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SAKURA ~あの花が咲く頃に~

作者: 皐月うしこ

後方を高い山の岩壁に(ハバ)まれ、前方をどこまでも続く海の波が押し寄せる。

そのため周辺諸国から孤立しているとはいえ、ミエーガ王国は、山から海へと繋がる大きな河口のおかげで、のどかに、それでいて独自に栄えていた。

しかし、わずか十年ほど前、海の向こうから侵略者がやってくる。

大きな帆船と見たことのない種族。

一様に獣人(ジュウジン)と呼ばれる彼らは、たった一夜にして、ミエーガ王国を滅ぼした。

そこを拠点に、彼らは河をまたぎ、山を越え、そこから先の大陸にある数多の国や町を焼き払い、占領し、滅ぼし……そうして故郷を追われた難民たちは、みな、すがるようにして、この世界最高峰の要塞をたずさえた軍事国家・ロマンスに逃げてくる。だが、ミエーガ王国崩壊の三年後、獣人たちもまた、ロマンス王国にその勢力を伸ばそうとしていた。



「最近、この国もずいぶんと物騒になってきたな。」



腰まである長い髪、セラミック製のブーツをはき、高い足音を軽やかに鳴らす。通りすぎる人々が思わず振り返ってしまうのは、鈴のように可憐な声を持つこの人物が、女性なのに兵士の格好をしているからなのか……はたまた、花のように美しい容姿を持つこの人物の口調が男勝りだからなのか……たとえそのどちらにしろ、彼女が周囲の目を惹き付ける理由は、それだけではなかった。



「サクラーー!!」



はるか後方から走りよってくる男の声に気づいた彼女が振り返る。

弧を描くように流れるその髪は、キレイな桃色に光り輝きながら肩にかかり、そこでフワリと笑ってさえくれれば、見るものすべてが感嘆の息をもらしただろうに……当の本人は、「遅い!!」と、まるで鬼神のごとく、走り寄ってくるその男を怒鳴り付けた。



「11時と言ったのは、ロゼだった気がするがな。もう30分も待った。」


「わ…っ…悪い……」


「まったく。いつもいつも、悪いと思っているのなら、その遅刻癖をなおせ!!」



腰に手を当てて、ふんっと、鼻息を荒く吐き出したサクラに、全速力でやって来たばかりの彼・ロゼは、ヒザに手をついて、中腰になりながら謝罪の言葉をのべる。



「悪かったって。ほんと、ごめんな。」



ゴメンと、手を合わせながら頭を下げてくるその姿に心打たれたのか、サクラはハァッと盛大なため息を吐き出した。

捨てられた子犬のように見上げてくるロゼの大きな瞳には勝てない。

どこか煮えきらない思いを抱えながらもサクラは「もういい。」と、ぶっきらぼうに謝罪をはねのけた。

誰が見ても、あきらかなほどに確立している主従関係。

平日昼間にも関わらず、多くの難民で溢れかえった街の中心で、騎士の格好をしているこの二人はよく目立つ。それでなくても人目をひく容姿をしているのに、サクラもロゼも国の紋章が背面に大きく刻印された赤いマントを羽織っていた。

ロマンス王国が最強をうたう軍の中でも、精鋭部隊として世界中に恐れられている"赤の騎士団"のメンバーである証し。

エリート中のエリートとして、この国の人々の憧れの存在であることは一目瞭然で、それが余計に、この二人が遠巻きに眺められている原因でもあった。気づけば出来ていた人垣の輪の中心で、美麗な女の尻にしかれる(アワ)れな男は、周囲が騒然とするほどの笑顔をみせる。

遅刻したことの謝罪を許されたのが余程嬉しかったのか、忠犬のように尻尾をふりながら、喜んでいるように見えた。

それにともなって、嫉妬と羨望の入り交じった声が、風にのって流れてくる。



「あれが、騎士団長のロゼ様? 噂通り素敵な人ね~。」


「かっこいいわよねぇ。でも、ロゼ様にあんな偉そうな態度……あの女、何様のつもり?」


「あら、知らないの? 彼女は、勝利の女神って呼ばれてる赤の騎士団唯一の女剣士よ。ほら、あの桃色の長い髪がその証拠。戦場の中を花のように舞うんですって。」


「どおりで偉そうなわけね。ちょっと綺麗だからって、お高くとまってんじゃないの?」


「ちょっと、聞こえるわよ?」



シーっと、唇に指を押し当てて、含み笑いをこぼしながら、人垣の一角は嫌な雰囲気をかもし出していた。

もちろん、気がつかないわけがない。

あきらかにわざととしか思えない声調と、好奇と冷やかしの吹聴(フイチョウ)、そんな"内緒話"は、いまに始まったことじゃない。いちいち反応していては、時間がいくらあっても足りないばかりか、更に反感を買うだろうこともわかっていた。

わかってはいるが、毎度のこととなっては、やはり少々気が滅入る。

街を歩くたびに嫌でも耳にする人々の噂話に、サクラはほとほとうんざりしていた。



「さっさと行くぞ。」



不機嫌さを隠しもせずに、サクラがロゼに背をむける。その瞬間にまた、周囲の取り巻きから大ブーイングの波がおこりかけたが、それをキッとひと睨みすると、彼女たちは見事なまでに静かになった。



