モーニングもやっています
朝五時半に起きて軽くストレッチをしてから朝のランニングにでる。
ランニングは俺のように仕事人間には良い日課のように思う。身体を鍛える為と言うより肌で正常な時の流れと世界を感じるからだ。季節の変化と共に変わる日差し。眠りから覚めた生命が芽生えていくにつれ変化していく空気の香り、ゆっくりと確実に深まる緑の色。そんな些細な変化を楽しめる。六時が過ぎ海岸線に差し掛かったかったときに離れて暮らす妻からの電話。俺はハンズフリーで受けていつものように朝の挨拶を交わし二人で他愛ない会話を楽しむ。向こうも朝息子の保育園の弁当など作りながらかけているために、包丁で何かを切る音、玉子をとく音、炒める音といった妻の世界の音がBGMとして聞こえる所も俺としては楽しい所。妻は今福岡にいて俺は単身で松島にやってきている。
妻は父親の経営する喫茶店の看板娘で、俺がカフェというタックネームをつけられたのもここに由来する。
子供もまだ小学校にも入っていないくらい小さいだけに、家族で一緒に松島に来ればいいのにと言う意見もあった。しかしブルーインパルスの任務は三年という期限がある。俺の都合で幼い子供二人を抱えての引っ越しを何度させるのも可哀想だったし、福岡には妻の家族がいるし、妻が家族同様に付き合っている商店街の人達がいる。文字通り飛び回り忙しくなる俺と妻という状態で子供二人の面倒を見るより、福岡にいるほうが子供にとっても良い環境に思えたからだ。それに皆から愛され可愛がられている喫茶店の看板娘を俺の所為でしばらく不在にしてしまったら、商店街の人から恨まれそうだし、頑固で偏屈者の義理父だけでお店をさせる事も恐ろしい。客を怒らせて喧嘩しかねない。
『Twitterでカンちゃんの写真アップされとったよ♪』
「そうか」
俺は写真に撮られるという事がイマイチ苦手。この部隊に移動になっての悩みは此処にもあった。広報課の人や訓練を見学にきてくれたファンの人や、航空祭を楽しみに来てくれた人に、もっと友好的にフレンドリーな笑顔を振りまくべきなのだがそれが出来ない。とてもではないが鳥栖のような人好きで魅力的な笑みとは程遠い固い表情しか出来ていないと思う。妻はそんな写真をチェックしてそれを保存してコレクションにしているらしい。俺としてはリアクションに困る話題。
『メッチャ素敵だったとよ~!』
妻の目にはかなり贔屓目に俺の顔が映るようだ。
「そうか?」
電話越しだが、ブンブン頭を縦に振っている妻の笑顔が見えてくる。
『まだ照れ捨てきれてない感じやけど~それがまたシャイな貴方らしくて♪ もう可愛いくてキュンとなったと~!
カンちゃんの笑顔、どれも素敵やから』
俺はその言葉を誰も他に聞いていないし、周りに人もいないのに一人照れる。人から生真面目で少し怖いと思われている俺を『カワイイ』なんて言うのは世界中で妻一人だろう。最近少しは笑えるようになったのは、カメラの向こうに妻や息子がいるように感じられるようになったからだ。
走り続ける俺の耳に、途絶える事もなく囀りのような妻の言葉に、起きてきた息子の声ご加わりより賑やかな通話となる。
「ウチのお店もね、とうとうサポートショップになったんよ~! お店に選手のポスターとチームのエンブレム飾ってもりあがっとるとよ! 元々お客さんにもファンの人多かったし」
耳に心地響く妻の声と、同時に競うように話しかけてくる息子たち。頬に当たる潮風が心地よい。家族とのこの一時が一日の活力を与えてくれる。義父と義母も起きて来たことで挨拶を交わし朝の電話を終える。
いつものコースを走り終えて、心も身体も程よく温まったところでアパートに戻りコンロに水の入ったケトルを置き火をかけてから、シャワーを浴びてくる。タオルで髪を拭きながらリビングに戻ってると玄関のチャイムが鳴る。髪の毛を拭きながら扉を開けると鳥栖が人懐っこい笑顔で手を挙げる。
「よ! マスター、コーヒーヨロシク♪」
出勤前に俺の所に寄って珈琲飲むのが習慣になっている。こんな朝っぱらから部屋に人が来るのは普通嫌なものだが、鳥栖は別。朗らかでどこか憎めず、なんか陽だまりのような性格で一緒にいて心地よい。そして職場において俺の一番の理解者。逆にこうして俺の珈琲を嬉しそうに飲んでくれる鳥栖と朝部屋でコーヒー飲むのも楽しい時間になっている。
冷蔵庫から食パンを出し持ち上げて鳥栖を見る。
「いいね、モーニングつき」
嬉しそうに笑う鳥飼に頷き、俺は食パンを二枚トースターに放りこむ。そして昨日妻から届いたばかりの珈琲豆で煎れる事にする。洗ってカットしておいたレタスと焼けたトーストを皿に載せ珈琲と一緒に出すと鳥栖は行儀よく真っ直ぐのびた良い姿勢で手を合わせ『頂きます』と挨拶する。そしてまず珈琲の入ったマグカップをとり一口飲んで目を見開きそして幸せそうに笑う。
