隣席の
「佐藤さんと、もっと前から会えていたら楽しかっただろうなあ、って。」
自販機が並ぶオフィスの休憩所。
昼下がりの眠気に背を伸ばして、そして用を足したついでに足を延ばして覗けば、横山さんに悪戯っぽく微笑まれて、しばらく談笑していたハズだった。そこへ、爆弾のような一言がするりと忍び込んだ。
俺は、ビジネスで鍛えられた驚かないための微笑で思考する時間を確保して、次の言葉を選んでいた。
横山さんは、現時点ではマッチを擦るくらいの火遊びを、無自覚にしているだけなのが明らかだから。
さて。
「……もしかして、遠回しに惚気られています?」
「え? どういうことです?」
言葉に、湿り気を忍ばせた方の負けという、極めて明快な言葉の掛け合い。ならば感情より論理で、極めてドライに真っ直ぐ見つめるべきだろう。
ふむ。
下まつ毛に丁寧に塗られたマスカラの逆三角形に隠された意思を、勝手に推察してしまう。
「例えば、現状に不満があって、何か突拍子もないことで変えたいなら、言い方が、もっと……こう、違ってくると思いませんか?」
「むむ?」
唇を尖らせて言いつつも、大きな目がキラキラと真っ直ぐに見返してくる。
運動部であったか、快活で小柄な美人が尊敬と信頼を寄せるときの眼差し。
先輩後輩という関係に立脚した、あの距離感の取り方そのままの横山さん。
だから、それが無自覚の罠だとわかる。
「つまり、旦那さんに不満はあるけれど、旦那さんに解決して欲しいからあり得なかったことを言ってストレスを誤魔化したいワケです。……ええ、旦那さんのことが好きだと、俺は言われたに等しいので、これが惚気でなくて、何だというのです?」
「えっ……ああー。そう、そうですね。……はい。佐藤さん。」
と、俺は話の主導権を取り戻した。
「こんな変則的な惚気られ方、初めてですよ。」
「そんな気は、なかったんですよ??」
「ええ、はい。」
「本当に、そう思っています?」
「思ってます。思っていますよ?」
「じゃあ、良いです。」
「はい。」
そしてまた、休憩には少し長い世間話を続ける心地よさに、しばし時を忘れたフリをする。
横山さんは、本気で俺のことを「すごい。」とか「物知りですね。」なんて褒めてくる程度には無自覚だ。
だから、少しばかり仕返しをしたくなる。
話の流れで、「いつもお世話になって、本当に感謝しているんですよ?」なんて言葉に重ねて、冗談めかして、極めて乾いた言葉でさりげなく。
「わかりました。じゃあ、来年のバレンタインにはついでに俺にもチョコとかくださいよ。」
なんて。
「いやー、日ごろの感謝を心に込めて手作りしちゃいますね!」
なんて、快活な笑いの中に悪戯っぽい視線を混ぜられながら即答されたら、もう、意表を突かれた、みたいな表情をして、笑い返すしか立て直す手立てがない。
何せ俺も妻に不満なところなどないし、それこそ妻に倦怠しないためのスパイスだと割り切って横山さんの反応を、恋愛に翻訳して会話をしている。だからもう何事もなかったかのように次の話題に移っていて、横山さんも「佐藤さんのベビちゃんも可愛いですね!」なんて少し顔を寄せて、俺のスマホの写真を見て嘯く次第だ。
「そろそろ、戻りますか。」
「はい。そうですね。」
きっと、そこで気を抜いてしまったことを見抜かれたのだろう。
「そうだ、佐藤さん。……チョコ、気合入れて作りますからね?」
自縄自縛の言い訳で、辛うじて体面を保っていられるだけの危うい俺に、その言葉は深く刺さった。
けれども、それが深く刺さったと、気づかないフリを墓場まで持っていける程度には面の皮が厚くなったことに微笑んだ。
「お返しは実費の3倍で十分でしょうか?」
~fin~