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形見の腕時計

この話は実話です。

 小学校の頃の僕ときたらヤンチャを通り越して、一言で言うと悪ガキだった。

 やるなということは必ずやるし、自分で言うのも何だが、手がつけられないレベルだった。だから当然、成績も良いはずもなく通知表には決まって“落ち着きがない”と書かれるのが常だった。

 それに比べて僕の従兄弟は皆優秀で、じいちゃん、ばあちゃんに自慢気に通知表を見せる。僕は悪い成績を見せるのが嫌で、いつも見せなかった。

 じいちゃんは“成績が上がったら見せなさい”と言ったが、僕は心の中で“絶対嫌だ”と思っていた。


 厳格なじいちゃんだけど、一緒にお風呂に入った時、僕に話をする姿は普段と違った。

 戦争で体験したことや、若い頃夜も寝ないで家族の為に働いたこと。

 誇らしげに話すじいちゃんに、幼いながらに尊敬を抱いていた。だから、じいちゃんの言うことは絶対だったし、じいちゃんの言うことだけは素直に聞いた。


 小学四年生の夏休み、じいちゃんの家に従兄弟が集まり、ばあちゃんが作ったラーメンを皆で食べた。

 食べる場所がなくて、行儀が悪いと知りつつも僕は立って食べた。それを見たじいちゃんに注意された。

 素直に謝れば良かったのだが、この日の僕は言い訳をして抵抗した。これが最初で最後の僕のじいちゃんに対する抵抗だった。

 僕はやりきれなくなり、家を飛び出し逃げ出した。

 自分の家までの約5キロの道程の中で、少しずつ反省しながら一人で歩いて帰った。


 小学六年の頃、じいちゃんの家の近くに引っ越し、顔を出す機会が増えた。

 成績も徐々に上がり、初めて通知表を見せた時は喜んでくれた。


 中学に上がり新しい自転車を購入する際も、じいちゃんは面倒を見てくれた。

 その自転車でじいちゃんの家に行って、落花生を食べながら水戸黄門を一緒に見る――ただそれだけのことでも、じいちゃんは喜んでくれて僕も嬉しかった。


 車の免許を取った時も、初めて車を買った時も、真っ先に見せに行った。そのたびに優しい笑顔で喜んでくれた。


 社会人になり、仕事が長続きしない僕は悪戦苦闘を繰り返した。そんな時も、“気まずいな”と思う僕に対し励ましアドバイスもくれた。


 ようやく生きるすべを見つけ、僕は結婚した。

 真っ先に報告に行くと“早く曾孫が見たい。100歳までは生きないとな”と言っていたのを覚えている。

 結婚のお祝いに買って貰った掃除機は、今も大事に使っている。


 やがて僕の第一子となる子供が産まれた。

 出産当日じいちゃんも来てくれた。


 僕の子供が一歳になる頃、ウチの家族とじいちゃん達とで、父方のじいちゃんばあちゃんの墓参りに行くことになった。

 途中立ち寄った家電量販店で、じいちゃんは腕時計を購入した。


 冗談まじりに“俺が死んだら形見代わりに、お前にこの時計をやる”と言った。

 そんな日が来るとは思わず、僕は微笑むじいちゃんに笑い返した。


 それから間もなく、じいちゃんは体調を崩し入退院を繰り返した。


 僕は入院のたびに、納豆と海苔の佃煮を買っていった。食欲がない時もこれがあると助かると、喜んでくれた。


――じいちゃんは必ず元気になる。じいちゃんは死なない。死ぬはずがない。このときの僕はそう確信していた。


 病状は良くなることなく、病院もたらい回しにされた。

 ある時は薬の所為で幻覚の中、独り言を云っている時もあった。


“家に帰してくれ……どうしてこんな風になっちまったんだ”


 厳格なじいちゃんがすっかり弱って、弱音を吐いてる姿に僕は胸が苦しくなった。


――もう少し、もう少しだけ長生きして。


 僕はそう願っていたが、それは叶わなかった。

 病室に親族が集められ、目の前で人工呼吸器が外され息を引き取った。

 ふと、左手を見ると、あの時買った腕時計を身に付けていた。

 筋肉質だった腕もすっかり細くなり、バンドはゆるゆるだった。


 僕は、それまで我慢していた涙を堪えきれず涙を流した。


 葬儀は滞りなく済み、親族が集まった席で、じいちゃんが愛用していた腕時計が僕に渡された。

 じいちゃんはあの日のことを覚えいて、遺言に残したのだ。


 まさかこんな日が来るとは思わなかった――。


 目を閉じると、一緒に銭湯に行った時のことを思い出す。

 大人になり、初めてじいちゃんの背中を流したあの日を――。

 幼い頃は大きく見えた背中が寂しく、そして小さくなっていたことを思い出した。


 僕はポケットの中で、じいちゃんの形見の腕時計を握りしめた。


 それから数年が経ったある日、僕は風邪を拗らせ、肺炎でじいちゃんと同じ病院に入院した。

 運命の悪戯か、偶然にもじいちゃんと同じ病室だった。

 僕はじいちゃんが息を引き取る時のことを思い出し、切ない気持ちになった。

 病状は安定し、一週間程で退院できたが、とても長い時間に思えた。


 僅か一週間でも、“早く家に帰りたい”と思ったくらいだ。

 入院して初めて分かった。じいちゃんもどんなに家に帰りたかったろうと。


 固いベッドの上で、季節を感じることが難しい変化のない窓からの景色――。


――もっと色んな話をしていれば良かった。


――もっと見舞いに行けば良かった。


 孤独と病気の戦い……。それはこんなものじゃなかったんだろうなと実感した。


 退院して、じいちゃんの遺影の前に両手を合わせた。


――僕を守ってくれてありがとうと。

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