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最終話


 アルカイドへの仕事の引き継ぎのため、シェーラは朝から机に向かっていた。目の前のテーブルではリカームが大忙しで書類と格闘している。

 昨日のことなどまるで感じさせない、いつもの老執事だ。


 作業の手を休めて、シェーラは後ろのリカームを覗いてみる。四角い大きなテーブルの前に座った老執事は、いつも通りすました顔で淡々と作業をこなしていた。


(身体の疲れも残っているはずなのに…本当に意地っ張りね)


 昨日の夜のことを思い出すと思わず目頭が熱くなる。あれから部屋に帰ると感動のあまり泣き崩れてしまった。御蔭で今朝、まぶたが少し腫れぼったいのを見てカノンと大騒ぎしていたのだ。

 カノンは四日ぶりに獲物を狩ってくると言って森へと姿を消した。もしかしたら彼なりに気を遣ってくれたのかもしれない。


 仕事も一通り片付き、シェーラは時計を仰ぎ見た。

 まだ少し早いが構わないだろう。今日は休憩が待ち遠しくて仕方がなかったのだ。


「リカーム、そろそろお茶にしましょうか。……今日は外がいいな」

「そうですね。今日は絶好のいい天気ですし、春の庭園もまた格別かと」


 リカームが嬉しそうに承諾する。庭園での休憩が嬉しいのか、それともシェーラから言い出してくれたことの方が嬉しいのか…。


 二人は外へ出て、美しく整えられた庭園に足を踏み入れた。

 庭師のダイモ自慢の庭園だ。

 春の季節に相応しく、所々に花が咲き乱れ豊かな色合いを醸し出している。素朴な植木の刈り込みも庭園に落ち着いた雰囲気を与えるのに一役かっていた。


 二人はゆっくり春を感じつつ、庭園の中央の芝生へ辿り着く。

 芝生の上には白い丸テーブルと白い椅子、脇の台にはお茶のセットが並べられていた。

 外に出る時メイド達に頼んでおいたのだが、感心するほど素早い対応だ。


「リカームは座ってて。今日は私がお茶を煎れますね」

「そんな…御嬢様こそゆっくりしてらして下さい。日頃のトレーニングで疲れもたまっているでしょうに」

「あら、女の子の申し出を断るって言うの?それに今日はリカームに何かしてあげたいって気分なんだから」

「はあ?……まあ、そういうことなら喜んでお受け致しますが」


 リカームがなにやらふ附に落ちないという顔で応える。

 片手に持ったゼノケリウスを立て掛け、おとなしく椅子に腰掛けた。


 シェーラは安堵したかのように微笑んでから、お茶の用意を始めた。

 いつもは頼んでもなかなか同じテーブルにはついてくれないのだ。主の傍らで立っているのが執事のあるべき姿と思っているのだろう。


 茶葉の適量をポットに落しお湯を注ぐ。茶の香りが程よく立ち昇ってきたところで、皿の上に乗せたカップにお茶を注ぎ込む。簡単なようでいてこれが結構難しいのだが…。


「ほう…」


 丸テーブルの前に座ったリカームが、感嘆の声を洩らした。

 一挙一動に無駄がなく、かつ一番お茶の美味しい分量とタイミングを心得ている。自分を見本にしていることは分かるが、かなり練習しないとこのコツは掴めないのだ。おそらく、密かに練習を積み重ねたに違いない。


「どうぞ」


 どきりとするほどの愛らしい微笑みで、リカームの前にお茶を煎れたカップを置く。さしものリカームも、しばしの間シェーラから視線を逸らすことが出来なかった。

 少し顔が熱い。


「どうしたの?」

「い…いえ、いただきます」


 リカームは、すぐにカップを口に運んだ。内心で己の修行不足を痛感しながら…。


「どう?」

「お、美味しゅう…ございます…」


 上目遣いに聞いてくるシェーラに、ぷるぷると震え言葉少なに答える。

 今日はなんとなく感情の揺れ幅が大きい老執事である。



 芝生の上には美しい少女と白髪の老紳士が白い椅子に腰掛けて、優雅なティータイムを過ごしている。

二人とも特別話すことなどなにもない。ただ、そこにいるだけで楽しいのだから。


 しばらく、無言でお茶を飲むことに熱中していた老執事だが、ふとカップを置いたと思うといきなり頭を下げた。


「シェーラ御嬢様……私、御嬢様に謝らなければならないことがございます」

「えっ、何?」

「私、シェーラ御嬢様がトレーニングを始めた時、すぐに音を上げるものと思っておりました。剣の修行とは地道にして辛いもの。いくら御嬢様とはいえ、基礎をないがしろにするわけにはまいりませんから」

「……いいの。これでも小さい頃はお転婆で、あちこち走り回ってたのよ。脚には結構自信あるんだから」

「はい。単調なトレーニングに不平も言わずよく…。そして何より、御嬢様の真剣さに驚きました。これならば次の段階へ進んでも良いでしょう」

「次って?」

「剣の基礎をお教え致します」

「え~っ、本当っ?!嬉しいっ!!」


 両手を合わせて思わず立ち上がるシェーラ。

 はちきれんばかりに笑顔を輝かせている。

 シェーラが練習を望んだのは、単にリカームと一緒にいたいというだけではなかった。自分を守る技術を身につけ、リカームやカノンの負担を少しでも軽くしたかったのだ。


 が、シェーラはふと何を思ったか、そのままリカームの背後へと回った。


「お礼と言ってはなんだけど…」


 老執事の肩に手を置く。


「肩を揉んであげる。最近疲れ気味のようだから」

「!?」


 もちろん、シェーラの嘘である。昨日のような激しい特訓をして、疲れが溜まってないかと心配していたのだ。

 そうとも知らないリカームは、顔を引き攣らせ、見た目に分かるほど動揺していた。


(確かにこのところ、深夜の特訓で体中筋肉痛ですが、何故分かったんでしょうか!?)


