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1 子供が欲しい!

 『リスティリス』とは子宝の女神の名前であり、彼女が座する神殿の名前でもある。

 東の港町の郊外の丘の上にあるその神殿は、授かり物を求めて足繁く通う夫婦が絶えず訪れる人気の神殿だった。

 何しろこの神殿、御利益が凄い。リスティリスは真面目で心優しい女神であり、気まぐれで願いを叶えたり叶えなかったりしたり、場合によっては呪いを差し向けたりしてくる他の神々と違って、一定の条件を満たせば必ず夫婦の間に子宝を授けてくれたのだから。夫婦はリスティリスの慈悲に感謝して、子供が生まれたら必ずリスティリスのところに見せに行った。生まれたばかりの赤ん坊やすくすく育った幼児を見る度に、リスティリスは嬉しそうに微笑んだという。それは、子供を本当に愛していなければ出せない表情だったという。そんなリスティリスの暖かな対応がさらなる信頼を生み、神殿から人が絶えたことはなかった。

 だからこそ、ある日のこと――――『しばらく姿を消します。探さないでください』という手紙を残してリスティリスが消えたとき、神殿の巫女や神官は少なからずパニックに陥った。急いで探さねばならないということで、早々に彼女の意向をガン無視して捜索隊が編成され、国の各地を目指して派遣された。


 ◆◆◆◆◆


 灯台もと暗しとでも言おうか、国中の各地に目星をつけて送られた捜索隊はいずれも『外れ』で、彼女がいたのは間近の港町だった。メイクで軽く雰囲気を整え、特徴的な赤い髪を黒い染料で隠し、髪型も変えた彼女は、一見すると神だと分からない。普段来ているドレスを置いて、以前に捧げ物として送られていた質の悪い普段着に着替えたのも功を奏して、彼女は市井に完全に紛れていた。


【市場】


「……本当にやるんですか? やめましょうよ、ここらへんで……」


 ただし、彼女の傍らに控える若い神官(名をクレイと言う)が大きな錫杖を持っていたので、そのせいで彼女らが全く人目を避けられていたかというと、そうでもなかったが。

 クレイはリスティリスが神殿を抜け出す瞬間を目撃したため、口封じのためにそのまま彼女に連行されてしまったのだ。ちなみに神殿側はというと大忙しの大慌てで、誰もひっそり消えた若手神官にまで気が回っていなかった。


「これ以上神殿に女神様がいないと、みんな心配しますから。それに僕も怒られますし……」


 『女神様』。うっかりそんな言葉を零した神官の口を、リスティリスは慌てて塞いだ。


「シッ! 今この市場の中では、私のことを女神だとかリスティリスと呼ぶのは止めてくださいって言ったじゃないですか。今私は何の変哲もない一市民です。貴方もそこらの一般人。肝に銘じてください」


「……もご、もごご……」


「それに、目的は必ず果たします。ずっと我慢してきたんですが、私はもう辛抱ならないんです」


「……本気でやるんですか?」


「ええ、私は本気ですよ。本気で、『子供を作り』ます! 適当な殿方を捕まえて、その人の子種をいただいて子供を作るんです!」


「女神様! 女神様! 声が大きいです!」


 リスティリスははっとして口を塞いだ。周囲を見渡すと、市場の人々が二人に怪訝な視線を送っている。


「……女神様って言うなって言ったじゃないですか! この分からず屋!」


 リスティリスは誤魔化すように神官をぐいっと引っ張って、路地裏へと姿を隠した。


 ◆◆◆◆◆


【路地裏】


 路地裏に隠れた二人は、息を整えてから作戦会議を始めた。


「とりあえず、どういう殿方に声をかけるのがいいでしょうか。既婚男性に声を掛けるのは良くないですよね」


「いや待ってください女神様。当然のように話を進めないでください」


「だから女神って言わないでください。どこに人の耳があるか分からないんですよ」」


「人の耳は顔の横にしかありませんよ。というか今は周りに誰もいないからいいじゃないですか。そして不便なので、女神と呼ぶなと仰るならば別の呼び名を用意してください」


「分かりました。それならリスティリスをもじってリスにしましょう」


「動物じゃないですか」


「そこで作戦なんですが、できるだけ好色そうな……」


「いえ、待ってくださいリス様。どうしてそんな急に子供が欲しいなんて言い出したんですか?」


「急じゃありません。私は十年も百年もずっと鬱憤を溜めてきたんです。いいですかクレイ、よく聞いてください。私は子供が大好きです」


「存じています」


「だから、無事子宝を授かった夫婦の方々が、自分の子供を見せに来てくれるのはとても嬉しいです。嬉しいですが……それを見るたびに、私は自分に子供がいないという事実にダメージを受けるんですよ!」


