白い結婚を終えた私に届いた、私からのメッセージ。
扉がゆっくりと開いていく。
その奥の薄暗い空間から、女の声が響いてくる。
――魔道具の三日月堂へようこそ。私は店主のクロエです。
当店は絶大な力を持った魔道具を数多く取り揃えています。
あらゆる奇跡を起こすことから、私のことを『三日月の魔女』クロエ・アナと呼ぶ方もいらっしゃるそうで。
例えばどんな商品があるのかって?
それでは、こちらの魔道具をご覧ください。
……時間の進み方は、一定ではありません。
重力が重くなるほど時間の進みは遅くなりますし、軽いほど速くなります。
それに、楽しい時間はあっという間に過ぎ、苦しい時間はゆっくりと過ぎることは、誰もが感じたことがあるはずです。
それでも、人は時間の流れに身を任せる他はない。
そんなことは、言うまでもない常識です。
ですが、苦しい時間を飛ばして未来に行くことができる魔法の道具があったとしたら、あなたならどうしますか?
参考までに、あるエピソードをご紹介しましょう……。
**********
「私、こう見えて異世界から転生してきたんだけどさ」
長机を挟んでクロエの向かいに座る伯爵夫人アガサ・ケルシーは、そう言って頬杖をついた。
「最初はテンション上がってたわけよ。そういう小説も好きで私けっこう入り込むタチだし。これでブラック企業ともオサラバ、満員電車で通勤しなくてもいいんだって。男子も2.5次元みたいなイケメンだらけだし、よりどりみどりじゃん、この中の誰かと結婚してグータラ生活を送れば勝ち確じゃんって。でも正直なめてたよね、貴族社会」
「……はあ」
「女に自由なんかないしさ、マナーとかもめんどくさいし、親も私を政略結婚の道具としか見てないし、毎日毎日お見合いばっかで疲れるし。コルセットも内臓が口からまろび出そうなくらいキツくて、ホント最悪すぎて草も生えない」
アガサは長机に顔を突っ伏して、授業中に居眠りする学生のようにだらけきった様子で続ける。
「でも、そんな私もようやく良縁に恵まれたわけ。相手はパトリック・ケルシー伯爵。若き伯爵様で、子爵家の私からしたら大出世よ。しかもラッキーなことにパトリック様は私にこう言ったの。『お前を愛するつもりはない』って。いわゆる白い結婚ってやつね」
「……白い結婚が、ラッキー?」
「そりゃそうでしょ。出産・育児で大変な思いしなくてもいいし、3年間の期間限定なんだから終われば自由の身。離婚したらお金めっちゃくれるらしいし、長めのパパ活みたいなもんじゃん。まあぶっちゃけ、パトリック様は超絶タイプだったからホントは一発やっときたかったけど。でも、問題はそこじゃないのよ」
そこまで言ってアガサは顔を上げる。
「問題は、白い結婚も楽じゃないってこと」
「……はあ」
「白い結婚っていってもそれは私とパトリック様の間だけの密約だから、姑がうるさくてうるさくて。『早く子ども産め~』『さっさと使用人に指示を出せ~』『そんなんじゃ伯爵夫人は務まらないぞ~』って。もう、ほぼピン子よ。異世界転生までしてきたのに、なんで渡る世間に鬼がいるのよっていう話。結婚して1ヶ月だけど、もうマジで心の限界」
チーズが溶けていくように長机にだらけていくアガサに、クロエは言う。
「つまり、その姑を消したいというのがあなたの願いですか?」
「いや、怖いこと言わないでよ。私だってさすがに人を殺めたいとは思わないし、姑いなかったら伯爵家まわらないし。使用人に領民に、他家の貴族に王家に、ステークホルダー全方面に配慮して……たぶん大企業の中間管理職より大変だわ、貴族の奥方。私には確実に無理」
「では、どうしたいのですか」
苛立ち始めた様子のクロエをなだめるかのように、アガサは3本の指を立てた。
「私を、3年先の未来に飛ばして欲しい」
「……ほう」
