第16話 三織の寝顔【僕side】
「じゃあ、また」
「今日はありがとうございました」
帰りも先輩のバイクに乗せてもらい、今は三織の家の近くにいる。僕はそのバイクから下り、感謝の気持ちを込めてペコリとお辞儀する。
「あの――」
僕は思い切ってそう言う。
「ん?」
少しだけ先輩に相談したいことがあった。いや、でも、まだ違うかもしれない。セミが何か叫ぶように元気に鳴き、人々が冷たい氷にカラフルな洋服をかけていく……そんな季節になってからでもいいのかもしれない。
「いや、すみません今はやめておきます。今日は本当に楽しかったです」
「わかった。いつでもいいよ」
先輩はそう言うと天使のようにバイクに乗って消えていく。すぐに先輩の姿は消えてしまった。すこし僕が瞬きをした間に。これからも僕は隆先輩にいろいろとお世話になるんだろうな。バイトだけじゃなくて……。
家に入ると、家の中は森の中のように静かだった。自分の音が大きく響く。それもそのはず、もう夜中だし、そもそもこの家には三織しかいない。
「ただい――」
「ま」の言葉を発する前に、リビングでテーブルに頭を伏せている――寝ている三織の姿を見た。なんか、三織の違う姿が見えたかもしれない。三織のこういう姿。僕は手を洗うと温かい毛布を持ってきて、それを起こさないようにそっとかけた。自然と僕の表情が柔らかくなる。
机には日記漫画が開いて置いてあったので、少しそれを覗いた。
今日のところの1コマ目には電車の中で小説みたいなものを読んでいる三織。
2コマ目には電車を降りて青空をふと見上げた三織。
3コマ目には『この明るい青空のように』という文字。
4コマ目には太陽が輝く描写。その近くに『君と成長したい』という文字。この言葉が、僕の心のどこかを刺激する。僕も君と――。なんか文字が浮かび上がってくるようなそんな気がした。
僕は三織の近くに座った。三織の寝顔を少し見た。雪見だいふくのようだった。でも、少し恥ずかしい。
「こんなの普通はありえないよな。高校生の同級生が急に暮らすって」
僕が三織だったら、あのときこんな風に暮らすことを提案しただろうか。普通だったらあんな提案しないだろう。でも、三織は言ってくれた、《《君の声》》で。三織の心のなかから発した声で。あのとき、僕の真っ暗な視界を照らしてくれたのは、君――三織。
僕は君のことをどう思ってるんだろうか。好きとかそういう感情ってあるんだろうか。
そしてこの生活はいつまで続くんだろうか。続いて欲しいんだろうか、それとももう前の生活に戻りたいんだろうか。僕は一体どうしたいんだろう。
「三織、なんか、何なんだろう」
何かが頭から出てきそうだった。でも、出なかった。なにがでそうだったんだろうか、よく自分でもわからない。
「あのとき……」
三織が小さな声で呟くかのようにそう言った。寝言……みたいだ。三織の言うあのときっていうのはいつだろう。僕がさっき考えていたときと同じだろうか。
「う、うっ」
三織が小さく動き始めた。現実の世界に戻されたんだろう。目が覚めたみたいだ。
「あ、おはよう」
僕に気づいた三織がふんわりと全てを包み込むかのような声でそう言う。
「おはよう、三織」
なんだ、この感じ。僕の瞳に何かが重なった。ほんの一瞬、なにかの景色とともに――でも、もう、思い出せなくなった。すぐに消えてしまった。
「どうだった、初バイト?」
二言目に発したものが三織らしいなと思いながらも僕は今日の感想を言う。
「優しい先輩とも少し仲良くなれて、店の雰囲気だったし、楽しかった」
「そうか、よかったね。あ! そうだ私、世のいない間に箱根旅行について少し考えてみたんだけど……」
そう言って三織は日記漫画の間からB5の紙を出した。
「私は大涌谷と関所がいいかなって」
「僕も昨日少し考えたけど、ガラスの作品が置いてある美術館がいいかなって」
昨日、箱根について検索していたとき、偶然その博物館をみつけて、僕はほとんど間を置かずに僕の目を釘付けにした。これなら三織も喜んでくれるんじゃないかなっていう素敵な場所に出会えたと思えた。この博物館はガラスでできた様々なものが飾られている場所みたいだった。
「じゃあ、ルートは私がなんとなく決めておくから。世は仕事よろしく!」
「任かせて」
その日はバイト初日で体に疲れが溜まっていたみたいで、ベッドに吸い込まれるようにして、すぐに寝てしまった。三織がでてくる……そんな夢を、見た。




