『思いやり』
「飽きること無く胸を躍らせてくれるな、オルネアよ……」
遠く響く声の嘶きに、剣の神髄を感じていた剣神、――炯。
――コツン。
「これっ。道に迷いながらにして何が胸躍るじゃ。
いちいち遠目をする妾の身にもなってくれんかのぅ?」
何度目か数える事もやめた小突きが側頭を捉え、その度に溜息する。
揺れる尾を握り返そうにも、頭上高くに舞い戻る灰火にその気も失せるというもの。
――ベルティート大渓谷。
赤土の大地に刻まれた幾本もの深い溝。
流れる川や風が悠久の時を経て削り取った、まさに自然の息吹を感じさせる大渓谷である。
複数本ある主要な道筋には警邏の詰所があるが……。
道の両脇に聳える高い壁が日光を遮り、昼であろうと薄暗さを漂わせるこの場所で、
道行く人々の大半は人の守りなどに意義を見いだせず、
自然の雄大さを感じる前にこの不気味な渓谷を足早に通り抜けたがっている様子だった。
「儘ならん」
「ふんっ。儘ならんのは妾の方じゃて。
こんな大きい道でそうそう迷う要素など無いはずであろうに、側道や横穴に毎回の如く入りおってからに……。
何度も何度もこの極上を誇る女体を上下させるとは……、これではまるで――」
「まるでなんだ?」
「なんでもないわっ!」
二人が向かうは渓谷に刻まれた溝のひとつ。
主要な道から外れてはいるが行き先の都合などで人通りも多く、
道幅を取る輸送隊や貿易に勤しむ商隊の輛などが交互に行き交っている。
そこに巣くったのが、ジザリ盗賊団だ。
道行く人々から通行税と称して金品を巻き上げ、態度のひとつが気に入らなければ殺しも厭わぬ悪辣共。
比較的通り抜けの良かった渓谷のひとつは今や悪辣共の巣となって久しく、
時間を取って金を払うか、金を取って時間を払うかの二択に通行人は頭を悩ませ、
その滞りで発生した影響は前線都市の物資不足に及ぶまでになっていた。
「そろそろ彼奴らの根城じゃが、……その鈍で本当に大丈夫か?」
炯の腰に下げられた一振りの剣。
担保として一時フォドン預かりとなった始源の刀。
それと比べたとき、その余りの差に、灰火の抱く懸念も尤もであった。
貸し与えられた剣はフォドン・ウィンケルに於いては上等等級を誇る剣。
祖を錬金術師ミーリア・テル・リテーリアに持つ、大工房リアの職人達による作。
白金を放つ希少な合金を刃に用いており、戦闘は勿論のこと儀礼や式典に於いても需要がある。
それをして鈍と表現した灰火に、「そも――」と説く炯。
「刃が在り、それを振るうのが吾で在るのなら……そこに不はひとつも無い」
「大した自信じゃのぅ。
一応言っておくが、依頼の目的は盗賊団の無力化、生死は問わんそうじゃ。
盗賊頭の首でも持ち帰れば箔も付くであろうよ」
「ではそうしよう」
薄ら笑いを浮かべて進む炯を見て、どこまでも戦いに狂っているのだなと独りごちる灰火。
剣とそれを振って切るものさえあれば……、この男は満足するのであろう。
「巣窟まで暫く間があろう。
灰火よ、身の上話のひとつでもしてみてはどうだ?」
「随分と急じゃな」
「戦を前にしては要素も垣間見えるというものだ」
「要素?」
「分からぬか?」
「ええい分からぬ、掻い摘ままずに話してみせよ」
「吾が刃の閃きに不などひとつも無い。
だが……お前はどうだ?と聞いている」
渓谷ごと――。
一重に灰燼と帰す事を思い浮かべながら。
それでも灰火は炯の次の言葉を待った。
「吾らは剣を介して一心同体。
故に探れば両者の想いを理解出来る、出来てしまう。
だが、言の葉を交わさねば真に理解出来ぬ事もあろう。
そも――。
吾が命題に於いて、最も早くに打ち倒さなければならぬのは――。
盗賊などの木っ端では無く、……他ならぬ貴様だ。
その力……気紛れで振るえば吾が比では無くなる。
