自殺の理由
途中、暗い内容になります。苦手な方はご注意下さい。
時折、死にたくなる。たいした理由ではない。自販機前で財布に一枚しか入ってなかった百円玉を落として紛失した──その上、五百円玉も入ってない──だとか、テストの成績が悪かったとか、誰かと喧嘩や諍いをした、とか。
どうしても死にたいと思うほど酷い目に遭ったことはなく、何が何でも死にたいと思うほど絶望するわけでもなく、ただほんの一時、数分も経てば忘れてしまう程度の軽い気持ちで死にたいなぁと思う、その程度のものだ。
だから、本当に自殺をしてしまう人の気持ちは理解できない。そして、誰か顔見知りが自殺するということも考えられなかった。
上でもなければ下でもない、目立つところが特にない、地味で平凡で、気になることがあれば一時的にハマるけど飽きっぽい、どちらかと言えばオタク──とはいえそれほど熱心なわけでもない──なところ以外はごくごく普通の男子高校生。
それが俺、東野裕樹である。
◇◇◇◇◇
「はぁ!? 自殺!?」
最初にそれを聞いた時、何故だ、と思った。悲しむより、怒るより、何故そんなことになったのかと疑問に思った。
それが事実だと実感できなかったせいもあるかもしれない。
「だって菅原だろ? 菅原健! 中身も外見もイケメンで、成績優秀で、スポーツ万能、おまけに金持ち! 悩みとか鬱屈とか、一生関係なさげな完璧男!!
すっげぇ美人の彼女がいて、志望校に入学したばかりだってのに、どうしてまた自殺なんか!!」
あまりに完璧すぎて『ミチザネ』──菅原道真からきている──というあだ名を付けられたくらいの男である。
良く考えたら、天神様としてはともかく、排斥され非業の死を遂げて祟り神となったとか、雷神として恐れられただのといった逸話のある道真はあんまりだったかもしれないが、本人は怒らなかったので、それで定着した。
彼をそう呼んだ俺達にはマイナスイメージは一切なく、とにかくすごいやつだというプラスの意味だった。
性格も明るく、口数はそれほど多い方ではなかったが、寡黙というわけでもなく、一緒にいて気持ちの良いやつだった。
俺自身は菅原と親しい友人というわけではなかったが、二年間中学で同じクラスということもあって、全く会話や接触がなかったわけでもない。
一度、わからないところを教えてもらったことがある、というだけの知人である。だから、菅原のことを深く知っているわけではないし、理解しているとも言い難い。
でも、俺の知る菅原は、自殺というもののマイナスのイメージから一番遠いやつだった。だから、何故だ、と思った。
あいつがそんなことをするはずがないと言えるほど、菅原を知っているわけではない。だけど、あいつが自殺したと言われて、納得もできなかった。
こんなすごくいいやつを嫌いになる人間がいるとも思えなかったし、当人が死にたいと願い、それを実行してしまうほど苦しむようなことがあるとも思えなかった。
『自殺の原因なんて聞かれても、おれだって知らねぇよ。とにかく、あいつの通夜は明日の夜七時で、葬式は明後日の朝十一時だ。
場所はあいつの家だから、わかるだろう? 新聞に広告は出してないし、一応家族葬ってことだけど、親しかったやつや希望者は行っても大丈夫らしい。
おれもLI○Eで教えて貰わなかったら知らなかったし、聞いた今でも信じられねぇけど、あのお調子者の塚本だって、そんなタチの悪い冗談は言わないから本当だって。
さすがに家族に原因聞くわけにもいかねぇし、あいつの彼女や親しい友人に聞くのも無理すぎだろ。
理由なんか聞かれても、答えられるわけねぇだろ。おれはそんなに親しくなかったし、用もあるから行かないけど、一応お前にも教えておこうと思って。
たぶんおれが教えなかったら、他にお前に教えるやついないだろ?』
「……言いにくいことをはっきり言いやがって」
別に他の同級生に嫌われているわけではない。ただ、同じクラス内に親しい友人というのがこいつ──電話で菅原の自殺を教えてくれた篠田政弘以外にいなかったというだけである。
他のクラスには友人がいたし、その内二人は同じ高校に進学して今も現役で友人なので、友人が少ないというわけでもない。
小中学校合わせて友人が五人、というのは多くはないが、少なくもないはずだ。だと思いたい。あと、塚本康英は俺と篠田、共通の友人である。
高校入学して以来、まめに連絡を取り合っているとは言い難いが、中学卒業後に何回か遊びに行っているし、先月も自転車で裏山へ行った。
お互い無精なところがあるので、特に用事や話したいことがなければ、月に数回くらいしかメールもLI○Eもしなかったりするが。
相手から連絡が来れば返事はするが、用事もないのに連絡する、というのがちょっと面倒だったりする。だいたい何を書けば良いのか、わからない。
「でも、なんで塚本がそんなこと知ってたんだ? あいつ、菅原と仲良かったっけ?」
『ああ、あいつの先月できた彼女って、菅原の友達の彼女のそのまた友達らしくって、そっちから聞いた話らしいぞ』
「ええっ!? 塚本に彼女ができたなんて話、初耳だぞ!?」
『あっ、しまった。そう言えば塚本に口止めされてたんだった。うっかりしてたわ』
「はぁ!? なんでだよ!! どうしてそんなっ!!」
『たぶんお前に知られるとしつこく聞かれると思ったからじゃねぇ? だって、お前、知りたいと思ったら、相手にうるさいと言われるまでしつこく聞くタイプだろ』
「ひでぇ!! そんなことねぇよ! いったい俺をどういうやつだと思ってるんだ!!」
『まぁ、そういうわけだから一応教えたけど、自殺の原因が何かとか聞いたりすんなよ。そういうデリケートなこと聞いたりすると、嫌われるからな』
「しねぇよ!! ただ、疑問に思ったりするのは仕方ないだろ? だって、あの菅原だぞ。俺、両手の指で数えられるくらいしか会話したことないけど、中味も外見もすっげーイケメン! としか思えなかったし、すごくいいやつだったぞ」
『だったらそれで良いんじゃねぇの?』
「何がだよ?」
『細かい事情まで知る必要はねぇってことだよ。相手が生きてるんならともかく、死んじまったんだから、それ以上のことは知らなくても良いだろ。
悼む気持ちや悲しむ気持ちがあるなら、通夜でも葬儀でもどっちか都合の良い方へ行けば良いし、それほどでもないならいつも通り過ごせば良い。お前の好きなようにしろよ』
「…………」
確かに菅原とはそれほど親しくなかったし、一緒に遊びに行ったこともなければ、深く話をしたわけでもない。
それでも、篠田の言い方はちょっと薄情じゃないか、と思ってしまった。たぶん、顔も声も知らない相手なら、それほど思うこともなかったのだろうが。
『おっと悪ぃ、風呂入れって言われてるから、そろそろ電話切るわ。早く支度しないと、部屋にブチ切れられるからな。
なんか用とか言いたいことあったら、LI○Eかメールでもしてくれ。じゃあな』
「……わかった」
もしかしたら、それほど仲が良いわけでもない、ただのクラスメイト、というなら、篠田のように何の感慨もない、というやつもいるのかもしれない。
全く何も感じないというより、感心・興味がない、のだろう。俺はそれを淋しいと感じてしまうが、世の中の人間全てがそう感じるわけではない。
むしろ俺はちょっと会話しただけで馴れ馴れしすぎる、なんてことも言われるくらいなので、たぶん間違っているのだろう。
だけど、落ちてる財布を見つけたら拾って交番に届けたいし、道に迷っている人がいれば時間に余裕があれば案内してあげたいし、困ってる風の人や体調悪そうな人を見掛けたら声を掛けて、できることがあるなら何かしてあげたい。
それは俺が子供の頃から好奇心旺盛で良く迷子になっては、誰かに助けてもらったり、怪我して泣いていたら近所の人に声掛けられたりして育ったから、というのもある。
自分を助けてくれた人にできる限りのお礼や感謝はしているが、そうして助けられたという思いがあるからこそ、困っている人がいるなら自分も何かしてあげたいと思う。
昨今は、嫌な事故や事件も多いせいで、幼い子供に話し掛けただけで事案とされる場合もあるらしいし、相手が若い女の子だとナンパだとか思われて嫌がられることもなくはないけど、無理をしない程度に何かしたいと思っている。
お前の頭はお花畑だな、と言われたこともあるが、お花畑で何が悪い、とも思っている。なるべく人の迷惑にならない程度に、頑張ろうとも思っているが。
◇◇◇◇◇
俺のスマホに登録されているのは、篠田と塚本、同じ高校に通う仲多と押村、篠田と同じ高校の滝田の他は、両親・祖父母や親戚、近くの警察署と消防署に市役所と保健所と消費生活センターである。
友人達には親戚まではともかく、何故そんなところの電話番号や住所などを登録しているんだと良く言われるが、実際登録しておくと便利だと思う。
落とし物の届け出や確認くらいなら電話で済ませた方が手っ取り早いし、道路に物が落ちてたりする場合──木材や鉄骨など大きな物はもちろん動物の死骸も含む──は道路緊急ダイヤルでも役所や最寄りの警察署に電話しても対応してくれる。
自宅などの私有地などで動物の死骸を見つけた場合は保健所に連絡すれば対応・処分してくれるし、不法投棄とかで捨てられた物を見つけた時は役所や保健所、場合によっては警察などに相談できる。田舎に住んでいるやつほど必要だと思う。
登録しなくてもネットで調べればすぐわかるが、最初から登録しておけば、必要な時すぐに連絡できて便利だ。
調べて連絡しようと思うと面倒臭いが、最初から登録してあるなら速やかにかけることができる。110みたいな番号なら登録する方がかえって手間だが、それほど緊急ではないがなるべく早急に対処して欲しい時などは登録した方が断然良い。