「気にすんなって。」



その場から足早に立ち去ろうとするサクラを追いかけるようにして、隣にロゼが並ぶ。

サクラは横目にそれをとらえながらも、フンッと顔を逆方向にそむけてみせた。



「誰のせいだと思っている。」


「俺だよな。ゴメンな。」


「………。」



あどけない顔で前方に回り込みながら、嫌味を素直に受け止められては、サクラに言い返す言葉は無い。おまけに、ためらいもなく謝罪を口にするのだから、ますます怒りの行き場がなくなってしまった。

いつもこうだ。

サクラがいくらふてくされた態度をとろうとも、嫌味の雨を降らせようとも、ロゼはいとも簡単に受け流してしまう。

喧嘩になんか、なったためしがなかった。



「お詫びに好きなとこに連れていくから、機嫌直せって。」


「いらん!!」


「そう言うなって、な。せっかく、久しぶりのデートなんだから、もっと楽しく過ごそうぜ。」


「ッ!?」



公衆の面前で何を言うかと思えば、どうどうと交際を宣言したロゼの言葉に、サクラは顔を真っ赤にして立ち止まる。

鼻歌を鳴らしながら歩いていたロゼが、数歩先でサクラがついてきていないことに気づいたのか、不思議そうに振り返ってきた。

そして、なんともいえない優しい笑顔をこぼす。



「ほら。」



当たり前のように手を差し伸べてくるロゼの姿に、サクラは今度こそ、音をたてて固まった。

無理もない。

ただでさえ、普段から男に埋もれて生活をしているのに、街に出たからといって、素直に女になれるわけではない。

いくらデートといえど、それは無理な話だった。



「ほーら。」


「ッ!?」



本音と建前の間を行ったり来たりしていたサクラの不安定な視線は、強制的に握りしめられた右手で止まる。



「はっははは放せ!!」



恥ずかしい。

まともに顔すらあげられそうにないが、口が裂けても乙女心をさらけ出すわけにはいかなかった。

強がりが、拍車をかけて照れを暴言に変える。本当は放してほしくなんかないのに、手のひらを通して伝わってくるロゼの手の温かさに、心臓が壊れてしまいそうだった。



「はいはい、あとでね。」



それを知ってか知らずか、ロゼはサクラの手を引いたまま歩きだす。



「早くしないと、自由時間がなくなるだろ?」


「それはロゼが遅刻して───」


「なぁなぁ、こうしてると俺たち恋人っぽくね?」


「────ひとりで歩け!!」


「サクラが行きたいとこないんだったら、俺の行きたいとこでいいよな?」


「人の話を聞け!!」


「じゃあ、決まりな。」



ニコッと笑顔で会話を打ち切られては、もう何も言えなかった。

そもそも会話にすらなっていなかったのに、ロゼのペースに巻き込まれてしまう自分が悔しくて、嬉しい。

複雑な心境に、心が躍る。

まったくもって、どう反応したらいいのかわからなかった。

毎日、毎日、戦闘やら練習やら実習やら乗馬やら……それも、むさ苦しい男達に混じって、昼夜問わず、剣術や武術にいそしんでいるというのに、いったいどうやって"普通の女の子"の反応がかえせるだろうか?

鍛錬(タンレン)や訓練のない日常は想像すらつかない上に、血なまぐさい匂いの染みついた身体では、まともに恋すらしたいとも思っていなかった。


それなのに。


同じ年頃の娘たちが平然とやってのけられることが、サクラにはとてつもなく難しい。

他のどんな辛い修行よりも、はるかに困難な試練に感じる。


手をつないで歩いているだけで、みんなこんな風に正常じゃなくなるのだろうか?

心臓が飛び出してしまいそうなほどの緊張を感じるものなのだろうか?

ロゼに、心の声が聞こえてないだろうか?


