1-7. 会議のあとは…
「いや~、疲れましたねリーナさん」
レノンたちのテントを後にすると緊張から解き放たれのか、アイリスはさっきまでとは別人のような気の抜けた声を出した。
両手を伸ばしながら歩く様はまるで白線の上から落ちたら負けというゲームをしているようだった。
「そうですね。でもアイリスさんのおかげで何とかなりました。本当にありがとうございます」
「何言ってるんですか。リーナさんは私たちの希望なんですから。それにダークエルフですよ」
レノンだけなくアイリスも随分私に期待しているようだった。
「まさか滅びたはずのダークエルフを見つけたときには本当に驚いたんですから。何だこれはー!って。目を疑うとはこういうことかってね」
「はぁ…」
アイリスの高いテンションについていけずに生返事を返してしまうが、アイリスは特に気にしてはいないようだった。
「偽者だと思って『神眼』で見たらあら不思議、本物じゃないですか。もう衝撃ってもんじゃなかったんですから!」
「あっ、はい。何かすみません」
「最初は死んでるのかと思ったら目を覚ましてキョロキョロしだしちゃって。あぁ。本当に生きてるダークエルフだって思ったら感動でしたよ」
「えっ?ずっと見てたんですか?」
どうやら私が目を覚ましてからの全てをアイリスは見ていたようだ。
「はい。一体何者なのか見定める必要があったので。職業病みたいなものですね」
「職業病?」
そういえばアイリスとは何者なのだろうか。
今更ながら疑問に思う。
「そういえば言ってなかったですね。私は人間族のことを調査・監視しているんです。エルフの里に対して何か行動を起こす兆候があればそれを伝える。そうしていち早い避難に繋げているんです」
「監視ってことは、諜報員ということですか?」
「そうですね。私には『神眼』のスキルがありますから、この任務には最適なんです」
思った以上にアイリスは危険な仕事をしているようだ。
「危なくないんですか?」
「そうですね…。おそらく一番危険な任務だと思います」
それはそうだろう。
レノンの話でも明らかに人間はエルフを捕獲しようとしている節があった。
人間に近づくのはかなりのリスクがある。
「でも私は少し離れたところからでも観察が出来るので、人間族と面と向かわずに済むので意外と安全なんですよ。『神眼』様様です」
安全ではないだろうが、きっと私に心配をかけさせないように気を使ってくれているのだろう。
そう思っているうちにアイリスのテントへ到着する。
「さぁ、もう遅いのでもう寝ましょうか」
さも当たり前のようにアイリスは私を自身のテントへ誘う。
「私もご一緒していいんですか?」
「もちろんですよ」
断るのも悪いし、そもそも行くところもない。
私は彼女のご好意に甘えるしかなかった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
アイリスは嬉しそうに答えた。
私は再びアイリスのテントへ足を踏み入れた。
改めてテントの内部を見回すと本当にシンプルな室内だった。
「どうかしましたか?」
私の様子にアイリスが不思議そうに訊ねた。
「いや、物が少ないなと思って」
「あぁ、そういうことですか。昔は両親もいたのでもっとごちゃごちゃしてたんですけどね。今は私一人になっちゃったんで」
「えっ」
アイリスの言葉に私は思わず耳を疑った。
今彼女は何と言った?
エルフの里は人間の攻撃を受けかなりの数の犠牲が出たと聞いた。という事はつまり…
「あの、すいません。変なこと言っちゃって」
何とも罰が悪い。申し訳ない気持ちに押しつぶされそうになる。
「ん?変なこと?何かありましたっけ?」
しかしアイリスは訳がわからないという表情を浮かべた。
「いえ、だってご両親を亡くされたんですよね?」
私は恐る恐る訊ねた。
常に明るいアイリスは一体どんな顔をするのだろう。彼女の顔を見るのが怖かった。
「ん?両親ですか?二人とも元気ですよ?」
「えっ?」
まさかの答えに思考回路が止まる。どういうことだ?
「いや、だって昔はいたって。それに今は一人になったって」
「はい。そうですけど?」
「えっ、いや、だから…二人とも元気?生きてる?」
もうわけがわからない。アイリスに説明を求める。
「はい。二人とも元気ですよ。それにさっき会ったじゃないですか」
「さっき会った?いつ?誰に?」
「ほら挨拶も会話もしたじゃないですか、父に」
挨拶も会話もした?私が?
