『赤毛の願い』
静けさ満ちる渓谷の底。
剣戟が生み出していた圧は風に消え、
生きるための咆哮は壁に染み入り、
悠久の風の音だけが吹き抜けている。
やがて鳴りだしたのは土を掘る音と、祈りを捧げるエルフの唄。
それは弔いの歌にしては無骨で、しかしてそれこそが弔いだった。
飾り付けるような派手さも、涙を誘うような仕草も此処には要らない。
「終わったぞ、キジュトゥ。
これで彼らは餌にも成らず、肉を求めて這いずり出したりもしない」
「――……」
キジュトゥと呼ばれた赤髪の偉丈夫と、祈りを捧げていたエルフの男女。
そのやりとりを見つめていた炯。
特に印象にも残らずに斬り殺していた盗賊団頭領ジザリの首級を小脇に抱え、
漲っていた闘気を完全に捨て去っていた。
やがて警戒した様子のエルフの女が近寄るが、以前として闘気は捨て置いたまま。
「我が名はミヴィエト=エルガラント。
貴殿に問いたい。
――何故我らを切らなかった?」
問いの言の葉はミヴィエトなるエルフから発せられた物だったが、
もう一方のエルフの視線からも同じ問いが滲む。
「あれは我が兄、エンデル=エルガラント。
兄の意も私と同じようだ。
もう一度問おう、何故我らを切らなかった?」
金の髪、雪白の肌、星色の瞳。
そのどれにも怯えを顕さないまま、自らの命に生じた疑問を投げかける。
抜けた闘気に人と成った炯は、その疑問を無碍にあしらう選択もできたが……。
猛る闘気であった筈の己が、敵意を向けてきた命の二つを見逃したことに疑問が生じ、
自身も答えを得るために言葉を交える。
「貴様らは先の戦場に於いて部外者だった。
少なくとも吾の目にはそう映ったまでのこと……特なる理由も無い」
戦闘時に放たれた二本の矢。
それぞれを眉間へと撃ち返し仕留めることなど容易。
それを選ばなかったに足る理由。
――馴染みきっていなかった。
連携のとれた攻撃というものには呼吸が在る。
屠った戦士達にはそれが在った。
だがあの矢には、それを放つエルフ同士の呼吸しか感じなかった。
盗賊団との連携では無く、あくまでも隙間を狙いつけた差し込みでしかない。
「気紛れに近いもの……と?」
肯定の頷きを得たミヴィエトは、力の抜けた様子で笑みを零し改めて炯へと向き直る。
「――礼を言う。
貴殿の気紛れで我らは自由を得た、本当にありがとう。
我らが故郷、糸識の森へと訪れた際はエルガラントの名を告げて欲しい。
その時は盛大に歓迎しよう」
踵を返して兄へと歩み寄り抱き合う二人。
いまいち要領を得ないやりとりに困惑していると、傍らへと現れた灰火が囁く。
「視えぬか?」
「何がだ?」
「お主が抱えるジザリの首級……そこからあのエルフへ伸びるものじゃ。
既に消えかけているがのぅ」
凝らした目に宿る僅かな闘気。
捉えたのは薄く消え行く影の線。
「霊能……呪いの一種か?」
「そこまで判別付かぬが、似たものではあろうな。
虚でも突かれて仕掛けられたのであろうよ」
「自らの意思で戦っていなかった、か……。
だが人ごときに遅れを取る者でもあるまい」
「分からぬぞ?
ヒトは悪意を隠すのに長けている。
善意として着込み、振る舞い、明け透けに悪意を晒して尚も善意と言い張る。
如何に聡く在ろうと……否、聡ければ聡いほど、あの腹芸の前では綻ぶものじゃ」
耳に痛く響く狐の忠言。
剣の扱いに不は無くとも、道を踏み外しはする。
月を割れどもこの身に全知は無く、剣の全能だけが宿っているのだ。
「――……」
「ここでお別れだなキジュトゥ」
「貴方も我らの森へ来ると良い。あそこは良いところだぞ?」
自由を噛みしめていたエルフの兄妹は、赤毛の偉丈夫――キジュトゥの今後を憂いているようだった。
二人の優しげな誘いを見るに盗賊団内でも目立って悪行を働いてはいない印象を受ける。
「――……」
視線の先は、足も竦む望みの果て。
剣神、――炯。
傍らの地へと大剣突き刺し、差し出すは己の命。
――選択の報酬を。
「そうか、そうであったな……」
悔い無き一撃。
振り下ろした全身全霊のあの一撃が、ぶつかり、音を断ち、風を爆発させて渓谷を巡りきったあの瞬間。
脳裏を駆けた思い出の断片に、既に己は生き抜いたのだと――。
笑みに近しいものを浮かべてみようとも思ったが……。
輩と――、それが屠った骸のために――。
動きもしない表情を、それでも堅く引き締める。
剣を手に歩み出した炯。
それを見て飛び出したのはミヴィエトだった。
「待って欲しい!
