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語り継がれる詩《ウタ》  作者: アルエルア=アルファール
第三章 奏でられる詩
54/63

- 賢人会議 -

割れた月が照らす夜空。

赤紫を僅かに含んだ月光が魔を乱し、生きとし生けるもの全てに凶兆を予感させる。


そんな夜空に静寂を保ったまま浮かんでいる城がある。


秘環(ひかん)城ジリアヴルート――。


十三季のそれぞれに於いて出現する場所を変え、その造りさえ置き換える変幻自在の秘匿楼閣。

古来より、力ある魔女や魔法使いが重宝してきた密会の場である。


季節は七の秋、

造りは花咲き誇る庭園、

居を構えるは北西の最前線その上空。


眼下に広がる戦火に憂いつつも、今日も人は生き残っているのだと確かに実感できる場所だった。


乱れた月明かりが照らすジリアヴルート。

その外周部を囲む転移門で動きがあった。


楼閣を取り囲むように設置された十三の転移門のひとつが光を放ち、波光落ち着く頃に佇む一人の男。

今季の造りを一通り見回すと煩わしそうに手を振って、降り注ぐ月明かりから赤紫を取り除く為だけの限定的な結界を取り繕う。



「ルファシアめ、いつになったら直すつもりなのだ……」



心底鬱陶しいというように割れた月を見上げて目を細めると……。


視線は眼下の戦火へと移り変わる。


一目見ただけで戦場を満たす血の香りの感覚に苛まれ、

一秒にも満たない希望を抱きそれ以降を埋め尽くす諦観への逡巡を経て、

一際険しい表情を浮かべる。


庭園中央に据えられた円卓の席に腰掛けて他の賢人を待つ間、その険しい表情は変わることがなかった。


男の名は、――ヒュディ・イラ・ヒンデルガイア。

額を晒すように銀の長髪を後ろに纏め、

襟足で縛り留めるアニエラの髪留めは彼が修めた学位の象徴として青く存在感を放つ。

鋭く険しい目元には左目を覆う片眼鏡をつけ、への字をなぞるような口元は本人の偏屈な性格を表していた。


皺一つ無い正装に皺を作りながら上等な革靴の踵を鳴らして足を組み、腕を組み、何故他はまだ着かないのかと苛々を募らせる。



世を語らい、その趨勢(すうせい)すらも決めようというのに……。



更には……。


折角仕立てた正装の装飾をあらぬ方向に引っ張られ……。

後ろで纏めた髪留めを解かれ……。

銀の長髪を丁寧に三つ編みにされながら……。


やがて彼の周囲からクスクスと囁き笑う声が聞こえ始めて……。


切っても切れない縁の重さと、問答無用で招き呼び込んでしまう自身の体質に、

募った苛々は頭を抱えてしまうまでに膨れて重くなってしまうのだった。



精霊研究で名を馳せるヒンデルガイア家に生まれ落ちた神童、それこそがヒュディであった。


――人ならざるモノが寄って集って付き纏う特異体質。


身体に流れる魔力が一般のそれとは大きく異なる故に授かった、家にとっては垂涎、本人にとっては悩みの種。

常に付き纏われる鬱陶しさから家の研究にも嫌気が差したが、それでも自身が最も精通している分野なのだから……と生業の一部として各地で精霊学の教鞭を執る身となる。


家を出たヒュディとそれを見送った両親。


才能持つ我が子を手放す結果となったことに、意外にも両親や一族の者は誰も不満や異を唱えることは無く。

それが幸いし、体質を心配して貰った恩義や協力を強要しなかった両親や家へ報いるべく、時偶顔を出しては研究に協力している。


そんなある日のこと……。


普段であれば服を弄ったり髪を弄ぶ程度だった精霊が強く手を引いた。

転がり込んだのは何でも無い自室の隅。

だが背中へと感じるはずだった衝撃は無く、代わりに感じたのは……



十一の強い魔力と……ひとつの、――果ての無い魔力。



事態の把握も儘ならず。

自由という自由の全てを縛られ、無様に宙に吊り上げられる。


その目前で――。



『……あらあら……。


珍しい事も、ある、ものね。

必要と、された時に、必要と、された場所に、来れるなんて。


でも、歓迎するわよ、飛び入り参加者さん。


――貴方、お名前は?』



全てを掌握するこの顔を――知らないとは言わせない圧。


正規の手段で入場していない事と独得な魔力の流れを警戒してか、

単なる拘束に留まらない()()()()()ような感覚を受けて……。


自らの名を口にするその数秒で、()()というものを味わうこととなる。



あの時の畏怖の感情はどこへ行ったのかと……。

