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変化する日常


 翌朝。

 外はまだ陽が出かかったばかりで少し薄暗い。

 調理師のホロス夫妻は起きているだろうが、執事やメイド達はまだ眠っているはずだ。


 シェーラはベッドに腰掛けて昨日の事を考えていた。

 妖魔に誘拐されそうになった時、命を賭けて自分を救ってくれた。伝説の聖騎士の力を発動し、絶望的なまでに強大な妖魔を退けてくれた。

 まるで、物語でも見ているような気分だった。


「シオン様…」  


 呟いたその目は遥か遠くを見つめていた。

 乙女の眼差しと言うやつだ。本当はリカームと言うのが正しいのだが、シェーラの夢の中ではやっぱり嬉し恥ずかしシオン様なのである。  


 しかし……いままで憧れの君であったシオン様が、いきなりリカームだったなんて言っても困ってしまう。確かに理想の男性ではあったけれども老執事であるからこその気安さであり、正体を知ってしまったからにはどうしても意識してしまう。

 けれども…主たる者、頼み事をする時にいちいち赤面するわけにはいかないのだ。たかが年齢詐称や変装くらいで態度を豹変させてどうする。

 適度な距離感を保ってこそ、良好な主従関係を築けるというものだ。


 そこで、朝早く起きてイメージ・トレーニングで素顔のリカームに頼み事をしたり、リカームとシオン様を結びつけようとしては昨日の事を思い出す…を繰り返しているのである。


「き、昨日の今日だもん。やっぱり、すぐには無理かも…。なんとかリカームに気付かれないように慣れて行くしかないわ」


 自分が恋に恋する年頃だと自覚した上で、リカームを引き留めたのだ。責任感の強い執事を悩ませるわけにはいかない。

 

 考えている間に陽は完全に姿を現し、下の方も騒がしくなり始めた。

 もう、部屋の外にはリカームがシオン様の顔で待っていることだろう。

 初めが肝心だ。シェーラは気を落ち着けてドアに手をかけた。


 緊張とちょっぴりの期待とともに。


ガチャ、ギイ~ッ…


「おはようございます。シェーラ御嬢様」

「おはよう。リカー…」


ずずっ!


 力の抜けた膝の変わりに、ドアに寄り掛かって体を支える事になった。


「どうかしましたか?」

「……い…いえ……えっと…」


 怪訝な顔で尋ねる執事に、シェーラは気を落ち着けて訊こうと思った。

 そうしないと怒りに任せて何やら叫んでしまいそうだったから…。


 だが、シェーラは訊くことが出来なかった。


「リカームううう!おはようーっ!」


 隣の部屋からメリーナが走ってきて、リカームの胸に飛び込んだ。


「ははは、おはようございます。メリーナ御嬢様。朝から元気がいいですね」

「あれっ!?なんでリカームがお爺ちゃんの顔してるの?昨日はかっこいいお兄ちゃんだったよね」


 そう…目の前に立っているのは白髪、口髭、頬の皺―――いつもの老紳士リカームだったのだ。


 リカームは顔一杯に笑みを浮かべて、


「これが本当の私ですから」


 と臆面もなく、言ってのけたのだった。



          *



 二十人に及ぶ男達が元気なく門をくぐって行く。

 シェーラとリカームは屋敷を去って行く彼らを残念そうに見送っていた。


 昨日、妖魔に惨敗を喫し、その正体が妖魔将アルベルと聞いて完全に震え上がっていた。護衛を辞退するのも無理からぬ事だった。  


 そして、今、髪を逆立てた派手な鎧の男もまた、この屋敷を後にしようとしている一人だった。


「さて…そろそろ俺も行くとするかな」

「……残念ですね。あなたには専属になっていただきたかったのですが…」

「俺は死ぬまで冒険者さ。旅が性に合ってる。だが…」


 他の者とは違う強い眼光でリカームを見返すダイン。


「必ずまた戻ってくる。リカームさんやカノンの旦那には借りがあるからな。お嬢さん…そん時はまた雇ってくれるかい?」

「ええ、もちろん。報酬は今回と同じでいいかしら?」

「…!」


 ただでさえ高額の報酬のさらに三倍である。ほとんど破格であった。また、それだけ信頼しているという証でもある。


「く~っ、嬉しいねえ!今度こそ報酬に見合った働きをしなけりゃな。それじゃあ、またな」


 背を向け、片手だけをぷらぷらと振りながら、ダインは去って行った。


 おどけたふりをしているが、リカームにはダインが何を考えているか分かっている。妖魔に手も足も出なかった自分が許せないのだろう。一から自分を鍛え直してくるに違いない。


