自己紹介の時に好きな食べ物を聞かれて「たらこスパゲッティ」と言った話
これはほんとにあった話だけどーーと言っても、そんなの覚えているのは僕だけだから、意味のない発言だけど、でもほんとにあった話なんだ。その話をしたい。
これはほんとにあった話。ほんとにほんとにほんとにライオンだー、あ、CMの話しちゃった。僕はついこんな話をしちゃうんだ。余計な脱線というのをしてしまう。でもさ、それが、つまり脱線の方がより「本質的」という可能性もあるじゃないか。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」にもそういう話がある。脱線にこそ本質あり。だが、こうも言える。脱線が本線となったらまたそこから脱線しなけりゃらないないのか? 問いは無限に続き……もうやめよう。
高校の時にさ、自己紹介をしたんだ。入学式の後で、挨拶するやつ。気まずいやつね。一人ずつ自己紹介した。その時、なぜか知らないけど、一人一人が「自分の好きな食べ物」についても話した。つまり、
「吉澤拓也です。中学は西大徳中学。好きな食べ物はカレーです」
みたいな。それで、みんなが一人ずつ、自分の好きな食べ物について話していった。で、僕の番が来た。僕の番だ……自己紹介って緊張するよな。こんな馬鹿げた事やってんのって日本くらいなのか? …いや、まあ「必須」なんだろうけど。で、僕はこう言った。
「えー、山田一二三です。中学は東三中。好きな食べ物は、そうですね。スパゲティです。たらこスパゲティですね。たらこスパゲティが好きです。以上です」
その時、クラスに笑いが起こった。静かな笑いというか、幾分、嘲笑的な笑いだった。それはやや馬鹿にしたような、また、「レベルの低い奴」の「可愛い部分」が露見した時に、「上の人間」がふいに見せるような、そうした類の笑いだった。「笑い」がクラスに満ちた。僕は……愚かにも、自分は全然何も間違っていない、正しい自己紹介をしたのだと思っていたから、幾分かプライドを傷つけられた。担任教師は次のような発言をした。
「山田君はたらこスパゲティが好きなんですね。みなさん、覚えておきましょうね」
担任は、無神経を集めて無理矢理、人間の形にしたような中年女だったが、この発言は僕を憤激させた。この怒りについては、死ぬまで忘れまい。と言っても、人は僕が何に怒っているのかよくわからないだろう。実際、僕の怒りはこんなものばかりなんだ。
僕はこの失敗にいたくプライドを傷つけられた。『涼宮ハルヒ』の自己紹介は、あれはわざと狙ってるからいいけど、僕の場合は狙ってないから恥ずかしいだけだった。僕はその後、考えたものだ。一体、何が凡庸な(凡庸に決まっている!)彼らを嘲笑させたのか。
問題を解く鍵は「たらこスパゲッティ」という名詞にあった。…これは随分後に発見した答えだ…。思い返してみれば、他の生徒はみんな「カレー」とか「パスタ」とか「ありません」とか「焼き肉」とか、非常に一般的な、ぼんやりした答えしか出していなかった。それに対して僕は、「たらこスパゲッティ」という妙にリアリティのある、はっきりした言葉で応戦した。
もちろん、みんなが笑ったのはそれだけが原因ではない。言葉の問題プラス、僕自身の滑稽な態度、つまり僕が自分の自意識に絡まって、そうして「正確な言葉」を言おうとするあまりにかえってもぞもぞと、内気で弱々しい態度を見せてしまったのが、嘲笑の原因ともなったのだろう。確かにあの時の僕はもぞもぞと、挙動不審な様子もないではなかった。少なくとも、整然とした健康な振る舞いではなかった。
だが、振り返ってみれば、僕が「たらこスパゲッティ」と言い直したのは、正確な言葉を吐こうとしたからだった。つまり、質問に対して、自分の中の正確な、紛れもない言葉を出そうとしたがゆえに、僕はどもり、まごついたのだった。
この問題はもっと考えてみる必要があるだろう! …いや、僕はそもそも自己紹介というものに対しても欺瞞を感じている。自己紹介…そこで一体、何を「紹介」できるだろう? 自己とはなんだろう? だけどこんな事言うと、クラスの日陰者になるのはわかりきっている。…それはよくわかっている。
だけど、僕はあの日、みんなに笑われたのを、嘲笑されたのを忘れてはいない。死ぬまで、そんなくだらない事を記憶し続けるだろう。クラスのみんなは誰もこんな事は覚えていないに違いない。とっとと忘れろ、と言うだろう。だが、ここでは、きっと大切な問題が起こっているに違いない。僕にはそう思われて仕方ないんだ…。つまり、あの時の僕は正確な言葉を伝えようとして、嘘をつくまいしてかえって滑稽な態度になった…それを…いわばその「誠実性」を人が笑ったという事実がどうしても僕には認可できない。そんな気がしてしようがない。
もちろん、こんな事は社会に出たらきっと沢山あるだろう。こんな場面の連続だろう。だけど、今もーー今の僕は高校三年生ーーあの時の事をふいに思い出してしまう。そうしてそこで失われた大切な何か、あるいは人が決して見ようとしなかった何かについて思いを凝らしてしまう。彼ーーつまり僕だーーは間違っていたのか? 彼は正確に、自分の中の言葉に触れようと、人に本物の自分を晒そうとして、それができない事を感じて口ごもり、奇妙な態度を取ってしまったのだった。僕にはあの時の態度は、何かもっと高いものに通じているような気がしている。だけどそれが何か、今は言う事ができない。僕は愚かだ。僕は…馬鹿野郎だ! 一体、何を言っているんだ!
さて、こんな「くだらない話」を僕はだらだらとしたけど、この話が嘘か本当かは、今この文章を読んでいる「君」が判定して欲しい。そうして今の僕は、あの時の僕と同じで、相変わらず滑稽で無様な態度を見せてしまったようだ。それでも…それでもさ、僕は自分の中の本当の言葉に触れようとしてこうした態度になった…それは事実だと思う。正しく言おうとしたから、「たらこスパゲッティ」だと、やたら丁寧に言っちゃったんだと思う。そこには「誠実性」があったと思う。もちろん、こんな事を自分で言う奴が誠実であるかどうかはわからない。だけどまあ…許してくれよ。僕はこれ以上に誠実になれないんだ。僕には僕がわからないんだ。僕という存在はまだ未知なんだ。先は長いんだ。
さて、こんな事を書く高校三年生。そいつは何者だろう。それが僕にはわからない。だけど、君がこの文章から一つ学んだ事がある。それは…この世界の片隅に住む高校生の山田一二三が好きな食べ物は「たらこスパゲッティ」だという事実だ。君がそれ以上にこの話から得るものは何もない。君はこの文章を読み終えたら、とっとと冷凍庫の中にある「たらこスパゲッティ」を温めて食べ始めたまえ。僕も今から食べるから。正直言うとね、「たらこスパゲッティ」の話書いてたら、なんだか食べたくなってきたんだ。いや、ほんとの話。ほんとに。