数々の茶目っ気に面くらった過去を思い出し、若すぎた青さを恥じて眺める夜空は静かで……。



ふと見渡した灰色の雲の群れ。

視線を向けた意味を探すように視点を絞ると、慌ただしい点が滅茶苦茶な軌道を描きながら近づいてくる。


巻き起こるであろう埃に予め風を起こして待機していると、

外の結界を突き破りながら着地もとい――……墜落した賢人。



「やったああああ!一番乗りだあああああ!」



()に到着し、

()に席へと着き、

足を組んで呆れているヒュディと()()()()()()()()叫ぶ人格破綻者。


――マタリト・マリ・マタタリート。


魔性生物の生態を明かそうと躍起になって空回りする変人。

彼女から滲み出す体臭は獣にとって非常に好ましい成分を含んでおり、

その香りを吸い込んだ獣は魔物、魔獣に関係なく酩酊状態となって一時的に彼女の言いなりとなる。


その体質の為ヴォルフ族からは敬遠されている事を非っ常に残念に思っている。



「マタタリート……」



「マリって呼んでよー!」



「……マリ。

目を合わせながら言うその台詞が……もしかしたら私にとって嫌味になるかもしれないとは考えないのか?」



「えー?なんでー?どこがー?」



「ふぅ……」



明け透けにした心を垣間見たマタリトはそれでもまだ理解出来ていないようで……。

理解出来ないことに腹を立てるヒュディの憤慨にこそ怯えを表していた。



「そんなに怒んないでよー!

理解出来ないから謝りはしないけど、悪いとは思ってるんだからー!」



羽織る毛皮翻し、円卓の席に腰掛けるマタリト。

首から下げた魔獣級の牙や爪が音を立てる。

その蒐集品に新たな品が加わっているのを見て今一度自身の立場や実力というものを思い知る。


戦闘能力――。

それは実力を測る上で最も重視され、最も軽く扱われる矛盾を持つ。


鍛え上げて研ぎ澄ます。

その行程にこそ格は宿り、かと思えば……。

いざ辿り着いた境地には至っていて当然という評価が付き纏う。


この場に於ける努力とは、して当然、実って当然。

評価を受ける資格のひとつにしか過ぎない。



「ふんっ……」



鼻を鳴らして切り替える。


気圧されれば最後、続々と到着する他の賢人に劣等感を抑えきれなくなるのが関の山。

竦んで、縮んで、そうやって重みを失くしてしまった言葉に誰が耳を傾けるだろうか。



他の賢人がヒュディへと期待することとは、刺激であった。


――魔に霊は視えない。

精霊や妖精を構築する要素の比重は霊力に大きく傾き、

干渉する術を持たない者にとっては真に不可視、存在さえ無いものと同義となる。


故にヒュディの声こそ姿亡き存在からの諫言として注目され、

その内容は定例報告会と化したこの集いに於いて最も刺激ある事柄となり皆が耳を(そばだ)てる。


戦闘能力を始めとした実力の全てに於いて最下位を独走する者に与えられたたったひとつの価値。


堂々としていなくてはそれすら陰ってしまう。


特に今回は……。



「イラ君はさー、なんで今回呼びつけたのー?

今季の招集ってイラ君でしょー?

なーなー、なんでー?」



「皆が集まるまで待っても?」



「理由だけー、理由だけ今教えてー。


なーなー、なんでー?」



さも自分は忙しくしていたのに、とでも言いたげな不機嫌を当てられて……。


マタリトの沸騰寸前な魔力の圧に、涼しい顔をして冷や水を浴びせかける。



「アレを知らぬと……?

伏獣(ふくじゅう)のマタリトともあろう奴が、とんだ間抜けっぷりだな」



破裂したマタリトの魔力は――。

ヒュディの眉間を抉る呪爪を、既に放ち終えた後だった。


威力、速度、精度。

どれをとっても今のヒュディには防げず、去なせず、逸らすことすら適わない呪詛の塊。


衝突の寸前――、それが消え失せる。



「もーむかつくー!

ぜんっぜん当たらないじゃないー!」



「直情的なところは相変わらずだな……見た目の可憐さとは打って変わって可愛げの無い奴だ。

当てたいなら本気を出せばいいだろう?」



「むー!マリの術はイラ君の精霊とは相性悪いんだよー!

それでー?理由はー?」



額をさする精霊の手を払い退けながら、直近で起きた変動を語る。



「サンクレーネの月……。それだけ言えば分かるだろう」



「それは知ってるよー。

割れて以来、魔物共の気性が荒くなって相手しづらいからねー。


でもそんだけなら薄くないー?


みんな知ってるしー、いづれリノちゃんが直すんじゃないのー?

