1.視線
最近、気になる視線を向けられるようになった。
この感想を抱くのは、三年になって、実は二人目だったりする。
今、切なそうに俺を見ているのは、ろくに話をしたこともないクラスメイトだった。
彼女は、三年になって転校してきた神林千佳という女子で、とても大人しい子だった。
以前から、彼女のことは俺も気になってはいたのだ。異性として、と言うよりも、クラスメイトとして。彼女は時折、特に親しくもないクラスメイト相手に、とても親しげな様子を見せるのだ。そして、相手から冷めた反応を返されて、切なそうにそっとため息を吐くのだった。
初めは、単に仲良くなりたくて声を掛けるものの不器用だからうまく行かずにいるのか、などと思ったのだが。それにしては、その素振りが奇妙に感じた。まるで、昔仲良くしていた相手に、自分のことを忘れ去られてしまって、それに傷ついているかのように見えた。
彼女は、俺に対してはそういう素振りを見せることは無かったのだが、他のクラスメイトと対峙したときの様子を見ていて気になった。それで彼女の素性を少し調べたこともあったのだが、以前この辺りで暮らしていたなどという事実も無く。俺の思い過ごしかと一旦は片付けて、忘れていたのだ。
それが、最近になって、俺のことを見ていることに気付いたのだ。以前は、俺のことは寧ろ避けているかのようにさえ感じていたのに。
彼女にどういう心境の変化があったのかは、俺には判らなかったのだが。最近の俺の変化と言えば──クラスメイトの三城谷音葉と付き合い始めたことぐらいか。
音葉とは、二年から同じクラスになった。相性が悪いのか、俺の何が気に入らないのか判らなかったが、ずっと俺のことを嫌っている様子で、それを隠すことすらせず、事あるごとに俺の事を「ヘタレ」だとか「煮え切らない男」などと罵倒していた。
その音葉が、どうして俺と付き合うことになったのかと言うと。五月の事故がその理由だろう。それ以外に考えられなかった。
五月の初旬。下校中の音葉が、校門付近で車に撥ねられそうになったことがあって。俺はたまたま近くにいて、音葉を突き飛ばして助けたのだ。音葉は擦り傷程度で済んだのだが、代わりに俺が車と接触してしまい、左足を骨折してしまって。そのことで、音葉は随分と俺に引け目を感じていたみたいだった。俺はずっと「気にするな」と言い続けて。それ以来、音葉が俺のことを罵倒することは無くなり。代わりに、気になる視線を俺に向けるようになったのだ。親しげな視線を。以前なら侮蔑を込めて睨まれるのが関の山だったのに。
元々、一方的に喧嘩を売られている状況だったから、音葉から何も言ってこなければ普通のクラスメイトとして接して。寧ろ、音葉が俺を気に掛けるようになって、仲が良くなって。そして、六月下旬になって、交際を申し込まれたのだった。
受験を控えた中三の夏、恐らく進路も違うであろう相手と付き合うことに、一抹の不安もあったのだが。それでもOKしてしまったのは、ギャップ萌えだったのかも知れない。ずっと険悪だった相手と、急に仲良くなったことに対して、なのか。それとも、道場でずっと空手を習っている男勝りなやつで、普段の言動からもガサツな女だと思っていた相手が、急に女らしく見えたからなのかは判らなかったが。
そうして、音葉と付き合い始めて。そのことがクラスメイトたちにも周知されたあたりから──神林さんからの視線を感じるようになったのだった。そして、その視線の内容が、気になっていた。
もしかして神林さんも俺に気があるのでは、などと甘いことを考えた訳では無い。それまで、そういう素振りは一切見せなかったし、寧ろ見向きもしていなかったから。ましてや、音葉のことが気になっていると言う訳でも無さそうで。うちのクラスには、他にも既にクラス公認のカップルと認定されている連中がいたから、別に今更付き合い始めたクラスメイトが増えても、それで切なく感じる訳も無いだろう。
その理由を想像しながら、沈んだ様子の神林さんを窺っていると。
「と~も~や~」
背後から音葉が、俺にヘッドロックを仕掛けて。
「いててててっ」
元々腕力は音葉の方が上。結構厳しく極まっていて、
「ギブ、ギブ!」
彼女の腕をタップするしかなかった。
音葉が力を抜く。
「ふぅ……どうしたんだよ、いきなり」
音葉に批難の目を向けるが、睨み返される。
「どうした、じゃないわよ。何、堂々と他の女に色目使ってるのよ」
付き合う以前のような険しさは無く。拗ねたように可愛く文句を言われた。付き合い始めてから、音葉の言動や仕草は可愛くなったと思う。その反面、気安く触れる様になった分、以前より暴力的になってもいたのだが。
