第一章 同窓会の夜
二〇二四年十一月の終わり、東京の空は鉛色に曇っていた。
神保 美佐男は、新宿の地下鉄ホームに立ちながら、スマートフォンの画面を眺めた。五十二歳。警視庁捜査一課の警部補。白髪が増えた側頭部を指でかき、溜め息をひとつついた。
メッセージは昨夜届いていた。
差出人は「山路 洋介」。三十年前、同じ大学の法学部で同期だった男だ。
『明日、新宿の「碧嶋亭」で同窓会がある。来られるか? 久しぶりに顔を見たい』
美佐男は一瞬迷ったが、返信した。『行く』
それだけだった。
碧嶋亭は、西新宿の高層ビル群の一角に建つ、料亭風の日本料理店だった。築二十年以上の建物だが、内装は毎年手入れされており、個室の畳の香りが懐かしさを呼ぶ。美佐男がのれんをくぐると、仲居が丁寧に頭を下げた。
「神保様でいらっしゃいますか。お待ちしております。皆様、もうお揃いでございます」
案内されたのは二階の「松の間」。広さは十二畳ほど。座敷の中央に、長方形のテーブルが置かれ、すでに七人が座っていた。
美佐男が戸口に立つと、ひとりが顔を上げて声を張った。
「おっ、美佐男! 来た来た!」
山路 洋介、五十四歳。丸顔で、おでこが広くなった分だけ愛嬌が増している。現在は都内で不動産会社を経営している。
「遅かったな」
隣で苦笑いしたのは佐藤 邦彦、五十一歳。大手商社の部長職にある。痩せ型で、眼鏡の奥の目が細い。大学時代から「委員長」と呼ばれていた、几帳面な男だ。
「いや、時間通りだろう」と美佐男は言いながら、末席に腰を下ろした。
メンバーを順に確認する。
神野 克巳、五十三歳。医師。総合病院の副院長を務めている。大柄で声が低く、どこか威圧感がある。
元山 達雄、五十歳。フリーのITエンジニア。細身で目が鋭い。大学時代からコンピューターオタクで通っていた。
山本 雄一郎、五十二歳。地方銀行の支店長。穏やかな物腰だが、笑顔の奥に何かを隠しているような気がいつもする。美佐男が密かにそう感じている男だ。
深見 修、五十一歳。小説家。三年前に直木賞の候補に挙がり、少しだけ世間に名前が知れた。細い指で常にグラスの縁をなぞっている。
そして女性がふたり。
森岡 里恵、五十三歳。大学時代の先輩で、現在は都内の公立高校の教頭を務めている。落ち着いた物腰に、芯の強さがにじむ。
矢ヶ部 奈津子、五十歳。証券会社のファンドマネージャー。都会的な外見と鋭い判断力を持つ。大学時代から「話が早い女」として知られていた。
十年ぶりの同窓会が始まった。
最初の一時間は和やかだった。昔話に花が咲き、仕事の話が混ざり、笑い声が途切れない。仲居が料理を運んでくるたびに杯が重なった。
しかし、酒が進むにつれ、場の空気は微妙に変わっていった。
きっかけは、山路の何気ない一言だった。
「そういや、あの件、どうなったんだ?」
山路は元山を見ていた。
「あの件って?」と元山が笑顔のまま返した。
「例の、例の……株の話だよ」
テーブルに沈黙が落ちた。
矢ヶ部が静かに盃を置いた。佐藤が咳払いをした。
美佐男は刑事の本能で、場の空気がわずかに凍りついたのを感じた。
「やめろよ、山路。今夜はそういう話じゃない」と神野が重い声で言った。
「そうだな、すまん」と山路はあっさり引いた。
しかし、その後の会話は微妙にぎこちなくなった。誰もが笑っているが、何かを隠すように笑っている。美佐男はそう感じた。
宴会が終わったのは午後十一時を過ぎたころだった。
会費を払い、全員が廊下に出た。エレベーターを待つあいだ、各々が散会の挨拶を交わした。
「また集まろう」「今度は飲みすぎないようにしよう」「美佐男、刑事の話、今度聞かせろ」
しかし、そのとき、山路が「ちょっと待ってくれ」と言った。
「トイレを忘れた。先に行っててくれ」
山路はひとり、廊下を引き返した。
美佐男はエレベーターに乗り込む寸前で振り返ったが、山路の背中は角を曲がって見えなくなっていた。
一階のロビーで外套を羽織りながら、美佐男は山路を待った。五分経っても戻らない。十分経っても戻らない。
「先に行くか?」と元山が言いかけたとき、二階から仲居が走り下りてきた。
顔が青かった。
「あの……お客様……大変なことが……」