説明するとたいていの人は納得してくれるが、それでも面倒臭いからいいや、という意見の方が多いみたいだ。たぶん、そういう人とそうでない人がいるから、釣り合いが取れているのかもしれない。
「おはよう、仲多、押村。菅原のこと聞いたか? 俺、通夜行こうと思ってるんだけど、お前らはどうする?」
「おっす、東野。行くの? お前、意外とそういうのマメだよなぁ」
と、呆れたように言ったのは押村一樹。
「おう、おはよう。おれは行かねぇよ、菅原とそんな仲良くなかったし。何、東野、お前行くの?」
だるそうに答えて、胡乱げに俺を見るのは仲多翔也だ。
「ああ、聞いたからには行こうかと思ってる。二年の時に関数や方程式のわからないところを教えて貰ったことがあってさ、そのおかげでその後の勉強も理解できるようになったんだ。
菅原の教え方って先生よりわかりやすくてさ、何それすげぇ!って思ったくらいで、すごく感謝してるんだよ。あれがなかったら今でもわからないままだったかもしれない」
「ふぅん、そういうことならあれかな。でも、通夜とか葬式行くってなると金包まないといけないんだろ? 大丈夫なのか?」
仲多にそう聞かれて、俺はクビを傾げた。
「えっ? 香典って、確か自分の稼ぎがない内は持っていかなくても大丈夫だろ?」
「葬儀場じゃなくて自宅だから、別に良いのか。おれが小学生の時の同じクラスのやつが死んだ時は、代表で出席したやつが皆から金を集めて持って行ったからさ。まぁ、その時集めたのは各自百円だったけど。
けど、軽い気持ちで行くのはやめた方が良いぞ」
「軽い気持ちなんかじゃないけど、どういう意味だ?」
「子供が死んだ通夜とか葬式って、親とか親戚がすごくヘコんでたり泣いてたりするから、かなり空気が重いぞ。人や場合にもよるだろうけど、老衰とかで死ぬのとわけが違うから、覚悟せずに行くとキツイと思う」
ガツンと頭を殴られたような気がした。当然のことなのに、仲多に言われるまで全く頭になかった。俺は俺なりに悲しんでいるつもりだったし、悔しさみたいな気持ちもあった。
でも、俺より親しかった友人や家族はもっとずっと、それより強い気持ちだろう。
「でも、それが理解できて、それでもお前が行きたいと思うなら行けば良い。行かずに後悔するくらいなら、行って後悔した方がマシだろ。
言われなくてもわかってるだろうけど、場の空気は読めよ」
「俺だってそれくらいはわかってる。けど、忠告ありがとうな。俺、菅原の家に行く道筋のチェックくらいしかしてなかった」
「おいおい、大丈夫か、東野。お前、行く前にネットで通夜・葬儀のマナー、調べて行った方が良いぞ。宗教も宗派も知らないけど、一般的なやつだけでも覚えておけば後はなんとかなるだろ。
前の人の真似すりゃ良いだけだが、人の背中越しだと良くわからなかったりするからな」
「あっ、しまった、そういうのもあったか。制服着て数珠持って行けば大丈夫だと思ってた。昔、じいちゃんの葬式したけど、ちょっとうろ覚えなんだよな。
でも、他にもいるんだから何とかなるかと思ってた。どうせ最後の方だし」
「でも、自宅でやるんだぞ。普通の通夜とか葬儀みたいに立ってやるんじゃなくて、座って焼香しなくちゃいけないんじゃないか?」
言われてハッとした俺は慌てて、スマホを取り出して検索した。そして見つけた文章に、一瞬頭の中が白くなった。
「……なぁ、家族葬って原則出席しない方が良いって書いてあるんだけど」
冷や汗をかきながら言うと、
「そう書いてあるなら、行かない方が良いんじゃないか? 考えてみれば自宅でやるんだから、人が大勢来ると大変だよな」
仲多が少し呆れたような顔で言い、
「うっわぁ、東野、お前行く前に調べて良かったなぁ! 行った後で知ったら最悪だろ、それ」
押野が椅子の上で大きく伸びをしながら、そう言った。
行きたかったのに、行きたいと思った気持ちは本当だったのに、行く準備をする以前に門前払いを食らった気分で、ガックリきた。
どうしても行きたいなら、相手に電話して確認取れと書いてあるが、それほど親しくなかった同級生の家に電話して、話したこともない家族と話して了承を得る、というのはハードルが高い。
通夜も葬儀も行かない方が良いと言うなら、どうしたら良いだろう。後日弔問に行く、というのもなかなかキビシイ。生前一度も行ったことがないことを考えると、行きづらい。
しかも、菅原の家族の都合を聞かずに家に訪ねるというのもマズイだろう。となると、あれか、墓参りくらいか。墓参りって亡くなってからどのくらいだっけか。
四十九日、忘れそうだ。いや、その時期にすぐ参りに行く、というのもマズイだろう。親しい友人や恋人とかならともかく、ただの同級生だ。
一年後、とか? それくらい、なのかな。でも、お墓の場所とかどうやって聞くんだ。それも今回のように塚本や篠田に聞けば良いのか。
菅原の家の住所はわかるが、電話番号も知らない段階では、どうしたら良いのかもわからない。
結局、悶々としながら、その日の夜を過ごした。
◇◇◇◇◇
眠れぬ夜を過ごして翌朝、悩んだ末に塚本にLI○Eした。
『そんなことなら、最初から聞けよ』
散々悩んで連絡したのに、そんな返事が帰ってきた。
『そんなことならって、だったら最初からお前が直接俺に連絡すれば良かっただろ』
そう送ると、速攻で返信が来た。
『今週末に「有志による菅原君を送る会」みたいなやつをやるんだよ、カラオケ店で』
「はぁ?」
意味がわからない。
『菅原と仲良かった連中が集まって、菅原が好きだった曲を歌ったり、菅原の思い出話とかする会。会費は参加人数によって変わるけど、今のとこ千円の予定』
一瞬、ふざけてるのかとも思ったが、そうではないと気付いた。同い年の友人同士でやるなら。
カラオケで歌うのも、思い出話をするのも、いつでもできるし、どこでもやれる。だけど、皆がそうしたいと思って、そう思った者が集まって話をしたいとなると、高校生ではファミレスかカラオケ店くらいが関の山だ。
そして、ファミレスは人目がありすぎる。
『それ、「送る会」っていうより、「偲ぶ会」もしくは「悼む会」じゃないか?』
そこだけは気になったので、ツッコミを入れる。
『そうとも言う』
塚本らしい返答というか、なんというか。まぁ良いか。
『それで、会費の他に持って行くものとかあるか?』
そう書いて送信した。偲ぶ会ってのは聞いたことがあるけど、出席したこともないし、出席しようと思ったこともない。
『ない。会費は部屋代と飲食代の他、花代になる予定』
『花代?』
『仏前に捧げる花だよ』
塚本の返信を見て、思わず息を呑んだ。それから、そうか、と思った。呼ばれてもいないのに通夜や葬儀に出席したり香典を包んで渡すのは迷惑になるかもしれない場合でも、有志で金を出し合って花を渡すことができるのか、と。
同年代の親しい友人同士で行う会なので、献花とか儀式めいたことは一切やらないらしい。ただの自己満足──だとしても、俺は行きたい。参加したい。
『それって、俺が行っても良いのか?』
『来たいやつは来いって会だから良いぞ。参加するのは菅原のこと好きだったやつばかりだから、そういう気持ちじゃないやつはお断りだが』
少し、救われた気がした。じんわりと涙がにじむ。
『行く』
送信する。しばらくして返信が来る。
『じゃ、今週金曜17時から「う~ST○LE ○崎店」。一緒に行くか?』
他のメンツは顔見知りか赤の他人なので、待ち合わせて行くことにした。うっかり知らない面々に囲まれたら、空気を読めないことに定評のある俺でも、さすがに気まずい。
『頼む。服はどうしたら良い? 制服とか?』
『場所がカラオケ店で平日の夕方だから、制服のやつも私服のやつもいると思う。私服の場合は派手なのは浮くからやめとけってくらいじゃね?』
なるほど。服とか考えるの苦手だし、無難に制服着て行こうかな。
『じゃあ、制服で行く』
『おう。じゃ、四時過ぎくらいにお前の家行く』
『了解。遅くなるようなら連絡くれ』
出席者は塚本以外はそれほど親しくないやつばかりだ。そう思うと少々緊張するけど、全員菅原のことが好きで、菅原について語りたいってやつばかりなのだと思えば、安堵すると同時にちょっと羨ましくなる。
たぶん俺が死んでも、そういう会をやろうって話にはならないだろう。親しい友人達がファミレスやファーストフード店、あるいは誰かの家に集まって、俺の話をしてくれるかもしれないが、そういう企画立てて会費集めてやろうっていうマメなやつは一人もいないだろう。
つまり、リア充の友達はリア充というやつだ。俺達普通の地味系とは、発想や感性が違うし、集まる人数も違う。女の子もたくさん来そうだ。まぁ、メンツの中に女の子が多くても、俺には関係ないが。
◇◇◇◇◇
二日後の金曜日、早めに帰宅した俺は、念のため鏡の前で髪をセットして、制服の埃を払い、ネクタイを締め直した後、靴を磨いて準備した。
鞄とかはいらないだろう。ポケットにスマホと財布を突っ込んで、玄関で待っていると、呼び鈴が鳴った。
「よぉ、会うのは久しぶりだな、塚本。思ったより早かった」
ドアを開けて言うと、塚本は胡乱げに俺を見返して言う。
「おう、しばらくぶりだな。つか、呼び鈴鳴らしてすぐ扉が開くから、こっちがビビったっての。LI○Eとかゲームでは会話はするけど、直接会うのは一ヶ月ぶりか、東野。
ま、高校入学したてでバタバタしてたからお互い様だよな」
「そういや塚本、彼女できたって聞いたぞ。なんで俺には教えてくれなかったんだ。篠田に聞くまで知らなかったじゃないか」
「あー、一応できたっていやぁできたけど、まだ付き合って二週間くらいだし、すぐ振られるかもしれないだろ。なのに彼女できましたーとかって浮かれて報告すんの、あれじゃね?