「香りがいい! 華やかというか……」
「パカマラ種特有のフローラルな香りと酸味が良いだろ! エルサルバドルの豆でーー」
俺は豆の説明をするとそれを楽しそうに聞いてまた一口飲み味を楽しみまた笑う。
「これがエルサルバドルの味か~!」
もう一度香りを楽しんで嬉しそうに飲む。味の違いを分かってくれるから、つい俺もとっておきな豆を振舞ってしまうのだ。ニコニコとした目が珈琲からマグカップの方に移動する。そこには六頭のイルカのイラストが一周円を描くように泳いだイラストがついている。
「こんなカップあった?」
「ああそれ……」
俺は頷く。ここに赴任してから、妻の中で大イルカブームが起こっている。気に入ったイルカグッズを見つけては、食料と共に送ってくる。お陰でキーホルダー、枕、クッション全てイルカという状況。単身赴任の男性の住まいとは思えない程可愛い。そこで男二人で向かい合って珈琲飲んでいるというのも不思議な光景である。
「奥さんに贈ってもらった大事なカップ! 俺が使っていいのか?」
説明する前に察した鳥栖はそんな事を気にして聞いてくる。俺は自分の持っている取っ手がイルカになっている自分のマグカップをあげると、鳥栖は棚にも同じマグカップがもう一個あるのを確認して納得したように頷く。
「ソレ息子曰く、六頭のイルカがついているからお前用のカップらしい」
上の四歳の息子は何故か俺よりも鳥栖のファンになっているようだ。将来なりたいのもブルーインパルスのパイロットではなく鳥栖になりたいと言う。理由を聞くと俺と一緒に楽しそうにしているからだとか。それを聞いた時はなんとも擽ったい気持ちになったものだ。
鳥栖は俺の言葉にフフッと笑うが、すぐに顔を引き締め恭しくマグカップを掲げる。
「杉田一家の愛の結晶ともいう、この一杯! ありがたく頂きます」
俺は笑い自分のカップを掲げてそれに応えた。
鳥栖と共に出勤し松島基地第四航空団司令部に行くと、ブリーフィングルームにもう幾人かの仲間がおり業務前の時間をそれぞれ楽しんでいた。
玉置隊長が三番機パイロットの因幡一尉と白勢一等空尉と共にノートパソコンのディスプレイを見つめている。
挨拶をして近づくと、三人は先日行われた航空祭の動画を見ているようだ。白勢一等空尉は次の三番機パイロットとして現在訓練中。その為玉置隊長と因幡一尉に画像を見ながら指導を受けているのだろう。見つめる表情も真剣である。
画面の中では六機のTー4が演目を披露している所にのびやかな男性のアナウンスが響いている。低すぎず、かといって高過ぎず心地よい声。
「このアナウンス……」
俺が言葉を出すと白勢一等空尉が緊張したように背筋を伸ばす。
「私がさせて頂いたものです」
航空祭などでのアナウンスもブルーインパルスのパイロットの仕事の一つで、一年目はTR(Training Readiness)として後部座席に乗ったり、アナウンスの仕事などをしたりして見て学ぶのも大事な訓練となっている。
「そうか」
俺は頷く。すごく聞きやすく良い声のアナウンスに感心してしまう。白勢一等空尉は若く爽やかというのがピッタリな男で、来てすぐにキーパーとも打ち解け、楽しそうに会話をしているのを見かける。社交的で好青年な為に広報の仕事も上手くこなせている。なるほどこういう男がブルーインパルスのパイロットに相応しいというべきだろう。
ふと気が付くと白勢さんが不安そうに俺に視線を向けている事に気が付いた。アナウンスについて俺が何か引っかかりを覚えて一言いわれると思っていたようだ。
「いや、すごく良いから、聞き惚れていた」
そう言葉をかけると、白勢さんは照れたように顔をしながら『ありがとうございます』と言葉を返してきた。
因幡さんはニヤニヤして俺を見てくる。
「カフェお前のアナウンスも評判だったよな」
白勢さんは因幡一尉を見てから俺に視線を戻す。
「そうだったんですね!」
「不評という意味でね」
俺の言葉に白勢さんは目を丸くする。玉置隊長は苦笑して顔を横にふる。
「いや、別の意味で個性あって面白かったよ。セリフは完璧だし、タイミングもバッチリだった。カフェお前の操縦そのままだな」
白勢さんはそれで何故皆が、こんな意味ありげに笑うのか理解できないのだろう。
「ありがたい坊さんの説法みたいで、盛り上がるのではなくて落ち着くと言われていたんだ」
「説法……」
あっけにとられた顔でそう呟く白勢さんに因幡さんは笑いかける。
「Youtubeで聞けると思うから、お前も参考に今度聞いてみな! 粛々とした気持ちになるから」「聞かなくていいから」
俺は速攻言葉を遮り、溜息をついた。そのタイミングで時間になり、ブリーフィングが始まりいつもの一日が始まった。
コチラの作品に出てくる【玉置隊長】【因幡さん】【白勢さん】は鏡野ゆうさんから、【鳥栖さん】は佐伯瑠璃さんのキャラクターをお借りしています。