197.-Case三郎-三郎の苦しみ
――アァアアアアアアアアアアアアア!!!!
異変が直後に起こった。
鬼が全身を震わせたかと思うと甲高い悲鳴をあげた。
金属同士を擦り合わせるような耳障りさ。生物の声帯から発せられたとは信じられない。
球形波状に空気を震わせ、僕と結城の鼓膜をしたたかに打った。
それまで以上に、鬼が苦しげに暴れ回る。
地面を踏み鳴らし体を揺さぶる。
口から紫の液体を撒き散らした。
「あーち……ん! ……とび……りて!」
結城が何か言ったが鬼の悲鳴にかき消された。
飛び降りて、そう言ったのだろうか。
無理だった。
僕がしがみついている鬼の上半身はめちゃくちゃに振り回されている。
ガッ゜。
そんな声だった。
一際高い、濁音と高音の入り混じった声が鬼から発せられた。
そして直後、破裂した。
空気を入れすぎた風船が弾けるように。
鬼の体が内側から外側に向かって、何らかの圧力が加わった。
肉が爆散した。
鬼の中身が周囲円形にすさまじい勢いで撒き散らされる。
皮膚が、血が、内臓が。
視界の色彩が目まぐるしく変化する。
青、黄、緑、赤。
それだけで意識を失いそうな色覚異常だった。
衝撃で鬼から振り飛ばされた。
目を瞑ってしまったので周囲の状況を視認できない。
暗闇の中、視覚以外の五感だけの情報を受けるがままに受けた。
宙空に投げ出された浮遊感があり、一拍遅れて肩から地面に叩きつけられる。
カエルの悲鳴が喉から絞り出された。
おそらく打撲と擦り傷くらいは出来ている。
鈍痛を感じる間もなく、生暖かい液体がビチャビチャ体に降り注いできた。
悲鳴は上げられなかった。
口の中に液体が入ってきたから。
痛みやら衝撃やらで、僕は気絶した。
三郎の、感情が流れ込んできた。
記憶ではなく、漠然とした情動。
何故そんなことが起こったのか、後から考えても分からなかった。
しかしほんの数瞬であったとはいえ、彼への認識を多少なりとも改めるには必要充分だった。
悲しみ、不安、恐れ……。
あるいは憎しみや慈しみ。
様々な感情が複雑に絡み合っている。
それはおよそ鬼三郎と恐れ忌み嫌われる彼の印象に反し、酷く人間臭かった。
鬼三郎は人間の濃度の強すぎる存在だった。
さーやは厚い仮面に遮られた浮世離れした人格だった。
おそらくそのどちらでもなく、彼が人間として生まれ落ちた時に備えていた人間性。
三郎という純粋な個の想いが僕に流れ込んできたのだ。
そんな三郎の人間性は、普通の人のそれだった。
僕らとそう変わりのない、年齢相応の少年の。
誰かに理解されたいと苦しむ、子供だった。
気絶も長いものではなかった。
おそらく数秒から十数秒ほど。
意識を失っていたから時間間隔などないも同然だ。
あくまでその前後で確認した状況からの推測である。
軽いめまいを覚えながら目を開く。
真っ赤な何かが瞼やまつ毛に付着し、視界は水分の膜に遮られる。
手で目を擦ろうとして、その手にも液体が相当に付いており、手を拭おうとしても服すら濡れ鼠だった。
「あーちゃん大丈夫? 生きてる?」
結城の声。
こちらに近づいてくる足音と水音がした。