167.情神
20年前に1度、不審火による出火で火事になった拝殿は改築され真新しい。
全木造であるが故に耐火性が非常に低く、小火の火種が瞬く間に大きくなり、予想外の延焼を引き起こした。
消火された時には屋根を含む全体の20%が修復不能の炭になっていたという話だ。
当時既に消防法などの為に、拝殿含む建築物全般への改修が唱えられていた。
構造的にも火災時の予想被害からも全くのドンアウトだった。
建材は耐火性に優れる非常に良い物であったが、何ぶん経年劣化で痛みと乾燥があり、外側から耐火塗料をいくら塗り込んだところで内部温度が上昇して発火するおそれは十分あった。
むろん、外から火種を近づけても同じだ。
しかし以前の改修の際に、主要な建材の幾つかが地方議員や建築企業の献上・寄付であったりで揉めていた。
贈呈側の幾つかが建材の廃棄に難色を示したのだ。
くれてやった物とはいえ、善意を無下にするのかと。
複数の好意と体裁が複雑に絡まり合い、全体の意見を一致させるのは遅々として進まなかった。
一部は責任の所在すらはっきりしない。
神社側は市県の要請に応じることができず、合法性と人情の板挟みになって身動きがとれず、工事は着工の目処すら立たなかったらしい。
議論だけは頻繁に行われるも、明確に土建会社へ依頼することはできず、見積もり書の書き直しばかりになった。
そんな折、10年前の火災である。
人為的か自然発生かはいまだに不明なものの、とにかく家事が起きたのだ。
蛇のように拝殿をうねって燃やしまくった飛び火で焼け焦げた拝殿に、規定の耐火性能を持たせるに足る工事の大義名分が立った。
さすがに燃え落ちて外から丸見えの拝殿を放置することはできない。
関係各所へは脅しに近いペラ紙1枚の事後承諾を送りつけて、強引に改装工事は行われた。
工事はつつがなく終わった。
唯一の問題点としては、拝殿やその周囲を取り巻く建築物は、建物自体の存在意義から全木造であることが求められた。
拝殿一帯の建築物は、磁場や間取りなどを考慮し、ある種の霊的磁場結界を構築していると古くからの文献に残っていたのだ。
科学的根拠がなくあくまで信心の話だ。
だが安易に逆らって霊的構造をバラバラにした挙句呪いでも貰ったらたまらない。
神社経営側の譲歩できない交渉条件となった。
なので改修においても、構造や間取りに直接関わらない部分を除き、組み立ての一切は木建材のはめこみ方式にて行われた。
継手や仕口の木組み自体は、現在の宮大工でも失われた技術ではない。
近代の建築物理学も合わせて実現され、最終的には釘1本すら使われなかった。
いまだに火災の原因や、延焼の仕方が不自然だったとする謎も残るが、後に害あるまで神社も警察も記録のみにとどめておくとしたようだ。
さて、拝殿は東の緘瞋殿、北の左掉殿、西の碑貪殿、および南からの参道に囲まれている。
それぞれ五蓋に由来する邪を封滅する役割を担っている。
五蓋とは仏教上の煩悩であり、また鬼を指す。
語を借りているものの、この神社ではそのままの意味合いではなく、もっと人の情動に寄ったものだとする解釈だとか。
東に悪意を、北に執着を、西に欲を。
他2つは拝殿から離れた山中2箇所に、それぞれ祀り場がある。
何かのきっかけでどこかの箇所が破られた時に、一網打尽にならないように分散するリスクヘッジはいかにも何かの封印を思わせる。
さらに神社周辺も別の霊的な仕掛けが施されているらしい。
拝殿は形状こそ一般的な物と大差ないが、特筆すべきはその色だ。
青緑なのである。
壁や柱など、基調がターコイズ色なのだ。
一般に魔に抗する色は赤色と決まっている。
鳥居をはじめ、建物の多くは朱を塗装に使っている。
この神社も例外ではなく、拝殿他3つの殿は赤色だ。
拝殿だけが、まるで沖縄の浅瀬のブルーのような透明感のある蒼だ。
周囲が赤なので、異様ともとれるほど浮いている。
世界中の神社を探したところで、青い拝殿などない。
青は、心の安定の色だ。
視覚で認識する事で激情を沈静化させ平静を維持する。
ここ拝殿においてのみ、神社の赤というスピリチュアルを排し、近所のコンビニの心理学本に書いてあるような知識を主としている。
これもまた、件の文献に記載されていたという。
ここ賽鬼属神社は、神仏と人の感情に深い繋がりを慮っている。
宗教と精神研究は元々近いところにあるが、それをあからさまに形にしているところは少ない。
この神社では目に見える形でそれを表現している、異色だった。
ただ、まったく神仏を無視している訳でもない。
拝殿以外はやはり常道の色合いで統一しているし、拝殿に安置されているという御神体を入れている器も赤黒色だ。
御神体は古い霊木とされているが、僕らの街にこういった噂もある。
賽鬼属神社の御神体は”鬼の脳みそ”だと。
仮にも神社の御神体が、そんなおぞましく呪われた代物だとは信じ難いのでただの噂に過ぎない。