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閑話7.那須(3)

ちょっと蛇足感が強いです……

 「何事だ!?」

 不意に、誰かが声を掛けてきた。

 「……何でもないですよ」

 絵梨菜がそっけなく返事をするのが聞こえて。私は顔を伏せたままだったけど、相手が誰か判った。

 「そっちの、君の友達は泣いているじゃないか。そこの男が、何か悪さをしたんじゃないのか?」

 私のせいで榊君が批難されそうになって。私は慌てて顔を上げた。

 傍まで来ていたのは、やはり生徒会長だった。彼は、絵梨菜に気があるらしく、よくちょっかいを出していたのだ。

 「……なんでもありませんから。心配要りません」

 私は涙を拭って、そう答えた。

 「なら、いいが。楠見君に悪い虫がついて回っているという報告を受けて、見に来たんだが」

 私のことなど関係なしに、榊君が絵梨菜と親しくしていることが気に入らなくて、言い掛かりを付けに来たのか。

 絵梨菜は、不快そうに会長を睨んだ。

 「悪い虫って、会長のことじゃないんですか?」

 絵梨菜の嫌味にも、会長は動じなかった。

 だけど、取り巻きの連中は怒ったらしい。

 「ふざけないで! あなた、会長がわざわざ声を掛けているのに、失礼なことを言わないでよ」

 風紀委員長で女子空手部の部長でもある長谷川さんが、絵梨菜に凄む。隣では、副会長の奥山さんも、絵梨菜を睨んでいた。

 二人は会長に惚れているのか、いつも会長にべったりで。他にも何人も女を侍らせているのに、会長に心酔しているらしくて。その状況だけなら、榊君と同様に見えるけど、その存在は真逆だった。会長は自ら侍らす女性を物色して、手に入れていた。絵梨菜にもそのつもりで接近しているのだ。