「神様なのにですか!?」


「神様なのにです! 私は人の子供を見るのも好きですけど、自分の子供も欲しいんです! だからこのたび、自力で子種を探して子供を授かることにしようかと思いまして!」


「どうしてそういう結論になるんですか!」


「ご心配なく。レイプしたりはしませんよ。ちゃんと同意の上でいただきます」


「そんなことは心配してませんよ! そうじゃなくて……」


「外す可能性ですか? 私を誰だと思っているんです、子宝の女神ですよ? 子種を手に入れさえすれば、一発で受精着床妊娠出産確定です」


「違います! それも違う! っていうか表現! 女神らしく慎んだ物言いをしてくれませんかね!?」


「では……えーと……一発で授かり……」


「いや、別に言い直しは不要です。そもそもそんなことを話したいんじゃありません」


「じゃあ何を話したいって言うんですか!?」


「あのですね、子供を作るっていうのはもうちょっと慎重に……というか相手を熟慮した上で……」


「ご心配なく。どなたとの子供であっても私なら愛せます」


 どん、と胸を張る女神リスティリス。その自信を裏付けるのは、数百年にわたって他人の子供に愛を注ぎ続けてきた経験の積み重ねである。神官クレイも、こう言い切られてしまうとどうしようもない。


「……確かに、リス様はそうかもしれませんが……」


「でしょう。でしたら、貴方はつべこべ言わずにどういう男の人が発情しやすいか教えてください」


「言い方! 言い方を考えてくださいって言ったじゃないですか!」


「これ以上、どう言えというんですか。盛っているとか?」


「……大して変わりませんね。訂正します。言い方じゃなくて話している内容が問題です」


「で、どうなんですか。クレイはどんなときに発情しますか? 例えば今街中で、私の誘いに乗ってくれそうなのはどんな殿方ですか?」


「そういうのは僕じゃなくて……その、そういうのをターゲットにして働いているご婦人に聞いた方がいいんじゃないでしょうか」


 クレイは堅物であり、先日二十三歳の誕生日を迎えた今日、未だ童貞でもあった。


「……道を歩く男性がいちいち発情しているかどうかなんて、僕は気にとめたことないですよ。僕に限らず、殆どの男女がそうだと思いますけど」


「ふむ、それは困りましたね。では、手当たり次第に声をかけることにしましょうか」


「ちょっ、待ってくださいリス様! それじゃまるでビッチじゃないですか!」


「ご心配なく、複数の殿方と関係を持つつもりはありませんから! あくまでお相手は一人です、清純です!」


 などと訳の分からないことを言いながら、リスティリスは路地を出て行ってしまった。クレイは頭を抱えながら、彼女の後を追い掛けた。


 ◆◆◆◆◆


【市場】


 往々にして、神が何か思いついたときというのは碌なことが起こらないものである。今回もそうだった。路地裏を抜け出し、人通りの多い市場へと飛び出したリスティリスは、通りの良い声でこう叫んだ。


「どなたかー! 私と子作りしていただける殿方はいらっしゃいませんかー!」


 これが女神のやることであろうか。生まれてからずっと神殿で過ごしてきたリスティリスには、常識というものがない。それにしたってあんまりにもあんまりである。実際、彼女が奇言を放言したあと、市場の男達は蜘蛛の子を散らすようにその場を離れていった。男だけではない。女もだ。誰も彼も皆、突然現れた狂った女に絡まれたくないと思ったのだろう。


「……クレイ、これはどういうことでしょうか」


 遅れてやってきたクレイが見たのは、泣きそうな表情になっているリスティリスだった。


「私、そんなに魅力がないんでしょうか」


 たとえ髪を染め、身分を偽っていても、リスティリスは魅力的だった。妖艶な肢体と美しい肌、素晴らしき美貌。メイクは彼女の美貌に対しての妨げにしかなっていない。化粧を落とせば、彼女に太刀打ちできる美貌の持ち主は人間には存在しなくなるだろう。いるとすれば彼女と同じ神だ。


「いえ、そんなことは、決して……」


 しかしどれだけ魅力があったとしても、この行動では台無しだな……とクレイは思った。

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