悩み相談も仕事の内?
熟考し行動し顧みて再び熟考し動く。この事を反芻すれば人間どんな事も慣れ上達するものである。
ブルーインパルスのアクロバットもそう。毎日繰り返し訓練をして練度を上げていく。元々の技能は勿論の事だろうが、訓練によって技術はより研ぎ澄まされていく。このハードとも言える訓練の日々そのものは俺にとっては苦痛なんてことは一切なくむしろ楽しいものだった。仲間と共に動きを組み立て作り上げていく連帯感が意外にツボにハマっている。今までもチームで動いていたものの、個人が能力を出し合って任務に当たるという感じだが、こんな風に息を合わせてという仕事が、実は好きであった事に気がついた。
とはいえ、楽しい事だけでなくブルーインパルスのパイロットとしてそれなりに繰り返して行っても慣れない仕事がある。それは航空祭のサイン会。展示飛行は楽しいのだが、その前のサイン会は俺を若干憂鬱にさせる。
考えてもみて欲しい芸能人でも有名人でもなく、単なる公務員として生きてきた俺がサインを求められるなんて事はない。あってカードで買い物する時くらいのものである。戦闘機パイロットは普通の公務員ではないと言われるかもしれないが、そんな華やかな仕事でもない。しかしブルーインパルスに関わる人は空自において特殊なのだ。航空祭やイベントではパイロットは勿論、キーパーまでも囲まれサインを求められる。
移動を命じた上官がまず言ってきたのも、第十一飛行隊での心得や操縦技術な話ではなくニヤリとした顔で『サインを考えて練習しておけよ! お前は、そこだけは悩みそうだから』という事だった。『第十一飛行隊に配属されたからと必ずしもブルーインパルスのパイロットになれるものではないのでは?』と反論するが『五番機のパイロットの後任に良い人がいないか? と泣きつかれて相談され、この俺が推薦して送り出すこの基地自慢のパイロットの一人だそ! ならないという事態があると思うか?』と目を眇める。ブルーインパルスのパイロットの一番機と五番機は三機以上で編隊を組んで飛ぶ事がある為に四機編隊長の資格が必須。そうなると候補というのも絞られしまうものなのだろう。
「という事で今からでもサインを考えておいて大丈夫だ」
そう言われて部屋を追い出されてしまった。
やってみると分かるが、いい年をした大人がサイン自分で作り練習するって、想像以上に悩ましく恥ずかしい事なのだ。自分のデスクで試しに筆記体英字の普通なサインをメモに書いてみて恥ずかしくなってその紙を丸めて捨てた。
今までの歴代のパイロットのサインも調べてみる。基本英字で自分の乗る機体の番号がつく。これがなかなか本格的なのだ。何というか芸能人のように。ハートなんかついている人までいる。恐らくバーティカルキューピッドを意識したものだろう。俺はそれを見てますます悩む。
見るからにくそ真面目な雰囲気の俺がサインにハートとか星とか付けたら気持ち悪そうだ。
お店のメニューとか作っているためにポップデザインの勉強していた妻と相談して作ったのが今のサイン。
一人で作るのは余りにも苦行すぎたから。たかがサイン、されどサイン。なかなか形を決めるのは難しい。サインペンの幅の長い方と短い方を上手く使い強弱を付けるのが、リズムのあるカッコウ良い文字を作るコツ。異動になってからも上官の言葉を守りサインの練習も影でもシッカリしつつ、訓練飛行にも精を出した。晴れの展示デビューの時から、俺のサインも無駄にならずに世に出ることになった。
展示飛行デビューのサイン会、俺はハッキリ言うと竦んだ。イベントでは初めて飛ぶパイロットだというのに、俺の列にもビックリするくらいの列ができていたのだ。しかも老若男女関係なく目をキッラキラした表情が俺には眩し過ぎた。俺はそんなに目を輝かせて会う程の存在ではない普通の男である。
自衛隊の理解を深めて親しみを持ってもらう為の活動というブルーインパルスパイロットの役割というのを頭に入れつつ、丁寧な対応を心掛け頑張った結果、最初のサイン会は時間切れでサインしてあげられなかった人も出てきてガッカリさせてしまい申し訳ない気持ちになった。