顔が赤いことを笑われたらどうしよう。



「ロゼの手は、私の手よりも大きいな。」


「えっ、何か言った?」


「ッ!?」



ビックリした。

勝手に口をついてこぼれ落ちてしまった感想に、焦ったサクラはロゼの手をふりほどく。



「ななななんでもない!!それより、いつまで手を握っているつもりだ!!いい加減にはなせ!!」



恥ずかしさのあまり、必死で手を振り払おうとしたのに、その手はむなしくも一緒にロゼの手を上下に動かしただけだった。

こういうときばかり、無駄に頑固だからやるせない。

男だとか、女だとかいうつもりはないが、ロゼの傍にいるとイヤでも自分が女だということを思い知らされる。



「暴れるなって。ほら、見えてきたぞ。」



いつの間にか、人でごったがえす街並みを抜け、開けた草原が目の前に広がる丘の中腹までたどりついていた。

生まれ持っての力の差に、愕然と肩を落としていたサクラは、上機嫌なロゼに引きずられるようにして丘を登っていく。



「ふん。またここか。」



街を見渡せるまでに、丘を登り切った場所。

名も無き一本の巨木が、悠然とたたずむ二人の思い出の場所。



「ロゼは、いつもここばかりだな。」


「とか何とか言って、よく一人できてるくせに。」


「かっかか勘違いするな!!私はただ、この場所が一番静かで、落ちつくから──」


「はいはい。俺もいつもここで、サクラに告白された日のことを思い返してるって。」


「──なっ!?」



顔から火が出たんじゃないかと思った。

パクパクと言葉にならない感情を訴えようとするサクラの姿に、プッとロゼが噴き出す。



「ほんと、サクラって剣振り回してる時と全然違うよな。」


「…っ……」


「流れるような身のこなしで、バッタバッタと敵を仕留めて、戦陣を切り開く──」



そこでロゼは、サクラの手を放して空想の剣を扱うかのように宙を切って見せた。

サクラの顔が、少しふてくされる。



「──その剣さばきと、あまりの見目麗しき姿に見惚れている間に、目の前を可憐な花が横切り、冥府への旅を(イザナ)う。」



まるで、句を一説読むかのように、サクラをからかったロゼは、最後に見えない剣を振り下ろしてからハァッと息を吐いた。



「どんな冷酷な女かと思ったら、中身はこれだもんな。」


「ふん。悪かったな。」



自分がどういう風に噂されているかなど、ロゼに言われるまでもなく知っている。

無情だの、悪魔だの、ついには戦場の死神というあだ名までついていた。



「サクラは可愛いよ。」


「また、きさまはそうやって…──」


「嘘じゃないよ。サクラは世界で一番可愛い女の子だよ。」



ロゼはずるい。

真っ直ぐな言葉に、サクラが弱いことを知っている。



「あの日、サクラが好きだって言ってくれなかったら、俺が言ってたよ。」


「ちがう!!あれは、私の背を預けられるのはロゼしかいないって言ったのをだな──」


「うん。俺にとっては、最高の口説き文句だった。」


「──ッ?!」



思いもよらない言葉の連続に、サクラの脳は、ロゼの告白を整理しきれずに混乱していた。



「バカじゃないのか!?よく、そんな恥ずかしいことが口に出来るな!?」


「うん。サクラを愛しているからね。」


「ッ!?」



もう、まともに見れなくなった真っ直ぐな瞳から顔をそらせるように、少し身を引いたサクラの肩がロゼにグイッと引き戻される。



「……んっ…」



そのまま重なった唇は、ロゼの思いを伝えてくるには十分すぎるほどに熱かった。

ただ重なっているだけなのに、こんなにも愛しさがこみ上げてくる。



「……サクラ……」



ギュッと強く抱きしめてきたロゼに囁かれる自分の名前が、何か特別なもののように神聖だった。

この手を放したくはない。

でも、一向に離れようとしないロゼの様子に、サクラは戸惑いの声をあげる。



「ちょッ調子に乗るな!!今すぐはな…れ…──」


「俺、フロントに行くことになった。」


「──………えっ?」



赤面しながら、ロゼから距離を取ろうと奮闘していたサクラは、すぐ耳元を通り抜けた言葉の意味を認識できずに、その動きを止めた。

聞き間違いでなければ、ロゼの口から一番聞きたくない言葉が(ツム)がれたはずだ。



「フロ…ン……ト?」



疑心に満ちた自分の声が、震えているのがよくわかる。いや、そもそもちゃんと声になっているのかすら、あやしかった。

フロントと言えば、侵略者である獣人と先住民である人間の戦が行われている前線の地名。一度、その戦場へ足を踏み入れたが最後、二度と生きては帰れないと言われている……そのフロントなのだろうか?



「上から緊急令が下ったんだ。」


「い…つ?」


「昨日の夜。俺の隊が、討伐隊(トウバツタイ)に任命された。」



国の存亡がかかった緊急要請が下った場合、国を守る使命を背負った精鋭部隊の赤の騎士団は、二分(ニブン)することが義務付けられている。

ひとつは前線で敵をくい止める役、もうひとつはこの鉄壁の要塞を守る役。

ロゼとサクラは、それぞれの隊をまかされた団長。

一緒の道は歩けない。



「……ロゼ…──」



──…イカナイデ…


強く抱きついたまま、顔をあげようとしないロゼに、サクラも強く抱きしめ返す。

「行くな」その、たった三文字の言葉を口に出来たら、どれほど気がらくになれるだろうか?

でも、言えない。

赤の騎士団の誇りは、誰に言われるまでもなく、サクラ自身がよく知っていた。

本来ならば、名誉なこと。

両手をあげて喜んでも間違いではない。



「いつ、行く?」


「これから……明日には前線だ。」



どおりで……気を抜くことが許されないほどの緊迫した情勢の中で、団員そろって休日を与えられるなどおかしいと思っていた。

これは、騎士たちに与えられた最後の休日だったのだ。

そう理解すれば、妙に納得することが出来た。



「サクラ…この国を頼む。」



なぜ、ロゼの隊が討伐隊に選ばれたのかはわからない。

団員を率いる全団長であるロゼの方が、敵をくい止める確率が高いと判断されたのか。もしくは、"もしも"の時に、自分たちを守ってくれるのが勝利の女神と崇められるサクラの方が安心だと感じたのか。そのどちらにしろ、二人のあいだが引き裂かれたことに変わりはない。

それでも避けて通ることはできない。

自分が選んできた道は、そういう道だった。

世のため、国のため、人のため。それらを背負って守り抜くことこそが、騎士団としての誇りであり使命でもある。



「まかせておけ。ロゼが帰ってくるまで、この私が守り通して見せる。だから必ず、必ず帰ってこい。」


「……うん。」


「私の手をわずらわせるような無様な死をさらしてみろ。一生、許さないからな。」


「……うん。」



こういう時でも、素直になれない自分が歯がゆかった。

本当は、もっと気のきいたことが言いたいのに、自分の使える言葉の少なさにはらがたつ。


悔しくて


苦しくて


息がつまりそうだった。



「これを…持っていけ。」



サクラは、首にぶらさげていた小さな十字架のネックレスをはずす。



「預けるだけだからな!必ず、返しにこい!!」



そう言って、サクラはロゼの首に自分の分身をたくした。



「約束するよ。」



それまで痛いほどに抱きしめていたロゼの腕が少し緩む。額をあわせるように、目と鼻の先に見えるロゼの瞳は、時間が止まってしまったんじゃないかと錯覚するほどに、綺麗で、優しくて、温かかった。