あれ割ったのリノちゃんが呼んだ奴だもんねー」



「召喚物についても後に議論するつもりだが、やはり今回の主題はサンクレーネの月に関してだ」



首を傾げるマタリトを置いてさらに続ける。



「――あの月は仕組まれた物だった」



マタリトの顔からいつもの調子が消え失せた。



「冗談でしょー?……いつからあると思ってるのよー」



「無論。創世の頃より存在しているのは明らかだ。

またはそれと同等なまでに人智の及ばない古から、あれは灯りの無い夜空に浮かんでいた。


……そうして赤紫をたっぷりと溜め込んでいたのだろうよ」



年少から語られる世界の絡繰り、その重さに……。

続く内容の重大さを悟ったマタリトは毛皮を深く被って押し黙る。


――ここ数日。

耳奥に木霊したままだった終焉の咆哮は、気のせいなんかじゃ無かったんだ。



落ち込んだままのマタリトを見かねて、ひとつの魔力が姿を現す。



「乙女を泣かせるとは男の風上にも置けんな」



突如として響いた重低音。


いつの間にかヒュディの対面で頬杖して座っていた男は、隣に座るマタリトの頭を撫でつける。

抱く不安に押し潰されそうになっていたマタリトは、心底安心しきった表情で男の手を受け容れていた。



「精霊の声でも騒いだか?ヒュディ君」



「ラドファルガ卿……」



――リドルグ・ドグ・ラドファルガ。


無機物自動人形ゴーレルアムト、通称ゴルム。その制作で名を馳せる大家、ラドファルガ家の長。

物腰柔らかい話し手であり、和を重んじる心優しい御仁だが……。


その怒りを買えば最後、連鎖反応する召喚陣が瞬く間に千のゴルムを呼びつける事だろう。


魔法局が定める条約をなんとも思っていないリドルグ。

自由を堪能する彼はその立場を盤石なものにしようと行動を起こし、

条約違反だらけの機能を搭載したゴルムの軍隊を引き連れ北の最前線へと駐屯。

極寒を物ともしないゴルム大隊『ラダリート』を指揮し境界を押し上げた。


その功績によって大家へと格を上げ、その実績によって条約違反を免除。


力と自由、思慮深さと優しさをも持ち合わせて尚その威光を振りかざさない人格者。


それこそが――リドルグ・ドグ・ラドファルガである。



「マリの扱いを失したことは事実だ。

だが、こうも何も知らぬのでは悪態も零したくなる」



「知ってたもんねー!それがそうだとは思ってなかったってだけだしー!」



「そこまでを呑み込んでこその男、というものだよヒュディ君。


……で、早速話しとやらを聞かせて貰おうか。

今季の議題はなんだ?」



「差し支えなければそれは――」



()()()()()()さ。

君の言葉には価値があるからな。

それぞれ始末をつければ此処に来るだろう。


急かすようで悪いが、なんせこっちは現在進行形で被害に遭っている最中なものでな。

その対策も兼ねて話を纏めておきたいのだ」



「では、今も我らを照らすサンクレーネの月から……話を始めましょう」



円卓の中央へと投げ込まれた映動石によって、サンクレーネの立体映像とその概要を纏めた文章が浮かび上がる。


――サンクレーネの月。

夜の神サンクレーネに(ちな)んで付けられた、完全に欠けた月の呼び名。

灯りを失いし夜が齎す休息と安寧の夜。



「割れる以前。

あの月が上がる夜は魔性の活動が極端に落ちることは皆も承知していただろうが……。

理由まで探った者は少ない。


それもその筈……。

探ろうとも単純に距離が遠く、それを乗り越えても生命維持に魔力が足りない。

不躾に精霊へ問いを投げかけたこともあったが、一笑に付すだけでまともに取り合ってもくれない。


……それが、あの夜を境に一変した」