二回目以降になると、質問にも比較的にスムーズに答えられるようになるが、アイドルのような扱いには躊躇うものがある。同時にアイドルという仕事をしている人はいつもこんな事をしているのかと思うと畏敬の念さえ覚える。
サイン会は、直で自衛隊パイロットと触れ合える機会ということで、本当に様々な事を質問してくる。
「好きな課目は何か?」
「F-2とTー4機体の違いによる操作感の違い」
「身長・体重は?」
「結婚しているの?」
「何故、カフェのタックネームなのか?」
「好きな食べ物は?」
「好きな動物は?」
「何している時が幸せか?」
「休暇は何しているのか?」
「子供が勉強しなくて、杉田さんからも頑張るように言って下さい」
「好きな芸能人は?」
「彼からプロポーズされたのですが受けるべきなのでしょうか?」
「お姑さんと上手くいかなくて」
という感じで普通の質問から何故そんな事を? という事までその内容は多岐にわたる。それをサインしながら質問に誠意をもって答え丁寧にお辞儀して次の人に向き合う。それをひたすら繰り返していく。
他のパイロットの話を聞くと『パイロットになるにはどうしたらいいか?』という質問はあるが、個人的な悩み相談はされないらしい。しかし何故か俺の所に並ぶファンはチラホラそんな相談的な話をしてくる。そんな事ここで聞かれても俺なんかが役に立つような事を答えられる訳もなく、ジックリ対話している時間もない。俺がその言葉を聞いて感じた気持ちを手短に答えると相手はフワリと笑みを浮かべ『ありがとうございます』と丁寧にお辞儀して去っていく。多分誰でもいいから言葉にして話したかっただけなのかもしれない。でないと、そんな反応はしないだろう。見知らぬ相手にしてくるぐらいなので、そこまで深刻な悩みでもないのかもしれない。だったら何故ここでそんな質問してくるのかは謎である。そんな悩ましい質問の後に『好きなアクロは何ですか?』と単純かつ明快で答えやすい質問がくると安堵する。
サイン会を終え、ハンガーに戻り人の目から見えなくなったところでフーと息を抜いた。展示飛行の為に気持ちを切れ変えようと深呼吸している俺の肩を誰かが叩く。振り向くと四番機パイロットの藤田一尉がニヤニヤしている。
「神対応ならぬ仏対応。今回も見事だな!
檀家も確実に増えていっているし。今日はどれくらい御朱印を書いたんだ?」
俺はその言葉に苦笑で答える。説法のようなアナウンスもあり、俺を僧侶に例えてからかってくるのは皆の今のお遊びのひとつ。俺のサインはサインペンで書いているのに毛筆っぽいようだ。そして俺のサイン列だけ納経所と影では呼ばれているとか。
「藤田さんは、今回も見事な塩対応で」
藤田一尉は俺の返しにニヤリと笑い肩を竦める。藤田一尉はブルーインパルスのパイロットでありながらクール過ぎる態度でサイン会をする。しかし精悍な顔立ちに、変に飾らない態度がウケて人気も高い。それが彼の人間力で魅力なのだろう。
「なんかサインしている杉田が袈裟姿に見えたのは俺だけか~?」
因幡さんの言葉に『見えた。見えた』と応じる二番機の安元一尉。俺はそんな会話をする二人に苦笑してしまうがあえて会話に加わらなかった。
「杉田~お疲れ?」
サイン会においても朗らかに対応し、今も全く疲れた様子もない鳥栖が後ろから俺の背中を叩きながら声をかけてくる。
「さっきの時間だけで、俺の一年分に相当する言葉を発したからな」
その言葉に他のパイロットも笑う。
「サイン会で仕事が終わった訳ではないぞ! 飛んでお客様を喜ばせるぞ!」
玉置隊長の言葉に皆、表情を引き締める。
パイロット六人で輪になり玉置隊長が手を前に出し拳を握ると皆もそれに倣った。同時のタイミングで人差し指を同じ方向を指す。気持ちを合わせたことで頷きあう。
「行くぞ!」
隊長の声に皆一斉に滑走路に向かって歩きだす。最高のアクロバットをみせるために。
因幡さんは鏡野ゆうさんから、鳥栖さんはユーリさんから、藤田さんは饕餮さんからお借りしています。