133.氷菓
「何にしようか……えっと、さっきレストランで食べたばかりだけど、お腹に入る?」
2人に、特に結城に対して尋ねる。
三郎が一も二もなく「入る!」と答えた。
レストランを出た時に、きつねうどんによって目に見えて膨れていた彼の腹は、既に元の寸胴に戻っていた。
どんな燃費をしているんだ。
あの油と大豆の質量はどこに消えたんだ。
原料が小麦のうどんだって腹の中で膨れるはず。
「平気だよ、それくらい。お祭りの食べ物は別腹なんだから。ケーキやシュークリームみたいにね」
結城も比較的食う方である。
先のレストランで海鮮丼一杯ではどうということもないか。
僕の目の前で大食いする機会は少ないにせよ、一日の食事量のカロリーは同世代より高い。
にも関わらず、女子のような細いウエストを保っているのは、根本的に生活習慣による熱消費量が違うからだろう。
問題は僕自身の方で、レストランの食べた分はいまだ半分も消化しきっていない。
いまだ胃の中で、油揚げや刺身やハンバーグが胃液に溶かされる順番待ちをしている。
この上で、炭水化物たっぷりのたこ焼きやお好み焼きは遠慮したい。
「まずはかき氷で良いかな? 喉かわいちゃってさ」
主成分がほぼ水であれば胃にも優しい。
喉が渇いているのも本当だ。
2人に口を挟む余地を与えず、近場のかき氷屋を探す。
祭りでかき氷屋を発見するのはさほど難しくない。
縁日などの露店は、いわゆる三寸屋台と呼ばれる片流れ屋根の組み立てテントだ。
天幕の左右前面にポップな描き文字で、デカデカと何を売っているのか記載している。
「かき氷」「たこ焼き」「広島焼き」などと。実に素直に、率直に。
均等に並んだ露店の上部を端から流し見していけば、問答無用で視界に入った。
定番メニューとして、その文字は5軒に1つの割合で有る。
どこへ行ってもかき氷屋は激戦区だった。
露店の主人は、まだ大学生くらいの若くケバい青年だった。
髪を金と赤の二色カラーで染め、耳と唇に複数のピアスを通している。
胸元の大きく開いたシャツの上に、地元青年団指定の法被を着ていた。
不衛生な感じはしないが、ガラが良いとも言えない。
男性にケバいと形容するのも不自然だが、他に言い方も思いつかなかった。
全体的にほっそりしていて、浅黒い肌やファッションと相まって女性っぽさがある。
結城や三郎のような女装ではない。オネエ系とも違う。
いわゆるギャル男に属する様相である。
「いらっしゃい、何にします?」
明るい声と屈託ない営業スマイル。
見た目と反する誠実そうな接客態度だった。
顔の造作も悪くないので、さぞ女性客にはウケが良いだろう。
僕の前にも2人組の浴衣の女性が、氷の削られる様を眺めて待っていた。
露店の前面の垂れ幕、露店の奥の厚紙、のぼり、その三種におしながきが書いてある。
遠くからでも見えるので、店に近接した客は既に注文が決まってい易い。
店先であれこれ悩む面倒がなく、時間ロスの軽減で客の回転率が高まる。
事実、僕たちも注文はとっくに決まっていた。
「いちご、メロン、練乳、それぞれ1ずつで」
「はい、すぐ出来ますんで少々お待ちください」
露店主は先に注文済みの分が出来上がると、前列の女性に手渡した。
彼女たちはかき氷を嬉しそうに受け取り、黄色い声を上げて食べ歩きながら離れていった。
次に僕らの分と思しき、3つの横広の紙カップが用意される。
それをパット(氷受け皿)に置き、ガリガリ氷を削り始める。
驚くことに、この店の業務用かき氷機はハンドル式だった。
昔ながらの、電源を一切使わない氷削ハンドルをぐるぐる回して作る、テレビでしか見ないようなアレである。
全銅製でずっしりと存在感がある。
今やほとんど露店のかき氷は電動式。
当たり前だ。労力や手間や生産速度が違いすぎる。
手動かき氷機など今や娯楽でしか使われない。
ハンドル式かき氷機は、氷も専用の形に加工した物でなくてはならない。
冷蔵庫で作った小ブロックや板状ではダメなのだ。
実際、露店主は空になった中心部の押さえに溜まった屑氷と水を軽く除け、光学ディスクのスピンドルパッケージのような形状の新しい氷をセットした。
下部の固定釘にきちんと刺さったか気にしているようだった。
そして勢いよくハンドルを回し始める。
主軸が回転し氷を円盤へと押し込む。ゴリゴリ鳴りながら刃物に削られていく。
かなりの重労働らしく、露店主は汗まみれだった。
細かい粒上の細雪が紙カップに降り落ちて山と積もっていった。
何故、今の時代にわざわざハンドル式を使っているのか。
電動より遅く、露店主も相当な体力を消耗してしまう。生産上のメリットはない。
レンタルにしても購入にしても、ハンドル式の方が費用もかかる。
だが、その答えはかき氷より早く融解した。
僕がかき氷の製造を眺めている間に、他の客が次々に訪れた。
中々の繁盛っぷりだった。
その理由は露店主の見た目、ではなく、このレトロなかき氷機の物珍しさだった。
つまりパフォーマンス性である。
生産的な利点がなくても、営業的な利点がそれを補填している。
とはいえ、客入りに対して体力面の犠牲も大きすぎる。
何か商売とは別の、一つところの信念もありそうだった。
「えっと……いちご、メロン、練乳でしたっけ?」
露店主は祭りにでこそ許されるフランクな口調でそう問いかけてきた。
僕がはいと答えると、彼はそれぞれのシロップをドババと気前よくかけた。
氷の削り方もトッピングも何もかも豪快だった。
1杯500円は適正価格な錯覚さえする。