あの夜の出来事を視ていなかった者など誰も居ない。


刃のひとつで――。


力在る魔剣聖剣に連なる始源の刀なれど。

理を切って伏す――など埒外も甚だしい。


だが、現にそれは起こった。


疑いようのない事実として刻まれてしまったのだ。



「月が割れ、その光景に圧倒されていたとき……。

無邪気を纏い決して笑みを絶やさなかった精霊達が――


……金切り声を上げて発狂し始めた」



存在強度の消滅。

自己否定の極致に陥ってしまった精霊達は簡易的な依代、自己の存在を繋ぎ止める楔を欲しヒュディへと殺到。


正気を失いかける絶叫が混乱と恐怖を駆り立てながら耳元で破裂。


咄嗟に精神防護の障壁を張っていなければその場で即座に廃人となっていただろう。



「それから精霊達は変わってしまった。

完全な無という恐怖の前に、循環の輪に還ることさえ叶わない……あの喪失感を以て変質したのだ。


私を唯一の楔だと受け止めた精霊は従順に、

正気を保つ強き精霊は私の求めに誠実に、

だから私は投げかけた。


そして得た。


あの月が作られた目的と、その首謀者の呪われた名を……」



その名が指すは、赤紫を煌々と輝かせる者。


その名が響くは、死よりも深き虚無の真空。


その名が孕むは、黒き海を煮詰めて(うごめ)く闇。



その名が招くは、生きとし生ける魔性の――完全掌握。



「あの月が割られ赤紫が霧散していなければ……。

指向性を持った赤紫が魔性にのみ降り注ぎ、人の世界など跡形も無く滅ぼせていたことだろう。


その機会を、遙か古の時代から魔人族が握っていた。……それが今回精霊から聞き及んだ真実だ」



制御下に置かれた魔獣の群れ。

襲わせる対象など決まりきっている。



「ここまでが事実確認、そしてここからが本題だ。


魔人族の企みを阻止できた以上、今のうちに予後も潰してしかるべき。

霧散している途中とは云え赤紫は未だに残留しその影響も大きい。


そこで皆に是非を問いたい」



今季の議題、その主目的。

声色に震えを出さぬよう慎重に紡いで呟く。



「……あの割れた月。その修復依頼を()()()()()()()()()()()()()()?」



空気の揺れる気配。


この場に居る者は当然として、

未だ姿を見せず、静観を決め込む賢人をも巻き込んだ動揺の気配。



皆が抱く動揺と懸念。その理由を説くべく、転移門より顕れた老獪が咳払いした。



「至法の御手を煩わせるには道理が足りん。

如何に若輩であろうとそれは理解しているはず……そうであろう?」



諫め脅す厳格な声色。

堅固な風格放つは深緑の双眸。

修めた手練手管を湛える灰色の髪と口髭。

黒を基調とした儀礼装衣。

夥しい数の刻印が装飾された杖をコンっと鳴らして……


――ジロウド・デゥ・クロヴィトリー、

老獪のジロウドと呼ばれる男は(けん)のある目をヒュディに向けていた。


理の十三階層を(つまび)らかにした古き賢人。

だがその功績を貶めるように自ら進んで悪の日陰へと身を窶す。


淀んだ水底に潜ることでしか得られない情報と防げない悪事があると豪語。

その証と云わんばかりに有益な裏の情報を流し続けてはいるが……彼のその笑みは、どう見ても悪を愉しんでいた。

賢人達の間でも彼の本性を疑う者は多いだろう。


円卓へと着いたジロウドはまたもコンっと杖を鳴らして語り続ける。



「至法の召喚物――自らを(ケイ)と名乗る剣神によって魔人共の企みは瓦解した。

それを至法が見込んでいたかは定かではないが、結果は結果。


世の魔性全てが敵となって押し寄せる大厄災を……、

その余波と思しき西の突貫さえも召喚物を用いて対処。


これ以上何を望む?