「色目って……そんなんじゃなくて。……何と言うか、気になってさ」
気になる、と言う俺の言葉に、音葉は不満な様子。
「クラスメイトとして、だよ。音葉も、神林さんとはあまり仲良くなかっただろ?」
別にそれを批難している訳では無かったのだが。彼女はそれでも傷ついた様に視線を落とした。
「別に、仲が悪い訳でも無いわよ? 接点は少ないけど。確かに、あの子と特別親しくしている人も居ないみたいだけど、誰一人、邪険にしたりして無いし……。──って、何なのよ?」
音葉と話をしている俺の方を、神林さんが見ていることに音葉が気付いた。彼女の切なそうな表情に、音葉も何かあるんだろうと思ったらしく、音葉は即座に神林さんの方へ向かった。
「おい、待てよ」
怯む神林さん。後ろからは見えないが、音葉の表情が彼女を脅えさせているのだろう。音葉の腕を掴んで制止しようとしたのだが、音葉はそのまま俺ごと引き摺って、神林さんに詰め寄った。
「彼に何か用でもあるの? それとも、あたしに何か言いたいことでも?」
直情型の音葉だったから、無遠慮に神林さんに言葉をぶつける。
神林さんは、暫くは何も答えられずにいたが、やがて。
「……いいな、って。そう、思っただけよ……」
悲しげに俯く彼女に、音葉も毒気を抜かれた様子で黙ってしまった。
音葉自身が先ほど言った通り、神林さんは転校して来て以来、俺以外のクラスメイトとは一応交流はあるものの、親しいと呼べる相手はおらず。彼女から見たら、付き合い始める以前の俺たちの罵り合いすら、羨ましく見えたのかもしれない。
それでも音葉は気を取り直した様子で、再び神林さんに牙を剥いた。
「だから、何なのよ? 智哉はあたしの彼氏なの。変な色目使わないでくれる?」
神林さんは俯いたまま返事も出来ず。
「音葉」
俺は、後ろから音葉を抱きしめた。このまま音葉を暴走させては、音葉にも神林さんにも悪い。
「お前の言うとおり、俺の彼女はお前だ。だから、それを疑ったり、不安に思わせたりしてしまったのなら謝る」
俺の言葉に、音葉が振り向く。不安げに涙を浮かべる彼女に胸が痛む。
「だけど俺は、他のクラスメイトたちとも仲良くしたいし、音葉にも仲良くして欲しいと思う。いけないか?」
諭すように言う俺の言葉に音葉は、
「ごめん……柄にもなく嫉妬しちゃった」
素直に気持ちを言葉にしたのだった。
そんな俺たちの様子を、神林さんは切なそうに見守っていた。
俺は意を決して。
「神林さん……あのさ。俺たちと友達にならないか?」
「……えっ?」
俺の提案に、神林さんは妙にうろたえた。
「俺、神林さんのことが気になってたんだよ。神林さんがうちのクラスメイトたちに見せる仕草や表情が。……理由は知らないけど、何か昔親しかった相手に忘れられてしまったみたいな、そんな風に見えてさ」
俺の言葉に、神林さんは愕然として。目を見開いて、俺を見つめ返していた。
音葉は、俺の言葉と彼女の様子に息を呑んだ。だけど、それに何があるのか判らない様子で、複雑そうな顔をしていた。
「……でも、神林さんは、昔この辺りに住んでいた訳でも無さそうだし、俺の勘違いなんだろうけどさ。うちの連中が、神林さんが昔親しくしていた誰かを連想させるのかもしれないけど……俺たちともさ、新たに交友関係を築いて欲しいんだよ。みんな、気のいい奴ばかりだからさ」
我ながら偉そうな物言いだとは思ったが、構わず彼女に右手を差し出した。
彼女は、それを見て。切なそうに、右手を胸の前で握り締めて。暫く目を瞑った後、
「──ありがとう」
そう言って、彼女は俺の手を握り返した。
その手に、音葉も手を重ねた。
「言っとくけど、あくまで友達として、だからね」
音葉はどちらに向けて言う訳でも無く、目を瞑って、独り言のように呟いた。
神林さんは、その様子にクスリと笑った。
その後は、神林さんも俺たちと一緒に遊ぶ様になって。彼女は、俺の小学校からの親友である沖尚康とも親しくなった。尚康も二年から俺と同じクラスだったから音葉とも顔見知りで、音葉も俺と付き合う様になってからは尚康も交えて三人で一緒に遊ぶようになっていたのだ。そこに神林さんが加わり、あぶれ者同士という訳でもないのだろうが、四人で遊ぶときは尚康が神林さんの相手をしていた。
夏休みには四人で遊園地や海に遊びに行ったりして、次第に神林さんもよく笑うようになっていった。未だに、時折俺を見て切なそうにしていることはあったが、それを音葉や尚康に気取られるようなことも無く。だから、俺もあまり気にしない様にしていた。
いきなりネタバレ風味ですね(汗




