アイスコーヒーもこだわっております
ブルーインパルスの機体T-4はブルーとホワイトのカラーリングからイルカに例えられている。その為パイロットの俺達はドルフィンライダーと呼ばれており、専任整備員はドルフィンキーパーと呼ばれている。ドルフィンライダー同様、ドルフィンキーパーも空自の中で選りすぐりのメンバーで構成される。それだけにドルフィンキーパーの機体と向き合う姿勢が生半可ない。元々整備員というのは、その仕事を愛し誇りを持っている職人的な人が多い。しかしドルフィンキーパーは、他の部署の整備員とはやや違うタイプが揃っているように感じる。飛行機への愛の形が少し違う。
戦闘機の整備員というよりイルカの飼育員な言動が多く、飛行から帰ってきたT-4を『今日も頑張ったな~』と褒めて。調子が良くないと『どうした? 何処の調子が悪いのかな?』と聞きながら開いて修理や整備をしていたりする。戦闘機を整備していうより可愛がっている。
パイロットによると思うが俺にとってT-4はバディ、もしくは半身という存在。頼りになる大切な存在だが可愛がる対象ではない。猫可愛がりしながら整備しているドルフィンキーパーは異なる感性を持つ存在。
ドルフィンキーパーは各機体に三人が付き、パイロットと共に一つのチームを形成している。五番機のドルフィンキーパーは茶屋空曹長、呑香二等空曹、休場三等空曹の三人。俺の乗る機体を愛情タップリに完璧に整備してくれる事には感謝しており頭が下がる。
お昼休み俺は食堂に行き見渡し茶屋さんら五番機のドルフィンキーパーが一緒に食事している姿を見つける。茶屋さんは小柄で丸顔に丸い目に丸いメガネを掛け。丸が印象的な顔立ちの男性で機付長を務めており、冷静でいて穏やかに部下の面倒を見ている。呑香さんは細い顎に細い目で身長はそれ程高くないがヒョロッとした体型で整備の時も狭いところにスルッっと入っていき手際よく作業してスッとでてくる。その滑らかな動きに感心することがある。休場くんの見た目は高校生のようだが、実際は二十七歳で熱き魂をもったキーパーで熱心に先輩に教えを乞うて頑張っている。そんな事もあり可愛がられるキャラクターなようだ。そんな三人は昼休みも仲良く共にいて会話を楽しんでいる。俺は彼らに近づき声をかける。
三人は笑顔を浮かべつつやや緊張した表情で俺を見つめ返す。態々声を掛けた事で何か重要な業務上の話だと思わせてしまったのかもしれない。
「五番機に何かありました?」
茶屋さんの言葉に俺は顔を横に振る。相手が構えていることでコチラも少し話しづらい。
「いや、(妻が)クッキーを焼いたので、皆さんで――」
呑香さんの細い目が開かれていて黒目が珍しくハッキリ見えた。茶屋さんは丸い目をますます丸くしている。休場さんは食べていた何かをゴクンと飲み込み噎せている。茶屋さんはそのままの顔で俺からクッキーの入った紙袋を受けとる。上から見える可愛くラッピングされたクッキーを見つめてから、俺をチラッと見上げてくる。
「まさか一尉の……手作りクッキーを頂けるなんて………………………………か、感動であります」
そこで俺は少し言葉を入れ忘れていた事に気がつく。
「いや、申し訳ない。俺ではなく、妻が君たちにと作ったもので……」
妻が送ってきた宅急便に入っていたものである。鳥栖とか皆さんで飲んでといつもは珈琲が入っていたのだが今回はコチラが手紙と共に入っていた。
「あっ、あ~」
なんか納得したような、残念にも見える顔をする。
「俺が作ったモノではなくて申し訳ないが」「いやいや!!! そんなクッキーおそろ、いや畏れ多くて食べられません…………いや奥様に作って頂いた事も恐縮ですが有難く食べさせて頂きます!」
茶屋さんは俺の声を遮りそう答えてくる。喫茶店で出すクッキーを焼くのを時々手伝っているから、俺も作る事自体は慣れている。だから俺が作っていたとしてもそこまで恐縮しなくてもいいのだが……。
「いやクッキー作りは慣れているから俺も作っても構わないが……あっ、でも……今の俺の部屋にオーブンがないか」
