メヴリヌフルードラス
「あんなに隙だらけだったのに、やっぱり強いじゃないか」
炎で断ち切られた様な――。
肩口から斜めに入る壮絶な傷跡を鏡ごしに見やる。
一向に治る気配の無い肉を大きく切り取り、魔力で肉を練って新たな身体を再構築。
胸の肉付きと柔らかさの再現に満足したのか赤い唇をニヤリと吊り上げた。
生活減域を大きく越えた果ての何処か――。
天蓋を切り取られた古城の玉座で、廃墟の香りを胸いっぱいに吸い込んで眼を閉じる。
苦くて甘く、繊細でいて脆い記憶が鼻腔を擽り思わず深緋の翼が揺れて動く。
反芻にも満たない脳裏の閃光。
思い出の欠片が苦痛と快楽を引き起こし、身体がそのどちらにも反応して身悶えしていると、
玉座が見下ろす広間に何かが舞い降りた。
片目を開けて見下して、笑みが零れる。
「なぁんだ、帰って来ちゃったのか。
せっかく飛び立ってくれたと思っていたのに……。
――ねぇ?メヴリヌ」
大いなる炎――。
焼滅焦土の香りを漂わせ、羽ばたき終えて焦がした天空から灰を降らせながら……。
大翼折って型取るは人の似姿、歩みの全てで以て火焔と炎熱を従えながら……。
微笑みに顕すは魂を焼き尽くす劫火、息吹に宿るは命を巡らせる転生の業火。
舞い降りた炎――メヴリヌフルードラスは深緋の魔人を一瞥した後、何処か遠くを見つめていた。
狂乱に身を窶した多くの同胞とは違って、その所作の細部には理性を感じさせるが……。
遠くを見つめる瞳は暗く濁り――。
鳴り止んで久しい鼓動を探るように押さえた胸には、暁の代わりに黒色が蠢いている。
「友が――、別の世界で還った」
ぽつりと零した独り言。
寂しさを感じさせる横顔にはどこか羨ましさが宿る。
「ドラゴンは死別に悲しさを感じないのかい?」
「生きているなら、そうも感じるだろうな。
だが彼はあの状態で存在していることに罪を感じていた。
ひとえに、愛故に狂い堕ちた炎、我が友カイリ。
ドラゴンで在ったという強さが彼を……カイリファラヌヴァ自身を消すことを許さなかった。
だからいいのさ。
だから羨ましい。
あれほどの最期、そうそう迎えられるものではない」
伏せた目が哀悼を捧げる。
その目が次にマリスに向いた時、全身を燃やし尽くす炎の感触がマリスを包み込んだ。
「ときに貴様……。
――我が剣に唇を向けたか?」
静かな囁きに地が裂ける程の重みを含ませて、深緋の魔人へと問いかける。
答えの代わりと云わんばかりに笑みを吊り上げてみせるマリスは、
深緋の翼の先端に着いた火を消しもせず、全身を焼く炎の幻影に身悶えもせず、
極限にまで膨らんだ痛みを快楽へと変えていく。
「仕方無いじゃない?キミがあんなに云うんだもの。
どうしたって見に行くってものだよ。
キミは行かないのかい?遠くからでも見に行ったら良いじゃないか。
羽ばたきひとつで何処へでも行けるんだから」
炎を抑え、胸を押さえ、またも遠くを見つめるメヴリヌ。
黒色が溢れ滴り、指の隙間から零れて床に落ちる。
血の代わりに流れるそれを見下ろして残り火のような息を吐く。
「悪戯に愛を説くな。翼が疼いて今にも飛び立ってしまいそうだ」
「いいじゃない……、そのままさぁ……、我慢しなくてもいいんだよ……?」
薄赤に掠れた深緋の色香が優しく優しく降りかかる。
顎先を掠めるような、翼の根元を擽るような、鱗を撫でつけて尾を弄ぶような……。
欲でもない欲に炎が猛り、
乾いてもいない餓えに牙が尖り、
望んで止まない望みが暗く濁った瞳に赤黒い輝きを宿らせる。
比例するように溢れるは魂に焼き付いた黒色。
暁の雫が溢れる場所に巣くった代償――。
深緋の魔人の笑みが堕落を確信した様に深みを増したその時。
「オルネア……」
黒い涙を流しながら――。
苦痛に喘ぎ歪む顔を晒しながら――。
抑えきれなくなった黒色を溢れさせながら――。
名前の呟きひとつで熾った炎が、魔人の思惑を崩していく。
暁を失いし残火であろうとも、その炎は、星で最後に産まれたドラゴンのもの。
理の十三階層【存在】が定義するメヴリヌフルードラスという最後のドラゴンの在り方そのもの。
如何なる魔人で在ろうと手出しは出来ない。
落ち着きを取り戻して徐々に人の姿に変じていくメヴリヌ。
だが、それを見てもマリスの笑みは消えない。
刻んでいるかも定かでなかった時の針が、地平の先で音を鳴らしている。
響く音が、この目に写る時――。
その残り時間の少なさに、
かつて無いほどの悦びを身に受けるのだと、白い肌の奥で心臓が高鳴る。
――それまで精々、この気高きドラゴンと遊んでいるとしよう。
「言っておくけど、私が飛び立つときは貴様を焼いてからいくよ?」
「うげっ!」
「当たり前だろう。
貴様が世に与える影響は大きすぎる。だから私は此処を根城にしたんだ」
和やかな顔でそう告げるドラゴンに魔人の顔が曇っていく。
――ひょっとして詰んでしまったかな?
つまらなそうな顔をして頬杖をつくと、
逃げること叶わぬ炎からどうやって逃げおおせるのか、必死に思案し始めるのであった。




