傷つけやすくて傷つきやすい傷ついた時に、気づくこと
「ほんとあんたってあれだよね、パッとしないっていうかうさんくさいっていうかブサイクっていうか、あーそうそうあたし考えたの、あんたの将来。とりあえずこれから三年二ヶ月、大学卒業するまであんた彼女できないのね、ま当然だけどねこれは、で、就活に三年五ヶ月失敗し続けるでしょ、で、鬱っちゃってイライラしちゃって痴漢とかするわけだ、そんでムショ入りですよ、でしかも、ムショ入る前に調べられた挙句他の冤罪とかも着せられるわけよ、ほらあんた顔がブサイクだから、やってそうだから悪いこと、盗みとか、殺しとか、で、まー痴漢プラス諸々の冤罪で懲役なにかな、ま三十六、七年ぐらいにしとこうか、たらギリ還暦迎えないでしょ獄中で、うん、で、五十九歳の秋、網走刑務所から出所した直後、刑務所の人に向かってお辞儀したその直後、撃たれるの、背後から、マシンガンで、ドイツ兵に。なぜならその頃日本はドイツと戦争をやってるって設定だから。で、死。享年五十九。いい気味。ね、どう?」
つんつん、と肩をつつかれる。
僕はノートをとりながら小声で返す。
「あーごめん、後半聞いてなかった」
ずんっ。
後頭部に重い打撃。
「っが、痛った、う……」
頭をさすりながら振り返ると、何やら金の延べ棒みたいなものを握り締めた五針千針が、僕を睨んでいた。
「五針、それ、なに」
「金の延べ棒」
「あ、リアルに延べ棒」
「てか未済谷なんであたしの話聞いてないの」
「なんでってそりゃ、授業中だから」
言い捨て、振り返り、前を見る。僕は目が悪いゆえに最前列に座っている。最前列であるがゆえに目の前には教壇。講義中ゆえに教壇には教授。僕らが騒いでいたがゆえに教授は、目をまん丸にして僕を凝視している。左右を見回す。受講生たちが同じような顔で僕を凝視している。いやいや。確かに僕もちょっとうるさかったかも知れないけど、僕は被害者であって、一番そういう顔で見られるべきは僕の後ろの五針『べと』何か、生暖かいものが首筋に触れた。うえ、なんだ気持ち悪い。その生暖かいものが、たらあーとゆっくり背中のほうへ垂れてくる感覚。うえ、ますます気持ち悪い。というかリアルに気持ち悪い。いや、吐き気がするっていう意味で気持ち『ぶん』とブラックアウトする意識。
* * *
目を開けると、壇上に教授の姿はなく、代わりに五針が立っていた。立って心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
辺りを軽く見回す。講義はもう終わっていて、広い教室には僕と五針だけ。痛た、少し動かしただけで首が痛い。
「……起きた? 大丈夫? 未済谷、一時間くらい気い失ってたよ」
一時間気い失ってたんならそれは訊くまでもなく全然大丈夫ではないよなあ、と思いながらも、
「うん、まあ平気。慣れたし」
と言っておく。平気ではないけど、慣れてきたのは事実だ。
「あの、あたし、一応、処置はしたし、後頭部」
手を後ろに回して首に触れてみる。包帯のさらっとした感触。ふうとため息をつきながら何度かさすってみる、となんだかだんだん右目が疼いてきた。「痛たたた」「え、あ、大丈夫? 包帯巻き直す?」「いや、平気、目だから」あ、ああと、気まずそうな顔をする五針。
右目を覆う眼帯を、手で軽く押さえる。
これやられたのって、いつだったっけ。
先々週のこの時間だったかな、確か。
何で、どんな風にやられたんだっけ。
うーん、頭が重くて記憶がおぼつかない。あ。
「紙で、スッと切られたんだ」
思わず声に出してしまった。思い出したら余計右目じんじんしてきた。五針は困ったような照れたような憤ったような表情で、
「ただの紙じゃないし。手紙だし」
とか言う。いやまあこっちとしてはそういう細かいことはどうでも、なんて言うと多分また体のどっかしらを負傷する羽目になるので言わない。というか手紙だったんだあれ。誰宛ての? ってそりゃまあ、僕宛てだろう、十中八九。
と、五針が、目を右斜め上方に逸らしながら、手を後ろに回してごそごそし出した。また、何かで、やられるんじゃ。自然と身構えてしまう僕。
「これ、あげる。ん」
目を逸らしたまま、ひょいっと五針が差し出した両手。右手には、忌まわしきあの手紙。左手には、忌まわしきあの金の延べ棒。ダブルだ。ダブルでやられる。ダブルのトラウマ。
