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あの夏を忘れない(短編バージョン)後編

 大会後、野球部の活躍を知り、五人ほど途中入部してきた。

 それと同時に、同じ一年の門倉かどくら亜紀あきがマネージャーとして志願してきた。

 亜紀は明るい性格で、人当たりも良く僕は一目で好きになった。勿論、僕の片想いだ。何故なら、亜紀は住田さんと付き合っていたのだ。


 ある日の練習帰り、住田さんと亜紀が一緒にいる所に遭遇してしまった。


「あれ? 山岸君じゃない?」


「おぉ、山岸~」


 僕はその場から逃げるように、全力で自転車のペダルを漕いだ。


「何だ? どうしたんだ? 変な奴……」


 わかっていた。わかっていたけど、僕は現実を受け止められなくて逃げ出したのだ。


 それから僕は全てを忘れる為に、更に野球に打ち込んだ。

 正式にピッチャーにも抜擢され、手応えを感じ始めた頃、忘れもしない悪夢が僕を襲った。

 いつものように朝練に向かう途中、車が僕に向かって走ってきたのだ。


 一瞬だった。その衝撃――痛み――全てを理解出来ないまま目を覚ますと、自分の部屋ではない何処かで目を覚ました。


「気が付いた? 二日も眠っていたのよ」


 母親が心配そうに僕の顔を覗き込む。

 事態が飲み込めない僕は、母親に問い掛けようと体を起こそうとした。すると、全身にとてつもない痛みが走った。


「い、痛い……」


「安静にしてなきゃ駄目よ」


 体が思うように動かない――この時初めて車に轢かれたことを自覚した。


「あっ、先生! 目が覚めました」


「蓮君、よく頑張ったね」


「先生! 僕……また野球できますよね?」


「残念だが、野球は無理だよ。普通に生活するぶんには支障はないが……」


「そんな……嘘だと言ってください。先生……野球がないと僕は……」


 僕は人目を憚らず声を出して泣いた。来る日も――来る日も――

 内藤達が見舞いに来ても、僕は面会を謝絶した。




◇◇◇◇◇◇




 二ヶ月が経ち、歩行も可能になった頃、同じく入院する五歳の男の子と知り合った。男の子の名前は春樹はるき君。


 病名は急性骨髄性白血病――いくら医療や病名に疎い僕でも、難病であることは知っている。

 春樹君は小さな体で、いつも僕のことを気に掛けてくれた。正直、自分が情けないと思った。


「お兄ちゃん、また野球出来るといいね。今度、ボクにも野球教えてよ」


 そう言って、毎日枕元に覚えたての鶴を折って置いてくれた。


 折り鶴が二十個になる頃、春樹君は無菌室クリーンルームへと隔離された。

 マイロターグという薬の副作用で、ベットから起き上がれない日々も続いた。しかし、気分がいい日は、ガラス越しに僕がガッツポーズをすると、小さな拳を高々と挙げて返してくれた。


「僕のことなんてどうでもいい……。春樹君のドナーさえ見付かってくれれば」




◇◇◇◇◇◇




 ある雨が激しく降る日、春樹君の容態は急変した。

 看護師達が慌ただしく動き回り、やがて静寂が訪れた。

 嫌な予感を感じた僕は、春樹君のいるクリーンルームへと足を運んだ。

 硝子越しに見える視線の先には、今まで春樹君を縛り付けていた生命維持装置が取り払われ、啜り泣きする親族の姿が見えた。


 “お兄ちゃん、どうしたの?”と、今にも起きて話し掛けて来そうな程、安らかな眠り――


「野球……教えるって約束したじゃないか……」


 僕は悔しさのあまり、冷たい硝子に額を当てながら咽び泣いた。


――春樹君……本当は普通の子供のように外で走り回りたかったろうに。これから楽しいことがいっぱいあった筈なのに……。野球が出来なくなっても、僕は生きているんだ。春樹君の分も頑張らなくっちゃ……。


 それから暫くして、僕は退院した。


 久し振りに学校へ行くと、誰もが温かく迎えてくれた。この時、僕の中で一つの決心があった。


“野球を続けよう。野球が出来なくても、皆の力になれることがある筈だ”


 放課後、僕は真っ先に部室を訪れ、キャプテンの住田さんを初め、先輩方に思いの丈を述べた。先輩達はそれを理解し、僕を改めて迎え入れてくれた。


 それからは、率先してユニフォームの洗濯や、スコアラー、ありとあらゆる雑用をこなした。

 野球が出来ない悔しさはあったが、ベンチから声を出し、野球に関われることを幸せに感じていた。


 そんな日々を過ごし、山々が紅葉に色付く頃、住田さんに部室へと呼び出された。


「毎日、皆の為にありがとうな。亜紀も助かるって言ってたぞ。所で、ものは相談なんだが、次期キャプテンにお前を推薦したい。本来ならば二年生から選出するべきなんだが、皆お前しかいないって言うんだ。勿論、俺もそう思う。どうだ? やってくれるか?」


「住田さん……だって僕、野球出来ないんですよ? 他に相応しい人がいる筈です」


 その時、部室のドアが開き、野球部全員が中に入ると口を揃えて言った。


「「山岸、俺達からも頼む!」」


 僕は、皆が必要としてくれるのが嬉しくて、涙が溢れそうになった。


「謹んでお受けします」


――キャプテンなのに、野球が出来なくてベンチ。


 でも、僕はその日から、“これが僕の居場所なんだ”と思い、夢中で駆けずり回った。




◇◇◇◇◇◇




 季節が変わっても、二年生、三年生と、ベンチキャプテンは続いた。

 試合には当然出れなかったが、それでもいいと思っていた。

 そして、僕らの野球部は着実に力を付け、三年生の夏、初めて県大会決勝まで勝ち上がることが出来た。


 相手は常勝聖新学院――


 3‐3の同点で迎えた9回裏、ツーアウトランナー二塁。

 一打サヨナラの場面で、監督に僕は呼ばれた。


「お前の三年間を、このバットにぶつけて来い!」


「はい!」


 迷いはなく、僕は力強く返事をした。

 バッターボックスに入り、深呼吸をしてバットを構える。しかし、バットは三度空を切り、芯を捉えることはなかった。

 結局、チャンスを活かせず、次の回に二点を挙げられ、甲子園の夢は叶わなかった。

 試合後、甲子園は逃したものの、皆清々しい表情をしていた。


「キャプテン! 俺達、キャプテンと野球が出来て幸せでした。その意志、俺達が受け継いで、必ず甲子園に行きます!」


「皆……こんな僕についてきてくれて、ありがとう。後は頼んだぞ!」


「「はい!」」


 グラウンドが夕焼けで真っ赤に染まる頃、僕の夏は終わった。




◇◇◇◇◇◇




 今でもその時のことは鮮明に覚えている。


 弱小だった野球部は、今では百人を越える部員数で、甲子園常連校までに成長した。

 僕達の意志を、後輩達が確実に受け継いでくれているのだ。


 野球人生最後のバッターボックス……忘れない。あの夏を……忘れない――


 ここから僕の人生は始まったんだ。


 来月、産まれてくる息子にも、野球をやらせようと思う。


「さぁ、帰ろうか亜紀」


「えぇ、あなた」


 僕は妻である亜紀とグラウンドを後にした。


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