直前で会話をした人物といえばアイリスと里長のレノンそれにアトラと名乗ったエルフしかいない。アトラはノースフォレストのエルフと言っていた。そしてアイリスはイーストフォレストのエルフだ。ということは…
「もしかして、里長のレノンさんがアイリスさんのお父さんっていうことですか!?」
「ええ、そうですよ。里長のフランレノンは私の父です」
「えぇーー!!」
衝撃の事実だった。アイリスが里長の娘。しかし随分と他人行事だったような気もするが、もしかしたら仲が良くなかったりするのだろうか。
「そしてリーナさんから見て一番右端にいたのが母ヴァイオレットです」
「母!?いたの、あの場所に!?」
更なる真実が突きつけられる。
しかし一番右端とか、正直里長くらいしか覚えていない。
「ええ。両親は昔から里の要職についていたので、里同士の統合後もそのまま役職を引き継いだんですよ」
ということはめちゃめちゃ元気じゃないか。しかも要職についているということは、アイリスは意外とエルフ族の中でもお嬢様だったりするのではないだろうか。
「じゃあなんで一緒に住んでないんですか?」
紛らわしくしたのはこの事実だ。やはり仲が良くないのだろうか。
「さすがに200を超えて一緒に住むのは恥ずかしいじゃないですか」
「200?200ってなんの数字ですか?」
突然出てきた謎の数字。そういえば彼女はエルフだ。そして超えるという表現。もしかして…。
「もちろん年齢ですよ。恥ずかしいのであまり言わせないでくださいよぉ~」
アイリスは少し照れながらバシバシと私の肩を叩いた。
「200を超えて親と一緒に同居はちょっと子供っぽすぎるので、一人暮らしするのが慣習なんですよ。」
「なるほど」
私は納得する。と同時にふとある疑問が浮かんだ。
「私とアイリスさんが一緒に過ごすのは大丈夫なんですか?一人暮らしじゃなくなっちゃいますし」
多様性とはいえ同姓同士。まわりはどういう風に見るのだろうか。
「昔は婚姻関係がないと同じ室内には入れないみたいなもあったみたいですけど、今はそんな慣習はないですから安心してください。親元から離れていれば大丈夫です。他人との同居も建物不足とかがあったので結構あることですから」
「そうなんですね。安心しました」
私は安堵する。
その様子にアイリスは何かを感じ取ったようだ。
「すいません。何かいろいろ気を使わせていたようですね。父には同居の許可も取っていたので。先に言っておけばよかったですね」
「許可?いつの間に!」
知らぬ間に外堀がちゃくちゃくと埋められていたようだ。アイリス、何て恐ろしい子。
「偵察結果と一緒にリーナさんのことを説明したんです。そのときに許可を取っていたんです。もし里への加入が認められたら一緒に住んでいいかって」
「よく許可貰いましたね」
「さすがにその場では貰えませんでしたけどね。加入の認められたら好きにしろって言われて」
そこに私の意思はまったく反映されていないんですけど…、と思うがアイリスって勝手に決めていくタイプだったと思い出す。彼女には何を言っても無駄だろう。しかし私の身を案じての判断。悪気があったわけではないだろうから、黙っておくことにしよう。
「ありがとうございます。私のためにそんなことまでしてくださって」
「いえいえ、気にしないでください。さすがに里長に言うときには緊張しましたけどね。普段から業務連絡以外の会話ってする機会あまりないので、変な緊張感がありましたよ」
アイリスはニッと歯を見せて笑った。
「親子なのに随分他人行儀な感じなんですね…」
話すのに緊張したとは、やはり仲でも悪いんだろうか?さすがにそんなことを聞くのは野暮だし失礼だろう。里長としての威厳とかこの場では親子関係は関係ないとかそんな感じの理由があったと思いたい。
「あぁ。一人暮らしをすると私達の慣習としては親であっても他人と同じような関係になるんですよ。もちろん親子関係は続きますけど、よっぽどのことがない限りは私とは関係のない他人ということになるんですよ。だから父であったとしても年上の里長の男性として接していたわけです」