「守り樹の花が咲くころに、必ず返しに帰ってくるよ。」



そう言ってロゼが見上げた先に、サクラも一緒に顔をむける。

街を見下ろすその名も無き巨木は、小高い丘の上で、妖艶に花を咲かせていた。


一年にたった一度だけ。


サクラの髪と同じ色をした美しい花を咲かすこの巨木は、古くから国を守る"守り樹"として大切に守られてきたもの。



「約束だぞ?」


「あぁ。約束する。」



一陣の風が吹く。

桃色の花弁を豪快に舞わせながら、酔いそうになるほどの香りの中で、サクラとロゼは誓いのキスをかわした。


もう一度会えるように。


生きて再会の約束を果たすために……


─────────────

────────────

──────────


それから一年がたち、さらに半年もの月日が流れた。

ロゼは、帰ってこなかった。



「団長!!ここは、もう無理ですッ。一度ひいて…──……団長ッ!?」



噴煙と怒号で視界がかすむ中、血なまぐさい臭気に支配された戦場の中を一輪の花が舞っていく。

まさに、死神のごとき戦場の花。



「団長ッ!!」



部下の制止の声も聞かずに、何かを忘れるように……いや、何かをふっ切るかのように、見ているこちら側が辛くなるほどに、その鮮やかな剣さばきは、男一人でも太刀打ちできないほどの獣人たちをたったひとりでなぎ倒していく。


世界最高峰のロマンス王国の要塞。


その眼前で鉄壁の要塞を守り抜こうと、国をかけた攻防戦が始まったのは、わずか二か月前。

ロゼが戦っているはずのフロントが、どうなったのかはわからない。けれど、現に獣人たちは、いまこうして目の前にいる。強靭な爪と牙を持ち、ぶ厚い毛皮と鋭利な瞳に、大地を引き裂くほどの腕力。聞いていたよりもはるかに大きく、強い獣人は、ロマンス王国最強の軍団を前にしても、いっこうに(ヒル)むそぶりは見せなかった。

だが、幸いにも急所は同じ。

動きもさほど早くなければ、攻撃パターンも似たり寄ったりでわかりやすい。

はたから見ればそういうわけでもなかったが、サクラにはそう見えた。



「サクラーー!!」


「ッ!?」


「この…っ…アホンダラ!!お前、団長のくせに、勝手に突っ走んなや!!」


「え?……ル…イ?」



道を切り開くように剣をふるうサクラを追いかけてきたのか、その短髪の男は、左右に迫る巨体を軽々と切りよけたあとで、サクラに怒声を浴びせかける。



「いったん引く、言うてるやろ!?お前の下に、何人部下がおる思てんねん!!」



獣人たちの血で更に赤黒く染まったマントを(ヒルガエ)しながら、ルイと呼ばれた男は、サクラに背を預けるようにして剣をかまえた。



「頭ごなしに切ったかて、戦況はかわらん。ここはいったん戻ってから、作戦を立て直してや…な…──」


「………。」


「──…サクラ!?…っんの…あ゛ーークソッ!!」



ルイが激情の声を荒げているが、それでもサクラは止まらない。


──止められない。


戦うことを止めてしまったら、イヤでも思い出してしまう。

まともじゃ……なくなる。



「…っ…ロゼ……」



どうして、帰ってこない?


どうして、ここに獣人がいる?


どうして?


約束を忘れたのか?


いや、ロゼはいつも約束に遅れてくる。

今回もきっとそうだ。そうに違いない。


なぁ……そうだろ?



「───ッサクラ!!」


「ッ!?」



焦燥にかられたルイの声に気付いた時には、もう遅かった。背後に、大きく振りかぶった巨体が見える。

その姿が上から降ってくるのを見届けるかのように、ゆっくりと、ゆっくりと、時間が流れていく。

振り返った反動で弧を描いて舞いあがったサクラの美しい髪が、その肩にかかるよりも早く、サクラは強くその眼をつぶった。



「……っ…??」



なぜか、痛みはやってこない。



「ルイッ!?」



その直後に響いた高い金属の交差音に、サクラは大きく目を見開く。手が届く距離に、ルイの背中があった。間一髪で助けられた。だが、力の差は歴然。

ルイが押し負けることが時間の問題なのは目に見えてあきらかで、互いにけん制し合う刃の音が、小刻みに震えている。



「せやから、勝手に突っ走るなて、いつも言うとるや・ろ……ガァァァッ!!」



ひときわ高い音を奏でて、獣人の持っていた武器が宙を舞った。

怒りにまかせて力で押し勝ったルイは、そのまま華麗な剣さばきで獣人の胸を突く。


まさに、あっという間。


いまだ荒れ狂う喧騒(ケンソウ)の中で、胸にルイの剣を受け止めた獣人は息絶えながら倒れていった。



「助かった、礼を言う。」



音を立てて獣人が地面に突っ伏すのを(ハタ)で感じながら、小さく礼をのべたサクラへとルイは振り返る。



「礼なんかいらんわ、ボケ!!ロゼが帰ってくる前に、お前が先に死んでどないすんねん!!」


「…ルイ……」


「ええか!?よー聞いとけ。俺は、ロゼからサクラのこと頼まれとる。お前が死んでしもたら、俺がロゼに合わす顔がなくなるやろが!!