あの魔女の計らいで吾らはお互いに傷つけ合うことが出来ぬ。
気狂いが在れば――、それを止められぬ。
吾らを比べたとき、その可能性が高いのが貴様だ。
故に聞かせるがよい。
如何な想いを抱いて……共に戦場へ並び立つのかを……」
不躾な問いに込められていたのは、思いやりに似た不確定要素の排除だった。
垣間見たであろう己の過去。
それが全てだと吐き捨てたくもなるが、それでも此奴は妾の言葉を待っている。
――小さな願いに有り余る程の対価を支払って。
――僅かに得た十九年の月日。
――温い優に迎えられ、色を知って愛に狂い、そして燃え尽きた。
国の一つを焼いて消した己の過去――。
「初めてお主を焼こうとしたとき……機嫌が良いと言っていたのを覚えているか?」
灰火の語り口から漂うのは苦しさと後悔。
共に歩む者として、心を共有する者として、炯は漂う灰火を見つめたが……。
哀しさや空しさ。それを帯びる筈の顔は真に満ち足りていて……。
炯へと向けた表情には、傾国を成した妖の面持ちは無く。
快活に野を跳ね回っているかのような、自然で健やかな笑顔が在るだけだった。
「長く……永く、苦しんでおったが……。
あれを受け取ればそれも無くなるというものよ。
未熟故に炎の扱いには苦心するかも知れぬが、取り敢えずは安心するが良い。
もはや狂いたくても狂えぬよ……」
それだけいうと紅潮していく頬を隠しもせず、上機嫌に宙を舞う。
――在り方に破綻を来してもおかしくない……それ程の過去だった筈。
しかし伝ってくるこの熱は確固たる信念、心の在り方。
「……ならばこれ以上問わぬ。
これから向かうは些事とはいえ戦場……、手を出すならば一声掛けよ」
「ほれ、次はお主の番じゃ」
「……何がだ?」
「何がではないわっ。妾が話したのだから次はお主が身の上話をする番じゃろて!」
「それは此奴らを斬った後でよかろう」
体よく煙に巻かれた事を内心突きまくる灰火だったが、
下品な視線と饐えた匂いを放つ輩の気配を感じて炯の剣に引きこもった。
「よぉ~~し、止まれぇ~~。
はるばる来たところひっじょ~~に悪いんだがぁ……通行料二十金貨かかりま~~す!」
見開かれた目とフラつく上体。
錆びた剣を担ぎながら現れた半裸の男は、下っ端を絵に描いたような粗雑さであった。
男の後方ではニヤついた顔を晒す男達が27人、同じ風体で屯している。
得物は其れ其れ、17人が剣、4人が短剣、3人が槍、二人の弓使いが壁の中腹の窪みに潜み、そして大剣が一人。
普段から魔物とも相対しているのか、粗雑な態度の裏には身を助く肉がしっかりと付いていた。
筋が浮かぶ腕、陰影をはっきりと付ける腹、幾度となく踏み込んだ結果であろう足。
中でも注目したのは大剣を担いだ男。
他の男達の様に笑わず、半開きの視線は鋭く、身を覆う筋肉はその質からして他とは大きく違っていた。
大きく違うと云えば――長く垂れた赤い髪と頬に刻まれた刺青もまた異質を放っていたが……。
――それはこの悪辣共を制した後に改めるとしよう。
「ほらほらどうした~~?金貨だよ、き・ん・か!
あ――?」
その身を――、頭から縦に裂くその動作は――。
誰の目にも見えるほどに緩慢であり、決して素早くは無かった。
張り詰められた繊維を裂く様な、骨が割れる小さくも高い音。
両に分かれ、その断面を晒しながら左右に倒れ行く肉塊。
頭上を照らす日の光が遙か遠くに感じられる渓谷の底。
薄暗さに潜む気味の悪さと、吹き抜けていく悠久の風が齎す肌寒さ。
例えそれを何百倍に圧縮しようとも、今の盗賊達を包む悪寒には比ぶべくもない。
悪辣に身を落とした者共の前に、覆しようのない――死が立っていた。
「悪として塵芥と化すか、それとも……一介の戦士として華々しく散るか。
――刃向かう切っ先で選び取るがいい」