 「ふざけてるのはどっちよ? 人の彼氏捕まえて、悪い虫呼ばわりとか失礼にも程があるわ」

 絵梨菜も動じることなく、睨み返していた。

 「……まさか、その男が? 何を馬鹿なことを。君は、私の元へ来るべきだ」

 どこからその自信が来るのか判らないけど、会長はさも当然の様にそう言ってのけた。

 確かに、学業成績は優秀らしいのだけど。そんなに魅力的な人物だとは思えなかった。

 「何人も女侍らせてるんだから、他人の女まで物色すること無いでしょうに」

 絵梨菜も呆れ顔。

 だけど、会長は意にも介さない。

 「それは……男の甲斐性というやつだな。そこの男には、そんな甲斐性あるのかい? ……それとも、君の友達二人もその男に靡いていると?」

 つくづく、下世話な男だと思う。

 私はうんざりしてきたのだけど。真樹は、会長に腹を立ている様子で。

 「ええ、そうですよ。私は片思いですけど」

 今まで秘めて来た想いを、あっさり告白したのだった。

 さっきは顔を真っ赤にしていたのに。告白する気は無いって言っていたのに。

 今は、照れよりも怒りの方が強いらしく。冷めた目で、平然とそんなことを言ってのけた。

 榊君は驚いた様子で、真樹を見て目を瞬かせていた。

 私は何て答えようか、悩んだのだけど。会長は私の言葉を待たず、勝手に勘違いした模様。

 「へぇ。まぁ、そこの二人なら、その男にも見合いそうではあるが。楠見君は釣り合わないだろう?」

 私は、自分が馬鹿にされることはなんとも思わなかったけれど。榊君が侮辱されるのは許せなかった。

 榊君のことを、今の私はどう思っているのか、自分でもよく判ってなかったけど。榊君を傷つける輩を許せない気持ちは、今なら絵梨菜にも負けないつもりだった。

 文句を言おうと立ち上がったとき。榊君も同時に立ち上がっていた。

 榊君も、腹に据えかねた様子で。恐らく彼も、自分のことよりも私たちのことを詰られていることが許せなくて怒っているのだろう。

 会長は怯んだ様子で一歩下がって。間に長谷川さんが割って入った。

 「あら、やる気? そっちがその気なら、こちらは力ずくで排除させて貰うけど」

 彼女は空手の構えで、榊君に対峙した。

 その頃には、周囲にうちの生徒や一般来場客が集まってきていて。固唾を呑んで見守ってた。

 そんな中。私たちに割って入る人物が居た。

 「笑えない冗談ね」

 聞き覚えのあるその声の主は、三城谷さんだった。

 彼女は挑発するように、長谷川さんを見てニヤニヤしていた。

 「三城谷……」

 長谷川さんは、苦虫を噛み潰した様な顔になった。

 三城谷さんは、県下の空手の大会では無敗を誇っていて。長谷川さんは彼女と何度も対戦しているのだろう。そして、一度も勝った事が無いのだ。

 「あたしにすら勝てないあなたが、智哉を力ずくでどうこう出来る訳無いじゃん」

 彼女は肩を竦めて。そして、私たちのところまで近寄って来て。榊君の腕に手を絡めつつ、絵梨菜に向かって頭を下げた。

 「ごめん、絵梨菜。今日は邪魔する気は無かったんだけど。妙なのに絡まれてるの見てたら我慢出来なくなっちゃった」

 彼女は絵梨菜に向かって舌を出した。

 絵梨菜も、仕方が無いわねとため息を吐いた。

 そこへ。

 「何事です!?」

 騒動を聞きつけたのか、国語教諭の富士先生が現れた。彼女は背後に何人かの生徒を引き連れていて。そして、生徒じゃない顔見知りがそこに混じっていることに気付いた。

 「……部外者が騒動を起こしていると聞きつけて、排除しようとしていたところです」

 長谷川さんは風紀委員の腕章をわざとらしく止めなおして。そんなことを言い出した。

 「言い掛かりです、先生。こっちがストーカーの被害者なんですよ」

 絵梨菜はここぞとばかりに反撃。生徒会長をストーカー呼ばわりとは大胆。

 長谷川さんと奥山さんは憤慨した様子で絵梨菜を睨んだ。だけど、生徒会長の素行は職員たちの間でも把握されているらしく、富士先生はため息を吐いた。

 「先生……」

 後ろに居た、文芸部の部長が先生を促す。先生は背後を振り返って。顔見知りの方に目を向けた。

 「ごめんなさいね。見苦しいところを見せてしまって」

 その顔見知りは、頭を振った。

 「いえ……私にも関係があることみたいですから」

 彼女はそう言うと、榊君の傍までトコトコ歩いて来て。三城谷さんの反対側で、彼の腕にしなだれた。

 「ちょ、……千佳?」

 彼が彼女の名前を呼んで。思わずドキッとしてしまった。私は神林さんと名前の読みが被っていたから。彼女が目の前に居るのは判っていても、一瞬自分が呼ばれたような気になってしまった。