だからもうちょい経ってから言おうと思ってたんだよ」
「え、何? お前付き合いたてで、もう振られそうなのか?」
びっくりして言ったら、塚本は冗談じゃないとばかりにブンブンと首を左右に振った。
「いやいや! 縁起でもねーこと言うなよ!! そうじゃなくて! ほら、俺みたいな地味なフツメンで取り柄がないのが取り柄みたいなやつにマジで惚れる女とか現実にいると思うか?」
俺は思わず顔をしかめた。
「なんだ、それ。さすがにそれは卑屈過ぎないか? だいたいそういうのわかりきってて付き合うことにしたんだろうし、そんなのが理由で振られるってことはないだろ。
もし、そんな理由で振るやついたら、年齢性別関係なくそいつの性格最悪だろ。そんなやつなら付き合わない方が断然良いんだから、気に病む必要全くなし」
あれだ、それでも良いから付き合えただけで御の字だとかいうやつもいるかもしれないけど、俺は俺自身も俺の友人もそんな目に遭うのは見たくないし、気持ち悪い。
もし仮に現実にそういうやつがいたとしても、そんな相手と交際したがるやつの気が知れない。考えただけでゾッとする。
「……まったく東野らしい意見だな。まぁ、あれだ。付き合い始めたとは言っても、まだ一回しかデートしてないし手も握ってないから、それで報告とかいうのもなんだろ。
それにお前が知ったら絶対、どうやって付き合うことになったとか聞くだろ?」
塚本は苦笑しながら言った。
「何だよ、聞いちゃいけないのか?」
中学時代、塚本が女子と話してる姿なんか見たことなかったのに、菅原の彼女の友達とやらで、塚本がそんなこと言うような相手とか、まるで想像つかない。
塚本はちらっと俺を見て、わざとらしくぷいっと顔を背けた。
「話したくない」
「それって恥ずかしがってんのか? 柄にもなく」
だいたい俺の知ってる塚本だったら、絶対彼女とかできたら付き合い始めて幾日とかそういうの関係なく、こっちが聞かずとも自発的に、うざいくらいに自慢してくると思ってたんだが。
あいつがマグレで山勘で理科のテスト百点取った時なんか、俺が名前書き忘れで零点──書き忘れてなくても平均点以下だったが──だったこともあって、さんざん自慢されて軽く口喧嘩したし。
まぁ、その次にあった実力テストではやつの実力通りの結果だったから、こっちも意趣返しできてスッキリしたが。やっぱりテストでできなかったところは真面目にやっておくもんだよな。
「……相手、三年の時同じクラスだった関口なんだけどな、話したきっかけが痴漢絡みだったから、詳しいことは話したくないんだ。関口、まだちょっとトラウマっぽいしな」
「え」
思わず固まった。固まって、しばらく考えて、ムッとした。
「おい、さすがにそういうことなら、しつこく聞いたりしないぞ。隠されると気になるけど、そうならそうとはっきり言えば良いじゃないか。俺をバカにしてんのか?」
「そういうんじゃねーけどな、まだ捕まってないんだ、犯人。逃げられたから」
「マジで? それって大丈夫なのか?」
「そういうわけでなるべく登下校は俺か関口の友達と一緒にしてるけど、乗る電車の時間とか車両とか変えたからか、それ以来遭遇してないんだ」
「そうなのか。でも塚本、その犯人捕まえた方が良いんじゃないのか? どこで遭遇するかはだいたいわかってるんだろう?」
他人事ながら思わず心配になって言うと、塚本は呆れたような顔になった。
「どうせお前はそう言うと思ってたよ。なんでわざわざそんな危ないことしなくちゃならないんだ。考えなしのバカじゃなくてやり慣れてる常習犯なら、無理に捕まえようとしたら何しでかすかわからないんだぞ。
時刻や車両を変えて避けられるならそっちの方が安全だし、それで避けられないなら警察に通報もしくは相談ってのが鉄板だろ。漫画とかラノベじゃねーんだから、本職に任せるべきだっての」
「まぁ、そうかもしれないけど」
「そういうわけだから、余計なことしたり聞いたりするなよ。ようやく普通に話す分には平気になったんだから」
「あれ? ってことは、もしかして、そのなれ初め的なのってもっと前か?」
そう尋ねると、塚本はチッと舌打ちした。
「なんでこういう時だけ妙に勘が良いんだ」
嫌そうにぼやく塚本の顔を見て、直感した。
「もしかして、その頃から俺には話さずに篠田には話してたのか?」
「東野、お前ってテストの山張る時は高確率で失敗するのに、どうしてそんなどうでも良いことに関して察しが良いんだ。勘で天気当てるのも得意だよな」
「なんで篠田には話すのに、俺には話さないんだよ」
「だって篠田、あれで結構頭良いだろ、テストや勉強に関すること以外は」
なるほど、わからなくもない。わからなくもないが、ちょっぴり面白くない気持ちが湧いてくる。嫉妬とかそういうのじゃないけど、役に立つかどうかはおいておいて、俺にも相談してくれたって良くないか、みたいな。
たいしたことは言えないし、頑張って考えても誰にでも考えつくようなことしか思いつかないかもしれないけど、猫の手くらいにはなると思うんだが。でもまぁ、仕方ないのか。
「まぁ、別に話したくないっていうなら聞かないけど、彼女できておめでとう、くらいのことは言わせてくれ。俺らの中で一番最初だよな。
そういうの良くわからないけど、どっちかだけが付き合いたいと思って付き合えるもんじゃないんだから、いきさつや事情がどうあれ、現在進行形で付き合ってるなら良いんじゃないか?
俺は初恋とかしたことないし、ラブコメとか恋愛小説とか読んでも主人公の気持ちが全く理解できないタイプだから『なんでそうなった』としか思えないけど」
「二次元でも三次元でも好きになったことないなら、そんなもんだろ」
「いや、さすがにLike的な好きはわかるぞ。ただまぁ、テレビしたりゲームしたり読書したりする時間削ってまでデートとかLI○Eとかするのは面倒臭いと思ったりするだけだ。
女子と会話とかって何を話すんだ? 俺、会話以前にリアル女子の言ってる内容理解できる自信がないんだけど」
「そんなのオレだって正直良くわからねーよ。けど、別にうまいこと言う必要とかないから。つーか、オレ、うまいこと言ったことなんか一度もねぇし。
だいたい口の上手いやつが良いなら、オレとは付き合わねぇだろ、たぶん」
なるほど、と思ってしまった。さすがに面と向かってそう言ってしまうのもどうかと思って、苦笑するだけで留めたけど。
「ところで俺、関口って記憶にないけど、どんな感じのやつだっけ? くわしくは良いから、だいたいの印象だけ教えてくれ。髪が長いとか短いとかそういうの」
俺がそう言うと、塚本は苦笑した。
「なるほど、そっちには無反応だと思ったらそういうことか。ほら、中三の時のクラスに女子の目立つグループのリーダーで皆川っていただろ? そのグループに混じってたショートの女バスのエース」
「女バス──女子バスケ部か。そのエース? そういやそんな子いたか、良く覚えてないけど」
「あー、じゃあ、これならわかるだろ。女子で一番背の高かった子だ、卒業直前で一六八cmだったか」
言われて思い出した。顔とか細かいとこまでは覚えてないが、派手でも地味でもないけどやたら背の高かった女の子。一部の男子が身長のことでからかってたような。
でもバスケ部所属してるなら、高身長は強味であってそれについてどういう言われることじゃない。
「その言い方だと、今はもっと伸びてるのか?」
「今は一七〇超えてる。正確な身長は教えてくれないけど、たぶん一七二cmくらいだ。オレの鼻の下くらいだし」
「ふーん、今もバスケ部なら良いんじゃないか。それくらい身長あるとマッチアップするにも有利だろうしな。オフェンスかディフェンスかは知らないけど」
「そうだな」
塚本はちょっと嬉しそうな顔で笑った。
「ん、何? もしかして今のノロケだったか? もしかして高身長のモデル体型彼女スゲーかっけえとか言って羨ましがった方が良かったのか?」
「バーカ、違ぇよ。そういうんじゃなくて、東野がちっとも変わってなくて安心したっつーか、あれだ、物事基本的にポジティブに考えるとこがお前らしいって思っただけだ」
「何だそれ、俺がおバカな脳天気野郎だとでも言いたいのか? 否定はしないけど、面と向かってはっきり言うな、傷付くだろ!」
「いや、誰もそんなこと言ってねーし。つーか否定しねぇのかよ。そっちの方が驚きだよ」
「だって俺、親にも親戚にもその辺の赤の他人にも言われたことあるし。どこら辺が『おバカな脳天気』なのかは良くわからないけど、たとえ大袈裟に言ってるだけだったり誹謗中傷の類いだったりしても、一人や二人じゃないならそう言われる要素があるんだろ。
具体的にどこがそうだと指摘されたことはないから、気にしてないけど」
親や親戚が言う時は苦笑しながらだし、赤の他人に言われる時はだいたい嫌な感じの笑い方されるから、たぶん気にするだけ無駄だ。俺自身が不都合感じないなら、きっと問題ないだろう。
さすがに問題になるレベルだったら、誰かそう言うだろうし。
「ああ、そうだ。一応言っておくけど、今から行くとこでオレと関口が付き合ってることは内緒で頼む。知ってるやつは知ってるけど、知らないやつにわざわざ知らせる必要ねぇから」
「ん、わかった。あの派手目女子リーダー、知ったら面倒臭そうなやつだもんな」
塚本が言うまで名前も良く覚えてなかったクラスメイトだが、あまり仲良くなりたいタイプじゃなかったはずだ。イジメとかまではしてなかったと思うが、絡まれるとかなりウザそうなタイプだったような記憶がある。
残念ながら三次元女子は髪型とおおよその身長以外は、へのへのもへ字だ。自分でもひどいとは思うが、相手の顔をマジマジと見たことがないので、記憶にないのだ。
フォークダンスとかだってろくに相手の顔を確認したことはない。たぶんきっと確実に、接客業とか営業とかは向いてない。
将来的には、PCに向かって作業しているだけで仕事ができる職種に勤めたいと思っている。できれば会話とかはメールとLI○Eだけで済ませられたら最高だ。
無理ならメールまたは電話サポートみたいな、相手の顔を見ることなくマニュアル会話しかしないで済む仕事が望ましい。
どうせ結婚とかしないから、給料は自分が食べていける程度貰えれば十分だ。親の老後は親の貯金とか保険金とか年金でどうにかなるだろうし、下に妹がいるから大丈夫だろう。