 秘密特訓を覗かれたとは夢にも思わない。後でじっくり検証してみようと心に決め、取り敢えずごまかすことに専念する。


「わ、私も年ですからね。最近は肩が凝って…」


 大袈裟に首を捻ってみせる。


 シェーラは吹き出しそうになるのを堪えながら、リカームの肩を揉み始めた。思った以上に太い筋肉は、かなり固くなっている。昨日の特訓の疲れが残っているのだ。

 シェーラはせめてもの感謝の気持ちを掌に込める。


「はあ~…極楽です…」


 リカームが心底気持ち良さそうに息を吐いた。

 今にも眠ってしまいそうな顔をしている。

 その光景は誰の目にも、老人と孫娘の和やかな団欒にしか見えなかった。




 少し離れて二人を見つめる複数の人影があった。


「う~む、リカームめ。シェーラのような美少女に肩を揉んでもらったら、もっと照れるなり緊張するなり若者らしい反応があるだろう!」


 アルカイドが垣根に隠れて苛立ちの声をあげる。


「確かに年寄りくさいと言えますな」


 達観し切った口調でダラオス。


「前途多難ですね」


 普段あまり表情を見せないハタルも、さすがに苦笑を浮かべるしかない。


「だが、私は諦めんぞ!シェーラに見合う男などそうそうおらんのだ。よく出来た娘を持つ親の苦労、たぶんなってみないと分かるまい!」

「心中は御察しします」

「はて?私はてっきり伝説の聖騎士を跡取りにして、ピエール様に自慢するためと思っておりましたが…」

「……ダラオス。いきなり核心をつかなくてもいいだろう…」


 たちまちバツの悪い顔になるアルカイド。

 ちなみにピエールとは、商売敵であるクランド家の当主の名前だ。アルカイドとは幼馴染で犬猿のライバルなのだ。




 そして…リカーム達を挟んだアルカイド達の対面では、メイド達がこれも垣根に隠れて二人を覗いていた。


「あの様子ならまだまだ私達にもチャンスがあるわ。シェーラ御嬢様には悪いけど、あんな素敵な殿方を見過ごすなんて出来ないわよ!」


 レーラが空を見上げて拳を握り締める。


「そうね。あの忠誠心が大きな壁になってるのよね。御嬢様には同情しちゃうわ」


 ジルが目元にハンカチをあてている。それでも左手は、しっかりとレーラの拳に添えられていたが…。


「恋に情けは禁物よ。それで…ミイナも参戦するのかしら?」

「そんな、私なんて年も離れてるし…それに、シェーラ御嬢様が可哀想ですよ。あんなにお似合いの二人なのに…」

「あら、じゃあミイナは戦線離脱ね。良かったわ。ライバルは少ない方がいいものね」


 二人のメイドがほっとしたような表情を浮かべる。


「ま、待って…待って下さい!い、一応、私も…その…参戦します」


 慌ててそう言ったミイナは、おずおずと二人の手に自分の手を重ねた。


(ごめんなさい、シェーラ様。私も夢が見たいんです!)


 心の中でシェーラに詫びるミイナだった。

 やはり女の子だ。尊敬するシェーラには悪いが、女の子の青春に色恋沙汰は不可欠なのだ。これに参加しなければ一生後悔してしまう。


「「ちっ」」


 レーラとジルが同時に舌を鳴らす。

 この三人の中でミイナが一番リカームと仲が良いのである。強力なライバルに要らぬ刺激を与えてしまったようだ。


 そんな自分にとって妖魔以上の脅威が出来上がっていることなど露知らず、シェーラは束の間の幸せに浸っていた。


(もう少し、このままでもいいかな。でも…いつか私の気持ちにも気付いてね、素敵な執事様…)


「何か仰いましたか?」

「……ん~ん、何でもない」


 少し照れ笑いをして肩揉みを再開する。


 やがて、老執事がかすかな寝息を立て始めるまで、シェーラは手を休めることはなかった。父親が健気な娘に同情し、鈍感な執事に腹を立てているとも知らず…。


 静かに向かいの席に戻った少女は、テーブルに頬杖ついていつまでもその寝顔に魅入っていた。メイド達が羨ましげに見つめていることにも気付かず…。


 暖かな日溜まりの中、心地よい風が老執事の口髭をかき散らす。くしゃみでもして起きてしまわないかと心配しながら、少女は老執事の僅かな休息をずっと見守っていた。



          *                 *


          *                 * 



 数年後、大陸のあちこちで人語を解する魔物とともに妖魔と戦う聖騎士の姿が幾度も目撃された。

 ある国では壊滅寸前の騎士団を救い、ある国では攫われた美姫を奪還し怒れる妖魔を単独で討ち滅ぼしたという。各国が躍起になって彼を探したが、神出鬼没の聖騎士の行方はようとして知れなかった。

 顔を見た者は山ほどいるというのに。

 

 かの聖騎士には様々な噂がある。

 常に美しいメイドを引き連れているとか、百の顔を持つ変装の名人だとか、さる有力商会のみが渡りを付けられるらしい、とか…。


 だが、そんな中でこれだけは真実と誰もが口を揃えて言う。


 彼の聖騎士には唯一無二の美しい主君がいるらしい、と。


これで最終話です。

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