 神林さんは、去年の末頃に文系の賞を受賞していて。今日はうちの文芸部から講演のゲストとして呼ばれていたのだった。

 絵梨菜は神林さんにもため息を吐いて。そして、呆然と見ている会長に向かって、意地の悪そうな笑みを向けた。

 「あら。顔色が悪いですけど、どうかしたんです? そういえば、男の甲斐性がどうこう言っていたみたいですけど」

 榊君の周りに彼女らが集まって来て、会長の方が見劣りして来たのだ。私や真樹ではあまり足しにはならないでしょうけど。他の三人は才女であり、華があった。

 会長たちは憮然として暫く睨んでいたけど。分が悪いと察した様子で、そそくさとどこかへ去って行った。


 文化祭が終わって。

 榊君と、絵梨菜以外の彼女二人も私たちを待っていてくれていた。

 私と真樹はお邪魔かなと思ったのだけど。絵梨菜は、私たちも一緒に来るように促した。

 何処に連れて行かれるのかと思っていたら。学校の中まで大きなリムジンが乗り込んで来て、それに乗るように促された。

 「久しぶりね」

 中に乗り込むと、榊君のもう一人の彼女である土原さんが待っていた。

 そういえば、土原さんはお金持ちのお嬢様らしいと聞いた気がする。中三の二学期までは、そんなことはおくびにも出さなかった、というより隠している風だったのだけど。三学期になってからは隠すこともせず、榊君を本宅に招いているらしいと当時絵梨菜から聞いた覚えがあった。

 全員、リムジンに乗り込んで。どこかに向かって出発した。

 「二人から、話を聞かせて欲しいと思ったのよ。二人は知らなかったと思うけど、私は智哉に盗聴器を仕掛けてる、とイメージして貰えばいいかしら。智哉の周囲で交わされる会話は全てチェックしているのよ」

 そんなとんでもないことを真顔で言われて。私はギョッとして、真樹と顔を見合わせた。

 榊君は、力なく笑っていて。何もかも受け入れている様子。

 私は、榊君の前で、どんな会話を交わしたか思い出そうとしたのだけど。土原さんが先にそれを指摘した。

 「速水さんは、智哉に片思いしてるって言うし。那須さんは前回の時間軸を夢で見たって?」

 やはり、土原さんも。榊君の身に起きたことは把握しているのか。

 真樹は、冷めた目で土原さんを睨んでいた。

 「怒らないで聞いて欲しいのだけど。私は、二人の話を聞いた上で。智哉がどう判断するか、気になっているのだけなのよ」

 土原さんは、榊君を悲しげに見つめて。榊君は、土原さんの言葉に呆然としていた。

 真樹は、土原さんが何を言いたいのか察した様子で。小さくため息を吐いた。

 「……別に、今更何も言うことは無いのだけど。今日は、うちの生徒会長が訳の判らない言い掛かりをつけてきたから、勢いで言ってしまったけれど。元々、告白する気はなかったのよ。私は、中一の冬頃から榊君に惹かれていたけど。ただ、それだけよ」