「あげるってば! ほら! 取れブサイク!」
ぶんぶんと五針が凶器と凶器を振り回す。
「危ない危ない危ない危ない、ちょっと、貰うから、振るのやめて五針」
意外と簡単に言うこと聞いてぴたっと動きを止める五針、の手からダブル凶器をそっと奪う。手紙(折りたたまれた一通のピンクい便箋)を広げる。『嫌い』とだけでかでか書いてあって、相変わらずの典型的天邪鬼ぶりに感心する。これで、彼女から貰ったこういう手紙は、もう五通目だ(二通目に至っては『殺す』とか書いてあって結構本気でびびった思い出がある)。
顔を上げる。五針が、今にも泣き出しそうな不安げな表情で僕を見ていて、一瞬、目が合う。すぐ右斜め上方へ目を逸らす五針。
「えーと……ありがとう。気持ちは伝わった。で、これ、延べ棒は、なんで?」
「プレゼント。明日ブサイク誕生日でしょ」
「え、ああ、うん。そっか、ありがとう……で、なんで延べ棒?」
「キラキラしたものが好きって言ってたから、ブサイク」
「あ、ああ、そういうこと」
そんな話したなそう言えばいつか。入学したての頃だった気がする。……ああそうだ、確かサークル選ぶ話ししたときだ。結構前のことなのによく覚えてるなあと、まじまじ五針の顔を見る。五針はそっぽを向いたまま。
うーん。でも、僕が言ったキラキラしたものっていうのはこういうゴールデン的な意味じゃなくて、星とかそういう天文的な意味で言ったんだけどなあ、とこれは口には出さず心に留めておく。せっかくこんな高価なもの(高価すぎる)プレゼントしてくれたのに、その気持ちを無下には出来ない。それにしても、金の延べ棒って何に使えばいいんだろう。うーん。
と、突然、五針が僕へ向き直った。
「ああーもう!」
髪をむしゃむしゃ掻きむしりながら、ぎろっと僕を睨む。
「もういいや、じゃあねブサイク。あたし帰るね。誕生日おめでとう。じゃあね。今度あたしの話ちゃんと聞かなかったら殺す。あのね、来世の話もあるんだからね。来世でもあんたブサイクに生まれてきて色々あった挙句ドイツ兵に銃殺されるんだからね。誕生日おめでとう。じゃあね。じゃあね!」
なんかもうほとんど泣きそうな、それでいて怒ったような、ぐっしゃぐしゃの顔で言い放つと、五針はばたばた走って教室から出て行った。
後に残された僕は、何も言えないまま、もう一度手紙を読み返し、そっかあ、と誰に言うでもなく一人無意識に呟いて、それからゆっくり傍らに置いてある松葉杖を持って立ち上がった(ちなみに右足は一ヶ月前にやられた)。
* * *
翌日。つまり僕の十九歳の誕生日。
「ね、未済谷くんって、五針さんと付き合ってるの」
五針のいない講義で、僕の隣に座っていた名前も知らない女子(仮にA子と呼ぶ)が小声で話しかけてきた。名前は知らないけど、何度か見かけたことある顔。
「ううん、そんなんじゃないけど」
「へー意外」
ふふ、と口を手で隠しながら笑うA子。
そうか、意外なのか。僕は少しだけ驚き、少しだけ納得する。
「仲良さそうなのに。なんで付き合わないの」
うーん。A子結構ずけずけ訊いてくるなあ。嫌いじゃないけどそういう性格。それにしても『なんで付き合わないの』、これ、かなり難しい問題だ。僕はA子の顔をじっと見たまま、黙り込み、考え込んでしまう。なんで付き合わないんだろう。というか付き合うってなんだろう。根本的な疑問。これ訊いてみよう。
「あのさ、付き合うってさ、なに?」
「え?」
うーんなんだろー、と困ったような笑顔で、小さく俯き呟くA子。
それから、彼女は顔を上げ、僕を見て、
「じゃあさ、付き合ってみようよ。私と」
「え?」
* * *
恥ずかしながら十九年生きてきて女の子とお付き合いするのはこれが初めてで、だから付き合うってことがなんなのかさっぱりで、付き合ってみてもやっぱりさっぱりで、付き合って三ヶ月たってもさっぱりで、半年たってもさっぱりで、一年たった今日、付き合い始めた記念日&僕の二十歳の誕生日を僕の部屋で二人一緒に祝いケーキを一口食べてようやく、あ、付き合うってこれか、とわかった僕だった。