既に望外の奇跡を齎して頂いたというのに、その後始末さえ至法に頼ると?」



即座の反論を、少しの機微も見せずに抑え込んだヒュディ。


感情論でジロウドは動かない。

今此処で御仁を納得させられなければ、結局は裏で手を引いて己の利益を追求し出すだろう。


ジロウドにとっての利とは至法への恩義に他ならない。


至法が気紛れに齎す極大の茶目っ気は、他の魔法使いにとっては生涯を掛けた探求に等しく、

その片鱗、残り香、残滓、過ぎ去った魔力の流れ、どれをとっても垂涎。


そんな至法が最も好むと思われるものが()()である。


自分以外の何かに頼らず、

無駄を積み上げると理解しているにも関わらず、

必死に歩き彷徨い続ける後ろ姿に彼女は何かを見出す。


その産物として贈られる事象を最も効率的に搾取する、……と企むのがジロウドである。


その旅路は長く遠回りで、一見すると己の利にならない様に視える。

しかし結果的に利益の多くはジロウドに流れ込む。


一事が万事。

その源流を生み出すことこそが老獪の二つ名で呼ばれる()の御仁なのだ。


今回もそれは変わりなく。

要らぬ労力を掛けること無く、自発で動く誰かとその先に齎される利益を期待していることだろう。



活発化した魔物による被害はジロウドの与する組織にとっても害になっている筈。

聞き及ぶ召喚物――剣神なる人物であっても被害の全てに瞬時に対応できるわけでは無い。

ひとつの強大な力に頼っては趨勢を見越すことなど、(あまつさ)え気紛れな魔女が呼び出した者なのだからと……。


そうしていざ口を開こうとしたヒュディだったが、機嫌を損ねていたリドルグに制される。



「考えの及ばない戦闘狂にも、道理のなんたるかが理解出来ればいいんだがな。

やはり全員そうとはいかない。


分かりやすくもう安全なのだと……。

そう理解出来る状況を作らなきゃ大人しくなれない奴もいるって事だ」



そう語って円卓へと投げ込まれた映動石。

浮かぶ映像にはベルテンカの守護を担うべく編成されたゴルム大隊の勇ましい歩みと……。


単身で大隊を相手取る()()()()()()――が映し出されていた。



「被害を受けてる真っ最中……その被害ってのがこれだ」



マタリトを弄ぶ手を止めずに、顔だけ空を仰いで呆れてみせる。



「前線が崩壊して西の城塞はほぼ壊滅、ベルテンカこそが今の西の最前線。

だからこそ最新鋭の装いを施したゴルムを守護の為に送り込んだんだが……。


こちらのゴルムを見るなり殲滅してきやがるし、呼びかけも当然のように無視。

馬鹿みたいな強さだが、その強さのお陰で魔物も近寄れないのが救いだわな。


……とまぁ、こんな無茶苦茶な奴も居るってこと。


恐らくコイツは赤紫の月が晴れるまでベルテンカを離れないだろう。

そして人の枠組みである以上いつか限界が来る。

その前に守護の任から降りてこちらへ引き継いで欲しい訳だ。


俺の言いたいことが伝わってると良いんだがな。

どうだい、これでもまだ不足かい……なぁジロウド?」



道理を欲するならばこれこそが道理だ、と云わんばかりの魔力圧を放ち、不自由を払う為に普段は抑える力を誇示する。


起因こそは己の不自由。

だがそれは至極真っ当な理由で武装されていた。


――己の召喚物なら及ぼした影響にも責任を持て。


それはゴルム制作に並々ならぬ誇りを持つラドファルガ家であれば当然のように持ち合わせている考え方であった。


制作物に不備があれば頭を下げる。

要望を下回れば頭を下げる。

損壊や負傷に対しての礼を尽くし、その上で代価を払い改修する。


そこまでをやり通す覚悟を以て初めて物を世に送り出せる。



「ジロウド。


……負って当然の責任を煩わしいと感じる様な奴が、至法――だとでも言いてえのか?」



鳴り響く杖、瞬時に展開されるはジロウド選りすぐりの魔を収めた三十の法陣。

打ち鳴らす指先、展開されるは着弾地点を正確に捉えたリドルグお得意の転移法陣。



両者、全く表情を変えること無く繰り出される攻防の応酬。


円卓――、庭園――、秘環の城と――。

湧き立ち、練り上げ、凝縮していく二つの魔力が軋轢の規模を上げていく。


荒事なら後にしてくれ……とでも言いたげなヒュディとマタリトは、

先刻自分たちも同様に争っていたことは脇に置いて応酬を観戦。

()()()どちらが折れるのかを黙って見届けることにした。


目の前を特大威力の魔法が通り過ぎようともヒュディとマタリトは動じない。

撃ち漏らしや余波などの類いは、この場に集った者達に限って有り得なかったからだ。



暗黙として殺しは無し。

その代わり、その他全ては裁量次第でどこまでも。


過去現在未来に於いてそれは変わりなく。

上り詰めた故にぶつかり合う意見の対立と仲裁に、この城はこれからも耐えていくことだろう。



再度お互いに魔力を高ぶらせ攻撃の二巡目へと入ろうという所。


カラン――、と魔力が音を立てて別存在へと置き換わる。



「荒ぶってんじゃないよ。こんな綺麗なところでさ」



荒ぶる魔力が消え去り、代わりに漂うは鼻腔くすぐる絶品の香気。


魔力強制変換。

円卓に所狭しと並べられた料理はリドルグとジロウドの魔力を強引に調理した結果であった。


――イルベタ・リアン・ベルスタッド。

秘匿に集う賢人の極上の魔力、その味を求めてやってくる生粋の料理人。


目に映るのは食材、

鼻で探るは新たな香辛料、

頭にあるのは真なる美食に至る創造。


魔女として超一流の技能を得ているにも関わらずその才を料理にのみ注ぎ、

魔力に味を見出し探求し続ける魔女。



「会話が弾みすぎるのが円卓……。

だけど今は、食事が並んだ食卓になった訳よ。


勿論、食卓での礼儀は知ってるよな?」



脳と胃を直撃する此度の仲裁。その内容に理解を示した二人は構えた魔力を解いて礼儀を重んじる。



「口汚く罵り合っていては絶品も味わえぬ。

どれ……杖は仕舞っておくとするか」



「これだけの品を出されちゃぁ引っ込むしかない、か……」



魔力の抜けた杖を仕舞い込んで、

深いコクが注がれたスープを味わうジロウド。


両手を挙げて降参の意を表すリドルグは、

甘辛くこってりと味付けされた肉を頬張る。



「よしよしそれでいいんだ。

それじゃ話を前に進めようか。


私は至法に頼むの賛成だ。


あの月には私も困らされててね。

マリちゃんも言ってたけど魔性が荒ぶり過ぎてて食材が手に入んないのよ。

肉だろうと菜っ葉だろうと周りが危険で取りに行けたもんじゃない」



「そうだそうだー!っていうことでわたしも賛成派ー!」



諫められた側で在る老獪と自由人も賛成へと回ったのを見てほっと一安心するヒュディ。


賛成派五人、あと二人引き込めれば過半数と同時に大義を得られる。

そこに強制力はなくとも時勢の流れというものを理解していれば説得に力も入ることだろう。



「そう。そこに強制力は決して生じないのです」



料理の香りに引き寄せられるように現れたのは、()()()()()()()()()


運命の女神フォルアの名の下に教会を興し、

教会の影響下限定ではあるが()()()()を実現させた撃鉄掲げる修道女たち。


その長、――デトナ・プルヴィス戒導長(かいどうちょう)