弱いんやったら、しゃしゃり出てくんなや!!」


「なっ!?」



人が下手に出れば、イイ気になりやがって……その綺麗な顔からは想像がつかないほどの悪態が、サクラの口からこぼれ落ちた。いくらなんでもその言葉は聞き捨てならないと、サクラは眉間にしわを寄せていく。



「きさまが勝手に助けたんだろうが!?だいたい、きさまのようなやつに、私のことを頼んだ覚えはない!!」


「せやから、ロ・ゼ・にて言うてるやろ!?ホンマ、耳おかしいんとちゃうか!?」


「なんだと!?私より弱いくせに偉そうな口を叩くな!!」


「そんな弱いやつに、ついさっきかばわれたんは誰ですかぁ?」


「くッ……」


「守られたくせに威張んなや。」



ああいえば、こういう。

生死を賭けた戦場で、もはやお決まりとなってしまった光景は、緊迫した空気を無視するかのように流れていた。

無情にも、こうなった二人は誰にも止められない。



「それなら、今から勝敗をつけようじゃないか!?」


「言うたな!望むところじゃ!あとで泣き見せたるわ!」



こみ上げてくる苛立ちを発散させようと、一瞬にして、辺り一帯は敵軍の墓標と化す。

そのあまりの気迫に、尻尾をまいて逃げかえった獣人たちには目もくれずに、サクラは息切れのする顔を恍惚にゆがめてルイの名を呼んだ。



「どうだ!?きさまよりも、私の方が一体多く仕留めてやったぞ!!」


「はッ?俺の方が、お前よりデカイやつばっかなんですけど?」


「大きさは数には入らん!!」


「小物に換算したら入るんじゃ、ボケ!!」



積み上げられた獣人たちを足場に、見えない火花がほとばしる。

圧巻に舌を巻くほどのその情景は、難攻不落といわれるロマンス王国の存在は、この二人ありきで成り立っていると断言できるほどだった。

それでも、誰もが知っている。

一年半前までは、いがみあうその二人の間にいたもう一人の人物を…───



「「ロゼッ!!どっちが勝っ…──」」



二人同時に叫びながら顔を向けた所で、いつもならそこで仲裁役(チュウサイヤク)(ニナ)うはずの人物がいないことに気がついた。


そう───…ロゼはいない。



「「………。」」



静けさが、サクラとルイを沈黙させる。



「ふん。」



グッと、唇を噛みしめるようにして顔をしかめたサクラは、そのまま無言で静まり返る戦場の中に背を向けて歩き出した。帰宅の途につく、(ハカナ)い背中に声をかけるものは誰もいない。先ほどまで言い争っていたルイでさえ、気まずそうに頭をかきながら、その悲しみを押し殺したサクラの背中を見つめていた。


それから五年。


六度目の約束の日が間近に迫るある日のこと。


ようやく獣人たちとの争いに終焉(シュウエン)(キザ)しが見え始めたとはいえ、依然、ロマンス王国の周辺では、獣人たちとの攻防戦が続いている。

そのため、日々激化していく戦場に耐えきれず、屈強な兵たちにも限界を訴えるものが続出し、この大事な時期を迎えて戦力に(カゲ)りが見えていた。



「おう、サクラ。守備は、どないや?」


「きさまに心配されるまでもない。」


「そぉでっか。」



束の間の休息を補うかのように、宿舎から顔を見せたルイは、まだ覚めない目をこすりながら、今日の作戦会議にむけて準備をしていたサクラの横に腰をすえる。



「今日やろ?例の同盟国から指揮官が来るっちゅーんわ。」


「ああ。」


「なんや、噂で聞くには、えらい腕の立つ剣士らしいやん。」


「そのようだな。」



欠伸をこぼしながら話しを進めるルイに見向きもせずに、サクラは茫然と机の上を見つめていた。

足りない兵を補おうと、近隣の同盟国から応援を呼び寄せ、今日で一気にケリをつけようと……そういうわけだ。



「まっ、俺に言わしてみれば、何を今ごろになって、ってやつやけどな。」


「最強を誇る私たちがモタついてることに、さすがに焦り始めたんだろ。」


「か、これに乗じて、うちの国を手に入れる気ぃなんかもしれへんなぁ。」


「かもな。」



隣のルイが話しかけてくるのに淡々と答えていたサクラは、最後にハァッと深く息を吐き出した。

作戦を考えるフリをしているように見えて、心ここにあらず。

ひとめでそれとわかるサクラの様子に、黙って気づかないフリをしていたルイも、ハァッと息を吐き出した。



「また、ロゼか?」


「ッ!?」



なぜバレてしまったのか?