 堂々と気持ちを告げる真樹を見て。すごいなと素直に感心してしまった。

 榊君は、なんて応えればいいのか判らない様子で。ただオロオロしていた。

 土原さんは満足気に頷いて。そして、私に目を向けた。

 「私? 私は……今の自分がどう思っているのかよく判らないけど。ただ、これ以上……榊君には傷ついて欲しくないと、願うばかりよ」

 夢のことをまた思い起こして。涙が浮かんでしまった。

 榊君は、私を見て。彼も泣きそうな顔になっていた。

 「智哉」

 再び、土原さんが榊君に向きなおって。

 「智哉は二人の言葉を聞いて。どうするつもり?」

 「どうって……俺は……」

 榊君は、言い澱んだと言うよりも。失語症の様に、途中から言葉が出なくなっていた。

 「ちょっと、智哉!?」

 絵梨菜はそれを勘違いしたらしく、彼に食って掛かった。

 「あなた、高梨さんだけじゃ飽き足らず、真樹や智香子まで──」

 「──やめて!」

 思わず声を張り上げてしまった。

 絵梨菜は驚いた様子で。だけど私にも勘違いした様子で、目を眇めた。

 私はただ悲しかった。

 「絵梨菜……気付かないの? 榊君が……まだ、壊れていることに」

 「えっ?」

 驚きの声を上げたのは、絵梨菜だけではなく。三城谷さんも、私の発言が気になった様子。

 そして当の榊君は。私を見て、力なく微笑んだ。

 「那須さん。昼間も言ったけど……俺は、那須さんと速水さんのおかげで、どうにか耐えられたんだよ。だから、壊れてなんか──」

 「土原さんが亡くなった後」

 私は榊君の抗弁を遮った。

 「私、まだ入院していた榊君のところに、お見舞いに行ったのよ?」

 私の言葉に、彼はギョッとした様子で黙り込んだ。

 絵梨菜は、私が何を言おうとしているのか判らない様子で、榊君と私を見比べていた。その辺りの話は、彼から聞かせて貰っていないのだろう。

 三城谷さんも、榊君のことを心配そうに見ていて。神林さんは、悲しげに目を逸らしていた。

 「榊君のお母さんから……今はそっとしてあげて欲しいとお願いされたから、直接会うことはしなかったけれど。あの時、榊君が……心を病んでいたことを、私は知っているのよ」

 あの時の、榊君の苦悶の声と、お母さんから聞かされた彼の様子を思い出して。また涙が溢れてしまった。

 「そして……榊君は退院した後も、ずっと学校には出て来れなかった……それのどこが耐えれたって言うのよ? 榊君は誰も救えなかったことで……皆に目の前で死なれてしまったことで……心に傷を負ってしまって……今もそれが、トラウマになっているんでしょうね。皆を無事救えた今でも……周囲の誰かが傷つくことに耐えられないのよ……」

 榊君は、私の言葉に反論出来ない様子で。涙を浮かべて、俯いてしまった。

 私は、彼を傷つけるつもりはなかったのだけど。当時の事情を説明したことで、彼の古傷を抉ってしまったのか。そう思うと申し訳なくて、それ以上何も言えなくなってしまった。

 「本当……なの……?」

 絵梨菜は呆然と、それを何故か神林さんに尋ねた。

 神林さんは小さくため息を吐いた。

 「ええ……私は智哉の見舞いには行けなかったから、病院での様子は知らないけど。二学期が終わるまで、学校には出て来なかったわ」

 ……えっ?

 神林さんには、その時の記憶があるの?

 皆はそのことを知っている様子で、神林さんの言葉を待っていた。

 「私は……あの頃は智哉に近付くことすら出来ずにいたから……智哉に何もしてあげられなかった。智哉が退院したことも……そして退院した後も酷く落ち込んでいて、学校には暫く出て来れないであろうことも担任から聞かされていたわ。私は何も出来なかったけれど……それでも智哉は……クリスマスイブには私の所まで来たのよ」

 神林さんは、私に目を向けた。

 「智哉は前々回、私の目の前で沖君が死んでしまったことを知っていたから……私が何かやるんだろうと気にした様子で、私を見張っていたのよ。智哉はすごく落ち込んではいたけれど……それでもまだ他のクラスメイトのことを気にするだけの気概は残っていたのよ」

 神林さんの言葉に、私は混乱してしまった。

 当時榊君と仲の良かった沖君が亡くなっていて。榊君は神林さんが犯人かもしれないと疑っていたのか。そんな事まで抱えたまま、彼は他の三人を救おうと奔走していたのだ。

 「だけど今は……誰一人死なせることも無く、無事に、一緒にいられるのだから。智哉が何を悲観しているのか私には判らないのだけど、もっと私たちに気持ちをぶつけて欲しい」

 穏やかに言う神林さんに、他の三人も同意を示した。

 だけど榊君は、苦しげに呻いた。

 「でも……今のこの状況自体が……俺の弱さが招いたことだろう?」

 今のこの状況?

 私は彼が何を気にしているのか判らなかった。そしてそれは、他の皆も同じらしい。

 「智哉が、誰も選べないでいること?」

 「いや……それ以前の話だよ。俺がもっと強ければ……皆に何も知らせることなく、助けることだって出来た筈なんだ」

 「まだそんなことを言っているの!?」

 絵梨菜は本気で怒った様子で、声を荒げて榊君を睨んだ。

 「智哉」

 土原さんは対照的に、泣きそうな顔をしていた。

 「あなたはそのことを否定的に言うけど。確かに、私はあなたに助けて貰えたことで、あなたと親しくすることが出来たのだけど。そもそも私は、あなたに助けて貰えなかったら親族に殺される運命だったのよ? あなたが私に何も知られることなく私のことを救えるとは思えないし、私があなたに惹かれるのは当然のことだと思うのだけど。それでも私は、そのことを否定されなければいけないの?」

