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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

亡国

正妃Bとbaroque

作者: 柚木めろ子


ああ、歪な真珠が転がってゆく。



数日前に部屋を訪れた彼の、決意を秘めた眼差し。


『ビアンカ、僕は隣国に行く。妹姫との縁談が纏まったんだ』


硬直して言葉も発せない私には構わず、カミーユはどこか晴れ晴れとした笑顔を見せる。


『まだ幼いけれど、とても愛らしい子だよ。それに末息子である僕なんかとの婚約で対価として穀物を山ほど譲ってくれるというのだから、断る理由なんてない』


そう、としか。私には言えなかった。


心の内で鬩ぎ合う感情。

私は知っている。城外の惨状を。

私は知っている。城内の窮状を。

外では腐乱した屍があちらこちらに積み重なり、蛆が湧き、蠅が飛び交っている。

内では希代の暗愚である王が正妃の私を放ってあの毒蛾のような女に感け、政を放棄した。

日夜開かれる豪勢な宴。遠方から呼ばれる、幾人もの高名な職人や芸術家。


すべてはあの女のために。すべてはあの女のせいで。


国を襲った飢饉。カミーユによれば、有事の際に国民へ分け与えられるようにと備蓄してあったはずの小麦ですら、倉庫にはもう一房も残ってはいないらしい。

飢えて死にゆく国民。何故国中にこれほど満ちる怨嗟の声が、王にもあの女にも大臣たちにも届きはしないのだろうか。


空ろに飾り立てられた城内。中身のない笑顔。虚しく過ぎ去る日常。

子を生せない、肩書だけの正妃。一介のメイドから成り上がって寵愛を勝ち取ったあの女。

王とあの女との間にできた末息子であるカミーユは、私の周囲では希少な良識を持ち合わせる人物だった。


民を救えないと、自分は無力だと。

彼が悩んでいたことを知っている。

だからこそ、隣国からの支援を受けられることになって彼がどれほど嬉しいか、容易く想像がつく。


けれどひどく年の離れた彼に――あの女の子どもに、名で呼んでもいいと言ったのは、すきなときに部屋を訪れていいと許したのは。

……こんな感情を、胸に抱くためではなかったのに。



「ビアンカ様、カミーユ様がお発ちになられますが……」

ノックの音がして、私付きのメイドであるジーナが顔を覗かせた。溜息を吐いて返す。

「知っているわ」

「お見送りになられてはいかがでしょうか」

「……そうね」


あくまでも提案する形で、ジーナは言う。私の思いを察し、けれど分を弁えて私に告げる。

立ち回りの上手い、頭の良い子だと思う。

こんな子が元は田舎の農村の出だというのだから、有能な人物はどこに眠っているかわからない。

城内で胡坐をかく、政治任用で登用された官吏たち。

あれらとは比べものにならないような人材も、今は骸となって永久の眠りに就いているのかもしれない。


見送りにはいかず、自室から続く衣裳部屋の扉を開ける。

腐るほどある装飾品。金や銀、玉に真珠。代々の妃たちに受け継がれてきたそれらは、美しいけれど食べられはしない。

城へ出入りする、普段ならこちらへ物を高値で売りつけるだけの商人に、買い取らせたら幾らになるのだろう。

カミーユは無力だと嘆いていたけれど、今は自らの地位を利用して民を救おうとしている。

民が生きていくためには、穀物だけでは足りないだろう。


「商人は今日も来ているのかしら」

「はい、謁見の間に」


私にできることを求めて、……気を紛らわせるために、私は真珠でつくられた首飾りを衣裳の袖へ忍ばせた。



「あらあ、正妃様じゃありませんの!」

ジーナを従えて謁見の間に行けば、商人と歓談していた毒蛾が私の姿をみとめ、歓声にも似た鳴き声を上げた。

「お久しぶりですわね、ご機嫌麗しゅう。……うふふ」

下品なほどに襟ぐりを開け、ずるずると裾を伸ばした悪趣味なコタルディ。

それを身に着けた害虫が、鱗粉を撒き散らすように両腕を広げた。

「ああ、イイ――とってもイイわ、その目つき!」

頬に朱をのぼらせて身悶える妙齢の女。その隣で笑顔を貼りつけたまま、手を擦り合わせる商人。

「うふ、うふふ……アタシを見下しているのでしょ、身分だけの正妃様? でもね……」

商人が持ち込んだのであろう数々の装飾品。一目するだけで価値がわかるような逸品から、目の前の女がひどく好みそうなものまで。

輝石を削り出してつくられたのであろう、珍しい色味の刀剣もあった。

装飾品のうちのひとつを取り上げ、指先で弄びながら――蛾は毒を吐く。

「石女にアクセサリーなんて勿体ないわ。いくら美しく装っても、陛下はアタシに夢中。万が一貴女がお情けをいただいたとしても、子種が実を結ぶことはない。ね? ほらぁ、無意味でしょう?」

