天女は死神(前編)
――もう一度あの人に会いたい……もう一度やり直したい……あなたはそんな経験ありませんか?
◇◇◇◇◇◇
――どうしてみんな泣いているの? 私はここにいるよ。
季節は春に変わり、病室の窓からは桜の木が望める。
「結衣……結衣……お願いだから目を覚まして」
――そっか……私、死んだんだ。お母さん、ごめんね。
二十歳なったばかりの私は原因不明の病に冒され、今短い生涯を終えた。
私はまだ死にたくなかった。
理由はただ一つ、幼なじみの大翔に愛の告白をしていないからだ。
ずっと、好きだった。
でも、言えなかった。
距離が近すぎて。
もし、時が戻せるなら、伝えたい……私の片思い……。
私の魂は私の身体を離れ、空高く舞い上がった。
「さぁ、行きましょう」
誰かが私の心に囁くと、目の前に大きな翼を持った美しい女性が現れた。
「あなたは誰?」
私は大きな翼を持った女性に話掛けた。
「私はローズ。天女よ」
「天女?」
私は耳を疑い聞き返した。
「あなた何にも知らないのね。教えてあげるわ。私の仕事は死んだ人の魂を天界に送ること。もっとも、人間界では死神って呼ばれているけどね」
「そっか……やっぱり私死んだんだ。ねぇ天女様……」
「ローズでいいわ」
「ローズ、私やり残したことがあるの。だから、まだ死にたくない」
ローズは翼をばたつかせ、やれやれという表情でこちらを見る。
「ちょっとこっちに来なさい」
ローズは大きな瞳を閉じ、私に手を翳した。
「成る程。確かにあなたにはやり残したことがあるわね。わかったわ、チャンスをあげる。いい? 一週間……。一週間であなたのやり残したことを達成しなさい。出来なければ、あなたは地獄行きよ。わかった?」
「わかったわ」
ローズは私の意思を確認すると、何やら呪文のようなものを唱え出した。
「サービスで病気は取り除いてあげる。せいぜい、頑張りなさい」
ローズは私に向けてウィンクすると空高く舞い上がった。
それと同時に、辺りは眩い光に包まれた。
「あれ? 夢?」
私は病室じゃなく、自分のベッドで目が覚めた。
「私……生きてる? 生きてる」
私はベッドから飛び降り、お母さんのいるリビングに向かった。
「お母さん……私、生きてる? 死んでないよね?」
「何寝惚けたこと言ってるの? 早く顔を洗って来なさい」
――私、生き返ったんだ。
私はローズの言っていたことを思い出した。
「あれは夢なんかじゃない。きっと私は一度死んだんだわ」
「そうよ」
私の目の前にまたローズが現れた。
「ローズ?」
「何を驚いているの? あなたには時間がないのよ。結衣、あなたの左腕をごらんなさい」
私はローズに言われるがまま、袖を捲って左腕を見た。
腕には、複雑な形の紋章らしきものが浮かび上がっていた。
「これは?」
「それはね、デスプレートと言って死んだ者に烙印される紋章なの。おとぎ話ではよく頭の上に天使の輪なんて出てくるけど、実際はコレよ」
ローズは一通り話終わると、私を凝視した。
「何度も言うけど、あなたには時間がないの。私も極力地獄には送りたくないのよ」
ローズは私の味方なのだろうか?
――よぉし、今度こそ大翔に想いを伝えよう。
「そうそう、言っておくけど、余命七日ってことを他人に口外したら、その時点であなたは資格を失うわ。勿論、地獄行きね」
結構条件は厳しい。でも、大翔に私の想いを届けたい。
一度は死んだ私。しかし、ローズという天女と出会い、一週間の命を貰った。条件付きで。
その条件とは、幼なじみの大翔と両想いになること。
「でも、待って。私が死ぬ前と何か違う所があるのよね。そっか、病気に冒されていないんだ」
私はローズが言っていた言葉を思い出した。
“サービスで病気を取り除いてあげる”
ここには病気に冒されていない私がいる。
残り余命七日。
「地獄なんて行きたくないよ。ただ大翔と両想いになる自信なんてないよ……」
こうしている間にも、死へのカウントダウンは確実に始まっている。
――大翔……私の想いを受け止めて。
私は携帯を手に取り、行動を起こすことにした。
「もしもし? 大翔?」
「おう、結衣。どうした?」
ドキドキして息が詰まる。幼い頃は意識しなかったが、成長していく中、男らしくなった大翔を好きになっていた。
ふと、幼い頃を思い出す――。
あれは確か小学二年生の頃だ。その頃の私は近所でも有名なくらい男勝りで、木登りや、かけっこは誰にも負けなかった。
そんなある日、クラスの子に泣かされている大翔を見かけた。
「あんた達やめなさいよ」
