閑話5.那須(1)
後日談(?)、那須視点です。
「……それでさぁ。智哉ったら酷いのよ? 私たち四人じゃ不満なのか、もう一人女作ったのよ。もう信じられない」
絵梨菜は、不満たらたらで。それでも、榊君のことが嫌いになった様子は全く無くて。私も真樹も、絵梨菜の惚気話には苦笑いするしかなかった。
絵梨菜は、いつの間にか榊君に夢中になっていた。
当人からそれを聞いたのは、中三の冬休み明けのことだった。それ以前は、そんな素振りは全然なくて。絵梨菜と榊君が話をしているところすら、ろくに見た覚えはなかった。一度だけ、秋ごろに絵梨菜と三城谷さんと榊君の三人で、昼食時に教室から出て一緒に食事をしたらしいところは目撃したけれど。そもそも、その状況に至った理由すら、私は何も知らなかった。
そして、榊君に夢中なのは絵梨菜だけではなくて。絵梨菜の気持ちを知った時には、榊君は既に四又状態だった。
「でも。そんなことがあったから、今度の文化祭には来てくれることになったんでしょ?」
「まぁ……そうなんだけどね。新人だけ彼女アピールは許せないでしょ?」
絵梨菜には、ライバルが三人から四人に増えたことよりも、榊君がこの学校に来てくれることの方が大きいみたいで、榊君のことを彼氏として周囲に紹介できることが凄く嬉しそうだった。と言っても、現時点で絵梨菜と彼の間に進展があった訳ではなく。元々、榊君は四人に言い寄られてはいたものの、誰に対しても彼氏面とか一切しないらしくて。周囲にも、彼女だとは紹介していないらしい。絵梨菜はそれが不満だったのだけど、平等に扱われている以上、不平も言えず。だから、絵梨菜自身も彼氏が居るとは周知出来なかったのだ。
そこに、新たなライバルが登場して。榊君はその女を拒絶しなかったらしく、さすがに絵梨菜たちも不満をぶつけて。そして、自分らの関係を(対外的に)一歩進めるよう要求したのだった。これには榊君も文句は言えなかったみたいで、その要求を呑んだらしい。
それにしても、絵梨菜がこれほど男に入れ込むとは。
「榊君に会うのは久しぶりだなぁ。彼、格好良くなってる?」
真樹の質問に、
「あら。智哉は昔から格好良かったわよ?」
絵梨菜は惚気で返す始末。
中三の秋頃には、こんな事態、想像も出来なかった。
当時、私たち三人は、『男より勉強』を合言葉に勉学に勤しんでいて。クラスには付き合っているカップルも居たけど、私たちはわき目も振らずに頑張っていたのだ。そのおかげで、進学校に入学出来たのだけど。絵梨菜だけはご覧の有様だった。それでも絵梨菜は成績を落とさなかったのが、なんだか釈然としない。
「……あんまり変わってなかったかな」
感想を漏らす私の呟きに、絵梨菜は大げさに反応した。
「──どうして知っているの?」
うわっ。絵梨菜、目が据わってるよ。
「たっ、たまたまよ。一昨日、駅前で偶然会ったのよ。私、歩道橋の階段で足を踏み外してしまって。そこに偶然通り掛かった榊君が助けてくれたのよ。榊君、私のことをまだ覚えていてくれたみたいで、ちょっと嬉しかったな……」
私のバカ。つい、余計な感想を漏らしてしまった。
「へぇ……」
あわわわわ。絵梨菜、顔が怖いよ。折角の美人が台無しだよ。
「だ、だって。私、榊君とは同じクラスになってからも、殆ど話しもしてなかったから。私のことなんて、覚えてる訳ないと思ってたのよ」
慌てる私の言葉に、絵梨菜はハッと息を呑んだ。
そして、優しい表情になった。
「智哉は……智香子のことも、真樹のことも。ちゃんと覚えてるし、二人が優しい女の子だって知ってるから」
唐突にそんなことを言われて。私には訳が判らなかった。
***
私には、それが夢であることは直ぐに判った。
舞台は、中学三年の頃で。
時間は飛び飛びで、ある場面を見たかと思えば、何週間も後に飛んだりしていた。
内容は、現実では見た記憶が無い場面が多かった。と言うより、現実とは随分違っていた。
そこでは、榊君が何度も泣いていた。
最初は、三城谷さんだろうか。事故で倒れていて。榊君は、亡骸にしがみ付いて泣いていた。
その後、教室で暗く沈んでいる榊君を、私たち三人で慰めて。どうにか微笑んでくれたときは、とても嬉しかった。
夏には一緒に海へ遊びに行ったり、絵梨菜も今ほどではなかったけど、榊君のことを大事にしていた。
