イジメに負けない
まだ明け方の四時だというのに、胃がキリキリと痛み出し目が覚めた。
私は薄暗い部屋を何度も見渡し溜め息をついた。
最近では、市販の胃薬も効かなくなっている。
「はぁ……学校行きたくないなぁ」
また一つ溜め息をつくと、そう呟いた。
私の名前は中根咲希。有名私立女子高に通う、ごく普通の高校二年生――だった……。
文化祭の役決めがきっかけで、私は今クラスで“イジメ”にあっている。
――ほんの些細なことで、イジメは始まる。私は身を持って実感した。
父は公務員、母は中学の教員という気難しい職業ということもあり、両親には打ち明けることも出来ず、この問題を私一人で抱え込んでいる。
「咲希~最近学校はどう?」
母の問い掛けに、
「うん、いい感じ」
と、返す。
学校とは違う自分を演じるのにも疲れてきた。
「行ってきます~」
学校へ向かう足取りは重い。出来ることなら行きたくないが、それを許してもらえるとは到底思えない。
教室に入ると黒板には、私の名前と共に“死ね”と書きなぐられていた。
このぐらいは序の口で、私の机には彫刻刀で彫られた罵倒する文字が並んでいる。
担任の先生はというと、それを見て見ぬ振りをして、このクラスにイジメはないと断言する。だから私に逃げ場はない。
周りからの冷たい視線を避けながら席に座る。クスクスと私を指差して、笑うクラスメイトの声が聞こえてきた。
主犯格の愛子は腕を組ながら、その様子を満足げに見つめる。
――もう嫌だ。何で私が……。
演劇の主役を愛子と取り合って、私が選ばれただけなのに……。
先生に“役を降りたい”って言っても聞く耳を持ってくれない……。
――世間一般的にイジメられる方にも原因があるって、よく言うけど完全に筋違いだよ……。
堪えていた涙が頬を伝う。ここ最近泣かない日はない。
「あれ~また泣いてるぅ。泣けばいいと思ってんですかぁ?」
愛子の横にいた麻里が追い打ちを掛ける。
こんな筈じゃなかった――。夢をトキメかせ入学した学校生活。いっぱい勉強して、いっぱい友達作って、いっぱい恋して、いっぱいオシャレして……そして……そして……。
語り出したらキリがない。落書きされた教科書を開きながら、前髪で顔を隠す。
――この先、生きてていいことあるのかなぁ。
縁起でもない、死を予感させることまで浮かんでくる。お陰で苦手な古典の授業が、余計に頭に入ってこない。
「はぁ……」
私ってば溜め息ばっかり。溜め息をつくと幸せが逃げて行くっていうけど本当みたい。
給食の時間も、放課後もひとりぼっち。一日中喋らず、自分の声も忘れそうだよ。
家に着いてベッドに横になると、いつの間にか寝てしまった。そして、不思議な夢を見た。
「うわ~綺麗~」
辺り一面に広がるラベンダー畑。来たことがないのに、懐かしい感じ。
「何処まで続いているんだろう?」
裸足のまま夢中で駆け回ると、誰かが私を呼んだ。
「咲希~咲希!」
髪が長くて優しい笑顔の女性。私は声の呼ぶ方へ向かった。
「咲希。やっと会えたね。私も咲希」
私は不思議そうに、顔を伺うと女性は続けた。
「信じられないかも知れないけど……私、十年後の咲希。今、イジメに合って辛いと思うけど、負けないで。この先、いっぱい恋もして幸せになるわ。だから死のうなんて考えちゃ駄目。生きていれば楽しいことが沢山待ってるんだから。咲希、負けちゃ駄目」
――何処となく面影がある十年後の咲希。
私は自然と受け入れることができて、思わず笑みが溢れた。
「そう、その笑顔。咲希は笑顔が一番。私が私のことを言うのもなんだけどね」
私はまた笑った。今まで、笑うことを忘れていたことに気付いた。
「私、負けない。未来の私のためにも」
十年後の咲希は優しい笑みを返す。
「さぁ、もうすぐ夜が明ける頃。勇気を持って……」
辺りは眩い光に包まれ、そして私は目が覚めた。
「もう泣かない」
私はそう心に決め、学校へ向かった。
相変わらず黒板には、私への悪口が書かれている。私は気にせず明るく努めた。
「何アイツ~笑ってるよ。キモ~」
何をされようと、何を言われようと負けない――。
一週間程すると、私へのイジメは和らいできた。何をしても反応しない私に飽きてきたのだろう? そう思ったが、違った。
標的が真依に変わったのだ。真依はどのグループにも属さない中立タイプ。
それが気に入らなかったのだろうか? あれこれと考える中、ホッとする自分がいた。
――でも、これじゃイジメてる人と同じだ。
私はイジメられてる真依の前に立った。
「やめなよ」
流されやすい性格の私が、初めて自分の意見を主張した。
「おやおや、傷の舐め合いですか~?」
麻里が私達に嫌味を放つ。私は無視して真依の手を取り教室から連れ出た。
「大丈夫?」
私は心配そうに真依に尋ねた。
「こんなことして私が喜ぶとでも、思った? 私に標的が変わって内心ホッとしてるんでしょ?」
真依の心ない一言が私の胸に突き刺さった。
ほんの少しでもホッとしたのには違いない。当たってるだけに何も言い返せなかった。
「なんてね。ありがとう」
真依のイタズラな言葉に私は振り回された。
「もう、真依の意地悪~」
二人で顔を合わせて笑った。
――未来の私のお陰でイジメにも負けなかった。
――笑顔のお陰で真依とも友達になれた。
私の学校生活……悪くないかも。イジメはまだまだなくならないけど、生きてさえいればきっといいことがあるんだね。十年後の私――。待っていてね。私もっと強くなるから……。