夜間
意識が浮上してきた途端、濃厚な土の匂いと蒸し暑さで一気に目が覚めた。
…夢じゃなかったんだ。
立ち上がると、体の節々が痛い。
自転車にぶつけたところも、木の根に躓いた爪先も、こけた時に打ち付けた膝も、これが現実だと痛みを訴えてくる。
意識を失ってる間に襲われる事は無かったようだ。
周囲は暗くなっていた。
唯一、転移してきたところだけは木々がまばらになっているようで、差し込む月明かりが自転車のフレームに反射してキラキラと光っているのが見えた。
トンボから逃げるために走ったのは、10mほどだったようだ。
他の場所は真っ暗だ。
自分の手元だってハッキリと見えない。
風が吹いて枝が揺れると、スッと月明かりが差し込む所もあるが、風が止むとすぐに消えてしまう。
怖い。
月明かりを求めるように自転車の方へ足を進めようとすると、ボンッと足に何か当たった。
「ヒッ!」
と息を飲んだが、何となく覚えのある感触だったのでしゃがんで探ってみる。
案の定、鞄だった。
何とか手探りで肩掛けを見つけて、斜めがけにする。
ジワジワと木の根に気をつけながら、何とか自転車に近づく。
でも、月明かりの下に出ようとは思えなかった。
肉食獣からしたら丸見えになるような気がしたからだ。
月明かりの下から、1mほどの木の根元に平な所を探して座る。
ホッと息をついた途端に恐怖が襲ってきた。
風が吹いて草がサワサワと揺れる度、何かいるんじゃないかと思える。
まるで直ぐそこに肉食獣がいるように思える。
『熊は生きたままの人間を腹わたから食べる』なんて思い出したくも無い、真偽のわからない知識が呼び起こされて恐怖を駆り立てられる。
別の事を考えようと、気を失う前のアナウンスの事を考える。
おそらく、元の世界の名前が第11層テラで、この異世界が第12層アウス。
テラって、イタリア語かフランス語かなんかで、地球って意味だったはず。
世界の名前を直接当てた昔の人が居たのか。スゲェ。…その人はどうやってテラって名前を知ったんだろう?
もしかして、同じようなパターンに!?
帰れるのかもと思ったが、それに続いた言葉を思い出した。
『<当第11層テラは訪問者に関する全ての権利を放棄し、御第12層アウスに譲渡する>』と言っていた。
まるで元の世界から捨てられたみたいに感じられた。
もう一生戻れないのかもと思うと、怖さと悲しみで胸がいっぱいになる。
<状態異常:恐怖(小)>になりました。
ヒッと息を飲む。今はこの声が聞こえるのが怖い。
意識が戻ってしまったせいか、また周囲の状況を伺ってしまう。
いくら目を凝らしたって何も見えない。
草がガサガサと揺れる。
そちらを見つめるうちに、耳元で揺れた草に小さく悲鳴をあげる。
怖い。奥歯がカチカチと鳴りはじめた。
<状態異常:恐怖(中)>になりました。
必死に切り離そうとした思考を、またアナウンスで呼び戻される。
体の前に持ってきた鞄をギュッと抱きしめて、耐える。
どれだけ時間が経ったのかはわからない。
数分だったかもしれないし、数時間だったかもしれない。
<恐怖耐性Lv.1>を取得しました。
というアナウンスの後、スッと楽になってウトウトと眠ってしまった。