場面が飛んで。榊君は、何やら絵梨菜のことを心配した様子で駆けずり回っていて。私には、彼が何を心配しているのか判らなかったのだけど。程無く、その理由が判った。
その日、私と真樹は、朝から涙を流していた。絵梨菜が、自殺してしまったことに。そして私は、登校して来ない榊君のことも気になっていた。
朝礼で担任が、絵梨菜が亡くなったことを皆に告げて。そして、教室から出る前に妙なことを口走った。
そのことが真樹も気になったみたいで、二人で担任を追って探したけど。絵梨菜の葬儀に向かったらしく、捕まえられたのはお昼休みだった。そして、担任から事情を聞いて。真樹は、学校から飛び出して行った。私は慌てて真樹の後を追って。辿り着いたのは榊君の家だった。
榊君は、絵梨菜の自殺がショックで休んだらしくて。絵梨菜の自殺を止められなかったと泣いて謝る榊君に、私も真樹も、謝らないでと懇願して、抱き合って涙を流したのだった。
その後、また場面が飛んで。担任から、榊君が事故で入院したことを聞かされた。
教室では、一部の男子が榊君のことを悪く言っていた。
以前、絵梨菜が亡くなった時も、三城谷さんと絵梨菜が死んだのは、榊君が近付いたせいじゃないか、なんて言われていて。それで今度は罰が当たったんだ、なんて意味の判らない悪口が教室を飛び交う中。唐突に土原さんが机を叩いて。榊君が、土原さんのことを身を挺して事故から庇って。そのせいで、代わりに怪我をしたのだと、皆に事情を説明した。
それを聞いて私は──裏切られたような気分になった。絵梨菜のことは、助けることは出来なかったのに。三城谷さんが亡くなって、絵梨菜が一番榊君のことを慰めていたのに。榊君の気持ちは、他の女に移ってしまったんだ、なんて。
自分でそう感じたことを意識して──気持ちが悪くなった。私は、なんて嫌な女なのだろうか。榊君は、ただクラスメイトを救おうとしていただけなのに。どうして、それを批難するような感情が芽生えるのか。あれほど、クラスメイトの死を悲しんでいた榊君のことを、どうして私は……。
その数日後。土原さんが別の事故で亡くなったと聞いて。私は自分のせいだと思ってしまった。狭量な私が、榊君を批難したせいで、榊君がより悲しむ目に遭ってしまったのだ、と。土原さんの死を、榊君はどう思っただろうか。絶望してしまったのではないか。そう思うと、私は涙が止まらなかった。
その後。私は一人で、入院中の榊君を見舞いに行ったのだけど。病室から、彼の苦悶の声が聞こえて。出てきた彼のお母さんから、彼の状態を聞かされて。今はそっとしてあげて欲しいと頭を下げられて、私はその場で号泣してしまった。
目が覚めたとき。私は涙を流していた。
まだ夜中の三時過ぎで。悲しい夢で起きてしまったのだった。
どうして、あんな夢を見たのだろう。
現実には、クラスでは誰も亡くなってはいないし、榊君が泣いているところなんて、見たことも無いのに。
私は、ただ自分の狭量さに涙が止まらなかった。
そのまま二度寝も出来ず、私は眠たい目をこすりながらも、学校に登校した。
今日は文化祭の二日目で、一般開放される日だった。つまり、今日、榊君が来る。
今の私がそこまで榊君のことを意識していたのか、自覚は無かったのだけど。あんな夢を見てしまうくらいには意識していたらしい。
夢が何かを暗示しているのか、それとも無意識下の願望か何かが作用したのか、自分でも判らなかった。
「榊君は何時ごろに来るの?」
そわそわしている絵梨菜を、真樹がからかう。
「……一応、お昼前には来る予定だって言っていたわ。何か面倒な事に巻き込まれてなければいいのだけど」
絵梨菜も私たちも、午前中にクラスの当番を割り当てられていて。榊君にはそのことを伝えてあるらしい。
そして今は、当番を終えて。教室の三分の一くらいを間仕切りして作られた控え室の中で休憩しつつだべっていた。
「面倒な事って……また誰かを助けて回ってるの?」
私の口から、自然にそんな言葉が出て。
絵梨菜も真樹も、キョトンとして私を見つめた。
「……あれ? 私、何言ってるんだろ……」
夢で見た榊君の様子が生々しく脳裏に浮かんで。自然にそんなことを言ってしまったのか。
「智香子、──どうしたの?」
絵梨菜が私の肩を掴んで、覗き込んできた。
「えっ? 何が?」