閉じた両目。

その代わりに耳と鼻が効く彼女は、迷う様子を見せずに円卓へと着き、いそいそとパイを切り出した。

すると、切り出した一欠片をその場へ残し、残りの全てを自身の皿へと移して慎ましやかに口へと運び始める。



「これはラドファルガ様とクロヴィトリー様の魔力ですわね。

力強く甘さの余韻残す舌触りと深緑香る清涼感……。

それ等を不和なく調和させるベルスタッド様の手腕、お見事です」



「お褒めにあずかり光栄だ、デトナ。

ちょっと取り過ぎだけどね」



「まぁ!わたくしと為たことが……。

普段から魚料理ばかり食べていまして嫌気が……いえ、どうにも我慢が出来なかったものですから……。

誰か召し上がりたい方は?いらっしゃらない?ではわたくしが責任持って味わいますね」



返答を待たずに話を進める無配慮っぷりと、それとは対照的な神聖さと厳かさを纏う雰囲気。

黒を基調とした厚手の礼服は近・中距離戦闘を想定した武装が仕込まれ、それ自体が堅牢な守りとしても機能する。


様々な武装を帯びる中で特に目を見張るものが、()――と呼ばれる代物であった。


真角(しんかく)背負う錬金術師ラクリマ・リク・ラクリマータの最高傑作。

少ない動作で完璧に機能するその武器は、か弱き乙女でも引き金さえ引けば命を奪える程で、

炸裂する火薬が弾丸を押し出し、その威力は鎧など簡単に貫通せしめる。


この脅威が世界へと齎す影響を考慮したラクリマは、当時の戒導長と共に幾つかの破れない戒律を制定。


取り扱いに関する制限――。

使用者を限定する刻印――。

同時存在数を縛る約定――。


無数の決まり事を定めることでその使用は教会所属の修道女にしか許されず、

故に(こうむ)る畏怖と尊敬によって教会に新たな名が加わることとなる。


――銃士教会。


首から下げる正四角形の重なった意匠は、銃の使用を許された修道女の証。


教会の庇護下にある土地に於いて――。

彼女たちは、あらゆる罪に対して罰を与えることが許可されている。


罪の所在、罰の重さ。

其れ等判断の全ては彼女たちに一任され、罪の重さに見合うのならばその執行内容には極刑すらも含まれる。


食事に満足して口元を拭き終わったデトナは、

首から下げた、極刑の許可証も同然の意匠を両手で包み込む。



「お話は伺っておりました、何せ地獄耳なもので。

そこで、どうかわたくしの考えをお聞き下さい」



虚空と化した眼窩を晒すように、失くした瞳で割れた月を見上げる。



「人の営みこそがこの世で最も尊きこと。

なのに、それを些末と……。

あの顕現者は世界を大事とし、我ら人を小事として切り捨てた……。


それがゆくゆくは我ら人を守るためだとしても、わたくしはそれを許せません。


ひとり……。

教会の庇護下で、割れた月が齎した災いによって命を落としました。


その罪の重さに見合う罰とは。

人ひとりが落とした命に見合う罰とは……如何様な物が相応しいのでしょうか?


ねぇ、ヒンデルガイア様……?」



今季の主催へと向けられた静かなる訴え。


無い筈の視線を問いとして受け取ったヒュディは、

身も凍る思いを必死に押さえ込み、次なる言葉に頭を捻る。


語る内容から月の修復に賛成なのは明らかだが、問題はその先にある。


至法への修復の嘆願は決定事項として、

問題は……()()()()をも迫るのか、という点。


それがデトナ延いては銃士教会の意思。


戒導長にのみ許された銃の無制限使用がチラつく中で、ヒュディは最悪の可能性を幻視した。



デトナ・プルヴィスの脅威は魔力には無い。

真なる脅威は、礼服の下に携行された銃による神速の早打ちにこそ在った。


装填数七発の回転式拳銃、――ドラグリア=ロア。


初弾の炸裂から七発撃ち切るまでに一秒と掛からず、

魔法による防御が間に合ったとしても彼女の放つ弾丸は魔力の結節点を正確に撃ち抜く。


破綻した理を眺めている間に、残りの弾丸が心臓を通り抜けていることだろう。



その脅威は、魔の頂に君臨する至法にさえ届く。



万が一にも有り得ない。

そうである筈の存在に、もしかしたら――を考えさせる存在。


込められた意を汲み、再び魔力を練り出すジロウドもその矛先は下を向いているようだった。



意を決したヒュディは最終手段である虚勢を張る前に、この場に於ける目的を改める。



「私は、貴女が思うような罰を至法に求めません。


世の趨勢……それを決めるのが会合の目的です。

どうしても許せないと仰るのであれば、個人的に怨みを晴らすのがよろしいでしょう」



冷静な年少の言葉を受けて……。

晒した眼窩を閉じ、意匠から手を離して微笑むデトナ。



「……お許しを、ヒンデルガイア様。

普段から抑圧されてばかりで……いえ、どうしても我慢できなかったものですから」



アレを良く躱したな、とニヤけるリドルグ。

見下しがちだった者の成長に感心するジロウド。

骨付き肉の軟骨を囓り取るのに忙しいマタリト。

その口周りを拭ってやるイルベタ。


今此処に半数の六名の賛成を得た。

過半数まであと一名……。



転移門が放つ光、その色を視た途端……ヒュディの肩の力が抜けていった。



「皆さんご機嫌よう~!」



金の髪――。



「うっわぁ~美味しそうですね~!」



星色の瞳――。



「あ!誰ですかパイ独り占めしたの~!」



雪よりも白い肌――。


長耳を晒して現れたのは魔の真髄を湛える古き者、――エルフ。


名を――アルエルア=アルファール。

長寿、長身、長耳とエルフを表す三つの特徴から長身だけが欠けた存在。


触れあう全ての者の庇護欲を刺激するその低身長と、

普段は近寄りがたいエルフという種族が相まって、

幾人かの賢人も過保護を誘発している。


ある種の緊張感しか漂わないこの集いに於いて。

アルアの存在は程よい緩衝を生み、皆の心を(ほぐ)す。

ヒュディにとっても話しやすく心許せる同級の様なものだった。


そうこうしている間に()()()()が始まる。



「デトナさぁん……甘い物ばっかり食べると()()怒られちゃいますよ~?