そんなに顔に出ていただろうかと、真っ赤になった顔を両手で包みながら、サクラはわずかにルイを見上げた。

ここまで、図星だったことがわかる反応をされると、さすがのルイも苦笑する。



「いつもサクラのこと見てるからな。サクラの考えてることなんか、すぐわかるわ。」



ポンッと、サクラの頭の上にルイの手のひらが、優しく乗っかった。

それが妙に心地よくて、弱い心が引き出されそうになる。

薄れたロゼの面影と濃くなるロゼへの想いが重たくて、サクラも限界だった。



「…………。」



抵抗も見せずに、小さくうつむきながら、ルイにされるがまま頭を撫でられているサクラに、沈黙が部屋を横切っていく。


理由はわかっている。


もうすぐ……あの花が咲く。


毎年この時期になると、サクラは見るに耐えかねるほど暗い顔になる。

見ている方がツラく、息がつまりそうだった。

今日で獣人との戦いが終結したら、もう、ロゼを待つ意味がなくなる。

ロゼが帰ってこない意味を認めざるを得なくなる…──



「なぁ、サクラ。もし…───」



もし、ロゼが帰ってこなかったら……ルイが、本当にそう言おうとしたのかは定かではないが、その言葉に反応して、サクラが肩をビクリと萎縮させたことだけは確かだった。

その刹那、部屋の外の廊下が異常な騒がしさをみせ始め、何かが近づいてくるように、喧騒が波となって押し寄せてくる。


────バンッ


断りもなく、転がり込んできた部下の姿に、サクラとルイはそろってたちあがった。



「「何があった!?」」



あわあわと、幽霊でも見てきましたと言わんばかりに青ざめた顔の部下に、サクラとルイはそろって緊張の糸を張り巡らせる。しかし、次にもたらされた報告は、二人を一瞬にして脱力させた。



「たたた大変です!!同盟国の指揮官と名乗る人が…──」


「「ああ……なんだ。」」



とんだバカ騒ぎだと落胆する。

そんなことなら対した問題ではないと、そろって椅子に腰かけようとして────


「ロゼ団長なんです!!」


────出来なかった。



「「なにっ!?」」



それはもう見事なまでに声をそろえて、サクラとルイは同時に部下を飛び越えて、廊下に身体を放り出す。



「「……ッ!?」」



そして、そのまま目を見開いて固まった。



「「……ロゼっ!?」」



面白いほど、左右に人が避けていく中心を滑るように歩きながら、堂々と向かってくる人物は、間違いなくロゼだった。



「……っ。」



目の前までやって来て、ピタリと止まったロゼらしき人物が、無表情でサクラを見下ろす。


─────…チガウ


その瞬間に感じた直感は、当たっていた。



「戦場の死神と呼ばれる、赤の騎士団長はお前か?」


「ッ?!」


「ロゼ!?お前、なに言うてんねん!?サクラのこ…──」


「きやすく話しかけるな。俺の名はスリーズ、同盟国ロマンスの危機を救うために派遣されたラルガ王国の騎士団長だ。」


「「なっ……」」


「これにて、今から戦場の指揮権は俺が握る。」


「ちょ…ちょお待てや!!」



何度、耳を疑えばいいのだろうか?

たまらずに、ルイがロ……スリーズの肩をつかむ。

冷たい目。

ロゼは、そんな目を仲間には向けない。



「ロゼ!!サクラがどんな気持ちで待っとった思て…───」


「女なんかが隊を仕切っているから、いつまでたっても獣人に勝てないんだろ?俺が派遣されたのが、その証拠だ。」


「───…っの…ボケぇぇッ!」



ついに堪忍袋の尾が切れたのか、ルイの(コブシ)がスリーズにむけて振るわれる。だが、サクラはそれを見ていなかった。



「…~ッ……」



逃げ出してしまった。

あんまりだと思う。六年も待って、待って、待ち望んでいた再会にしては、あまりにも残酷で、突然すぎた。

信じられない。嘘だ。嘘だ──…ウソダ……



「……~っ~」



気がついたら、その場に背をむけて走っていた。

今見たもの、聞いたこと、すべてが頭の中で整理しきれない。


ロゼじゃないのに……


ロゼじゃないはずなのに……


いくら、そう否定したくても、声も姿も仕草も匂いも……何もかもがロゼだった。

違うのは、名前だけ。

冷たい瞳と抑揚のない言葉。だけど見てしまった。スリーズの首にぶらさがっていた小さなロザリオは、サクラが渡した恋人の印し。

誓いの十字架。



「……ロゼ……」



泣いてしまいたかった。

その場に崩れ落ちて、何もかもに絶望している姿をみせたかった。

それなのに、戦は待ってはくれない。獣人が攻めいってきたことを知らせる警報が鳴り始める。慌ただしく緊張感に支配される要塞。

人々が要塞奥深くに避難するのを横目に、サクラはトボトボと元来た道を引き返すはめとなった。



「サクラ団長ッ!?どこ行ってたんすか!?」



サクラが姿を見せるなり、出陣の準備を整えた騎士たちは、そろって気まずそうな表情を浮かべる。



「ルイは?」



いるはずの人物がいないことに違和感を感じたサクラが眉をしかめると、今度こそ確実に、部下たちは視線をそらした。


どうやら、ルイは指揮官にたてついた罰として、閉じ込められているらしい。

目の前で傲慢(ゴウマン)にも、隊を取り仕切っているスリーズがそう言うのだから間違いはない。

それもサクラの方を見向きもせずに、彼は団員に指示を下していた。



「すまなかった。私もすぐに向かう。」



束の間でも、留守にした非を()びたサクラに、誰もがあわれみをこめた目で首を横にふる。

気持ちは十分にわかるつもりだと、雰囲気までもが沈んでいく。



「その必要はない。」



スリーズの声が響いた。



「女は大人しくしていろ。」


「なっ!?ロゼ、私は……──」


「めざわりだ。」


「───……っ。」



そうしてそのまま、戸惑う団員たちを率いて、彼は落ち込みかけた士気を奮い立たせるようにして戦場へと足を運ぶ。

言い返してる暇は、少しも与えてはもらえなかった。

ポツンとひとり、空虚な時間が流れていく。

遠くの方から聞こえる戦闘の音、男たちが名誉と誇りをかけて最後の戦いに、唸り声をとどろかせた。



「……ッ……」



茫然と突っ立ったまま取り残されていたサクラがうつむく。

噛み締められた唇と握りしめられた拳は、血をにじませながらワナワナと震えていた。



「許さん!!」



悲しみが一周して胸に込み上げてきたのは、まぎれもなく怒りそのもの。


悔しい!!