「彼は約束を守る男です。必ずや戻って来てくれるでしょう」

「ええ…そうね」  


 にっこりと微笑んでリカームへと顔を向けたシェーラだが、急に何か思い出したかのようにそっぽを向いてしまった。

 怪訝な顔をする老執事。  


 少女はつーんとしたまま一言も発することなく、屋敷の中へと入っていく。


「御嬢様?」


 いつもと違うシェーラの様子に、今頃になってやっと気付いたリカームであった。



 昼過ぎ頃。

 主達の昼食も終わり、メイド達は片づけに追われている。


 そんな忙しい中、食器を持って調理場へ向かうミイナにどこからか声がかけられた。


「み~…な……みいな~…」


 応接間の扉の隙間から出た手が、自分を手招きしていた。


「……………何でしょうか?リカームさん…」


「ちょっと相談があるんですが…いいですか?」


「………まあ…いいですけど」


 ミイナは辺りに人がいないのを確かめてから部屋に入った。招き方からして、あまり人には知られたくない様子だからだ。


 中に入ると、体を小さくしたリカームが元気のない顔で話しかけてきた。


「実は…今日は何故か、御嬢様やレーラとジルの機嫌が悪いんです。やっぱり、昨日のことで私を怒っているのでしょうか?」


 老執事の言葉を聞いてミイナは大きく長~い溜息をついた。


「リカームさん…皆が怒っているのは今日のことが原因ですよ。私も少し怒ってるんですから」

「ええっ、ミイナまで!それに今日って一体…」


 情けない顔で問うてくる老執事をじ~っと見つめていたミイナは、すました顔で告げた。


「シェーラ御嬢様が何も言わなかったのなら、私からは申せません。今日だけだと思いますから我慢して下さいね。それから…もう少し乙女心というものを勉強した方がいいですよ」

「乙女心って?」


 ミイナのせっかくのヒントも、リカームには無駄だったようだ。

 首を傾げる老執事に悪戯っぽい笑みを向けた少女は、足取りも軽く応接間を出て行ってしまった。


 食堂へと向かう中、ミイナはリカームの反応を思い出し、少しほっとしていた。

 あれでは御嬢様の気持ちに気付くのはもう少し先になる事だろう。

 普通なら物語の姫と騎士のような展開を、ドキドキしながら応援するのが自分の立ち位置だ。しかし……どう想像を膨らませても愉しいとか応援したいという気持ちが湧いてこない。

 大好きなシェーラ御嬢様のためなのに…。


(私って、こんな嫌な娘だったっけ?)


 これがさっき言っていた乙女心であるとは、ミイナ自身もまだ気付いてはいなかった。



          



 その頃、シェーラは自分の部屋で単行本を開いていた。


 小説なんて二年ぶりだろうか。昨日のこともあり仕事なんてとても手につかないし、今日はリカームとも顔を合わせたくない気分だし…。

 だが、今は小説に没頭してさえいなかったのだが。


 傍らで寝そべっている黒い魔物―――雷鞭豹(サンダーウィップ)と呼ばれる高位魔獣・カノンのことが気になっていたのだ。


 黒豹の姿に額の角と肩口から生えた触手が特徴だが、昨日の戦いで触手は半分の長さに千切れてしまっていた。放っておけばまた生えてくるらしいが、体の怪我は結構酷く、ほぼ全身に包帯を巻いている。


 今朝、リカームに改めてこのカノンを紹介された。

 妖魔との決着がつくまでシェーラの護衛をしてくれると言うのだ。

 昨日のお礼を言い、二、三話もしたが基本的に無口らしく、こちらが話しかけない限りは全く口を開こうとはしない。さすがにあれこれと訊くのも気が引けるので、こうして本を読んで気を紛らわせているのである。


