招かれざる来訪者
朝から空は暗雲に覆われていた。
ガラガラガラ…ブフルルッ…
四頭立ての立派な馬車が屋敷の前で止まった。
細部にまで凝った彫刻が彫ってある貴族の馬車だ。御者席には、タキシードをびしっと着こなした若い執事風の男が寡黙に佇んでいる。
馬車の周りを用心棒達がぐるりと取り囲んだ。
皆、殺気を孕んだ眼で御者と馬車の扉を凝視する。
入口警備の静止を無視して屋敷へと入ったこの馬車は、居並ぶ用心棒の前に堂々と乗りつけたのだ。
十人近くに及ぶ荒くれ共を前にしても顔色一つ変えない御者。どんよりと濁った眼で、正面を向いたまま身動ぎもしない馬。
明らかに普通ではなかった。
この光景をシェーラは三階の窓から見つめていた。
その瞳には強い決意の灯火が宿っている。
背後のドアが開く。
現われたのは信頼する老執事だ。左手には細長い包みを持っている。おそらく自分を守るための剣か何かだろう。
「御嬢様、よろしいのですね?」
「ええ…それで、御父様達は?」
「かなり渋っておられましたが……なんとか隠れていただきました」
「そう、ありがとう」
「その言葉は妖魔を倒した後に聞かせて下さい」
「……はい」
こくりと頷いたシェーラは、そのまま老執事の横を通り過ぎて行った。
後ろをリカームが続く。
招かれざる客との会見に赴くために。
静まり返った屋敷の中では人の足音がよく分かった。屋敷に入ってきた客人達は、この大広間へと着実に向かって来ていた。
扉の前で足音が止まる。
ギィ~ッ!
扉の開く音が薄気味悪いと思ったのは初めてだった。
警備に案内されて姿を現したのは、貴族の青年とその執事らしき男の二人だった。
二人を用意していた席に案内した警備達は、シェーラ達とこの二人の中間の位置に配置。
屈強の男達が、シェーラと老執事を取り囲むようにして護衛をしている。
それでも、この客人との距離はかなり離れていた。
客人が正面の席へと腰を降ろした時、椅子から立ち上がったシェーラは来賓に対して丁寧な挨拶をした。
「ようこそおいで下さいました、ファラード伯爵。今日はこのように無作法な挨拶をしなければならないことを、心よりお詫び致します」
青年貴族も慇懃な挨拶を返す。
「お会いできて光栄に存じます、シェーラ嬢。こちらこそ、いきなり手紙を送り付けて申し訳ないと思っております。かねてから…舞踏会であなたの姿を拝見してから、身の焦がれるほどの想いに悩まされておりました」
「……ありがとうございます。それで、早速ですが昨日の手紙にあったお話を伺いたいのですが…」
シェーラはまるで仕事の時のような物静かな口調で、用件を切り出した。
(ふっ、気丈な方だ。私の正体にもとっくに気付いているだろうに…)
ラファエルは口元に笑みを浮かべていた。
わざわざこんな手の込んだ演出をしたのも、この気丈な娘が恐怖に震える姿をじっくりと愉しむためなのだ。
「あなたが妖魔に狙われるその真の理由…でしたね。
当家は、長年妖魔に関する研究を手懸けてきました。そして、今回あなたが標的にされたと聞き、いても立ってもいられず手紙を差し上げたという次第です」
妖魔のことは他言無用にしてきたはずだった。護衛達が眉をひそめる。
シェーラとリカームは何の反応も示さなかった。
「そもそも妖魔とは何者か。皆、口にすることを憚っていますが…あえて断言します!彼らは我々と同じ人間なのです。
住んでいた大地ごと異界へと流され、魔力に満ちた世界で生きるための変貌を遂げた者達。それが彼らです。
しかし、何故他の魔物以上の変貌を遂げることになったのか、明確な答えは現在においても不明と言わざるをえません。一説には人間特有の邪心故とか、共食いなどの狂気や嗜好の肥大化があげられますがね」
誰かが息を呑んだ。
ラファエルの話が進む度、室内の温度が急激に下がっていく。全員が冷や汗をかいているせいか、それともラファエルの発散する異様な気配のせいなのか。
青年貴族は話を止めてシェーラを凝視する。だが、彼の意図に反して…あるいは気丈に振舞っているだけなのか、少女の顔に恐怖の色は窺えなかった。
「どうかしましたか?続きをお聞きしたいのですが…」
「……うむ」
ラファエルは内心舌打ちをして、続きを再開した。