なんとも屈辱的で、実に腹立たしかった。



「女は引っ込んでいろだと!?誰に向かって…ッ…是が非でも思い出させてやる!!」



豪快な音をあらげて、壁の一部が崩れ落ちていく。

ガラガラと粉塵を舞わせてサクラの手を埋め込んだ壁は、その美麗な瞳に決意が宿ったのを見届けた。



「ルイぃぃッ!!」



女とは思えないほどの破壊力で、独房の扉を蹴りやぶったサクラは、一瞬ひきつらせた顔をしたルイに近寄っていく。



「また、派手にやられたな。」


「ん?ああ…あいつは昔っから、喧嘩だけは容赦せぇへんからな……」


「動けるか?」



きつく縛り上げられた縄をほどきながら尋ねてきたサクラに、ルイはどうってことないと、立ち上がってみせた。



「お前に心配されんでも、どうってことないわ。」



パンッパンッと、ほこりを払い落とすようにルイが足を叩いたところで、二人の視線が交わる。

言いたいことは、その瞳を見ただけで、すぐに理解できた。

気持ちは同じ。



「行くぞ。」


「ああ。足ひっぱんなや?」


「きさまこそな。」



そこでもう一度視線を交わしてから、口角をあげる。

そして同時に、戦場へと駆け出した。


─────────……


要塞から一歩足を踏み出すと、そこはもう地獄の宴。

爆音と呻き声、交差する剣の高い金属音が、鈍い血の雨を降らせる。


決戦の時。


長きにわたる戦いの終焉が目前に迫り、限界を当に越えた現場の騎士たちは、そろって荒い息を吐き出していた。



「──…ッ!?」



打ち負けそうになっていた精神が、わずかに持ちなおってくる。

モノクロに色褪せた騎士たちの視界の中に、目を見張るほどの美しい花が舞う。



「サクラ団長だ!!」


「団長ッ!!」


「おっおい!俺らもやろう!!」


「ああ、まだまだ戦える。」


「みんな、サクラ団長に続け!」



通り抜けていくたびに沸き上がる歓声を背に受けながら、サクラは華麗な剣さばきで敵を仕留めていた。

鮮やかに戦陣を突き進み、土に眠る敵を踏み越えて、桃色の髪をなびかせる美しい死神。

誰もがその姿を脳裏に焼き付け、思わず感嘆の息をこぼしてしまうほどの艶やかさ。

敵も味方も動きをとめるその輪の中で、サクラはついに目当ての場所へとたどりついた。



「ロゼェェェェェッ!!」



巨体を一撃で仕留めたらしい騎士団長の横顔に、胸が熱くなる。

剣をかまえて地を蹴る、懐かしい背中に思いがつのる。

その背中にむかって、卑怯な攻撃を仕掛けようとしていた獣人の一匹をなぎはらいながら、サクラは彼の背中に自分の背中を重ね合わせた。



「お前…ッ…──」


「ロゼ!!私の背中を預けられるのは、お前しかいない!!」


「──…ッ!?」



スリーズの息をのむ姿が、背中を通じて伝わってくる。

それで確信した。


ロゼは……ここにいる。


サクラは、剣をひくくかまえて、その事実に顔をほころばせた。

だが、彼は違ったらしい。

気の抜けない戦場で、サクラとの背中合わせを崩さないまま、不機嫌さを隠しもせずに舌打ちをした。



「女がなぜ戦場にいる!」


「うるさい!」


「な!?」


「言っておくが、私はきさまより強いぞ。六年もこの地、この前線で私はきさまとの約束を守っていたんだからな!」



ふんっと鼻息をはいたサクラは、背中越しのスリーズへと振り替える。

その次の瞬間、サクラのみせた笑顔が、すべての空気を停止させた。



「忘れたとは言わせない。ロゼ、きさまの背中を守ることが出来るのも、この私しかいない!!」



そこからは、他者の介入が許されないほどの快進撃が巻き起こる。

桃色の長い髪を流れるようにはためかせ、細い体をしなやかに踊らせ、たった一人で戦場を舞う姿は、冥府へ誘う戦場の死神と噂されるに十分すぎるほどの強さだった。



「……っ。」



自分の背中を離れた女から目が離せない。

なぜ、こんなに胸が熱いのだろう。

なぜか大事なことを忘れている気がする。


とても大事な約束をした気がする。



「ッ!?」



ズキンズキンと痛みはじめた頭に驚いて、ロゼはその場に片ひざをつく。



「なっ。」



突然の痛みに、一瞬とどめを刺されたのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。

原因はわからない。

けれど、視界に踊る桃色の閃光が何かをロゼに訴えていた。



「なんだ、これは。」



ドクドクと血が逆流するように苦しくなってきた。

心なしか息がしにくい。

知らずと握りしめたロザリオに、ふと、何かの記憶が脳裏をかすめる。



「───っ、サクラ?」



その華麗な剣舞に、スリーズの表情が壊れていく。

何かを思い出すように、ゆらゆらと、サクラを見つめる瞳の奥が不安定に揺らいでいた。



「ロゼ!何、ボーッと突っ立ってんねん!?」


「ッ!?」



ドスッと肉の(カタマリ)が目の前で切り裂かれる音と同時にあらわれたルイに、ロゼの視界が赤と黒の世界に見開かれる。

どこかで見たことのある光景。

記憶の奥底、体に染み付いた思い出。