「そう言えば菅原の彼女って誰だっけ? 確か中学の時は付き合ってなかったよな?」
俺がそう尋ねると、塚本は苦笑した。
「ああ、たぶんどうせ会が始まったらわかるだろうけど、東野の言うところの『派手目女子リーダー』こと皆川だ。でも、お前はあいつらと話をしたりしない方が良いと思う」
「え、マジで? 菅原、あれと付き合ってたの? あいつならもっと良い子いただろうに。まぁ、人の好みや趣味は人それぞれか。
それに菅原って見た目も中味もイケメン高スペックだから、皆川?も含めていろんな女子にモテそうだもんな。
だけど塚本、心配しなくてもあんな会話成立しそうにないタイプの女子に話し掛けたりしないって。っていうか、こっちから話し掛けても普通に無視食らうだろ。
絶対、俺みたいなタイプ、普通に嫌われてるだろうし」
「おう、なるべくお前のそばにいるようにするから、目ぇ付けられんなよ」
「何だそれ。というか目を付けられたら何かされるとでも?」
「あいつら性格悪いから。目立つようなことしなけりゃたぶん大丈夫なはずだ。それに実際菅原が好きで出席するやつの方が多いから妙な真似はしないと思うが、万が一ってこともあるからな」
「万が一?」
キョトンとすると、塚原は苦笑をもらした。
「皆川って、皆にちやほやされたがる気まぐれな女王様気質で、ちょっとでも自分がけなされたとか、自分に集まるはずの注目が他へ行ったとかで、ヒス起こしてただろう?」
「なんか良くわからないが、しょっちゅう騒いでた記憶はあるな。なんかどうでも良いことで相手に絡んで『謝れ』だの『土下座しろ』だの言ってた気が」
「……お前、興味ないにしろ、そのくらいしか記憶してないのか」
塚本に残念なやつを見る目で見られた。
「だって俺に絡んできたことはなかったし、同じクラスって言っても三年の時だけだし、席が近くになったり委員会とか何かで一緒になったこともないからなぁ。
ほら、三年って受験とかあるから、他の学年と違ってイベントとかでどうこうってあんまりないだろ? 文化祭とかも『町の歴史調べて展示』で、皆で集まって作業するのも班単位で全部済ませたじゃないか」
「そうか、オレは二年の時も同じクラスだったからなぁ。そういやあの時、東野は隣だったか」
「俺と塚本が中学で同じクラスだったのって、一年と三年の時だけだろ。小学生の頃も三、四回くらいだったし」
「中学の頃は毎日のように顔を合わせてたから、二年だけ別クラスだったの忘れてたわ。悪ぃな」
塚原は顔の前に片手を掲げて拝むような仕草をした。俺は肩をすくめた。
「まぁ、体育とか合同授業とかは一緒だったから、そうなるのもわからなくはないが。柔軟とかで二人一組とか言われて、篠田も塚本もいない時はマジで泣きそうだったぞ」
「あれ? 仲多と押村っていなかったっけか?」
不思議そうに言う塚原に、俺は苦笑した。
「二年の時は別だっただろ。篠田は要領良いからどこへ行ってもやっていけるけど、俺なんか知り合いいないとこ放り込まれたらマジ死ねる」
「さすがにそれは大袈裟だろ。良く知らない相手でも、普通に会話するくらいなら問題ないだろ?」
「その普通の基準が良くわからないけど、特に親しくないやつに挨拶とか以外になんて話し掛けるんだよ。俺、結構人見知り激しいから知らないやつ相手だと、ほぼ無言だぞ?」
「あ? そうだっけか? 東野との付き合いは保育園からだから良く覚えてないな。っつか、仲多や押村は小学校入ってからだったと思うけど、お前、普通に話してなかったか?」
「だって、俺から話し掛けたんじゃなくてあいつらから来たんだ。向こうから話し掛けられたら、相槌くらいするだろ?」
「そんなもんか? 良くわからんな」
「塚本はそういうの気にしないマイペースだからだろ。俺は小心者なんだよ」
「そんな感じちっともねーけどな。お前が小心者ならオレなんか心臓、超ミニマムサイズだよ」
「冗談やめろよ、お前の心臓には毛が生えてるだろ」
「そんな特殊な臓器持ってたら、健康診断で病院呼ばれるだろ。バッカじゃね?」
「比喩表現だろ! むしろ本当に毛が生えてたら見てみたいよ!!」
軽口叩きながら歩いていると、目的地付近に到着したようだ。一〇〇mほど先に知った顔がいくつか見えてきた。
「あれか?」
「その通りだ。幹事役の岡部がいるな、郵便ポストらへんに」
「委員長? 確か、学級委員やってたやつだよな、岡部って。中学の時から菅原と仲良かったよな。挨拶や連絡事項以外で話したことはないけど」
「ああ、あいつは普通にいいやつだな。それに結構面倒見が良くて責任感が強い」
「そっか。俺、岡部とまともに会話したことないから、何て話し掛けたら良いかわからないんだけど」
「幹事だからって別に『この度はご愁傷様で』とか言わなくて良いからな。そういうのじゃなくて『久しぶり』とか普通の挨拶で良いんじゃねぇの?
ところで会費、忘れてないよな? 一応昨夜の時点で参加予定人数が二十五名で、会費は六百円ってことになってるから」
「そういや眠かったから返事しなかったけど、そんなLI○Eがお前から来てたな」
「たぶんそうだろうとは思っていたが、東野お前いつも九時就寝か? ちょっと早すぎねぇ?」
「そういうわけじゃないけど、前日にうっかりゲームで三時過ぎまで起きてたから眠くてさ。期間限定イベントのアイテムで欲しいのがあったから。
クラスチェンジで必要な素材なのにやたら出現率悪くて、イベント期間中頑張ってたんだけど、ちょっと足りなかったからギリギリまで粘ってた」
「ふーん、それ、出たのか?」
「出現率三倍ってわりにあまり出なかったけど、なんとか集まったからクラスチェンジも済ませて、新しいクラスの使い勝手とか知りたかったからレベル上げしてたら、気付いたら三時回ってた」
「それって自業自得じゃねぇか。そんな状態で授業とかまともに受けられたのか?」
「一応目は開けてたけど、ところどころ記憶抜けてた。ノートも読みづらかったから、今日学校いる間に仲多のノート写させてもらったから大丈夫だ」
「それ、大丈夫な要素全くねーだろ。テスト赤点取るなよ」
「抜き打ちテストとかはともかく、それ以外なら勉強会とかするから問題ない。それに俺、専門学校行こうと思ってるし」
「専門学校も入れたからと言って必ずしも卒業できるとは限らないぞ、東野。つーか、高校入学したてでもうどこ行くか決めてるのか?」
「いや、まだだけど」
「駄目じゃねぇか、それ。せっかく頑張って高校入ったんだから、勉強真面目にやれよ」
塚本に真顔で言われて心外な気分になった。
「俺とお前じゃ成績似たようなもんじゃないか。お前には言われたくないぞ」
「いや、オレも志望校落ちて心入れ替えたんだ。今は塾にも通って真面目に勉強してるぞ。進学先も既に決めてるし」
「へぇ、マジで?」
「ああ、だから今期目標は学年二十番内入りだ」
「さすがにそれはキビシイだろ?」
びっくりした。
「目標なんだからキツめにしておいた方がやる気出るだろ?」
「俺は逆だな。キツめの目標やノルマとか絶対無理。やる気が出るどころか、ゲッソリする。そもそも、目標とか計画みたいなの立てるの苦手だけどな」
「そういや付き合い長いのに、お前の口から何がしたいとか、どこか行きたいとかいうようなことを聞いた記憶がないな。お前、何が楽しくて生きてるんだ、東野」
「なんだよそれ、全否定かよ。いや、その時になってみないと自分が何をしたいとかあんまり考えない方だけど、別に何も欲しいものやしたいことがないわけじゃないからな。
毎月の小遣いはだいたい半分くらい電子マネーにしてるし」
「別にお前の小遣いの使い途についてどういう言う気はないが、それ全部ゲームにつぎ込んでるわけじゃないよな?」
「もちろん。電子マネーにしておくとゲームやネット通販だけでなく自販機やコンビニでも使えるし、便利なんだぞ。釣り銭とか気にしなくて良いし、パッと精算できるし」
「そう言えば、最近書店とかでも電子マネー使えるとこ増えてるもんな。オレは電子マネー買うのが面倒だから使わないけど」
「使い始めると楽だぞ、小銭数えなくて済むし。まぁ、割り勘とかだと小銭なくて面倒な場合もあるけど」
「じゃあ、千円札か?」
「大丈夫だ。前もって自販機とかで崩して五百円玉一枚と百円玉八枚用意してある」
「普段小銭あんまり使ってないなら、それってかえって面倒じゃねぇか?」
「いや、うちの高校って電子マネー使える自販機少ないから、作ろうと思えばいつでも作れるんだ」
「……ああ、なるほど」
塚本は何か言いたげな顔で俺を見て頷いた。
「だって、財布が小銭で重くなるのって嫌だろう。それに硬貨がたくさんあると必要な金額取り出すのも面倒臭いし」
俺が抗弁すると、塚本はうんうんと生温い表情で頷いた。
「まぁ、普段から使ってるんなら無駄じゃないし、本人がそれで良いっていうんだから全く問題ないな」
訳知り顔で言われると、なんだか軽くイラッとする。時折そうやって子供扱いされるのが腑に落ちない。
「じゃ、そろそろ岡部のとこ行くか。あっちも気付いてるっぽいし」
そう言われて、塚本の視線の先をたどると、黒い服を着た眼鏡姿の男がこちらを向いて手を上げていた。おまけみたいな俺が遅れるのも悪いので、足早にそちらへ向かった。
「久しぶりだね、塚本、東野」
「おう、久しぶり、岡部。思ったより結構出席者多いみたいだな」
周辺をざっと見た限り、それらしき連中は二十名ちょっと。制服着用は全体の四分の一ほど、残りは私服で全身黒とか濃いめのグレーだったり、黒い上下に白いインナーとかで、さすがに派手なものはないものの、たぶんオシャレ系な服を着てるやつが多いと感じた。さすがリア充。
女子はだいたい化粧していて、真珠のイヤリングとかネックレス、シルバーの指輪やブレスレットとか、高そうな時計などを着けたりで、学校から直接ここに来たのかと思われそうな格好のやつらは俺と塚本くらいだった。
なんてこった。もしかして俺達、浮いてないか? 場違いじゃないか? なんとなく落ち着かない気分になった。
「あの、久しぶり、岡部。その、会費って今渡せば良いのか?」
「うん? いや、ここで受け渡しとかするとあれだから、中入ってからの予定だよ。それ用の箱は用意してきた」