 しかし、リカームの冒険者時代のことを何も知らないシェーラとしては、訊きたいことが山ほどあった。謎に満ちた変わり者執事の過去を知る者がここにいるのだ。本人に断わりもなく過去を詮索するのは良くない事だが、どうせまともに訊ねてものらりくらりと答えるに決まっている。あの経歴詐称執事は、実質年齢の割に変なところで老獪なのだ。


 やがて、どうしても堪え切れなくなったシェーラは、おずおずと新しい友達に話しかけた。


「ねえ…カノン。あなたリカームのお友達って言ってたけど、どうやってお友達になったの?」

「……興味あるのか?」


 うざったそうに首を上げるカノン。


「……あります」


 好奇心から来るものではあったが、シェーラは真剣な面持ちで見返した。


 眠たそうな眼でシェーラの顔を眺めていたカノンは、右の触手で背中を掻きながら答えた。


「大したことじゃない。三年程前、俺とリカームは戦った。長く苦しい闘いだった。お互い死にかけたほどだ。だが、僅かに及ばず、力尽きた俺に剣を突きつけてあいつなんて言ったか分かるか?」


 首を傾げるシェーラ。


「私と友達になりませんか…だ」

「……本当に?」

「本当だ」


 カノンが生真面目に答える。


「……ぷっ…あははははは!」


 お腹を抱えて大笑いするシェーラに、きょとんとした表情のカノン。

 命を助ける変わりに友達になれ、とはずいぶんと強引な友達の作り方があったものだ。でも…どこかリカームらしくもあった。


「それから、妙に気があってしまった俺達はしばらく一緒に旅をしていた。奴が執事になりたい…と言い出すまでな」

「ふ~ん、リカームらしいっていうか…でも、他にも立派な御屋敷とかあるのに、何でうちに来てくれたのかしら?」

「さあな。わざわざ老人に化けるような奴だからな。同じ人間なら分かるんじゃないのか?」

「リカームって人間の中でも特殊な部類に入るから…」


 シェーラが苦笑気味に言った時…応接間でリカームが一際大きなくしゃみをした。


 耳の良いカノンには聞こえていたが、魔物に人間の隠された習性など分かるはずもない。気にも留めなかった。

 その時には扉に外に騒がしい気配を感じていたからだ。


 バタン!と勢いよくドアが開かれ、小さな影が飛び込んできた。


「カ~ノ~ンッ、あっそび~ましょ!」

「げっ?!」


 元気に部屋へ入って来たのは、言わずと知れたメリーナであった。

 疾風のように駆け寄って来て、逃げようと立ち上がったカノンの首っ玉にしがみつく。


「あ~っ、今逃げようとしたでしょ!?昨日、遊んでくれるって言ったじゃない!」

「あ…あれは鬱陶しいから適当に返事しただけで…」

「言ったでしょ?」

「………い、言った…」


 触手がだらんと垂れ下がる。


 昨日、手当ての終わった彼は、鬱陶しくまとわりついてくるメリーナから逃れるため、そんな約束をしていた。


 カノンの小さな声をしっかりと聞き取った少女は、


「決まりね。それじゃ、あたしの部屋で遊ぼ!お人形とかいっぱいあるのよ」

「こ、こら!引っ張るな。まだ完全に傷が塞がってないんだぞ」


 触手を引っ張るメリーナに、カノンが情けない声で抗議する。

 なんだかんだ抵抗していたが、結局強引に連行されてしまった。


 ポカンと一部始終を見ていたシェーラが、ぽつりと呟く。


「……リカームと気が合うわけよね」


 変に生真面目な所とか、押しに弱い所なんかそっくりだ。一言で言えば、似た者同士というわけだ。

 何だか、あの新しい友達とはうまくやっていけそうな気がしていた。



          *



 そこは薄暗い部屋だった。

 窓にはカーテンが降ろされ、僅かな光が射し込むだけの狭い空間。そんな室内でもはっきりと分かる程、豪華な装飾を施された家具類が立ち並ぶ。


 部屋の中には三人の人影があった。

 一人は大きな机の前に窓を背にして座っている壮年の男。彼は皮張りの椅子に肘をついて、思考に没頭している様子だ。


 タキシードを着た残りの二人は机を挟んで男の前に直立し、不動の姿勢を取っている。こちらの二人は老人と言って差し支えないだろう。