 私が知る限り。土原さんはいつも冷静で、何事にも余裕を感じさせていた。だけど今は、とても儚く見えた。

 だけど、そんなことより。

 親族に殺される運命だった──つまり、前回土原さんを襲った一連の事故は、不運のせいなどではなく。親族の誰かが計画的に事故を装ったものだったのだ。榊君のお母さんから聞いた、彼の言葉を思い出す。榊君は、『俺は気付いていたのに……何もかも手遅れだった』と言っていたらしい。お母さんは、彼が病室から土原さんが事故で亡くなるところを見ていたから、そのことを指して言っているのだろうと、病室から榊君が何か出来る訳も無いのに、何を気にしているのだろうかと言っていたけど。榊君はその時既に、土原さんが誰かに命を狙われていることを知っていたのだ。自分が身を挺して土原さんを事故から救ったことも、代わりに大怪我を負ったことも、本質的には何ら意味が無かったのだと突きつけられて。絶望してしまったことだろう。

 それでも榊君は。今回はそんなものにまで対処してみせたのだ。

 榊君は、どれほどのことを抱えて、どれだけ頑張ったのだろうか。

 絵梨菜を襲った高校生集団だけでなく。事故を装って、土原さんを殺すためなら他人を巻き込むことさえ厭わない相手にまで榊君は立ち向かっていたのだ。あれほど絶望に打ちひしがれていた榊君が、それでもまだ立ち向かうことを、彼女らを救うことを選んだのだ。そこには、どれほどの決意と覚悟があったのだろうか。それを思うと、息が止まりそうなくらい胸を締め付けられた。

 「昼間、真樹が怒っていた理由がようやく私にも判ったわ」

 不意に名前を呼ばれて、真樹は私の顔を見てギョッとしていた。多分、私は恨めしげに真樹を睨んでいるのだと思う。

 「真樹がそんな風に思えるのも……殆ど結果しか聞いていないからなんでしょうね。榊君が、前回までにどれだけ嘆き苦しんで。そして、今回どれほどの覚悟でそれに臨んだのか。それが判っていれば……誰も榊君を責めることなんてできない筈ですもの」

 部外者の私でさえ、こんな風に思ってしまうのだ。当事者の絵梨菜たちが、榊君の苦悩と努力を知ったら。心を鷲掴みにされてしまったことだろう。真樹はそれを自明のことだと思っていて。そうなることが判っているのにどうして話してしまったのかと、怒っていたのだ。そして榊君も、それを今は理解していて、謝っていたのか。当時の彼は、そんなことを考える余裕すらなかったでしょうに。

 真樹も、今はもうそれを理解した様子で。黙って俯いてしまった。

 「那須さん」

 不意に、土原さんに話しかけられた。

 「私に関しては、私自身の手で始末を付けたから。智哉から、あの事故そのものからは助けて貰ったけれど。三城谷さんと楠見さんが、犯行の証拠を押さえてくれたから。それ以上は、智哉の手を煩わせることはしなかったから、心配しないで」

 私の顔には、そんなに判り易く考えていることが出ていたのか。私が勝手に想像して苦悩していることに気付いたらしく、そんなことを聞かせてくれた。

 「智哉」

 まだ俯いている榊君に向かって、三城谷さんが穏やかに声を掛けた。

 「智哉はまだ誤解しているみたいだから、これだけは言わせて。本当なら、当人の口から聞くべきなんでしょうけど。言えないみたいだから、あたしから言わせて貰うわね。智哉は、あの事件のせいで、絵梨菜が智哉に惚れてしまったのだと思っているみたいだけど。絵梨菜は元々、智哉に惚れていたのよ?」