「そうすれば、白い結婚も終わって大金を手にした私はひたすらグータラできる。もうね、寝る以外のことはしたくないの。前世からずっと。だから飛ばして、3年後に」
小さくうなずきクロエは「なるほど、わかりました」と背後の棚に手を伸ばす。
いくつか引き出しを開けてから、クロエが長机に置いたのは腕時計。
「……なんか、こっちの世界っぽくないね。腕時計なんて」
「ふふ、こう見えて私も魔女ですから」
「ま、何でもいいけど。そもそもこの世界も、中世と近世と近代がごっちゃになってる感じするし。で、これが私を3年後に飛ばしてくれる魔道具?」
クロエは再びうなずき、腕時計をアガサに手渡す。
「こちらの魔道具は、スキップウォッチ。この竜頭を回して時間や日付表示を飛びたい未来に設定してから長押しすると、その間をスキップすることができます」
「……何それ、やば」
「ただし、使えるのは1回だけです。飛んだ先の時間から戻ってくることはできませんし、飛んでしまった時間の記憶も残りません。スキップした時間にもあなたは存在していて、あなたとしての行動をした事実は残りますが、あなたの主観や意識としては空白の時間になるということです」
アガサは「ふ~ん」と聞き流しながら腕時計の竜頭を回す。
「要するに、未来の3年間の記憶喪失ってことね」
「まあ、そういうことです」
「全然いいよ。このダルい結婚生活をスキップできるなら」
そしてアガサは腕時計を装着し、親指で竜頭を強く押し込んだ。
「これで、私のグータラ生活が始まるぞ、っと」
**********
「おはようございます、アガサ様」
目覚めたアガサは、自分がふかふかのベッドに包まれていることに気付いた。
窓から見える日は高く、壁時計は昼の2時を指していた。
――昼寝……! よっしゃ、狙い通りグータラ生活スタートしてんじゃん!
「もうすぐ、パトリック様がお見えになりますよ」
紅茶を淹れながらそう言った執事アルバートの言葉に、アガサは驚いて飛び起きる。
「なんでパトリック様が!? 私、もう離婚してるんじゃないの!?」
振り向いて片眼鏡の位置を直しながら、アルバートは言う。
「おやおや……そんなことを仰られてはパトリック様が悲しみますぞ」
「え、だって……私たちは白い結婚で」
「ええ。存じておりますとも。お二人のこれまでの3年間が白い結婚であったことは、アガサ様とパトリック様が我々に打ち明けてくださいましたな。そしてこれからは新たに正式な夫婦として末永く結婚生活をともにされることも、大変仲睦まじいご様子でつい先月、発表してくださったではありませんか」
アガサはベッドで上体を起こしたまま「ど、どういうことよ……」とつぶやく。
「この3年の間に、一体何があったの……?」
アルバートは「ふむ」とうなずいて紅茶のカップをサイドテーブルに置いた。
「アガサ様はパトリック様と白い結婚をされる前、子爵令嬢としての身分を隠して街の菓子店で働いておられましたな」
「う、うん……そうだけど……あ! わかった! パトリック様はそのお菓子屋さんで働く私を私と気付かず平民だと思って『あの平民と結婚するための根回しの時間を稼ぐには白い結婚しかない』からって私に白い結婚を申し出たんでしょ! それでその店員の正体が私だと知って『なんだお前だったのか~、だったら愛してるよ~チュッチュ~』ってなったんでしょ! な~んだそれなら最初から言ってくれたらさ~、私だってパトリック様の顔は好きなんだからさ~、最初からチュッチュってさ~」
「違います」
「違うんかい」
「パトリック様が惚れ込んでおられたのは、その菓子店で働くアガサ様の同僚です」
「おい最悪かよ」
アルバートは紅茶をカップに注ぎ、短いため息をついてから言った。
「やはりアガサ様ご自身が仰っていた通り、この3年間の記憶をなくしているようですな。それではこちらをご覧ください」
「これは……?」
