誇りを――
「先に、行くわね。
サンクレーネの月が、昇るまでは、あと数日。
儀式に、遅れないように、気をつけてね。
アーヴァンで、待ってるわ」
長杖をひと振りして黒髪の魔女が掻き消える。
――至法、ルファシア・リノ・アリデキア。
呪文の詠唱を必要としない魔唱であることは勿論、
携える魔力の様は大海にも例えられる魔女の頂点。
理の上に君臨する彼女は至法と呼ばれ、
魔に生きる者ならば崇拝の対象にしていてもおかしくない程の存在である。
「ルファシア……。どこかで聞いた名だ……」
「灰島で私が言ったのを聞いたんでしょう」
『高位の魔女ってルファシアさんだったんだ!』
「あぁ、例の……」
「リトヴァーク王の判断は流石ですね~。
何といっても、彼女より上は居ませんから」
アルアの口から出た確定情報に少しばかりの疑念が浮かぶ。
自身の特性から魔力感知にとりわけ疎いオルネアだったが、
それでも格を見誤る程では無い。
その格で云うのなら、むしろオルミア院長の方に分があると感じているが……。
――それとも。
文字通り、次元が違う故の無感であったとでも云うのだろうか。
「院長室でぶっ放すなんて……至法様……嗚呼、もう何も分かんないよぉ……」
項垂れる院長を放って置くわけにもいかず、こちらの情報を共有。
魔の一切を弾き消すドラゴンなる存在に半信半疑ではあったが……。
自身の結界魔法と、至法の魔法を破綻させた剣士。
それらの由来がドラゴンに在ると聞いて、驚愕しながらも納得はしているようだった。
「炎の気配を追って方々を旅している、と……。
成る程。
貴方の真意も含めて理解しました。
この事は教師にのみ知らせ、院生には秘匿することをお約束します。
それと……」
言い淀んだ院長の顔には複雑な感情が渦巻く。
――誇り。
深淵の求道者である魔法使いは、皆揺るぎない誇りを抱いているものだ。
求めた答えを既に誰かが見つけていたとしても、
安易に同じ過程を辿りはせず。
自分なりの道を敷き、仮説を明かし、理を築く。
それが魔に生きる者達の誇りである。
――その誇りを捨て置いてでも。
答えを探す時も無く、探した果てに始まりに戻るというのなら。
身に宿した魔の、最後の一滴までを絞りきっても敵わないのなら。
例えそれが、歴代院長の中で最も低俗な行いだと蔑まれようとも。
「……有事の際は、貴方を頼ってもよろしいですか?」
――あの子達の未来の為ならば、私は喜んで誇りを捨て去ろう。
示された覚悟に、相応な言葉を贈るオルネア。
「名を呼んでくれ。
そこに炎が在る限り、我が名がそれを消しに行く」
強い意志と覚悟の言葉に、少しの安堵を見せたオルミア院長。
そんな彼女たっての希望で食堂へと招かれた二人。
急な飛来で失われた水分や体力を補給すべく、振る舞われた料理に舌鼓を打つ。
サンザ産のラグアをじっくり火にかけ、
香辛料と共に風味を閉じ込めたラグアの葉包み焼きにアルアもご満悦だ。
去り際にアルアへ耳打ちするオルミア。
「それでぇ、臨時教師の件なんですけどぉ~……」
「無理です」
「おふぅ……」
がっくりと肩を落としオルミアは院長室へと退散していくのだった。
「お前がそこまで拒否するとはな……。
普段なら飛びついてるんじゃないのか?」
「ええ、飛びついてましたよ。
200年前に、ですけどね。
その時に書き上げてしまったんですよ、全部」
さも当たり前かのように言ってのけるアルア。
――200年前の事であるならその間に変わったこともあるだろうに。
と考えたとき。
末恐ろしくも、それを当然としてきたエルフの所業が頭に浮かぶ。
200年間の出来事を自動的に記す事ぐらい、このエルフならやってのける。
「頭痛が痛くなってきた」
「それ二重の意味になっちゃってますよ?」
「いいから早く食え。
さっきから院生の視線が飛んできて居心地が悪いんだ」
魔法による俯瞰が効かない謎の剣士。
視点さえ定まらない存在が手の届く範囲に居る。
これで好奇心を煽られない魔法使いは居ない。
「ねぇ、ちょっとならいいんじゃない?」
「でも院長とお話してた人よ?」
「攻撃じゃなきゃいいのよ」
「魔力風とかは?」
「それだそれだ!」
――――パリン、パリリッ、ポン。
オルネアの背後に僅かに響く、破綻していく理の音。
砂の一粒を投げられているに等しかったが、
膨れ上がっていく感情に居たたまれなくなるオルネアであった。