 先程から、この部屋には長い沈黙が立ち込めていた。


 壮年の男が大きな溜息を吐き出した。


「ふ~…なあ、私にばかり考えさせないでお前達も考えてくれ」


 男の言葉に答え二人の内、左側の痩せた老人が右手を胸にあて軽く会釈した。


「私はそのままにしていた方がよろしいかと存じます。これは我々が関与するような問題ではありません」

「し、しかしだな、私は娘が不憫でならんのだ。このままでは一生主従の関係で終わってしまうかもしれんのだぞ。……ハタルはどう思う?」


 今度は右側の初老の男―――ハタルに声をかける。ハタルは先程の老人…ダラオスにも劣らぬ会釈を返す。

 リカームのように優雅というわけではないが、一切の無駄なく自然な動きだ。むしろ、この個性を出さない自然な物腰こそが理想的な執事の振舞いといえるのかもしれない。

 リカームが密かにこの二人を師匠と仰ぐだけのことはある。


「私は旦那様の意見に賛成です。執事長殿の意見ももっともですが、あのリカームが相手でははっきり言って妖魔を倒すよりも分が悪い。御嬢様のためを思うなら些かの企てもやむを得ないかと…」


 壮年の男…アルカイドが満足そうに頷く。


「決まりだな。ダラオスにも協力してもらうぞ」

「…仕方ありませんな」


 やれやれ…と言いたげな表情で老人が答える。

 アルカイドが子供の頃からこの屋敷に仕えているのだ。止めても無駄と知っている。


「さて、意見がまとまったところで、誰かいい策はないか?」

「「…………」」


 し~んと静まり返った部屋にアルカイドの嘆息だけがはっきり聞こえた。


 もう御分かりかと思うが、アルカイドは娘のために一肌脱いでやろうとしているのだ。

 シェーラがリカームに仄かな想いを抱いていることくらい、産まれた時から彼女を見てきた彼らに分からないはずがない。しかし、相手は老人変装趣味の朴念仁で、忠誠心は聖騎士並みのあのリカームなのだ。もし、シェーラの気持ちを知れば、自分を責めて屋敷を飛び出してしまいかねない。

 かと言って、ほっとけば永久に主従のままになりそうだ。

 そこで、もっと二人の仲を進展させる方法はないものかと、古参の執事二人に相談しているのだ。

 娘が妖魔の大物に狙われているというのに、前向きな性格である。

 ただし、これが本当に娘のためだけかというと怪しいものではあったが。


 上を向いて考え込んでいたダラオスが、独り言のように呟いた。


「物語の中の騎士と王女のように、危険を潜り抜けるうちに愛が芽生えてくれればいいのですが…」

「物語の騎士には老人変装趣味はない!」


 即、斬り捨てるアルカイド。老人になり切っているリカームに、そんな王道が当てはまるとは思えない。

 あのシェーラの魅力をもってしても、勝率は一割を切るのではないだろうか。


「……やっかいな趣味ですな」


 苦い顔で溜息をつくハタル。


「ふ~む…要するにリカームめの意識を除々に変えてゆけばよいのですな?」

「おっ、ダラオス。何か名案があるのか?」

「名案かは分かりませんが…御嬢様はお喜びになるかと」


 ダラオスは長い眉毛をしごきながら、眼を細めて自分の思いついた策を語り出した。

 しばらくして、


「おおっ、さすがダラオス!名案だ。それならリカームも反対出来まい」

「さすがです、執事長殿。その老獪さ、このハタルめも見習わなくては」

「はてはて…しかし、そう簡単にことが運ぶかどうか…」


 呟くダラオスだが、ふと先程から気になっていた疑問を口にした。


「ところで旦那様、何故窓を開けないのですか?」

「ふ…こういう企ては暗い部屋でないと盛り上がらぬではないか」

「やはり…楽しんでいらっしゃいますな」

「ふっふ…お前達もだろう?」


 ニヤッと口の端をあげるアルカイド。


 二人の老執事は全く同時に会釈した。まるで真ん中に鏡を立てたかのように。

 頭を下げた二人の口元が緩んでいる。

 この二人も結構楽しんでいるようだ。



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