「つい先日のアガサ様から、今のアガサ様への『メッセージ』だそうです」
アルバートがアガサに手渡したのは綴じられた紙の束。
そこに、アガサの筆跡でこう書かれていた。
――記憶喪失の私へ。
これを読んでいるあんたは3年先の未来へ飛んで「これでグータラできる!」って思ってるだろうけど、よく考えたらこの3年間を生きなきゃいけない私にとってはなんかムカつく話だよね。
ということで、3年後のあんたにちょっとした嫌がらせの意味を込めて、ある種のプレゼントを用意しました。
そのきっかけは、今から2年8ヶ月前…………。
**********
2年8ヶ月前、街では連続爆破事件が起きていた。
これまでの犠牲者には有力な資産家や著名な音楽家も含まれており、新聞も大々的に報じていた。
最新鋭の軍用爆弾を使った国家への反逆行為ではないか、いや爆発魔法を込めた魔道具による愉快犯ではないか。そんな憶測が飛び交ったが、そのどちらでもないようだった。
軍用爆弾が盗まれた形跡はないし、犯行現場に魔道具が使われた痕跡もなかった。魔法や魔道具が使用されれば指紋のように個人特有の魔力が残るが、それは検出されなかった。
かわりに、現場には審判と書かれたカードが必ず残されていた。
そのことから、一連の事件は『ジャッジメント爆破事件』と呼ばれた。
混迷を極める領内での大事件。
捜査の陣頭指揮は、領主であるパトリック自らが執っていた。
「爆弾魔ジャッジメントめ……! 絶対に僕が捕まえてやるぞ……!」
パトリックが拳を握りしめたその場所は、最新の犯行現場。
となりにはアガサの姿もある。
そこは、かつてアガサが働いていた菓子店だったからだ。
「店長さん、いい人だったのになぁ……」
亡くなったのは店長のジョージ・アボット49歳。
倉庫と休憩室を兼ねている地下室にいた際、爆発に巻き込まれて犠牲になった。
アガサはまだ焦げ臭さが残る地下室の入口でひざまずき、両手を合わせて拝んだ。
この世界には不似合いな仕草ではあるが犠牲者を悼む妻アガサを尻目に、パトリックはある女性店員に向き合っていた。
「ご安心ください、キャシーさん。この事件は僕が必ず解決します。伯爵の名にかけて」
「パトリック様……!」
パトリックをキラキラとした瞳で見上げるのは菓子店勤務のキャシー・アンガーソン18歳。
アガサとは同い年で、アガサが実は子爵令嬢であることを当初から知っていた数少ない友人の1人だ。パトリックと結婚することも彼女には最初に打ち明けた。
そして、パトリックが惚れ込み、アガサとの白い結婚期間中にどこかの貴族の養子にでもしてケルシー伯爵家の次の夫人に迎え入れようとしている相手でもある。
「ですが、誰も正体がわからない謎の爆弾魔を捕まえるなんて、一体どうやって……?」
キャシーが唇を尖らせて首をかしげると、その両肩に手を置いてパトリックが微笑む。
「捜査は足で稼げ。それが鉄則ですよ。すでに捜査員を総動員して聞き込みに走っています。僕もこうしてはいられない。できることなら、ずっとあなたと話していたいところですが。僕には領民の暮らしを守るという使命があるのでね。では!」
「こら待て、バカ伯爵」
唐突に罵られて、パトリックは思わず声の主に顔を向ける。
そこにはアガサがいた。
「ちょ、ちょっとアガサ、今、僕のことなんて言った?」
「バカ伯爵」
「え、さすがに酷くない!? 仮にも伯爵夫人が旦那様をさ」
アガサはすっと立ち上がり「仮にも、ね……」と反芻する。
「いや、それは、まあ……」
白い結婚であることは周囲には公表していない。それをこの場でアガサに暴露されるわけにはいかず、パトリックはうろたえる。
「ま、私たちの関係については、今はいいでしょう。そんなことより、私が言いたいのは『では』じゃないでしょってことですよ」
「……どういうことだ? だって早く行かなきゃ犯人が逃げて」