なるほど。エルフの掟は私の常識とはかなり違っているようだ。しかし年齢200歳越えとはさすがエルフ。年齢という概念が違いすぎてまったくピンとこない。私は20台後半だったのだが、エルフの世界でその年齢は赤子同然といったところなのだろう。
「すいません。いろいろ勘違いして」
「気にしないでください。事情は知ってるのでそうなってしまうのは当然です。それよりずっと私達敬語で話してますけど、そういうのやめませんか?あとさん付けとかも?」
アイリスが上目遣いで訴えかける。
美人であるアイリスがそんな視線を見せたら、大半の男性は無条件に首を縦に振ってしまうだろう、とか関係ないことをつい考えてしまう。かく言う私もその魔性の視線には耐えられる気がしない。
「わかりました。よろしくね、アイリス」
少し照れながら私は返答した。
「はい、よろしくリーナ」
アイリスはニコッと相変わらずはじけるような笑顔を見せた。
「あと、アイリスじゃなくてイリスでいいよ」
「えっ?あぁ、確か最初に自己紹介されたときにも言ってたよね。でも何でイリスなの?」
思い返せば私のことをアイリスはリーナと呼んだ。そして里長レノンの本名はフランレノンだ。どうも最後の三文字だけを愛称として使っているようだが…。
「本名だと長い人もいるからね。かぶってる場合を除いて基本的には最後の三文字を呼び名としてるんだよ」
やはりそうでした。
この世界に来て理解不能な常識ばかりだったが、今回は予想が的中した。
「それだけ?」
何かもっと深い意味があるのかも知れない。
「うん、それだけ」
あっさり期待は裏切られた。
「あぁ…そうなんだ…。へー」
「あれ?嫌だった、リーナ呼び?」
アイリスは不安そうに訊ねてきた。
「いやいや。全然いいよ。むしろカトリーナ呼びの方がなんかちょっと…」
そう、私の本名は加藤李衣奈。親・親戚・友人からは「りいな」もしくは「りーな」と呼ばれていた。社会人になってからは「加藤さん」であり、フルネームで呼ばれるのは病院や銀行ぐらいだ。つまりあまり馴染みがない。しかも「加藤李衣奈」ではなく「カトリーナ」。響きは似ているが別物だ。「焼きそば」と「焼き鯖」くらい違う。
「嫌な感じ?それって無くなった記憶が関係してるのかな?」
そう言えば私は記憶喪失だった。まずった。
「う~ん、どうだろう。リーナ呼びの方が言われ慣れてる…みたいな感覚?」
「へぇ~。そういうのってあるんだね」
私の説明にアイリスは納得するとテントの片隅に積み上げられていた藁の山を崩すとその上にダイブした。
ドサッっという音とともにアイリスの体が藁に埋まる。
「う~ん、もうだめ。リーナはそっち側使ってね。おやすみなさい」
「そっち側って?あっ、そういうこと」
一瞬アイリス何を言っているのかと思ったがすぐに理解できた。
崩された藁の山はまるでダブルベッドほどの幅に広げられていた。そしてアイリスはその山の左端に倒れこんでいたからだ。つまり空いている右側を私に使えということらしい。
「意外と細かいことまで気が利くな」
スヤスヤと寝息をたてるアイリスを眺めて私は改めて彼女に感謝する。
偵察という気を張る任務を終え、帰里する途中に私に出会い保護をし里長たちを説得する。突然電池切れしてしまうほど疲れていて当然だ。
「隠し事もわかるスキルか…。じゃあ、わかってるんだよね、たぶん」
返事はなくスヤスヤという寝息だけが返ってくる。
どうしてアイリスは私の正体を黙っているのだろう。そしてどうしてこれほど私に優しくするのだろう。
今は答えが返ってくることはない。
慣れない長時間の樹上移動に偉い人との席巻。それ以上にスーパーで転倒したと思ったら異世界のダークエルフに転生するとは、もうわけがわからない。
これからどうしたものかと考えていると、強烈な眠気が襲ってくる。
「さすがに疲れた。寝よう」
目を閉じるとすぐに記憶はなくなった。