自分でもよく判らなかったのだけど。私はいつの間にか、涙を流していたらしい。
「智哉のことで、何かあったの?」
絵梨菜は会話の流れからそう察した様子。
「……ううん。今朝、変な夢を見たのよ。それを思い出しちゃったのかな」
どうしてあんな夢を見てしまったのか。
今の自分はそう意識してないけど、実は榊君のことがすごく好きになっていて。絵梨菜たちのことを邪魔者だと、排除したいと思っていたりするのだろうか。でも、それなら神林さんも同じ扱いでなければおかしいし。
「へぇ……智哉を夢に見るんだ」
絵梨菜の視線が痛い。
榊君に関わることだけは、絵梨菜は容赦がない。
「違うってば……そんなんじゃなくて……訳が判らない夢なのよ。舞台は中三の頃なんだけど……現実とは全然違ってて。榊君が、クラスメイトを助けようとして、でも助けられなくて。それで、ずっと泣いていたの」
内容については、あまり言いたくないところもあったから誤魔化そうとした。
「何よそれ。変なの」
真樹は呆れ顔で流したのだけど。
絵梨菜は、愕然とした顔で、私を見つめていた。
「絵梨菜?」
今度は、私が絵梨菜の肩を掴んだ。
絵梨菜は、ハッと息を呑んで。悲しげに目を伏せたかと思うと、苦笑いした。
「それ……すごく気になるわ。その夢の内容を詳しく教えて欲しいんだけど」
絵梨菜の目が据わっていて。
でも今は、私が榊君の夢を見たことに怒っている様子でも無く。
私は気圧されて、夢の内容を語り出した。
「……中三の一学期に、三城谷さんが車に跳ねられそうになったこと、あったじゃない? 夢の中では、榊君の助けが間に合わなくて……榊君は三城谷さんの亡骸に縋って泣いてたの。その後も、ずっと落ち込んでいて……どうにかしてあげたくて、私たち三人で榊君のことを慰めたのよ。榊君は少しずつだけど、元気になってくれて。微笑んでくれたときは嬉しかった……」
つい、そんな感想を漏らしてしまって。また、絵梨菜が怒り出すんじゃないかと思ったのだけど。絵梨菜は、優しい笑みを浮かべて、私を見ていた。これはこれで不気味なんだけど。
「絵梨菜も、今ほどでは無いけど、榊君にずっと親身に接していて。彼のことを大事にしていたわ。だけど、次の事件があって……榊君は落ち込んで学校を休んでしまって……私と真樹の二人で、榊君の家まで駆けつけて……一緒に泣いたの……」
夢の中の話ではあれど、絵梨菜のことだけに言い難かった。
「あたしと智香子の二人だけで? 絵梨菜はどうしたのよ」
当然の様に、真樹に突っ込まれる。
だけど、夢とは言え、絵梨菜が──
「私は自殺してしまった?」
絵梨菜は何でもない風に、そう、口にした。
当人に言い当てられて。私は愕然としてしまった。
「もう、絵梨菜ったら。笑えないよ、それ……」
真樹は、ただのブラックジョークだと思ったらしい。だけど、私の様子を見て口篭った。
どうして、絵梨菜にはそれが判ったのだろう?
「続けて」
絵梨菜は訳知り顔で目を伏せて、続きを促した。
「榊君は……絵梨菜が何かに悩んでいることに気付いていた様子で……私たちにもそれを尋ねていたけど、私たちには判らなかったの……そして、絵梨菜が自殺する当日……榊君は自殺現場に駆けつけて……思い止まる様に説得ようとしたのだけど……絵梨菜は榊君の目の前で、ビルから飛び降りてしまったのよ。私はその話を担任から聞いて……どうして私は何も気付いてあげられなかったのか、悔しかった。真樹は、その話を聞いたとたん、学校から飛び出して行ったわ。私もその後を追いかけて……辿り着いたのは榊君の家だった」
私はその場面を思い出して。自然に涙を浮かべてしまった。
だけど、当の絵梨菜は、別のことに注意を向けていた。
「へぇ……真樹、智哉の家、知ってたんだ?」
絵梨菜の突っ込みに、真樹が噴出した。
「ちょっ……それ、智香子の夢の話でしょ」
「ええ、そうね。それで、真樹は智哉の家、知ってるの? 知らないの?」
私の夢の話なのに。絵梨菜は何故かその部分に食いついて放さない。
だけど、真樹は意外な反応を示した。
絵梨菜の問いに、顔を赤らめて、俯いてしまったのだ。
考えて見れば。榊君は、私たちとは小学校は別で。真樹と榊君に接点が無いことは私でも判ったから、態々調べでもしなければ、真樹が榊君の家を知っているとは思えなかった。