「……る…い?」


「お前に名前なんか呼ばれんでも、自分の名前くらい覚えとるわ、ボケッ!!はよせな、サクラに獲物全部とられてまうで!?」



怒声とも奇声ともとれる嬉しそうな声が、ロゼのすぐ脇を駆け抜けていった。



「………俺…は……」



眼前で躍り狂う二人の人物に、スリーズの中のロゼが目を覚ます。

血のマントをひるがえし、ロマンス王国の紋章をその背に掲げた、誇り高き赤の騎士団。

民を守り、信頼された屈強の戦士たち。



「俺は……誰だ?」



どうして、こんなにも懐かしい?


知っているはずがないのに、初めてくる国のはずなのに……どうして、こんなにも自分の居場所を感じる?



「俺は…───」


「「ロゼッ!!」」


「──…ッ!?」



二人の声が、ロゼの心を呼び戻す。


ああ、そうだ。


波のように引いていく頭痛と吐き気の代わりに、一度に記憶が溢れ帰ってきた。

なぜ、今まで忘れていたのかわからないほど、それは鮮明に思い出すことができた。



「俺はいつも……いつも、守られてばっかだな。」



最後の獣人が、目の前で息絶えるのがわかった。

獣人の王の背中に刺さったのは、二本の剣。胸に刺さるのは、一本の剣。

三人一緒。いつも一緒。



「ロゼ!大丈夫か?」


「アホやなぁ~、ボーッとしとるからやで。まっ、この俺のおかげで終戦やけどな。」


「ふざけるな!?今のは、私の方が一足早かった!!」


「なんやて!?よ~見てみ!!俺の方が急所に近いやろが!!」


「はっ。たとえそうだとしても、今回の戦は私の勝ちだ。見ろ、きさまの倒したモノよりも、私の方が大きい。」


「大きいからなんやねん!?俺の方が、よーさん数稼いでるわ!!」



仲がいいのか、悪いのか。

普通なら疲れはてて、怒鳴り合う元気もなくなるほどの戦場の傷跡の上で、夢でみた光景が繰り広げられる。

愛する女と、気の許せる親友。

ついに長きにわたる獣人との戦争に打ち勝ち、その敵軍の山の上に足を置きながらいがみ合う男女の姿。



「どうだ!?やはり、全体的に私の方が勝っている。」


「お前の目ぇは、節穴かッ!?誰がどー見ても、俺の勝ちやろ!?」


「なんだと!?」


「なんやて!?」


「「ロゼ!どっちが勝った!?」」



勢いにまかせて同時に振り返ってきたサクラとルイが、自分の生きてきた本来の場所をロゼに取り戻させた。

ロゼの顔に、あの優しい笑顔が浮かぶ。



「サクラでもルイでもない。俺の剣が最強だ。」



そして次の瞬間、世界は驚愕に目を疑った。



「サクラ。」


「ッ!?」



大切なものにすがり付くように、ロゼの腕がサクラをその胸に引き寄せる。

その姿は、恋い焦がれたほどに待ちわびていたロゼそのものだった。



「遅れて……ゴメン。」


「ッ!?」


「守り樹の花が咲くころに、これを返しに来るって約束したのに……俺。」



ロゼの声が耳に響く。



「…~っ~…」



涙で視界がかすんでいく。

絶対泣くことなんかないと思っていたのに、サクラの瞳からは次々と大粒の涙がこぼれていった。

戦場の死神という汚名がついた、美しき化身が一人の女へと変わっていく。

誰も見たことがない、泣きじゃくるその姿は、愛するロゼの腕の中で緊張の糸が切れたように可憐に震えていた。

いや、可憐とは少し違ったらしい。



「遅い!」


「だからゴメンって。」


「何度謝っても許さん!」



鬼神のごとき怒鳴り声に、やはり赤の騎士団を従えるだけはあると、世界は深いため息をはく。

少しは男に甘える女らしい部分があるかと思ったが、それはそれでサクラらしいと思えた。



「ロゼは遅刻の常習犯だからな。」



嬉しさを噛み締めながら、サクラはロゼの胸に自分の顔をうずめる。



「サクラ?」



いつもと違うサクラの反応にロゼは戸惑いをみせる。

ここで頭のひとつでもはたかれることを予想していたのに、自分の胸に素直におさまったサクラの姿に愛しさが込み上げてきた。



「サクラ…ごめ……」



強く抱き締めながらロゼはサクラの耳元であやまる。



「ロゼ───」



会いたかった。

ずっと待ってた。

だから、お願い。

もう、この手を離さないで。

言葉にならない思いを伝えるように、サクラもロゼの耳元に囁いた。



「───おかえり。」


「ただいま。」



それに唇をよせるロゼ。

再会の約束は果たされた。

その時、幸福の時代の始まりを告げるように、一陣の風がサクラの桃色の髪を巻き上げる。

その風の先には、サクラと同じ桃色をした守り樹の花が咲き始めていた。



「サクラ、これからはずっと一緒だ。」



戦場の死神は、もういない。

新たな時代を祝う人々の歓喜の声と勝利の喜びの中、一組の男女は誓いの印を互いに刻む。



「あぁ、約束だ。」



永遠の愛を祝う桃色の樹が、幸福の女神にそっと優しく笑いかけた気がした。


──────The end.

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