「主に妖魔の狙う獲物は若い娘ですが、力の強い妖魔ほど美食になりましてね。家柄、容姿、性格・それだけでもあなたは彼らにとって最高の御馳走なのですよ」
さすがに、これにはシェーラも蒼褪めた。
護衛達も蒼い顔で少女に同情の眼差しを向ける。
「それだけでも…ということはもっと重要な理由があるんですかな?」
沈み行く雰囲気の中、老執事が冷静に問い質す。
またも内心で舌打ちしたラファエルだが、表情には出さなかった。
「そうです。妖魔が若い娘ばかりを狙うのは、何も食欲を満たすだけではないのです。急激な変貌を遂げた彼らには女が産まれません。そこで同族を殖やすためにある特定の娘達を探しているのですよ。…………魔力を秘めている女性をね」
「魔力!?」
「そう、魔力ですよ。この世界にも魔導士がいたように、稀に人間の中に魔力を秘めて生まれる者がいます。あの戦争以来…」
そこで一旦言葉が途切れた。
怪訝な顔をする人間達の反応を愉しむように、ラファエルが一望する。
やがて、背筋の凍るような声で続けた。
「あの戦争以来……我々は長い時をかけて魔導士を根絶やしにした。今思えば、愚かなことをしたものだ。ただでさえ魔力を持つ人間は少ないというのに…」
ざわっ…護衛達に緊張が走った。今、この青年は確かに言った…我々と。
承知の上だったのか、動揺もせず剣を抜いて構える護衛達。
「だが、シェーラ嬢…一代限りのものか、あるいは魔導士の子孫かは分からないが、あなたは稀有なほどの強い魔力を宿している。あなたは私の妻となり、来たるべき妖魔王を産んでいただきたいのです」
「誰がそんなこと!!」
「あなたの意志など私の呪縛でどうとでも」
「構えいっ!」
護衛のリーダー、ダインが叫ぶ。シェーラを下がらせ、老執事と共に前に立つ。
一斉にボウガンの先が貴族と若い執事に向けられた。
「撃てえっ!」
二十本以上にも及ぶ矢が、二人の人外へと撃ち込まれる。
…が、矢は何か壁のようなものに全て弾かれた。
「畜生っ!なら武器を取れ。狙うのは心臓だけだ!!」
「うおおおっ!」
剣を抜き、襲いかかる護衛達。彼らとて、普段は冒険者として、魔物を狩って生計を立てている。修羅場だって幾つも潜り抜けてきているのだ。その行動は迅速だった。
「ふんっ、身の程知らずが!」
ラファエルが吐き捨てるように言った途端、
バブァアアアッ!
金髪の青年から、周囲に向けて魔力を伴った空気の塊―――衝撃波が放たれた。
護衛のほとんどが強烈に壁に叩きつけられた。
大半が気絶し、運の良かった者でも一撃で戦意を吹き飛ばされてしまった。
「花嫁を迎えに来たというのに、血で汚されてはたまらんからな」
侮蔑を込めてラファエルが吐き捨てる。本気を出せば、今の一撃で皆殺しも容易いことなのだ。
「そ、そんな…」
頼りにしていた護衛があっさりと無力化され、シェーラの顔が絶望に染まる。
ダインも剣を構えたまま、足を踏み出す事が出来ないでいた。
老執事が、震える少女の手を強く握り締める。
「御嬢様、まだ諦めるのは早いですぞ!」
「……はい!」
震えながら頷く。
リカームは自分達を庇うように立つダインへ、妖魔に聞こえないよう囁く。
「ダイン、中で戦っては不利です。外へ誘き出しましょう」
「分かった!」
三人は左側の扉から廊下へと飛び出す。目指すは正面玄関だ。
だが、後ろからタキシードを引き裂いて変身した妖魔が、凄まじい速さで三人を追う。青年貴族は、その後からゆっくりと扉を出てきた。絶対に逃がさない自信があるのだ。
半分も行かないうちに、執事であった妖魔がすぐ後ろまで迫る。
「先に行きな!」
ダインが後ろを向いて剣を構えた。
リカームとシェーラは無言で頷いた。ここは任せるしかない。
妖魔の追走が止まった。
妖魔は凶悪な笑みを前に、ダインは震えが止まらない。一度妖魔と戦ってみたいと思っていたはずだが、それがどんなに愚かなことだったか、今になってみるとよく分かる。
しかし、これまでにない恐怖を無理矢理抑え込み、ダインは不敵な笑みを作った。怖がっていると分かれば余計に舐められる。
「へっ、妖魔を倒せば一生自慢話に困らねえな」
その言葉に、後ろから来た青年が嘲りの笑みで応える。