イルベタさん昨日ホルタン・ルル飲んだでしょ?飲み過ぎ注意です!

マリちゃん相変わらず可愛い!二の腕の筋肉少し太くなりましたね!

リドルグさん、ゴルムは一体だけ向かわせましょう。そうすれば迎撃されません。

ジロウドさん……魔女ファラリオの手綱きちっと握っておいてくださいよ~?」



口元に残る僅かな痕跡とその過去も見逃さず。

魔力に含まれる微量な酒気を感じ取り。

毛皮で覆っていても関係なく見通し。

当たり前の様に解を知り尽くし。

誰よりも深き底で流れを視る。


聞けば返し、問えば答え、世を知り尽くしてもまだ書き連ねる。

決して崩れない本に、永遠を刻み込むまで……。



「そしてぇ……ヒュディ君!」



バビュン、っとヒュディの目前に転移したアルアは、精霊を見透かすその瞳をじっくり観察すると……。



「目の色、変わりましたね?……良く耐えました」



誰にも聞かれないように囁いた労いの言葉。


月と精霊の概要を語ったときには開示していなかった、瞳への激痛――。

それを予め知っていたかのような振る舞いを見せるエルフに動揺を隠しきれない。



「……光栄です、アルア」



「そんなに畏まらないでください。褒められて当然です」



そこまで言って円卓を見回すと、全員に言い聞かせるように語り出す。



「……さて、お話は全部聞いていました。

私も当然月の修復には賛成です。


なんですけどぉ……。


んー……まぁその……取り敢えず皆さん、()()()()()()()()()()()()?」



困ったような半笑いを浮かべて促すアルア。

釣られるように皆が空を仰ぎ見て、そして絶句する。



「……莫迦な……」



老獪の二つ名を轟かせる御仁から零れる一言。


そこに込められたのは驚愕を通り越した事象の否定。

有り得ない事が在り得てしまった事を、何とか受け止めようとした結果の言葉。


疑う事こそが不敬に値すると知りながら、それでも受け容れることを一旦拒否する。


空を見たまま立ち上がったジロウドは、

ヒュディの施した赤紫を取り除く結界を乱暴に取り払い、

降り注ぐ()()()()()()()を目で見て、肌で感じてもまだ……疑いが晴れなかった。



「な……何たる御業か……」



割れていたことなど無かったかのように――。


実力者が集うこの場に於いて、人一倍感覚に鋭きデトナでさえも気づかなかった。


どこも欠けずに夜空に浮かび、静かに闇を照らす――満月。



「皆さんご推察の通り……。

至法――、ルファシア・リノ・アリデキアの手によって月は修復されました。

言伝を預かっているので読み上げますね。


『治すの、遅れちゃってたわ、ごめんね』


……だ、そうです」



ジロウドのふつふつと湧き上がるような高笑いが響くと、

幾人かもそれに釣られて乾いた笑みを浮かべたり頭を抱えたり……。


秘環の城に暫く響いた歓喜と放心。

最早話すことも、擦り合わせる報せも無くなった賢人達はひとり、またひとりと城を後にする。

気配だけを漂わせて姿を現さなかった五名の賢人もその気配を畳み、円卓にはヒュディとアルアだけが残っていた。



「ふぅ……」



乗り切った疲れ、意図を纏めて己の意見を前に出すという労力。

表に出さぬよう必死に隠し通した怖気にも似た奮起。


達成感と徒労感を同時に味わったヒュディはやっと息を吐くことが出来た。



「頑張りましたねヒュディ君!」



労いながら……円卓に残った料理を残さず食べきろうとしていたアルア。

美味しそうに頬張るその横顔に幾分か癒され始めた時、……ふと直感する。



「……貴女に限って、()()()()()()とは妙な事もあるものだ。

聞かずとも話し尽くすのがアルエルア=アルファールというエルフではなかったか?


