友情の距離は如何に
メモ書き小説07より
友情は瞬間に咲かせる花であり、そして時間が実らせる果実である。
ドイツの劇作家の格言だそうだ。
咲かない花は、果実を実らせることはない。
そしてこれは当然の真理である。
瞬く時の光であり、輝きを放つかどうかは運だ。
情愛の調べは如何なる時に強き友情となるのか。
価値を認め合い、相手のために自らを力を貸せる。
友情とは、その程度ができるようになることだ。
互いの信頼に基づいて行われる価値の交換。
友情とは、獲得された無条件の担保である。
己の感情で自己を犠牲にすることができる。
友情とは、全ての友人に当てはめることはできない。
その人のために、少しの自己犠牲を許さないのなら。
相手を友人と呼ぶのは間違っている。
ならば、俺に友人と呼べる人間はいるのか?
巡り巡る季節が過ぎ、時間を共に過ごした人間もいた。
人が人と関わらずに生きることはできない。
だがいつでも近くにいた人間は今のところいない。
触れられる距離に、そこに人間がいるのだとしても。
精神的な近距離に入ってきた者など居ただろうか。
「最近は暖かくなったきたな」
「そうだね」
こいつが初めてなのかも知れない。
桜はもう見えず、木は若い葉をつけはじめている。
ある時から俺にまとわり続けるこの女。
そろそろ彼女を友人と、俺は呼べるのかも知れない。
春香桜。知り合ってしばらく経つ。
未だに呼び方に若干困っているが、関係は良好だ。
決して口数が多い方ではない。
会話もある程度しか続かない。
付かず離れずの微妙かつ絶妙な距離。
そんな矛盾すらも孕んだような関係。
でも俺とこいつの距離は決して平行線じゃない。
いつかどこかで妥協点を見つけられるだろう。
時間はいくらでもあるのだから。
桜の季節を何度過ぎようと。
せめて、俺たちが付かず離れずいる間は。