「逃げませんよ、犯人は」
きっぱりとそう言ったアガサに、その場にいる者すべての視線が集まる。捜査員や店員たちもパトリックも、誰もが困惑の表情を浮かべている。
それを見回してアガサは言った。
「犯人は、この中にいます」
**********
事件現場をツカツカと歩きながら、芝居がかった調子でアガサが話し始める。
「ヒントは現場に散らばったこの小さな歯車と、細い糸。それから、菓子店の倉庫なら本来あるべきなのに、すっかり消えてしまったあるモノ。一連の爆破事件を起こしたのは、最新の爆弾でも魔道具でもありません。勘のいい方なら、もうお気付きですね」
パトリックが「えっとアガサ、誰に話してるの?」と尋ねるとアガサは声をひそめて「いいじゃないですか、ちょっとやってみたかったんですよ、こういうの」と頬を赤らめる。
**********
「は、犯人がこの中にいるってどういうことよ!」
悲鳴に近い声を上げたのは、キャシー・アンガーソン。
「私たちを疑っているっていうこと!?」
「酷いじゃない! この前まで一緒に働いてた仲なのに!」
「そうよ! 私たちが爆弾魔のわけがないじゃない!」
他の女性店員たちからも次々と声が上がる。
「キャシーたちの言う通りだ。それに、捜査は初動が命。今は1分1秒を争うんだ。手短に説明してもらおうか、アガサ」
パトリックに促されて、アガサは「いいでしょう」と現場である地下室に足を踏み入れた。
煤にまみれた部屋中に散乱する様々な破片から、いくつかの物を拾い上げてアガサは捜査員や店員たちが集まる入口の方を振り向く。
「まずは、この歯車。これが何の部品だか、わかりますか?」
一同は頭の上に「?」を浮かべて顔を見合わせる。
続けて、アガサはまた別の物を掲げて見せる。
「そして、この細い糸。これは何だと思いますか?」
首をかしげる面々の中から、業を煮やした様子でパトリックが一歩踏み出し「だから早く結論を」と言いかけたのを、アガサは手で制する。
「この歯車は、最近流行のからくり時計の部品。そして、この糸はピアノ線です。このピアノ線をからくり時計の可動部分と切れ込みを入れておいた棚に結びつけて、区切りのいい時刻になると棚が崩れるように細工しておいたんでしょう」
少し考えてからパトリックが疑問を呈する。
「棚が崩れたくらいで、どうして爆発なんかするんだ」
アガサが「ふふ」と笑いながら顔の前で指を振る。
「簡単です。粉塵爆発ですよ」
一同は聞き慣れない言葉に「粉塵爆発……?」と声を合わせる。
「そうです。火気のある密室に大量の粉が舞えば、その粉に引火して一気に燃え上がる。それが粉塵爆発です。ここはお菓子屋さんの休憩室であり倉庫。地下室なので灯りはロウソク。棚から崩れて飛散した大量の小麦粉に、その火が引火して爆発したわけです。すっかり燃えてしまって残っていませんけどね」
アガサは地下室を見回してから続ける。
「つまり、この部屋全体が爆弾魔ジャッジメントの仕掛けた時限爆弾だった、ということです。そして、それを仕掛けられるのはこの部屋に自由に出入りできる従業員のみ。だから、犯人はこの中にいると言ったのです」
女性店員たちの顔が青ざめる。
「ば、爆弾魔がいる場所になんかいられないわ! 私は帰らせてもらうからね!」
キャシーが、そう叫んで背中を見せた。
それをアガサが鋭く呼び止める。
「待ちなさい、キャシー。いいえ、爆弾魔ジャッジメント」
一同から驚きの声が上がる。
キャシーもビクリと振り向き、アガサに食ってかかる。
「ちょ、どういうこと!? 私が犯人だって言うの!?」
「そうですよ」
「なんで! 私たち、一番の親友だったじゃない!」
アガサは首を振って、捜査員から一冊の帳簿を受け取ってキャシーに突きつける。