「やべ~結衣だ。逃げろ」
「もうまったく……」
私は頬を膨らまし、男の子達を追い払った。
大翔はうずくまり、まだ泣いていた。
「大丈夫? 大翔」
私は優しく大翔の肩を叩いた。
「ありがとう。結衣。」
「なんでいじめられたの?」
私は大翔に聞いた。
「結衣のことを、男だって言うから、言い返したんだ。そしたら、逆にお前は弱いから女だって」
その言葉を聞いて、幼いながらにもショックを受けた。
多分、大翔も同じ気持ちだったんだろう。
「結衣……」
「何?」
「俺、結衣が好きだから強くなるよ。そして、結衣を俺のお嫁さんにしたい」
「何言ってんの? バカじゃない? 私弱虫はキライよ。そういうことは強くなってから、言いなさいよね」
今思うと、かなりきついことを言ったと後悔してる。
それから、大翔は私のことを好きとは言わなくなった。
――今更、今更だけど、大翔のお嫁さんになりたい。
私の幼い頃の過ち。
消したくても消せない過去。
中学、高校と、それぞれ恋をして、お互いの恋の悩みを相談することもあった。
それなりに恋はしたけれど、心の何処かに引っ掛かる何かがあって、それが大翔だと気付いた時、私は病に倒れた。
「結衣…結衣? どうした? 急に黙りこんで……」
「ご、ごめん。あ、あのさぁ、今から会えないかな?」
私は声を絞り出した。
「今から?」
明らかに“面倒くさい”と言わんばかりの口調で大翔が返す。
「無理ならいいけど……」
私は簡単には引き下がった。
幼い頃の、男勝りだった私が羨ましい。
「いいけど、今起きたばっかりだから、用意出来たら連絡するよ」
「わかった。それじゃ、後で」
全身の力が抜け、嫌な汗をかいた。
「こんなんで、告白出来るのかなぁ」
つい弱音を吐いてしまう。
「見ていられないわね」
腕組をしたローズが背後から話掛ける。
「い、いつから居たの?」
「ずっといたわよ。あなたに興味があってね。人間て面白いわね」
他人事のようにローズは微笑む。
――あ、他人事か?
何故か私も笑った。
「もっと押していかなきゃ」
「そうよね」
確かにローズの言う通りだ。
私はデスプレートを擦りながら、頑張ろうと誓った。
「はぁ、何て話そう。って、ゆっくり考えてる時間もないのよね。当たって砕けろね」
そうこうしてるうちに、大翔からメールが入る。
“今から行く”
いつもながら素っ気ないメール。これでも、マシになったほうだ。
以前は、私が長々と打ったメールに対して「うん」とか、「わかった」と返事を返すのみで、酷い時は返事すら返してくれなかった。
その頃に比べたら、今はだいぶマシだと思えてくる。
そこにピンポーンと、チャイムが鳴った。
「来た……」
私が部屋のドアを開けると、大翔はすでに目の前にいた。
幼なじみとは怖いもので、家族のように家にズカズカと上がってくる。
昔からだから気にはしていないが、プライバシーなんてあったもんじゃない。
「んで、話って何?」
「あ、あのね。大したことじゃないんだけど、大翔って今彼女居るのかなぁって」
私は声を絞りだし、一気に話した。
「居たけど、別れた。それが何?」
「えっと~。観たい映画にがあるんだけど一人で行くのはちょっと……」
私がマゴマゴしていると、それを察して大翔は言った。
「何だ、そんなことか。いいよ、俺が付き合ってやるよ」
「本当に~」
私は嬉しくて堪らなかった。
死んでもいいと思った。
あ、一度死んでたんだ。
一人でボケて一人で突っ込んだ。
幼い頃から大翔とは色んな場所に行ったけど、意外に映画に行くのは初めてだった。
実は一度死ぬ前に観たいと思っていた映画――。生きてることで、その夢も叶おうとしている。
映画のジャンルは恋愛モノ。
私が長年愛読していた少女マンガの初の映画化だ。
「上映時間を確認するから待ってて」
手際よく大翔が検索する。
「まだ時間あるみたいだから、その辺プラプラしながら行くか?」
「うん」
私のワガママで映画に誘ったのに、大翔の方が乗り気になっていた。
私は聞こえるか聞こえないの声で“ありがとう”と囁いた。
「良かったじゃない」
私の背後からまたもやローズ。
「大丈夫! あなた以外の人に私は見えないわ。っと、私はお邪魔のようなので、一旦消えるわ」
久しぶりの映画――。
上映するまでの待ち時間、大翔と他愛のない話をした。
まるでデートのようで、幸せな気分だった。
ただ大翔にフラれて駄目になった時のことを考えると、臆病になっていた。
「そろそろ行こうか」
大翔は昔みたいに私の手を引いた。