 「ちょっ、音葉……」

 絵梨菜が珍しく、顔を赤らめて。三城谷さんの言葉を遮ろうとあたふたとしていた。

 そんな絵梨菜に、榊君はポカーンとしていた。余程意外だったらしい。

 三城谷さんは、絵梨菜にお構いなしに話を続けた。

 「あたしが智哉に興味を持ったのも……元々は絵梨菜が智哉のことを見ていたからなの。そしてあたしが、智哉のことを気に入って。それを告げたら、絵梨菜は勝手に身を引いてしまったのよ。智哉に告白すらしていないのに、変な話よね」

 三城谷さんは自嘲的に笑って。そして、神林さんに目を向けた。

 「神林さん。あたしと絵梨菜が、あなたを泥棒猫扱いしてたときって。絵梨菜はどんな感じだった?」

 「……楠見さんは三城谷さんを煽ってはいたけれど……三城谷さんのためと言うよりも、自分が怒っている感じだったわ。今にして思えば、そういう事だったのね」

 神林さんは、意地悪そうな笑みを絵梨菜に向けた。

 何の話か、私には判らなかったけど。絵梨菜は図星を突かれたみたいで、顔を真っ赤にしていた。

 あれほど明け透けに榊君へ求愛していた絵梨菜が、どうして昔のことを言えずにいたのか、私には判らなかった。

 照れまくっていた絵梨菜だったけれど。榊君に見つめられて、観念したらしくため息を吐いた。

 「……ええ、そうよ。私は、中一の夏くらいから、智哉のことを意識してたのよ。クラスが違うから接触する機会も無くて、一方的に見ていただけだったのだけどね。けれど私は……恋愛願望が薄いのか、音葉が智哉に惹かれていることを知って、勝手に身を引いてしまったのよ。そのことを未だに言い出せずにいたのは……普段、智哉に気持ちをはっきり聞かせて欲しいなんて言っている私が、二年以上も自分の気持ちを言えずにいただなんて、言える訳無いじゃないの。神林さんの体感時間は別として、この時間軸では、私が一番昔から智哉を求めていただなんて……」