そう行った岡部の足下にパンパンに膨らんだスポーツバッグが置いてある。
「えっ、何、その大きい荷物」
「出席者一覧表と、いらない菓子箱の蓋に穴を空けて模造紙を張った集金箱と、寄せ書き用の色紙と、油性ペン十本と折り紙五十枚とスナック菓子を入れて来た。
一応飲み物と軽食も注文するけど、たぶん足りないと思って」
思わず口に出してしまった独り言に、岡部が律儀に答える。
「え、皆で食べるお菓子、自腹で買ってきたのか、それも折半した方が良くないか?」
俺がびっくりして言うと、岡部が苦笑した。
「大丈夫だから気にしないでよ。自分が食べたいやつ買ってきただけだし」
「あれ? もしかして俺達も何か適当に買ってきた方が良かったか?」
「いやいや、強制じゃないし、本当に僕が食べたいから買ってきただけだから。○まい棒のボタージュ味好きなんだよね。違う味も混ぜて二百本くらい買ってきたんだ」
「それはさすがに多いだろ! っていうか○まい棒だけそんなに買って来たのか!?」
思わずツッコんだ。叫んでしまってからハッと気付いて慌てて口を閉じたが、手遅れだ。慌てて岡部の顔を見ると、当人はクスクス笑っていた。
「中学の時はほとんど絡んだことなかったけど、東野っていいやつだよね。どうせ余ると思うけど、そういうわけだからポタージュ味二十本は僕の分ってことで、よろしく」
「あっ、ああ、わかった。ところでこんなに人数いて大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ、パーティールームを予約してあるから。四十人まで入れるっていう部屋だから、さすがにそれ超えることはないだろうと思って。
ここ、楢崎のバイト先で、前日までなら人数の増減も対応してくれるって話だったしね」
「へぇ、そうなのか。俺、カラオケとかあまり行ったことないから知らなかった」
「平日だし集まる時間的に軽食じゃなくて料理の方が良いんだろうけど、それだと会費が三千円くらいになりそうだから、ワンドリンクと唐揚げ&ポテトセットの他に頼みたいものは各自自腹ってことになってるんだ。
で、部屋は二時間一部屋で、会費は花代込みで千円。学割は本当は全員分の生徒手帳とかがいるみたいだけど、今回はなくても特別に割引してもらえるらしいから安心して」
「生徒手帳はポケットに入れっぱだから、俺は問題ないけど」
「東野は常に生徒手帳を持ち歩いてるの?」
岡部の質問に頷いた。
「ああ、逆に入れておかないと必要な時に不便だし」
むしろ出し入れする方が面倒だと思う。余計なことすると、置き忘れたり紛失の確率上げそうだし、別にそれほど邪魔になるものでもない。
俺は私服の時に使うことってあまり無いし。
「そう言えば、聞いて良い? 東野って菅原と仲良かったっけ?」
岡部に悪気なさげな顔で爽やかに尋ねられて、思わず言葉に詰まる。でもまぁ、言われても仕方ないよな。確かに俺、菅原のこと嫌いじゃなかったけど、周囲にいる連中がちょっと苦手であまり積極的に話し掛けたりしなかったし。
「一度、わからないところを教えてもらったことがあったんだ。それ以外は挨拶とか伝達事項のやり取りくらいしかしたことなかったけど、そのおかげで助かったから感謝してて。
だから、今回のことは本当にびっくりした」
だって俺は、菅原にそんな影みたいなもの、感じたことがなかったから。
「ふうん、そうなんだ。菅原らしいね。あいつ、人に頼まれ事されると断れないっていうか、親切すぎるくらい人の世話焼きたがるもんなぁ。
そのせいで面倒な事になったり、好きでもない子に好かれて付きまとわれたり、悪いやつじゃないけど、ちょっとお人好し過ぎるんだよな。
そのせいで酷い目に何度も遭ってるくせに、ちっとも懲りなくて」
あれ、と思った。そう口にした岡部は、悲しさや淋しさより、困ったような、苦笑いするような、そういう顔だったから。
なんというか、意外というか、別に岡部って熱血系だったり喜怒哀楽激しかったりそういうキャラじゃなかったけど、思ったよりドライというか、クールというか。
「え、あの、岡部って、菅原と仲良かったよな?」
「ああ、そうだよ。菅原は友達が多いやつだったけど、たぶん僕が一番あいつと付き合い長くて、親しくしてたんじゃないかな。
だから今回、こういった会の幹事をやることにもなったし」
困ったように笑う岡部に、違和感を覚えた。
「あれ、もしかして、岡部が発案者じゃないのか?」
「いや、発案者の一人ではあるけどね、幹事をやるならお前だろって言われたせいもある。意外とこういうのって準備とか根回しとか面倒でしょ。
皆の希望日時とか店の候補とかはLI○Eでだいたい打ち合わせしたけど、楢崎のバイト先がここで予約とか料金とか都合つきやすいって理由で、ほぼ僕の独断で決めたんだよね。
だって文句言うやつはろくな代替案も出さないし、本題そっち抜けで雑談ばっかりするやつとか、ああいうの意見まとめて全て希望を満たすとか無理だし。
文句言うなら代わりにお前が幹事やれって叩き付けたら、そのまま通ったよ」
「え、それ、大丈夫なのか?」
「たぶん陰口叩かれてると思うけど、僕に幹事を押し付けたんだから文句は言わせないよ。
料理やデザートが食べたいなら自腹でどうぞ、あるいは希望者募って二次会で、でも僕は一次会しかやる気ないからってね」
なるほど、岡部ってこういうキャラだったんだな。ゆるい喋り方するけど、もっと真面目な優等生だと思ってた。
ああでも、そういえば文化祭とかクラスで話し合いする時とかに、時折真顔になって自分でテキパキ決めて『他に意見がありますか? なければこれで採決します』とかやってた気がする。
なるほど、あれか。見た事あるけど、あんまり興味なかったから今の今まで思い出さなかった。岡部が委員長だと早く終わって楽だな、とかは思ってた気がするけど。
「岡部ってすごいよな」
感心してそう言うと岡部が一瞬きょとんとした顔をして、それからマジマジと俺を見た後、苦笑した。
「うん、ありがと。そう言ってもらえると助かるよ。東野は今回の出席者、確か塚本以外に仲良いやついなかったよね」
「ああ、だからたぶん俺、思い切り浮くか空気になってると思う。塚本以外と話せる自信ないし」
「今、僕と話してるじゃないか。まぁ、それなら大丈夫かな。先に忠告しておくけど、一次会が終わったらすぐに帰って、皆川や園崎には近付かない方が良いかも」
岡部に真顔でそう言われて、首を傾げた。
「そのつもりだけど、何かあるのか?」
「うん、まぁ、あいつらちょっとタチ悪いから係わらないようにした方が良いかなって。学校違うから、今後会うこともそうないだろうけど、あいつらに係わるとたぶん気分悪くなるから」
岡部にも忠告されたってことは、よっぽどあいつらひどいんだな、きっと。塚本はともかく、岡部は大なり小なり付き合いありそうなのに、そこまで言うっていうのは。
どうひどいのかは、聞くだけでも嫌な思いしそうだから、今回限りなら危うきに近寄らずってやつだよな。だいたい派手グループのリーダー格となんて、どんな会話すりゃ良いかわからないし、こっちから行かなきゃ、向こうも来ないだろう。
「わかった。忠告有り難う」
岡部って、菅原の友人なだけあって親切ですげーいいやつだよな。全然親しくない俺の心配までしてくれるとか、親切すぎるだろう。
やっぱり来て良かった。嫌なやつもいるみたいだけど、いいやつのそばにはいいやつが集まりやすいんだろうな。
どうして菅原が自殺なんかしたのか気にならないわけじゃないけど、その死を悼む人間がこんなに集まったっていうのは、人徳だよな。
たぶん俺が死んで普通に葬式しても、親戚以外はそんなに来ないと思う。俺が友人だと思っている五人は来てくれると信じたい。
そんなに親しくなかった俺ですら深く考えると、泣くまではいかなくてももの悲しくなったり、複雑な気分になったりするのだから、親しかった連中はきっと泣いているか、泣きそうな顔をしているのだろうと思っていた。
でも、意外とそんなこともなかった。もちろん悲しそうな顔のやつもいるし、暗い顔してるやつもいる。だけど、思ったより和気藹々とした雰囲気で──だからといって騒ぎ立てたり、はしゃいだりするやつもいないが──陰鬱としていたり、悲愴な感じではなかった。
だから俺みたいな部外者みたいなやつが混じっていても、それほど問題なさそうだ。それに、俺ほどじゃなくても菅原とそれほど親しくなさそうだった元クラスメイトなんかも混じってるみたいだし。
だから、ちょっと安心した。だって俺は人に語れるような、菅原との思い出を持っていなかったから。
◇◇◇◇◇
「それでは、予定時間五分前なので会場へ移動します。着いて来て下さい」と、学級委員モードになった岡部が俺達を全員二列に並ばせて、店に入った。
店内のカウンター前に楢崎らしき男が店員と共に立っていて、先頭の岡部の顔を見ると頷き、「こちらへどうぞ」とパーティールームへと案内した。
さすがに四十人まで入れる部屋というだけあって、広いし席もテーブルもしっかり人数分ある。岡部は注文などを取りやすくするためか、室内電話に近い席に自分の荷物を置いた。
俺は塚本と共に、入口に近い隅の方の席に座った。
岡部は持参のバッグから模造紙を貼った箱と、A4コピー用紙をバインダーに留めたものを取り出し、正面の舞台に立ってマイク片手に全員に告げた。
「では初めに、会費の徴収と共に、最初のドリンクのみ会費に含まれているので、今から全員分の注文を聞いて集計します。二杯目からは各自自腹でお願いします」
それを聞いて、席の近い順に財布や現金などを持った出席者が並んだ。俺達も最後の方に並んだ。会費の支払いついでにバインダーを覗き込むと、全員のフルネームと電話番号もしくはLI○EのIDなどを記載した隣に、会費やソフトドリンクの欄があって、チェックが付けられている。
どうやらわざわざパソコンで作ったらしい。ずいぶんマメだなと感心しながら会費を支払い、ウーロン茶を頼んだ。塚本はコーラにしたようだ。
ちなみに岡部自作の集金箱は、良く街頭とかで見る、子供が手作りした募金箱みたいだった。書いてある字はきれいなんだけど、あまり器用ではないようだ。
あれなら菓子箱の継ぎ目のところをガムテープで貼って留めた方がマシだったんじゃないかなと、ちょっぴり思った。本人には言えないけど。カッターとか定規とか使わなかったのかな、とか。