「ここには日々の勤務時間や休憩時間が書き込まれています。休憩は1人25分ずつ。亡くなった店長は14時40分から15時05分。その前の14時15分から14時40分にはシェリーさん。そして13時50分から14時15分に入っていたのはキャシー、あなたなんです」
「そ、それが何だって言うのよ……」
「犯行に使われたからくり時計は、1時間ごとに鳩が飛び出すもの。店長の前にその時刻にいたのはキャシーだけ。その後に入ったシェリーさんはもうお婆ちゃんで足腰が悪く、壁にかけられていたからくり時計には手が届きません。つまり、犯人はあなた以外にあり得ないんですよ、キャシー」
キャシーは「ふふ」と鼻で笑って顔を歪める。
「何をバカなことを言ってるのよ、アガサ。からくり時計にピアノ線? くだらない。仮にその仕掛けが本当に爆発を起こしたんだとしても、あなたが言ってるのは状況証拠ばかりじゃない。私が犯人だっていう物的証拠なんか、どこにもないでしょう!」
そう主張してキャシーはアガサに指を突きつけた。
アガサは目を伏せて懐から小さな袋を取り出して見せる。
「この袋に、見覚えはありますね?」
「な、何よ、それは……」
「忘れたとは言わせませんよ。この袋の中には、ジャッジメントと書かれたカードが入っています。犯行現場に必ず残されていたカードがね。あなたの鞄から拝借しました」
キャシーは冷や汗を流しながら後ずさりしていく。
「そんな、そんなはずは……! だってそれは、ちゃんと自宅の金庫に」
一同はキャシーの言葉を聞いて「え?」と目を見開く。
キャシーも自らの失言に気付いて「あ!」と声を上げる。
アガサはカードをひらひらと振りながら薄く笑う。
「墓穴を掘りましたね。これは私が作らせた偽物。本物のカードは今もあなたの家の金庫にあるはずですよ」
**********
「音楽家になることが、私の夢だったの……」
キャシーは後ろ手に縛られながら、そうつぶやいた。
「庶民には高価なピアノだってお父さんが無理して買ってくれてね。私、必死で練習したわ。近所から苦情が来てもお母さんが何とか説得してくれて。でも、音楽家になるには音楽学校に行かなきゃいけない。でも、入学金なんか払えるわけがない。銀行も私たちみたいな庶民に貸してくれるわけもない。それで、有名な音楽家の先生に支援をお願いしたけど……体の関係を要求されたのよ。私、耐えたわ。夢のためだって。それでも、アイツは私を推薦する気なんかサラサラなかった。私の体だけが目当てだったのよ……」
そこまで言ってキャシーは、潤んだ瞳でアガサを見上げた。
「そんな時、アガサ、あなたが伯爵夫人になるって聞いたわ。それで私、ひらめいたの。私も伯爵夫人になって、お金を手に入れれば、音楽学校にも行けるって」
「それなら、人殺しなんかする必要なかったじゃない。パトリック様は、あなたのこと」
「ええ、気付いてたわ。パトリック様が私に想いを寄せていることも、アガサのことを愛していないということも」
「だったら」
「でもそれじゃ、音楽家にはなれないわ。伯爵夫人は大変なお仕事。音楽学校に行く暇なんかないでしょう。それなら、結婚した後でパトリック様を殺して未亡人としてお金と自由を手に入れるしかない。それで、実験を始めたのよ」
「実験……?」
「そうよ。一連のジャッジメント爆破事件はすべて、パトリック様を殺すための実験。それに審判を印象付けておけば、パトリック様の遺産を狙った犯行ではなくて、政治的な犯行だと思ってもらえるでしょう?」
キャシーの言葉に、一同は息を呑んだ。
「でも、清々したわ。スケベな音楽家も暴利を貪る金貸しも、ぜ~んぶ爆破してやったんだから。私を食い物にしたり見下したりした奴らは全員、木っ端微塵よ。ふふ、うふふふふ……」
そしてキャシーは「あはは……あーっはっはっは!」と高笑いを始めた。
笑い続けるキャシーは後ろ手に縛られたまま「行くぞ、さっさと歩け!」と捕吏に小突かれる。