 絵梨菜は顔を赤くしたまま俯いてしまって。

 榊君は噴出してしまった。

 絵梨菜は文句を言いたげに、頬を膨らませて榊君を見つめた。

 「ありがとう、絵梨菜。そんな風に想って貰えていたとは、思いも依らなかったよ。──そういえば。絵梨菜のお母さんも、絵梨菜は甘え下手だと言っていたな」

 彼の言葉に、絵梨菜が息を呑んだ。

 絵梨菜は不安そうにしていて、今にも取り乱してしまいそうに見えた。

 だけど、榊君は穏やかに微笑んでいて。

 やがて絵梨菜は安堵のため息を吐いた。

 そのやりとりの意味は判らなかったのだけど。それでも、榊君の気持ちが楽になったらしいことだけは理解出来た。


 「私もここでいいわ」

 駅前まで車で送って貰って。私と真樹が降りたところで、絵梨菜もそう言って一緒に降りた。

 土原さんは、家の前まで送ってくれると言ってくれたけど、私と真樹の家がある辺りは、道が細くて入り組んでいて。このリムジンでは苦労しそうだと思ったのだ。

 見送りに、土原さんと榊君も降りてきて。土原さんは真樹に、「無理を言ってごめんね」と謝っていて。真樹は寂しげに頭を振っていた。

 私は、当分また会えないだろうなと榊君を見つめて。榊君は、何か言いたげにしながらも、結局黙ったまま俯いてしまった。

 そんな中。

 「智香子?」

 唐突に名前を呼ばれて、思わずビクッとしてしまった。

 振り返ると、そこには母が居た。

 「お母さん!?」

 母は、駅前のスーパーで買い物でもした後なのだろう。ビニール袋を二つ抱えていた。

 「あっ、恵美子さんこんばんわ」

 「こんばんわ」

 絵梨菜と真樹は、ちょくちょく家に来ていたから、母とは顔馴染みだった。

 母は土原さんと榊君を見て、車の中からこちらを見ていた三城谷さんを見て。何事かと私に視線を向けた。

 「同窓会という訳じゃ無いんだけど。中学のときのクラスメイトたちと会っていたの。そして、土原さんにここまで車で送って貰ったのよ」

 名前を出されて、土原さんが母に向かって軽く会釈をして。母も、それに応えて会釈を返した。

 そして、榊君を見つめた。一人だけ男子が混じっていることに興味を惹かれたのか。

 ちょっとだけ思案する様子で視線を泳がせた後。

 「──ひょっとして、智くん?」

 そんなことを言い出して。私は思わず噴出しそうになった。

 母が、彼に気付くとは、彼のことを思い出すとは思わなかったのだ。

 「……ご無沙汰してます」

 ──まさか、彼も覚えていた!?

 榊君は苦笑いしながらも、そんなことを言って会釈していた。

 絵梨菜たちは驚愕の目で私たちを見つめていた。

 「ご無沙汰し過ぎよぉ。中学では一緒のクラスになったって聞いてたのに、うちに遊びにも来ないんだもの。昔は一緒にお風呂に入るくらい仲良しさんだったのに、智香子が何か嫌われるようなことでもしたんじゃないかって心配してたのよ?」

 母は、絵梨菜たちの異変に気付かず。堂々と昔のことを持ち出されて、私は気が気じゃなかった。

 「ちょっ、お母さん!?」

 私は慌てて母を注意したのだけど。

 「智香子ったら、どうしたのよ」

 母は、キョトンとしていて。私が何を焦っているのか気付かない様子だった。

 だけど、車から三城谷さんと神林さんが降りてきて。そして、女子全員から私が睨まれていることにようやく気付いた模様。

 「……あら。これって、秘密だったの?」

 母は悪びれもせず、ニヤニヤしながら私と榊君を見て。

 「お邪魔みたいだから、あたしは先に帰るわね。智くん、またね」

 榊君に手を振って、そそくさと退散してしまった。

 母の姿が見えなくなるまで、皆無言で。

 そして、女子全員に詰め寄られた。

 「どういうことよ!?」

 榊君は、頬をポリポリと掻いて。何も答えず、私に目配せした。下手に榊君が言い訳めいたことを言うのは事態を悪化させるとでも思ったのだろう、私に丸投げする気らしい。

 それも仕方無いかと、私はため息を吐いた。

 「……昔のことよ。私、幼稚園で榊君と一緒だったの。そして、小学校は違ったけど、二年生くらいまでは時々だけどお互いの家に遊びに行ったり来たりしてたのよ。私が習い事とか始めたこともあって、それ以降は疎遠になってしまっていたのだけどね。小さい頃の話だから、榊君が覚えているとは思わなかったわ」

 顔が熱い。自分でも、赤面してしまっていることが判る。

 「私はどうしたらいいのかしらね」

 絵梨菜がため息混じりに漏らした。

 「親友二人がライバルだったことを、今日まで知らずに、お気楽に過ごしていたとはね」

 わざとらしい絵梨菜の台詞に、真樹が噴出した。

 「止めてよね。今更、あたしがどうこうする訳無いでしょ」

 真樹は軽く流すつもりらしい。私もそれに乗っかることにした。

 「そうよ。昔はどうあれ、今の私は、そんな風に意識しては居ないから。絵梨菜たちの邪魔をするつもりは無いわよ」

 絵梨菜は、私たちの台詞に、満足げに頷いた。

 「ですってよ、智哉。残念?」

 「……いや、さすがに……こんな気の多いやつのことを何時までも想ってくれる女性なんて、そういないだろう?」

 榊君の言葉に、絵梨菜たちは顔を見合わせて。そして深くため息を吐くのだった。


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