一人で色々準備するのは大変だよな。きっと時間があまりなかったんだろう。
全員席に着いて最初のドリンクが行き渡ったところで、岡部が宣言した。
「それでは、これより『有志による菅原君を偲ぶ会』を始めます。まずは全員、黙祷」
一分間、目を閉じて静かに祈った。
菅原との思い出はそれほどない。
『どうしたんだ、東野。頭でも痛むのか?』
それまで菅原とは挨拶とか連絡事項とかで話すことはあったけれど、それ以上の会話とか絡みとかは皆無だった。家に帰ってからだと絶対読書とかゲームとかに手を出して宿題とかは忘れるから、小学校に入学して以降、俺は学校にいる間に宿題をやっておくことにしていた。
いつもなら昼休みか放課後に友人達とつるみながらやっていたが、その日は委員会の集まりがあったせいで、終わった時には既に全員帰宅した後だった。
昼休みはその次が体育だったこともあって、早めに体育館へ行ってミニバスケしてたから、全く手をつけていなかった。
時刻は四時半過ぎ。当時はまだ携帯電話を持っていなかったので友人達と連絡が取れず、仕方なく一人で解こうと考えたのだが、いきなり詰まった。
『一次関数って何だ、これ……暗号か? 設問の意味がまずわかんねぇ!』
俺は数学が苦手だ。小学生の時は分数でつまずいたし、連立方程式でもつまずいた。授業はまるで呪文かお経のようにしか聞こえなくて、聞いているだけで眠気を誘う。
それって聞いてないだけだろ、とか言われそうだけど、担当の先生の声が抑揚あまりなくてボソボソと話すことと、教科書以上の話をせず、板書きして生徒に当てるだけで授業を進めることが多いということもあって、真面目に聞いていてもそうでなくても、それほど変わらないのだ。
『そもそもxとかyとかいうのを見ただけでなんかクラッとめまいがするんだよなぁ』
額を押さえて唸っていたら、忘れ物でもしたのか教室へ入ってきた菅原に、声を掛けられた。頭は確かに痛い、が心配されるような理由ではない。
『あ、いや、大丈夫だ。その、宿題に出されたところがわからなくて』
俺がそう答えると、菅原は笑みを浮かべた。
『そうなのか。どこ?』
勉強もスポーツも万能、外見も内面もイケメンとか、そりゃモテるよなぁ、とか思いつつ、これだと指し示すと、菅原は笑みを浮かべたまま言った。
『y=ax+bはわかる? 一次関数はこの式で表すんだ。だからグラフを書くとこんな感じ。横の軸がxで縦の軸がyだね。
xが1なら、yは1000-40で960、xが2ならyは1000-40×2で920。なら、それを式で書くとどうなる?』
そこまで言われれば、さすがにわかる。ようするにこの場合bは1000でaは-40、だからy=-40x+1000というわけだ。
わかってみれば、それまでどうして理解できなかったのかわからなくなるほど簡単だ。その後の5分後の駅までの距離、もxに5を入れて解くだけ。
『うん、そう、正解だ。東野はちょっと難しく考えすぎちゃったんだね』
最初から数式で書かれていればそれほどでもないが、それを文章に置き換えられると途端に混乱する。途中に引っかけ的な文章があったりすると、まず引っ掛かる。
何故、そうなるのか自分でもよくわからない。
『有り難う、菅原。助かったよ』
俺が礼を言うと、ニッコリ笑って菅原は答えた。
『たいしたことはしてないよ。数学は教科書とにらめっこしていても良くわからないことが多いから、グラフや図形を描いてみたり、何か身近にあるものにたとえてみたり、わからないなりに例題を真似て計算してみたりすると良いんじゃないかな。
中にはそのまま公式や数値を丸暗記するしかないものもあるけど、そういうのは覚えられるまで何度も例題とか問題を解いていれば、その内問題見ただけでこれはこう解くんだなって思い浮かぶようになるから。
だってほら、初めて漢字や平仮名を習った時も覚えられるまで何回も書き取りしただろう。そういう要領で良いと思うよ。難しいこと考えても、わからないものはわからないしね』
『菅原にもわからないことってあるのか?』
『そりゃもちろんあるよ。誰だって最初は知らないしわからないものだろう? それを知って理解できるようになるかどうかは、当人の努力次第じゃない?
僕は数学は好きだよ。努力すれば努力した分の成果が表れるから。読解とか小論文の方が、個人によって評価や捉え方が違ってたりして面倒臭いよね』
そう言った菅原に、自分がどう答えたかは記憶にない。たぶんきっと同意したんじゃないかと思う。数学は好きじゃないけど、読解とか小論文とか作文系は俺も苦手だから。
俺と菅原は最初から最後まで、たまたま同じクラスになっただけの顔見知りの同級生だった。好き嫌いを感じるほどの付き合いもなく、用事もないのに会話するほど仲良くもなく、かといってお互いを無視するようなことも避けたりするようなこともなく。
菅原のことを尊敬していたし気持ちの良いいいやつだとも思っていたけど、自分とは違う世界の住人だと感じていたから親しくなりたいと思ったことはなかった。
正直なところ、会が始まっても泣いている人がいないということに、俺は少し安堵した。悲しんで泣くのが普通という空気だと、きっと場違い感半端ないだろうし。
だけど親友とか恋人という立場でも、笑みを浮かべられるものなんだろうか? 少し、疑問に思った。
別に泣いてないから悲しんでないとまでは思ってない。親しい相手だけならともかく、そうでもないやつもいるような場所で人目はばからず号泣とか、俺も無理だし。
黙祷が終わった後、軽食の皿がテーブルに運ばれ、○まい棒もそれぞれのテーブルに配られて、会食という名の自由時間が始まった。
「……本当に、塚本以外は知らないやつか、顔しか知らないやつばっかりだな」
俺がウーロン茶を三口ほど飲んでそう言うと、既にコーラを飲み干した塚本が肩をすくめた。
「そんなの来る前からわかってたことだろ? つーか、お前がこういうとこ来たいって言うのは正直予想外だったぞ。当日になって腹が痛いとか言ってドタキャンするとか言い出すんじゃないかと思ってた」
「え、俺そんなことしたことないだろ? 確かに知らないやつと話したり人の多いところへ行くのは苦手で、協調性とかも微妙だけど、最低限の常識くらい知ってるぞ」
「でも、会費に花代や色紙代が入ってること以外は普通の集まりだろ。どうしてもあれなら金だけ預かってオレ一人で来ようかと思ってたんだが」
一瞬それでも良かったかも、と思いかけていやいやと首を左右に振った。
「だけどそれじゃ塚本が一人になるだろ?」
「オレは一人とか気にしないし、ちょっと気になることもあったから最初から行くつもりだったからな」
「気になること?」
俺がきょとんとすると、塚本はニヤッと笑った。
「たいしたことじゃねぇよ。それにオレはお前と違って、話す相手一人もいないとかってこともねぇし」
「どうせ向こうから話し掛けられなきゃ、こっちから話しかける相手とか一人もいないよ。でも、金を渡すだけでも良いなら、事前にそう言ってくれれば良かったのに」
「いや、オレも当日になって気付いたから。でも、お前と菅原ってほとんど接点なかったのに、通夜とか葬式に行くかどうか悩むほど気にするとは思ってなかったぞ。
オレが篠田に菅原の話をしたのも、互いの近況とか雑談の一環でポロッと出ただけだったし」
「ってことは、塚本は菅原とそんなに付き合いなかったってことだよな。なのにどうして?」
「そりゃ、ほら」
塚本がそう言いにくそうな顔で、チラッと女子集団の一つを見た。『派手目女子集団』のリーダーこと皆川から少し離れた端っこの方に、長身短い黒髪の女子が見える。なるほど、確かにあれは一七〇cm以上あるな。
「なるほど」
ニヤニヤ笑いながら塚本を見て言ったら、塚本は嫌そうな顔になった。
「これだから、お前には知られたくなかったんだ。面倒臭ぇし」
「面倒臭いって何だ、面倒臭いって。俺が何したって言うんだよ」
「顔が面倒臭くて、あとウザい」
「顔が面倒臭くてウザくて不細工で悪かったな、生まれつきだ」
「そこまでは言ってねぇだろ。そんなことより、一度わからないところを教えてもらったくらいでこういうところへ来たいとか言い出すって、お前そういうキャラだったっけ?」
塚本が怪訝そうに問うのに、俺は首を傾げた。
「キャラって塚本、お前、俺を何だと思ってるんだ? なんというか、菅原には問題の解き方を教えてもらったことより、そのついでの雑談みたいなのの方が印象強くてさ」
「へぇ?」
「当たり前と言えばそうなんだけど、知らないことやわからないことは理解できるまでやってみるってこと。で、どんなに頭が良いやつも最初は知らない状態で、そこから努力するからできるようになるんだってこと。
そういうのを俺に教えてくれたのが、菅原なんだ。たぶんきっと菅原にとっては全然たいしたことじゃなくて、一晩寝たら忘れてしまう程度のことで、俺が勝手に感謝しているだけなんだけど、でも数学だけじゃなくて他のことにも通じる大事なことだから、本当にすごいってずっと思ってて。
だけど、菅原に礼を言いたくても当人はきっと忘れてるだろうなと思ったら言えなくて、ずっともやもやしてたんだ」
「そんなの気にせず直接本人に言えば良かったじゃねぇか」
塚本が呆れたような顔で言った。
「だって、親しくもないやつにたいした用もなく話し掛けられるのってウザいだろ?」
「バーカ。菅原が腹の中で何を考えてたかは知らねぇけど、誰にでも愛想良く親切にしてたし、俺らみたいなやつらが話し掛けても嫌がったりしないやつだったろ。自分のビビりを人のせいにすんな」
「……っ、それは確かにそうなんだけど、邪魔したら悪いし、相手の嫌がることしたくないし、向こうは俺に用とか興味ないんだから、やっぱその、迷惑だろ?」
「なんで話し掛けるだけで相手の邪魔や迷惑になるんだ、お前の思考回路がちっとも理解できねぇ。
忙しい時や体調悪い時に、どうでも良いこと長時間ダラダラ話されたらそりゃウゼぇってなるけど、相手が暇そうな時にちょっと話し掛けてチャチャッと済ませりゃ問題ねぇだろ。
それとも何、お前、ダラダラズラズラ長話するつもりだった? だいたい勉強教えてもらった時に礼は言ったんだろ?