よろめきながら、キャシーはアガサにもう一度振り向く。
「ところで、いつから私が犯人だって気付いてたの……?」
アガサは目を伏せて唇を噛み締めてから言った。
「……最初からよ。ピアノ線が簡単に手に入る庶民なんて、この時代ではあなたくらいのものだから」
**********
「……何よコレ」
2年8ヶ月前の自分のエピソードを読み終えると、アガサは顔を真っ赤にして頭を抱えた。
「いや私、調子に乗りすぎでしょ! ていうかキャラ変わってるし! ノリノリで名探偵になりきってんじゃん!」
「ははは、良いではありませんか。名探偵アガサ・ケルシー。なかなか悪くない響きですぞ」
「恥ずいって! 何が『犯人はこの中にいます』よ! いなかったらどうすんのよ!」
アルバートは「良かったではないですか、いたのですから」と笑う。
アガサは頭を抱えたまま「あれ?」とつぶやく。
「私が名探偵ごっこしたのはいいとして、だからってなんで私とパトリック様が結ばれることになったわけ?」
「ああ、それは事件を解決した後にですな……」
「あ、もしかして私のカッコいい名探偵ぶりにパトリック様が惚れちゃった? まあな~、ちょっと恥ずかしいけど確かにカッコいいからな~私は。そりゃ惚れるよな~」
「違います」
「違うんかい」
「事件の後に家でゴロゴロしているアガサ様が『家にいる時くらいグータラしてもいいじゃない。せっかく生きてるんだからさ』と仰ったのが妙に響いたらしく。事件を解決するアガサ様とグータラするアガサ様のギャップに惹かれたのですかな。今ではパトリック様も奥方様も、アガサ様のグータラには文句を一切言いませぬ」
それを聞いてアガサは微妙な表情を浮かべたが「ま、グータラできるならいいか」と芋虫のようにベッドに戻っていった。
しかし勢いよくドアが開いて、
「アガサちゃ〜ん! また未解決事件だよォ! 助けてェ~~~~ッ!」
大量の資料を抱えたパトリックが部屋に飛び込んできた。
アガサが「え? ど、どういうこと!?」とうろたえると、アルバートが「ははは」と笑う。
「あれからアガサ様は次々と難事件を解決されましてな。王都からも依頼がひっきりなしなのです。さあ、お昼寝の時間も終わりましたので、本日も謎解きを始めて頂きますぞ?」
「え……まさか、過去の私から今の私への『プレゼント』って、もしかして、これ……?」
「そのようですな。終わることなき名探偵としての日々。それが過去のご自分からのプレゼントなのでしょう。そのメッセージの最後には何と?」
アガサは青ざめた顔で手元の紙の束をめくる。
少し前のアガサから今のアガサに向けられたメッセージ。
それはこんな一文で締めくくられていた。
――ということで、これからも推理、楽しんでね。
アガサはベッドの中で叫ぶ。
「やだぁ~~~~ッ! 働きたくな~~~~いッ!!」
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クロエ・アナが、薄暗い店内で佇んでいる。
――今回ご紹介した魔道具は、いかがでしたでしょうか。
憂鬱な予定が、本当に苦しい時間だとは限りません。
苦しい時間の後に、楽しい時間がやってくるとも限りません。
いずれにせよ、この物語の主人公は幸運でした。
もしかしたら、彼女に3年後なんか存在しなかったこともあり得たのですから……。
当店では、他にも様々な魔道具をご用意しています。
ですが、あいにく本日はそろそろ閉店のお時間。この他の商品のご紹介は、もし次の機会があればということで。
それでは、またのご来店を心よりお待ちしています……。
読んで頂きありがとうございます。
ジャンルをまたいで、いくつか短編を投稿しています。
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