浪人失敗、、、からの、、
3月某日、僕はフードコートにいた。
浪人友達でもあり、高校の親友である大川はついこの間二浪が決まったばかりであるがわざわざ僕に時間を割いてくれた。大川には感謝しっぱなしである。浪人が決まってからというもの、苦手な理系科目は全部、医学部志望である大川に教えてもらった。そのおかげで現役では偏差値を軽く50切っていた数学も平均点を超え、理科に関しては一科目で満点を取ることにもできた。
そればかりに今回の社会は悔やまれる。そう、いまここにいるのは社会のせい、正確に言えば倫政のせいといっても過言ではない。
先に言い訳をしておくと、この科目は今まで60点を切ったことがないので本番でもそれぐらい運が良ければ80点取れるだろうと甘い考えで挑んでいた。蓋を開けてみると、なんと今まで取ったことのない49という数字が。何度も何度も確認したがその数字は変わらなかった。オフレコではあるがこの時初めて紙をくしゃくしゃにして床にぶん投げた。
まぁこの点数が前期は響いた。
倫政がいつも通りであれば第一志望の蝦夷大学には無難に入っていたであろう。蝦夷大学に入っていれば将来は割と安定していたのにと思うと悔やんでも悔やみきれない。
前期の発表で受験番号が見つからなかった僕は後期こそはと意味もないのに目薬を買って今日を迎えている。親も前期の結果をきいてがっくりしていた。後期は落とすわけにはいかない。前期はわざわざ大川と、現役で蝦夷大に合格した石田の三人で蝦夷大まで見に行ったが駄目だったあの時の気まずさと申し訳なさと言ったらなんとも言えない。なので後期はネットで見ることにした、現場には落ちてるやつもいれば
受かってるやつもいるそんなところで喜ぶことなんてできないという建前で。
でも本心は落ちていたらまたあの時と同じ思いをしなければならない、そんなの嫌だという
女々しい理由だ。
志望先は国立道央大学のアウトドア学部、高校生の頃はこんな変な学部があるのかと笑いながらマーク模試の大学一覧を眺めていた自分が懐かしい。蝦夷大に入ってから大企業に入社して高給取りになって美人な奥さんと暮らすみたいなザ、幸せな生活を目指していたがその夢のスタート地点に立つこともできなかった。
時計を見た。長針は59分の所にきている。短針があと一周したとき僕の人生は決まる。
浪人までしたのだからさすがに国立大学に行かないと。親に顔向けできないし、高校時代の友達にも会うこともできない。
ネットで調べた浪人失敗談と同じ境遇なんてまっぴらごめんだ。しかしこれで落ちたらヤバイ。心の声が止まらない、センターリサーチでは志望者の中で2位であった。合格圏内だ。しかし、もしかしたら二次試験の結果が悪くてだめかもしれない。
二次試験は浪人生お得意の筆記試験はなく実技試験と面接という自分で採点しにくい試験内容になっていた。さらに実技試験でやったジグザグ走では、ファールを連発して危うく記録なしになるところであった。面接はまぁ話すことはできたけど、一人称が僕になったり私になったりと一貫性がなかったのでどうなのか微妙だ。
そもそも大学の試験で面接っているのか、絶対いらないだろ。初めて会ったやつを評価するなんて無理だろ
そんなことを考えていたら、
あっ時間だと大川がつぶやいた。
さっき開いておいた学校のホームページを更新してみると、後期試験合格者発表という項目が追加されていた。さぁ受かっていてくれと念じながらそこをタップした。フードコートのWIFIを使っているからすぐにページを開くことが出来た。そこには様々な学部の合格発表があり自分の学部を探すのにすごく時間がかかった。学校としては大きくないのに、学部だけあるからこれまたややこしい。
数分後、
自分の志望するアウトドア学部を見つけたとたん体から力が抜けた。
あった、あったのだ。自分受験番号をやっと確認することができた。
いやでもまちがってないよな?一応Aにも受験番号の確認をさせる、
一度確認するところは浪人時に培ったといっても過言ではない。そして大川からOKサインをもらうとやっと確信に変わった。
携帯を取り出して親にも連絡する。
すぐ既読がついてありきたりなOKのスタンプが送られている。さきほどまでの気持ちはどこに行ったのか今はとても晴れやかで落ち着いた気分であり何をしても成功しそうな感じで体がふわふわする。
フードコートに長居できるようにお店で買ったドーナッツを一気にほおばる。あれドーナッツってこんなにおいしかったっけか?
こうして僕の4年間のアウトドア生活は幕を開けた。