聞いたところ、どういう言い方しようがそんなに長くなるような話でもなさそうだし、そんなことをずっと何年も引きずってるとか、お前バカなのか、東野」
「俺がバカなのは、良く知ってるだろ。それに、相手から話し掛けられるのは良いけど、こっちから話し掛けるのはハードル高いんだよ」
「良くわからん。なんで話するだけのことに、そんな躊躇するんだ。サッパリ理解できない」
「そりゃ塚本はそうだろうけど、俺は違うんだよ。そんなに親しくない相手に話し掛けようとするだけで、緊張するんだ。背中とか手とかに無駄に汗かくんだよ」
「俺らに話し掛ける時みたいな感じで良いじゃねぇか。お前のハードルとやらはお前にしか見えない幽霊みたいなもんだろ、それ。
そんなに緊張するなら手の平に指で『人』って書いて飲み込んでおけよ」
「それはもう何度かやったけど効果なかった。ただの気休めだろ」
「どう考えてもお前には、その気休めが必要だろ。それとも緊張が取れる薬ですって言ってオレンジジュースでも渡してやろうか?」
「いや、それ、最初からネタバレしてるじゃないか。意味ないだろ」
「あれだよ、信じる者は救われるってやつだ」
「それはたぶん違うと思う」
真顔で言って頷く塚本に、首を左右に振った。
「だけど、相手が噛み付いたり襲ってくるわけでもないのに、どうしてそんなに緊張するんだ? お前が一目見ただけでムカつくイケメンとか、ストーカーホイホイな美女だとかいうならともかく。
世の中の大半の人間にとってオレもお前もただの有象無象で十把一絡げだから、気にするだけ無駄だぞ。お前が思うほど、他の人は気にしてないし、気に留めてない。
視界から消えて五分後には記憶にも残らない、その程度だ。だから、天井が落ちてくる心配をして畳の縁につまずくような生活なんか、するだけ無駄だ」
「それ、たぶん天井じゃなくて天だと思うぞ」
杞憂の語源のことならだけど。
「細かいことは気にすんな。天井と畳の方がわかりやすくて良いだろ」
語源の方は何かにつまずいたとかいうようなことはなかったような気がするんだが。そう言えば、故事として言葉や意味は有名だけど、出典って見たことも読んだこともないな。
まぁ、漢文とか読み下し文とかわざわざ読みたいと思わないけど。
「コップが空になったから注文しようと思うけど、東野、お前次に何飲みたい? 希望あるなら一緒に注文するけど」
「勝手に注文して良いのか?」
「一応岡部に聞いて、話を通してからにするか。俺ら以外にも注文したいやついるだろうし」
さすがに開始十数分で次の注文するやつはそれほどいないと思うが。
「じゃあ、次はジンジャーエールにしようかな」
「ふぅん、じゃ、岡部のとこ行くけど、お前どうする? ついてくるか?」
言われて、岡部の方を見ると人が集まっているのが見えた。首を左右に振って答える。
「いや、悪いがここで待ってる」
「了解。じゃあ、なるべくすぐ戻るから」
「わかった」
俺は塚本が岡部の方へ行くのを見送った。一人で席に座っていると、近くにいる集団の話し声が聞こえてきた。
「そういえば聞いたか、あれ」
「ああ、皆川のこと? いつものことじゃね?」
「あいつも本当、陰険で超・性格悪いよな。どう見ても菅原の片思いだってのに、相手を逆恨みして暴行させようとするとか」
その内容に思わずゾッとした。
「さすがにちょっとエグいよな、引くわ~マジありえねぇし」
「まぁ、未遂だったらしいからいいんじゃねぇの? これといって証拠も見つからなかったみたいだし、平手くらいならたいしたことないっしょ」
「あんなのに協力するとか、園崎らってマジイカれてるわ~。あいつら本当人に迷惑掛けないとこで死ねば良いのに」
「おい、あまり大きな声で言うなよ。聞かれたらヤバイだろ。あいつらバレなきゃ平気とか思ってそうだから、何やらかすかわかんねぇぞ」
「世の中、加減を知らないバカとキ○ガイほど厄介なもんはねーよな~。この会の会費だって、最初はあいつらもっと取ろうとしてたんだろ?」
「岡部が幹事になって全部仕切ったから、それはなかったけどな。あいつらに絡まれて、岡部も菅原もマジ気の毒だよな」
「誰も言わないけど、菅原が死んだのってあいつらのせいだよな~。本当は殺して自殺に見せかけただけなんじゃねぇの~?」
「さすがにそこまでやらないだろ。やったら本気で犯罪じゃねーか」
体温が下がっていくような感覚に襲われる。何だよ、それ。嘘だろ、そんなこと有り得ないだろう? だって日本は法治国家なんだぞ。
「あいつら、さっき会費払いに行く時そば通ったら、次は睡眠薬飲ませて拉致するとか話してたぞ? マジであれやる気じゃねーよな~」
「冗談だろ。だいたい睡眠薬ってどうやって手に入れるんだよ」
「それもそうか。だよな~」
……冗談、だろう? いや、冗談としてもものすごくタチが悪い。誰が、誰を、拉致するって? いや、有り得ないだろ。だってそんなバカな真似、誰がするって……。
「おい、大丈夫か?」
塚本にポンと肩を叩かれてハッとした。
「どうした、東野。顔真っ青だぞ」
「……っ!」
声を出したいのに、震えて声が出ない。塚本の顔が、怪訝そうなものから心配そうなものに変わる。
「おい、気分が悪いならもう帰るか? 家まで送る」
そう言われて、ブルブルと首を左右に振った。
「だ、大丈、夫……っ」
「ちっとも大丈夫そうに見えないぞ。あれか、睡眠不足で体調崩したとかか?」
迷って、ズボンのポケットからスマホを取り出し、適当なアプリで文字を打った。
『園崎と皆川が睡眠薬飲ませて拉致するって話してたらしい』
誰をっていうのはわからない。けど、たぶんそういうことなのだろう。
「何!?」
塚本の顔が険しくなった。そして慌ただしくスマホを取り出し、メールを打って送信する。そして、俺の腕を掴んだ。
「出るぞ」
「え?」
「……話は後だ」
動揺してふらついて足取りの怪しい俺に肩を貸してくれた塚本と共に、岡部に体調不良のため帰宅する旨を告げて、部屋を出た。
塚本はカウンターでタクシーを呼んで欲しいと頼むと、待合所らしき場所の椅子に腰掛けた。俺もその隣に崩れ込むように腰を下ろした。
しばらくして、大部屋の方角から女子が一人歩いて来た。ショートカットの長身──たぶん、関口だ。一瞬、なんで?と思った。
だけど、すぐに気付いた。そうか、塚本と付き合ってるから。
「上手く抜け出せたか?」
関口の姿に気付いた塚本が近付いて尋ねると、関口は蒼白な顔で頷いた。
「……トイレに行くって、言って出てきた」
「そうか。一応、岡部にはメールで帰宅すると伝えた。タクシーを呼んであるから、外へ出よう。……悪いが東野、大通りに立ってタクシーを待っててくれ。
俺らは途中で合流する」
「え、合流?」
「合流先はメールするから、タクシーに乗ったらそこへ向かってくれ」
「え、あ、うん、わかった」
わからないままに頷いた。塚本と関口は、店員と何か話してからスタッフオンリーと書かれたドアへと向かった。俺は熱に浮かされたようなおぼつかなさを感じつつなんとか大通りまで出ると、しばらくしてタクシーが到着した。
スマホでメールを確認すると、喫茶店らしき名前が書かれていた。
「す、すみません、カフェ・カメリアって店までお願いします」
乗り込みながら言うと、運転手のおじさんが首を傾げた。
「それってどこにある店?」
「えっ、場所まではちょっと。た、たぶん近くにあると思うんですけど」
「ふぅん、待ち合わせ?」
「そ、そうです。そこ、向かって、下さい」
なんか発音が一部片言っぽくなったが一応なんとか伝えて、向かってもらった。ナビに店名を入れたらすぐ見つかったらしい。
今から店に行く、とメールした。車は大通りを左折し、最初の路地を左に曲がった。あれ、と思ったらどうやら先程のカラオケ店の裏手だった。店の軒先に塚本が立っていた。
「少し待って下さい。もう一人同行者がいるので」
停車してドアを開けた運転手に塚本がそう言って、こぢんまりとした昭和の香り漂う雰囲気の店の重そうな木製ドアを開けて中に入って行き、すぐに関口を連れて出て来た。
俺が一番奥に席を詰めると、すぐ隣に関口、最後に塚本が乗り込んだ。そして塚本が運転手に知らない住所を告げて、車が発進した。
「えっと、その、どういうこと?」
静まり返った車内で俺がポツリと漏らすと、塚本がちょっと困ったような顔になった。
「……つまり、狙われてるのは関口ってことだ」