くつくつと笑う女は無視して、袖の中から首飾りを出す。

「これを売ったら幾らになるの?」

首飾りを受け取って矯めつ眇めつし、しばし考えた後、商人は指を二本立てた。

「もう少し出せないかしら」

「恐れながら妃殿下、これ以上は」

足元を見られている。心の中で舌打ちし、ひとつ溜息を吐いた。

「……それでいいわ。他のものも持ってくるから、ここで少し待ちなさい」

「御意に」

商人が慇懃に腰を折る。

「ビアンカ様、仰ってくださいましたら私がお持ちしますが」

「いえ、自分で見て決めるわ。行きましょう」

悔しそうに歯噛みする女を尻目に、踵を返せば。


「――」


王が扉の前に立ち尽くしていた。

「陛下!」

女が喜色を浮かべて私を押し退け、王の元へと駆け寄った。

「陛下、アタシこれがとっても欲しいわ。買ってくださるわよね?」

女は握りしめていた指輪を王の眼前に突きつける。

ひとつ間が空いて、王が商人に幾らかと訊ねた。

指は四本立った。

肯く王。女がわざとらしい嬌声を上げる。私は目を伏せた。


私がこの国を救うためにできるのは、首飾りを売ることではなくなったのかもしれない。


無様に光る指輪をはめて、女がひらりと手を翳す。

心底嬉しそうに笑いながら、王の腕にすり寄った。


「そういえば、今日はカミーユが隣国へ発つ日だったかしら? あの子ってばいろいろと本当にうるさくて、いなくなってせいせいするわね」


仮にも実の息子を評して、母親が言う台詞だろうか。

王は何も言わない。言えないのかもしれない。

王の首筋に指を滑らせ、毒蛾は笑みを歪めた。


「そうですわ、陛下。――アタシ、新しい子供も欲しいの」


肢に脚が絡みつく。ずるりと擦れるコタルディ。

この女は一体どこまで悪趣味なのだろう。ぼんやり、そんなことを思った。


「ああ、でももう普通の行為には飽きてしまいましたわね。ねぇ貴方、何か面白い趣向は思いつかないの?」

訊ねられた商人は、手に持っていた首飾りを見て何気なく答えた。

「そうでございますね、市井では罪人どもの間で男性のものに真珠を埋め込むといったようなことも行われているようですが」

「真珠を? 面白いですわね。陛下、すぐに侍医を呼びましょう。大粒の真珠を……いえ、それでいいわ」

女が商人の手中にある首飾りを指差す。王が小さく息を飲んだ。

「正妃様がお売りになろうとしていたのです。正妃様の嫁がれたときに、陛下が差し上げたものですわよね」


少しの沈黙のあと。

ただ一言、そうかと王は言った。


毒蛾はにんまりと笑んで、商人から首飾りを受け取ろうとした。

少し後ろから溜息が聞こえた。

救いようがない、と誰かの呟いた声が消えもしないうちに、首飾りはジーナの手中にあった。


「この国はもうだめです」


淡々とした声音。けれど彼女の表情は、私が見知るメイドのものではなくなっていた。

「猶予は与えました。随分と待ちました。この国はもうだめです。救いようがありません」

首飾りの金具を外し、真珠でつくられたそれを女の首に巻きつけるジーナ。

女が奇妙な悲鳴を上げた。

ぎちぎちと、嫌な音がする。


「祖父が、祖母が、父が、母が。郷里で死んだとの、伝えがありました。もう村には埋葬をするだけの人手もないそうです。何も珍しいことではありません。飢えて死んだ者の屍が野ざらしとなり、腐肉は穢れを撒き散らし、そして病が蔓延していくのです」


首飾りの糸が切れた。女の体が崩れ落ちる。


――ああ、歪な真珠が転がってゆく。


並べられた装飾品などのなかから、ジーナの手が装飾品ではないものを選び出した。

輝石でできた刀剣。鞘はついていなかった。


「この国を立て直すとしたら、立て直せる可能性があるとしたら。もはや方法はひとつしかありません。――元凶を断つのです」

「……」

「お覚悟は」

黙りこくる王の首筋に剣を添え、ジーナが短く訊ねた。

国を傾け、暗愚と蔑まれ、寵姫にすらも見下されていた男が、こくりと小さく首肯した。


メイドだった女は一度目を閉じ、迷うことなく断ち切った。



さすがに命は惜しいのだろうか。

幾つもの装飾品と血に濡れた刀剣を置き去りに、商人は奇声を上げながら逃げ出していった。


部屋の外が騒がしかった。

ジーナは私を見つめた。


「……ビアンカ様、――どうぞ貴女様にしかできないことを、成し遂げてくださいませ」


彼女の表情は私が見知っていたメイドのものではなく、けれど王と寵姫を弑逆した大罪人のものでもなかった。

血溜まりのなかに呆然と佇む私を置いて、彼女が部屋を出ていく。



部屋の外が、騒がしい。

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