朦朧としていたが確かに聞いた、貴殿は不死を殺せると……!
だがこの男はッ……!」
「妹よ。それを決めるのは我らではない」
ミヴィエトの肩に手を置いて諭すのは兄のエンデル。
「……彼の選択を穢す事がお前の望みなのか?
我らには、彼の選んだ行く末を見守ることしか許されていない。
……引け、それが彼の為だ」
妹を抑え引いていくエンデル。
その表情を読むに、兄は既に炯の意図を汲んでいる様だった。
歩む足と剣持つ手に闘気は無く――。
傍らに刺さる大剣を軽く引き抜いてキジュトゥへと放ると、
刀身同士を派手に打ち合わせる。
唖然としている間に言い放った言葉は、秘術の如き未知を孕み、その秘奥へと通ずる痕跡を指し示す。
「選択の果てに、貴様は資格を得た。
不死に呪われた身で在りながら、それでもヒトで在るが故に……。
だが、資格を得ようとも願いには常に対価が求められる。
たったの一撃――」
佇む偉丈夫、その目を見据えて。
「――吾が身を抉るその剣戟で以て示して見せよ。
この命に迫る刃……。
それを対価とし、受領した暁には……絶対なる死を叶えよう」
キジュトゥの抱く自負は、対価の掲示に瞬発の撃という選択肢を選び取る。
圧倒的な力量差に立ち向かえた事実と、相対している距離。
加えて挙げるなら仇討ちに燃える心情がそうさせた。
体格と得物からは想像だにしない、十七連撃――。
舞う塵を更に芥とする瞬撃。
余裕の笑みで捌ききられる事は承知の上。
それでも放った剣戟は、
自身が持ち得る最大威力を、
最も回避しにくく、
最も防御しにくい位置へと導くためのもの。
――入る!
「――ッ!?」
視線の先で緩りと構える男を見て――。
最適、最大を宿したまま、踏み込み構えた大剣が止まる。
それは恐怖には無い。
恐れであるなら、ここでこうして立ち向かえる筈も無い。
「――どうした?
貴様の望みは此処にあるぞ?」
迸るは神気――。
以前、月を割った際に一瞬放ち、オルネアをも戦慄させた神気。
立ち入ること、その一切を許さぬ隔絶とした力の在り様。
「力だけを磨いても、研鑽の閃きは輝かぬ。
力だけを求めても、蛮勇は勇気へと至らぬ。
此処へと踏み入り、吾が身へと至る為には……まだまだ足りぬな?」
やがて何かに気づいたキジュトゥは、堅く引き締めた片眉だけを僅かにひそめて見せた。
「やっと理解したか……。
では、まずはその蛮勇を智慧へと傾けるところからだな」
――嵌められた……。
こうなることを予め知っていた。
戯れにしか過ぎない剣の応酬で、その気にさせられていたのだ。
届くはずも無いものに……届くと。
「落胆とは剛毅なものだ。
落ち込む隙間など貴様には無いと心得よ」
「――……?」
「今は至らぬとも、吾が身に届くまで振り続ければ良いだけではないか。
何せ貴様は不死……時間なら腐るほど在る。
何時如何なる時でも、キジュトゥ……貴様の挑戦を受けよう。
さすればそれまで、吾が後塵を拝するがよい」
再び起こった短い戦。
それを児戯と見做した灰火は、呆れるように目を回して漂い……。
それを神代の戦と見做したエルフの兄妹は、今再び実感する生への喜びを分かち合う。
「そろそろ拵えも出来上がる頃だろう。
さて、首級の土産は幾らになろうか……」
エルフと分かれた三人は、鋼と喧騒渦巻くベルテンカへと向かって歩き出したのだった。




