「証拠はあるのかい?」
「わ、私が確認しました」
エライザは急に大人しくなる。
「そうかい。あんたのスキルはそういうのがわかるんだったね」
「はい」
「だけどそれは間違いだよ」
「えっ?」
エライザは驚きの表情を見せた。
「この洞窟からは外に『思念』が届かないからね。情報漏れがないように、そういう場所を選んでこの場所に隠れたんだから。あんたもここに来てからスキル、使ってないだろ?」
「えっ、でも確かに『思念』の流れが…」
エライザは困惑の表情をした。
「まぁよい。遅かれ早かれ皆にもしなくてはいけないことだ。この後広場に集まりなさい。そこで話そう」
物陰から見ていたエルフ達はレノンの言葉を聞くとそそくさと自らのテントへと帰っていく。
「イリス、エライザ。あんた達はちょっとこっちに来なさい!」
タマラは口論していた二人を呼びつけた。
「まったく。お互いの理由はちゃんと聞くから安心しな。あと、カトリーナさんはしっかり朝食摂ってね」
タマラは何故か私に笑顔を見せた。
一方、アイリスとエライザはしょんぼりと耳を垂れさせ、「はい」と素直に返事をした。
二人の怯えようからして只者ではないと思われる。
このタマラさんって一体何者なんだろう?