「ふ…グラスト、遊んでやれ」
「はっ!」
グラストと呼ばれた妖魔がダインに襲いかかる。
ダインは愛剣を握り締め、勝算の薄い戦いに身を投じた。
* *
「くそっ!」
アルカイドは苦渋に満ちた顔で壁を殴りつけた。 その部屋には屋敷の者が全員いた。だが、全員が暗い顔で俯いてしまっている。詳しいことを知らされていないメリーナまでもだ。
先程から何か破裂するような音と振動が、屋敷の一番端のこの部屋まで伝わって来ていた。その度に皆がビクッと震え、アルカイドが歯斬りを立てる。
皆の緊張は限界まで達していた。
「あっ、御嬢様!」
窓際にいた調理師ホロスの妻アンナが、外を見て叫んだ。
「何っ?!」
アルカイドを始め全員が窓際に殺到する。
眼下には、老執事に連れられた愛娘が走り出て来るのが見えた。
「シェーラ!」
「お姉さま!」
アルカイドは後先考えずにその部屋を飛び出していた。
メリーナまでもがミアラの手を離れて飛び出して行く。
「旦那様、メリーナ御嬢様!」
リカームに手渡された剣を持って、アクラも追いかける。
無論、アルカイドやメリーナを止めるためではない。シェーラを守るためだ。
そして、それは他の者も同じだった。何か御嬢様のお役に立てることがあるのではないか…全員がそんな思いを胸に部屋を飛び出して行った。
*
執事リカームと主シェーラは、玄関から外へと飛び出していた。
妖魔はまだ追ってこない。ダインがうまく引き付けてくれているようだ。
「御嬢様、奴等はここで迎え討ちます。覚悟はよろしいですか?」
老執事の落ち着いた言葉に、胸に手をあてて頷くシェーラ。そこには懐剣を隠してある。
妖魔の子を産むなんてあってはならない事だ。もし、妖魔に連れ去られることになるのなら、その剣で自分の喉を貫くつもりだった。
しかし、老執事まで命を落すことはない。シェーラの口から、今まで我慢していた言葉が零れそうになった。
「リカーム、あなただけでも…」
「御嬢様…必ずお守り致しますぞ!!」
「……うん」
言いかけたシェーラは、ただその忠誠に応え、押し黙るしかなかった。
リカームは軽く微笑むと、玄関へと視線を戻した。
シェーラが何を言いたかったのかは分かっている。そして、リカームの心情を察してそれを我慢したことも。
そんな主だからこそ、命をかける価値がある。
バガアアアン!
凄まじい音とともに、何かが扉を突き破って地面を転がってきた。
白と赤の鎧、逆立った髪の毛…ダインだ。しかし、その身体は全身血だらけで満身創痍、意識もないようだった。
破壊された玄関から、ラファエルと妖魔が悠々と歩み来る。
妖魔の体には無数の剣傷があったが、やはり胸にだけは傷がついていない。
ダインを助けに行こうと踏み出しかけたリカームだが、シェーラから離れるわけにも行かず苦渋に顔を歪める。
(どうすれば…)
妖魔がダインにとどめを刺そうと腕を振り上げた。
リカームは平静を装い、ぼそりと投げかけた。
「さすが堂に入ったものですな。妖魔将アルベル殿」
始終笑みを貼り付けていた青年貴族の顔に、初めて不快の色が現われた。
妖魔グラストもトドメを刺すのも忘れ、リカームを凝視する。
妖魔将アルベル―――かつての妖魔王の側近で、三本の銀の角を持つ伝説級妖魔だ。この三百年の間に、三人の聖騎士がアルベルに惨殺されたという。
(ア、アルベルだとお!あのくそ執事、隠してやがったな)
ダインは意識を失っていなかった。だが、どうしても妖魔の心臓に一太刀浴びせることが出来ず、みっともない演技で隙を窺っていたのである。
彼もそんな大物が相手と知れば、絶対に護衛など引き受けなかった。
「ほう、私の名を知っているとはな…」
情報の出処が気になったのか、アルベルが初めて老執事に興味を向けた。
その額からは三本の銀の角が天へ向け屹立し始め、背中からは蝙蝠のような翼がゆっくりと生えてくる。シェーラの目を気にしてか、それでもまだ人間の姿を留めていたが。
異形と化したアルベルが、ゆっくり歩み寄る。
じっと不敵に睨み返す老執事。
アルベルがダインの横を通り過ぎた時、リカームが叫んだ。
「今だ、カノンッ!」
ビシャアッ、ズドンッ!!
つん裂くような稲妻が、妖魔グラストの頭上へと落ちた。