「……いつから、そうだったの?」
絵梨菜は、主語は省いていたけれど。それを事実だと決め付けて問う。
真樹は、観念した様にため息を吐いた。
「一年の冬あたりかな……絵梨菜と三城谷さんが、榊君に注目していることに気付いて、興味を持ったの。そして、見ているうちに私も何となく、いいなって思うようになったのよ」
真樹の告白に、私は唖然としてしまった。真樹とはずっと同じクラスで、いつも一緒に遊んでいたのに、全く気付かなかったのだ。
絵梨菜は真樹の気持ちを知って。それを怒るかと思ったのだけど。絵梨菜は真樹に頭を下げたのだった。
「真樹、ごめん」
絵梨菜にそう言われて、真樹は慌てた。
「えっ、ちょっと、絵梨菜? どうして謝るのよ」
「私、真樹の気持ちも知らず、一人で好き勝手にしてた。だから──」
「そんなの謝らないでよ。あたしは、告白も主張もしなかったのだから。絵梨菜が彼と仲良くしていることを、あたしは本気で祝福してるんだからね?」
真樹はわざとらしく、頬を膨らませて。怒った様子で文句を言うのだけど。目が笑っていて、全然しまらなかった。優しい子だな、真樹って。
「ありがと。──それで、その後はどうなったの?」
絵梨菜は気を取り直した様子で、私に続きを促した。
「絵梨菜が死んでしまったことで……一部の男子たちは、榊君が接近したから、三城谷さんと絵梨菜は死んでしまったんじゃないか、なんて悪口を言ってたけど……榊君は気にする余裕も無かったみたいで……だけど、暫くしてから……今度は榊君が事故に遭って入院したの。榊君の悪口を言ってた男子たちは、罰が当たったんだ、なんて言っていたのだけど……土原さんが、榊君は自分を庇って、自分の代わりに事故に巻き込まれたんだって……皆に報告したの。私はそれを聞いて。裏切られた気分になったわ」
そのことを思い出して。涙が溢れてしまった。それを、両手で顔を覆って、俯いて隠した。
「榊君は……ただクラスメイトを助けようとしていただけなのに……絵梨菜のことは助けられなかったのに、土原さんは助けられたんだって……あんなに絵梨菜は榊君のことを親身になって慰めていたのに、榊君の気持ちは他の女に移ってしまったんだって……そんな風に思ってしまったの。私がそんな風に思ってしまった罰なのか……榊君はその後、もっと苦しむ破目に──」
「土原さんが別の事故で亡くなってしまったのね」
またもや、絵梨菜に続きを言い当てられて。私は涙を流しながらだったけど、呆然と絵梨菜を見た。
「智香子が見た夢は……ただの夢では無いみたいね。私、その内容に心当たりがあるのよ」
……えっ?
絵梨菜が口にした言葉の意味が判らなかった。
私の夢なのに、絵梨菜に心当たりがある、ですって?
真樹も、絵梨菜が何を言っているのか判らない様子で。呆然と絵梨菜を見ていた。
絵梨菜は私たちを見て、頭を振った。
「智香子が見た夢は……現実に、そうなったかも知れない過去なのよ。でも、智哉がそうならない様に頑張ってくれたから。だから、私たちは無事でいられた。智香子は、夢のことは気にしなくていいよ」
絵梨菜の優しくも悲しげな笑みに、私は言葉が出なかった。
そこへ。
「楠見さーん! お客さんが来てるわよー!」
クラスメイトから呼ばれて。
絵梨菜は反射的に立ち上がって。慌てた様子で呼ばれた方に向かった。
「あっ、智哉!」
榊君が現れて。絵梨菜は彼に飛びつく様にその腕を絡め取った。
「「ええぇーっ!?」」
教室では、男子たちがガッカリした様子で悲鳴にも似た声を上げていた。絵梨菜に言い寄る男は結構多くて。だけど全員、すげなく断られていた。いつだったか、他校の有名な男子が告白しに来たこともあったけど、あっさり撃沈していたっけ。
「絵梨菜ったら」
真樹は、絵梨菜の浮かれ具合を見て微笑んでいた。素直に、祝福している様子。
「真樹は告白しないの?」
思わず、そう聞いてしまった。
「今更? それに、あたしはあたしのことだけを見てくれる人がいいかな」
四又だの五又だの、真っ平。なんて、半分は強がりなんだろうけど。
私自身、あんな夢を見るくらいだし、今でも彼のことを意識してない訳じゃないんだろうけど。やっぱり、真樹と同意見だった。
「二人のことを、せいぜいからかってあげましょ」
真樹に促されて。私も真樹と並んで、二人の傍に駆け寄った。