私たちに、……私に伝えなければならないことがまだあるんじゃないのか?」



その言葉を受けて長耳をぴくつかせるアルア。

周囲の魔力を探り、誰も聞き耳を立てていないことを確認してから口を開く。



「私たちの力の源、魔力。理を紡ぎ至る、魔法。

これ無くして文明は興らず、ここまでの発展も有り得なかったことでしょう」



前置きとして語るには大きすぎる規模感に思わず身構える。



「城塞都市ランヴェル――。

彼の城塞都市について何か聞き及んではいませんか?」



「ランヴェル……、魔物の襲撃があったと伝え聞いてはいる。

だが魔物は既にリトヴァーク王直属の騎士団が払った筈だ」



北東の外れに位置する、前線から一つ手前の城塞都市。


自生の特産物イーの木から生み出される建材と染料、

それらによって美しい青を放っていた街に訪れた凶事。


東の要、東方都市国家連合ラカイネに名を連ねるランヴェル。


元より魔性の落ち着いた北東の地域ということもあり、

守護が手薄になった所を狙われたのだろうと、ヒュディは大事なしと判断していた。


取り巻く連合、幾本もの補給線、騎士団の派遣。


そこに不安など生じるはずも無く……。


残る料理を前にして伏し目がちになるアルアに、今になって不安を掻き立てられる。



「重くて重くて……魂さえ押し潰されてしまうような……。

そんな()()()()()()を聞いたのなら……」



「突然何を……」



「――逃げてください。


両手に抱えられるだけの妖精と精霊を連れて、

音が聞こえなくなるまで……聞こえなくなってもまだ全力で……。


そうしてくれると約束してくれますか?ヒュディ君……」



押し寄せる感覚――。

追体験する感情――。

偽りなき記憶の渦――。


明け透けにされたアルアの心が見せた、城塞都市ランヴェルの真実――。



至らぬ身で在ると己を恥じて強く目を閉じる。


甘んじていたのだ。

自分は低きにあると、一種の傍観を決め込んでいたのだ。


他より劣るのならば、他より努力せねばならない。

評価される、されないに関わらず。

していて当然など考えもしないで、ただひたすらに……。



「ええそうです……。世界に差し迫った脅威は、()()()()()()()()()のです」



だが、ヒュディにはまだ分からない。


広く報せることが混乱に繋がるのは理解出来る。

だからこそこの会議で、……だが何故それを一人に絞ったのか?


取り柄はひとつ、力は最下位、己と家の権力など直ぐに蹂躙される程しか無い。


そんな存在に打ち明けるには余りにも事が大きすぎる。



「その反応、やはり貴方に見せて正解でしたね。


例えば……。

ゴルム制作に於ける希代の天才、リドルグ・ドグ・ラドファルガに真相を話したとします。


彼はどうすると思います?」



直感的に思ったのは、反撃――の二文字。



「そうです。

間違いなく彼は反撃します。


――絶対に勝つことが出来ないにも関わらず。

自身が生み出すゴルムに誇りと自負を抱いている故に……。


止まらぬ物資の浪費、魔力資源の枯渇、

それが及ぼす影響の余波は容易に推測できます。


では、ジロウド・デゥ・クロヴィトリーの場合ではどうでしょう?」



敵わない脅威の出現に、彼の御仁なら……。



「そうです。

合理的判断の速さで裏社会を掌握する彼なら……。


――我関せず、と闇に紛れてしまうことでしょう。


優秀な手駒を失いたくない……そんな閉じた想いが、

本来彼が持つ指導者としての才さえ呑み込んで、破滅へと進んでしまう。


マタリトもイルベタも、デトナでさえも間違った方向へ進んでしまうんです」



アルアを中心として精霊が漂う。

肩に手を置き、頭を撫でて、その様はまるで慰めているかのようだった。



「――アルエルア=ユュ=アルファールから、

ヒュディ・イラ・ヒンデルガイアに対して――……契約を望みます」



真名を唱えて持ちかけられる古い儀式契約。

だが、儀式に必要な道具も揃っていなければ、差し出された掌にも魔力が無い。


何ら拘束力の無い儀式の真似事に、それでも真名を晒すという覚悟を示すアルア。



「貴方には、ドラゴンと魔人……二つの情報が交わらないようにして頂きたいのです。

その為にあらゆる手を尽くすと……」



知る者の力の有無に関わりなく、そこへ辿り着くことは万が一にも在ってはならない。


二つの脅威。

その情報が交われば正常な判断を下せる者などいなくなってしまうからだ。


今や従順となった精霊と妖精たちの力を使えば隠匿など容易いことだろう。


更にはヒュディの身分が幸いする。

各地で教鞭を執る身分は、不用意に遠方へ赴いたとしても不審を抱かれにくい大義名分となるのだ。



「その契約――、喜んで結ばせていただく」



渦中にいると思い込んでいた若輩は、

見せかけの覚悟と使命を脱ぎ捨てて、

今初めてその門を潜り抜ける。


世を俯瞰する視点は、考え方と在り方の変化。

一般を超えて、秀逸を越えて、その手が定めるは世の趨勢。


賢人として初めて任された仕事であった。



「頼もしくなりましたね、()()()()



「いいえ、まだまだですよ。

それに、彼の名は――まだ教えて貰えないみたいだしな……」



「――え゛ッ!?」



「先ほど見せてくれた心象では上手に隠していたみたいだが……。

精霊を扱えることをお忘れ無く……」



ひらひらと翻すヒュディの手には映動石が握られ、

そこに映る剣士の姿に目を丸くするアルア。


得意気なヒュディの手の中で、パキンと割れる映動石。


呆気にとられるヒュディを置いてアルアは転移門へと駆け込んだ。



「流石ですね~!でも確かにまだまだ……。

一流の精霊使いとしての成長を願ってますよ~!」



「アルア!これを説明してはくれないのか!」



「秘密で~す!いづれ本にして出版するので楽しみにしててくださ~い!


――じゃあねッ!!」



転移門の波光が鎮まる頃。

秘環の城に一人残されたヒュディは手の中で割れた映動石を見つめた。



文明を、魔を、世界を灰とする大いなる者に、人の身で立ち向かう剣士の存在。



想いを馳せて僅かに抱くこの澱みは、

真の賢人となってもまだ少し、漂うことになりそうだった。


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