俺はそう言ってから部屋の事を思い出し悩む。そんな俺に茶屋さんはブンブンと音がしそうな程、顔を横に振ってからキッと見上げる。
「大丈夫です! そんな、一尉にクッキーを作っていただかなくても! このクッキー、嬉しいです! 本当に。ありがとうございます!!」
「あ、ああ……」
取り敢えず喜んで貰えたようだ。視線を少し動かすと近くで青いつなぎを着た女の子が歩いている姿が見えた。女の子というのは失礼かもしれない。彼女も立派な自衛官で三番機のドルフィンキーパーをしている浜路三等空曹。空自内でも最近女性隊員の活躍が目立っており、彼女もその一人。ドルフィンキーパーらしく愛情タップリにT-4に接している姿を見かける。
「浜路三曹!」
そう声をかけると、浜路さんは背筋を伸ばしピタッと止まり振り向き俺の姿を認め、姿勢を正し敬礼して挨拶してくる。
「実はクッキーを焼いたので良かったらどうぞ」
俺の言葉に浜路さんは茶屋さんらと同じように目を丸くする。
「いや君のファンなので、食べて貰いたいと……」
浜路さんは口をポカンと開け首を傾げる。
「杉田一尉! 『奥様が』の言葉がまた抜けています!」
後ろから近づいてきた茶屋さんが叫んだ事で、俺はまたしても言葉が足りてなかった事に気がつく。
「妻が、ネットで君の活躍を見て、すっかりファンになったらしい。だから君に受け取って貰うと嬉しい」
浜路さんは俺の言葉に顔をパッと赤らめ「ありがとうございます! ありがたく頂かせて貰います。奥様にも宜しくお伝え下さい! 感激です!」と言って深々と頭を下げる。
クッキーを嬉しそうに胸に抱えもう一度お辞儀をして、離れていった。喜んで貰えたようでホッとする。
「杉田一尉って……実は……」
隣で茶屋さんの声がするので、視線を向けると何故か茶屋は言葉を続ける事をやめる。
「クッキーありがとうございます! 皆で有難く頂かせてもらいます。奥様にも感動し喜んでいたとお伝え下さい……良かったらクッキー、一緒に食べませんか?」
たまにはそういうのもいいかと俺は頷く。彼らと共にお昼ご飯も食べる事にする。自分のお昼用に水筒に入れていたアイスコーヒーを振る舞う。水を一滴一滴垂らし、時間をかけて落とすというスロードロップで淹れたもので、ゆっくり低温で抽出した為にエグ味苦味が少なくクリアーな珈琲の味が楽しめるもの。やはりその味の違いに彼らも気付いてくれたようで面白そうに飲んでくれた。理工系の人だけに、珈琲の淹れる工程の差による結果の違いといった事を楽しく分析出来るのかもしれない。
「あれ? コッチのクッキーは工具の形をしているんだ」
打ち合わせで少し遅れてやってきた鳥栖も合流している。広げられたクッキーの中からレンチの形をしたものを摘まんで食べている。鳥栖は朝の内に俺から【鳥栖さんへ♥】と書かれたクッキーの包みを受け取り、朝食の後に既に平らげている。ちなみに鳥栖へのクッキーはヒヨコの形をしていた。恐らく鳥の型がそれしかなかったのだろう。そして今回工具の型を手に入れて妻は『コレだ!』と思いキーパー達へのプレゼントを作ったという流れを察する。
「杉田一尉って、奥さまとどういったなりそめで結婚されたのですか?」
嬉しそうにクッキーを摘まみながら、呑香さんが聞いてくる。俺はその質問に妻との出会いを思い返す。築城基地の近くの商店街にあるレンガの壁に蔦の絡んだ【栗の木】という名前の喫茶店。JAZZが流れ、内装もレトロシックで思いのほか落ち着くいい感じの店内だった。
「築城近くの喫茶店に入って」
三人は子供のようにクッキーを食べながら楽しそうに頷き聞いている。
妻との最初の会話ってそういえば何だったのか? ソファーに座った俺に明るい笑顔を向け、おしぼりと水の入ったコップを置いていったのは妻だった。
『ご注文お決まりですか?』
柔らかい声でそう声をかけてきた。それが始まりだ。いや、違う。
『いらっしゃいませ。おひとり様でしょうか?』