思わず悲鳴というか大声を上げそうになって、慌てて口を閉じた。それって、つまり。先程漏れ聞いた内容を脳裏で復唱して、ザッと血の気が引いた。
「そう……だったんだ」
「そういうことだ。というわけで助かった、礼を言う」
「……つまり、冗談とかじゃなかったって、そういうこと?」
「タチの悪い冗談なら良かったな。オレもその方が安心だ。万が一ってこともあるから、慎重すぎるくらいでちょうど良い」
「……っ!」
上手く言葉が出て来ない。
「そっ、その、警察に行ったり、とか」
「既に何度か。でも、証拠がない」
「え? でも、」
「……詳しい話は後で」
厳しい表情で告げられ、黙って頷いた。
◇◇◇◇◇
関口の家と思しきところで関口を下ろして、塚本が軽く挨拶をして出て来る。そのまま一緒にタクシーで俺の家へと向かった。
家に着いて、俺の部屋に入ってようやく人心地ついたところで、塚本が頭を下げた。
「悪かったな、こっちの事情に巻き込んで」
俺は首を左右に振った。
「ううん、けど何、あれ、本当なのか?」
「何を聞いたかは詳しく知らないが、実は、会の話を聞いた時から連中が何か企んでるかもしれないとは考えてたけど、実行しようとするとは思わなかったんだ。本当に悪かったな」
「だけど、あれだけの情報で狙われてるのが関口だってわかるっていうことは、それ以前にも何かあったのか?」
「……まぁな」
塚本が苦い表情で頷いた。
「お前は知らないし気付かなかったみたいだけど、中学の頃から色々やってたんだ、あいつら」
一瞬、頭が真っ白になった。
「え?」
「俺らの学年、不登校とか転校するやつ、多いと思わなかったか?」
小学生の頃と比較したら、確かに多かったような気がする。一年の時はそれほどでもなかった。だけど、二年の時は一年間で五・六人くらいいたと思う。
三年の時は──駄目だ、良く覚えてない。勉強しないと志望校に行けないとか言われて、テンパってた記憶しかない。
「その原因が皆川と園崎のイジメと嫌がらせ。最後の方は、嫌がらせってレベルじゃなかったけどな」
寒気を覚えて、身体が震えた。
「え、じゃあ……菅原が皆川と付き合ったのって、」
「脅されたみたいだな。いじめられた女子の半分くらいは、菅原と会話したのが原因だから」
「……そんなことで?」
びっくりした。そりゃ中学の時、男女でたとえ委員会とかの連絡事項でも目立つところで話したりすると、はやし立てたり冷やかしたりするバカはいた。
でも、そんなことが原因でいじめたり何だりって。それにさっきの話だと、薬飲ませて拉致とか、暴行だとか、絶対おかしい。
「なんでそれで、捕まってないんだ! どう考えても犯罪だろ!?」
「それはオレも思ってるし、知ってるやつはみんなわかってる。でも、警察は犯人を逮捕するためには証拠がいる。
あと、持ち物を盗むとか軽く叩くくらいだと、相手がちょっとした諍いだとか主張して、目撃者みたいなのをでっち上げてくると、第三者にもわかる確固たる証拠ってやつがないとキビシイ」
「何だよ、それ!!」
思わず叫んだ。そんな俺を見て、塚本が頷いた。
「だから今、岡部にも協力頼んで、情報と証拠を集めてる。今のとこ、関口の送迎は関口の親や友達とかオレがやってるから、不測の事態が起こらない限り、危害を加えられることはないはずだ。
でも、他のやつがあいつらのターゲットになるってことは有り得る。だから、岡部や関口の友人とかの伝手を頼って、情報を集めている。
それほど時間は掛けないつもりだから、安心しろ」
「……塚本は大丈夫なのか?」
「バーカ、オレの心臓は鋼鉄製だから心配すんな。毛は生えてないけどな」
塚本はニヤッと笑って言った。少しだけ、安心した。
「でも、菅原の自殺って、本当に自殺なのか?」
俺がそう尋ねると、塚本は顔をしかめた。
「菅原の死因? 聞いた話では自室で首つりって話だったけど」
「睡眠薬とか睡眠導入剤飲んだり、とか」
「するわけないだろ。バカなこと言うなよ。原因は確かにあいつらかもしれないけど、ちゃんと遺書もあったらしいし」
遺書? それなら自殺で間違いないか。本人の自筆ってことなら、そう簡単に偽造はできないだろうし。たぶん、きっと。
あれ、でも。
「なぁ、菅原の片思い相手って、」
「片思い? 菅原が? それは初耳だな」
……そうだ。確か、菅原が片思いしていたから暴行未遂とか、薬飲ませて拉致とか。
「まぁ、でもあんな連中につきまとわれてたら、いくら本気で好きな子がいても近付けないよな」
それでもずっと我慢していた、できていたのに、どうして今になって自殺したのか。それは、もしかして誰かから暴行未遂の話を聞いてしまったから、とか?
『だから今、岡部にも協力頼んで、情報と証拠を集めてる』
岡部にも、ということは、その友人の菅原は……?
「どうした、東野。顔色が真っ青だぞ」
塚本の声が遠く聞こえる。
俺はその時になってようやく、世の中には知る必要のないこと、知らない方が良いことがあるという事を知った。
何も知らなければ、こんな気持ちになることはなかったのに。
だけど、もし、もう一度あいつに、菅原に会えたなら、俺はきっとこう言うだろう。
『俺と友達にならないか?』と。
もちろん、菅原がそれを了承してくれるかどうかはわからないが、俺の知るあいつなら笑って頷いてくれるだろう。本当は、嫌だと思っていても。
言って後悔するかもしれない。でも、最終的には、友人になれて良かったと、互いに思える関係になりたかった。
そして、できれば菅原の助けになりたかった。たとえそうなったとしても、何もできなかったかもしれないけど、それでも何かしたかった。
今更だけど。
というわけでオチのないドシリアスです。
内容が内容なので、あれですが。
投稿してから、分割すべきだったかと反省しました。すみません。
余談ですが、書くのに一番時間かかったのは数学についての描写です。
三十年前の記憶がなかったので、現役中学生がどこで詰まるのか検索しました。
また、偲ぶ会については、高校生に実行可能なものを想定した架空のものです。
このように行うべきだといったものはない(常識の範囲内で)ので、実際のものとは異なる可能性があります。
登場人物一覧を追記しました。
■登場人物(追記)
東野裕樹
主人公。高校1年。成績は良くも悪くもない中の下。
善良で素直であまり人を疑わない。察しが悪く人見知り気味。
慣れた相手以外にはややビビりでヘタレ。
何事も良い方へ考える傾向が強く、興味のない事柄には超絶的に鈍く、認識できているかは不明。
他人の顔をあまり直視しないため、家族・友人以外はうろ覚え。
塚本康英
東野の友人。中2の秋頃、偶然遭遇して関口を助けたのがきっかけで、最近ようやく付き合うことに。
根は真面目だが、普段はお調子者ぶっている。努力を悟られるのが苦手で、褒め言葉も苦手。
志望校は東野と同じ公立高校だったが、受験に失敗した振りを装い、関口と同じ私立高校に進学。
岡部
菅原の親友と見られているが、本人は幼馴染み(腐れ縁)兼お守り・尻拭い役だと考えている。
眼鏡委員長。一見優等生だがゆるくておっとり系、実は腹黒。キレると恐い。
外面はすこぶる良い。
菅原健
遺書を残して首吊り自殺した。成績優秀、スポーツ万能な完璧イケメン。度の過ぎたお人好しで完璧主義。
関口に片想いしていたが、皆川の脅迫および凶行により、不本意ながら皆川と交際することに。
自身の知らないところで、関口に危害が加えられていたことなどを知り、自責の念に駆られて自死。
一見友人が多いように見えるが、心を開いて悩み事を話せる友人はいなかった。
関口 : 犯罪まがいなイジメや嫌がらせなどのため、最近まで人間不信および男性恐怖症だった。
皆川、園崎 : イジメなどの主犯格。
篠田、仲多、押村、滝田 : 東野の友人。ほぼモブ。
資料サイトは以下の通り。
「偲ぶ会について」
http://www.sougisupport.net/kind_farewell.html
http://memories-in-time.net/owakarekai-shinobukai/
http://oshiete.goo.ne.jp/(実際の「偲ぶ会」に関する質問、特に中高生対象のものを検索)
「古今名言集~座右の銘にすべき言葉~」
http://www.kokin.rr-livelife.net/
(列子・天瑞を出典サーチにて確認)
検索サイト
https://www.google.co.jp/