英子(仮にA子って呼んでたけど名前訊いたら本当にエーコだったから神様っているのかなあってうんたらかんたら)は、すごく軽ーいきっかけで付き合い始めたのに、それにしては完璧な、完璧というか理想的な、もっと平たく言うと僕好みの、女の子だった。あこれもしかしたら学生結婚あるな、と、ケーキを食べ終えたとき思った。思いながら僕は、同時に、五針千針のことをなぜかぼんやり思っていた。
英子と付き合うことになった瞬間から、僕は両足が不随になる覚悟を決めていた。プラス左目までなら捧げる覚悟もしていた。防弾チョッキをアマゾンで注文するかどうか本気で迷ったりもした。一応、遺書も書いといた。写真館に出向き遺影に使えそうな写真も撮ってもらった。ドナー登録も済ませた。でも。
五針は全然、らしくなかった。
僕に彼女が出来た翌週。
いつもの講義で、いつもどおり僕の後ろに座る五針に、僕は言った。
「僕、彼女、出来た」
バカの子みたいなたどたどしい言葉だったけど、僕にしてみれば、これは決死の突撃だった。
でも五針は、
「知ってるけど」
と。それだけ。
「てか教授見てるから前向きなよ未済谷」
とか言い出す始末。
僕は、なんだかがっかりしてしまった。いや、がっかりっていうのも変だけど、こう、虚無感に襲われた、というか。からっぽな感じに。ぼーっとしてしまって。ぼーっと、五針の顔を、見つめ続けてしまって。ぼーっと。五針。
「どうしたの?」
声。我に返る。隣で僕を見ている英子。
「え、あ、ううん、なんでも、ちょっとあの、考えごと」
「他の女の子のことー?」とか、英子が悪戯っぽく笑う。
「うん、あの、五針のことを、うん」素直に言う僕。
「へー、あ、仲よかったもんね」
「まあ、うん、でももう一年ぐらい、まともに喋ってないけど」
「彼氏出来たらしいよ最近」
「え、あ、えっ、そうなの?」
「うん。なんかね、四年生なんだって。結構イケメンらしいよー」
「あ、へえ、あ、そう」
「なに、動揺してんのー?」ふふ、と口を手で隠しながら笑う英子。
「いや、別に、そっかあ、うん」動揺してるのか僕。
「あーねえ明日さ、何時から行く? 私、開園から思いっきり遊びたい派なんだけど……どうする? きついかなあ? お昼とかにする?」
「あ、ううん、朝からでいいよ、思いっきり、遊ぼう、うん」
とか僕は、全然、頭からっぽの状態で返事をした。
* * *
遊園地はバカみたいに混んでて、平日なのに、そしてカップルばっかりで、平日なのに、だから僕は、あーこれが付き合うってことなのかと、改めてぼんやり思いながら英子と手を繋ぎ歩いていた。日差しの気持ちいい、澄んだ澄んだ朝。
あれ乗ろう、と英子が指差したのはビッグなんたらスパイラルうんたら超でかいコースターで、これでもかってくらい人が並んでいた。最後尾の係員が持つ看板には、1時間待ちと大きく書いてあって、あれ意外と、と思ってよく見たら0が隠れてて十時間待ちという真実だった。十時間って。日が暮れる。でもそれも悪くない。
私ちょっとお手洗い行ってくるから先並んでてくれるかな、と英子が言う。こくりと頷き、僕は列の最後尾へ並ぶ。走る英子の後ろ姿を、走らなくてもいいのにとなんだか微笑ましく思いながら見送る。見送りきってから振り返る。目の前には列。僕の前には。
「五針」
思わず声を出してしまった。
見間違うわけもない、よく知っている姿。
目の前のその女の子が、コマ送りみたいにゆっくり、振り返る。
「……未済谷」
驚いたような、困ったような、憤ったような表情。
すーっと右斜め上方へ目を逸らす、そのしぐさ。
ああ、五針だ。
「……ブサイク、なにやってんのあんた」
「えっと、うーん……デート」
「ふうん。……あたしもだし」
「あ、ああ、そう、なんだ。彼氏は?」
「救護室」
「何したの」
「右ひざを万力で潰した」
「なにやってんの五針」
「なにやってんのじゃねえ!」
叫びながら僕を睨む五針の顔は、もう、泣いてるんだか、泣いてるんだか、泣いてるんだか、とにかく、ぐっしゃぐしゃだった。
「ブサイク! ブサイク! 未済谷! あんたなんて、デートの挙句痴漢して冤罪着せられて懲役もう、八十年、九十年、百歳超えてミイラみたいに干からびてやっとムショ出たとたんにドイツ兵に銃殺されて、うえ、う、銃殺されて、う、うう、銃、うえ、ん」
ぽろぽろ大粒の涙をこぼしながら、僕を睨む五針。
ああ。
付き合うってなんなんだろう。
またすっかりさっぱりわからなくなりながら、僕はただただ、五針の手を強く強く握っていた。