その前にそう話しかけてきた言葉の方が最初の会話。しかし俺は惜しい事に、珈琲色に染まった店内の様子に気を取られてその時の妻の様子を覚えていない。その時どんな笑顔を向けてくれていたのかも見ていなかった事が今になって惜しまれる。でも春の陽だまりのような笑顔で声を掛けてくれたのだろう。
その時に俺が注文したのは、エチオピアでイルガチェフェの豆。天神とかならともかく、こんな普通の商店街で、こういった豆の珈琲を飲めるなんて思いもしなかったから。いわゆるスペシャリティーコーヒーと言われる産地の豆を態々仕入れている店だけありネルドリップで淹れられた珈琲も旨かった。美味しい珈琲を飲む幸せに浸っていると近くを通りがかった彼女が微笑み声をかけてきた。
『お客さん幸せそうに珈琲飲んどるね~』
その時顔を上げてみた先にある笑顔に思わず見惚れてしまった。そこだけ日が差し輝いているように俺には見えた。顔を傾けたことでポニーテールが後頭部で揺れ見えた毛先が、サラサラと宙で踊った様子まで詳細に覚えている。妻は、嬉しそうに珈琲飲んでいる俺を見て一目惚れをしたというが、今にして思えば俺も一目惚れだったのだと思う。
「声をかけられ……」
それから主に珈琲の話しかしていないのに、二人の距離は近くなっていった。サイドメニューの勉強だという妻に付き合い街のオシャレなカフェを一緒に巡り……。
「結婚した」
俺のプロポーズを泣きながら微笑んで頷く妻の姿が脳裏で再生される。
「本当に杉田の惚気って、微笑ましくて聞いていてホッコリするよね。そう思わない?」
ニコニコとそんな事を言ってくる鳥栖に恥ずかしさを覚え、キーパー達が呆れてないかと思い視線を向けてみる。するとやはり呆れているのか口を開けポカンとしている。
「こんな話、聞いても恥ずかしいだけだな」
俺は照れくささを隠しコーヒーを一口飲む。
「いえ……申し訳ありません。『喫茶店入って』『声かけられて』『結婚した』だけでは良く分かりません」
困ったように茶屋さんは笑う。その隣で呑香と、休場くんが何故か真剣な眼差しで俺を見上げている。
「喫茶店で出会ってすぐにプロポーズしたのですか? されたのですか? 気になります!」
「どうしたら、そんな無口で奥さんになる人を見つけて捕まえられるのですか! 詳しく教えて下さいよ!」
そう必死な様子で聞いてくる二人。呑香さんのいつもは見えない目がクワっと見開かれまた見えている。呑香さんの隣で真剣な表情で、休場さんがいつも仕事中に指導を乞う表情で俺見つめてきており俺は返答に悩む。妻と会ったのは本当に偶々だったし、アプローチとかした訳ではなく自然に付き合い結婚までの流れがあったので、それをどういうとっかかりで話せばよいのか分からない。それに俺には妻との楽しい思い出を正確に人に伝えられるだけのボキャブラリーがない。
「流石に……プロポーズは会ったその日ではなくて半年後で。
……珈琲という共通の趣味かな」
俺の言葉に『やはり趣味か~』『でも、機械弄りが趣味ってどうなのでしょうか?』『そこは飛行機好き女子とか?』とか二人で何やら話している。
「でもさ、思うんだけど。結婚なんて本能に従えばいいんじゃない? あれこれ考えるよりも心に従えばいいよ」
鳥栖はそんな二人にノンビリとした言葉をかける。本能か、確かにその言葉が一番シックリくることに気が付く。理屈とかでなく互いに魅かれて結ばれた。
「確かに本能だな」
そんな俺の言葉に二人はガッカリと項垂れる。
「そりゃ、本能で見つけ捕まえるって戦闘機パイロットの方なら簡単でしょうが……」
呑香さんと休場くんは何やらブツブツと呟きながらトンカチとナットのクッキーをポリポリと食べる。それを困ったように見つめる茶屋さん。何故か話しをした事で凹んだ様子になっていた若い二人に首を傾げてしまう。しかしクッキーを食べて二コリとして、アイスコーヒーを飲んでフーと満足げな溜息を吐いている様子を見て、彼らの悄気きもそこまで深刻な感じでもないので大丈夫かなと判断した。
こちらの作品に出てくる【浜路るい】ちゃんは鏡野ゆうさんの【今日も青空、イルカ日和】に登場する女の子です。鳥栖さんは佐伯瑠璃さんからお借りしています。