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翌朝。
快晴の空のもと、一晩熟睡して元気を取り戻したエリーナは、シュバルツと並んで平民街を歩いていた。
目指すのは不動産屋だ。
今朝方、魔法で新居を建築するつもりであるとシュバルツに伝えたところ、呆れ顔で「それならまずは土地を買う必要がある」と教えられる。
「昔はどこに何を建てようと咎められたことは無かったが。そうか、普通はそういうものか」
エリーナの肉体と記憶を引き継いでいるとはいえ、時折エレンディラだった頃の記憶や価値観が顔を覗かせる。この状態に慣れるにはまだ時間がかかりそうだ。
「少なくともこの国では、土地は王の所有財産とされている。街の中にタダで住める土地は無いと思ったほうが良い」
「なるほどな。そうなると、土地を買うより賃貸の方が安く済みそうだ」
そんなやりとりを経て、住居兼店舗として使える賃貸物件を探しに行くところである。
馬車がガタゴトと音をたてながらふたりのすぐ横を通り過ぎる。シュバルツは道路側を歩いていたエリーナの外側に回ると、何気なく訊ねた。
「なあ。よろず屋って、何でも屋みたいなことか?」
「ああ。人助けにはもってこいだろう?」
「まあそうだな」
「個人でもできなくはないが、店を構えたほうが客も頼みやすいと思うんだ」
「それは間違いない。個人でやってる奴には、妙な輩も多いと耳にする」
「グランリーフのことは何も分からないからな。シュバルツと不動産屋のアドバイスを聞きながら、ちょうどいい物件を探したい」
王都グランリーフは、大きく三つのエリアに分けることができる。
王城、貴族街、平民街だ。
一番街から四番街までが貴族が居住する『貴族街』。メインストリートを有する大商業区画五番街 を境にして、六番街から十番街がその他の民が住む区画、いわゆる『平民街』である。
王城に地番はないが、通称ゼロ番街と呼ばれる。スラム街と呼ばれるエリアは十番街のさらに外側だ。
五番街の不動産屋に到着すると、さっそく希望を伝える。
「平民街で、店舗兼住居として使える物件を探している。賃料は安いほどいい」
「わかりました。十番街に近づくほど賃料は安くなります。七番街や八番街あたりがおすすめですね」
「……九番街、十番街のほうが安いのではないか?」
「はい。ですが、九番街だとごみ処理施設や火葬場がありますし、十番街までいってしまうと治安の懸念がありますから、客商売には不向きかと」
「確かに立地も重要だな。お客が来なければ意味がない」
机の上に広げられた物件資料を見ながら、エリーナは候補を絞り込む。
すぐに内見できるという家を見に行き、四軒目でこれぞという物件と出会うことができた。
「ここがいい。契約させてくれ!」
「ありがとうございます。では、店に戻って手続きを進めましょう」
晴れて契約をすることになったのだが、ここで一つ問題が発生した。
物件を借りるためには、保証人と前払いの契約金が必要だという。
「俺じゃだめなのか?」
「申し訳ありません。シュバルツ様は戸籍の登録が無いようです」
「父上と母上が登録をサボったんだな。今から役場に行って登録してこよう」
「住民登録後、九十日間が経過しないと各種保証人にはなれない決まりになってまして……」
不動産屋いわく、一定期間この国で暮らした実績がないと保証人になれないのだという。
エリーナは頭を抱えた。こればっかりは魔法で解決できるものではない。
「知らなかったな。九十日間は宿屋住まいか」
「他に方法はないのか?」
シュバルツが訊ねると、従業員はすまなそうに眉を下げる。
「保証人無しでも契約はできるのですが、その場合は前金を倍額でいただいてます」
シュバルツは無造作に布袋を取り出して中身を確認すると、銀貨を十数枚取り出した。
「これで頼む」
「いいのか、シュバルツ」
「九十日間の宿泊費と比べたら高くない。俺が稼いだ金でもないんだ」
「……助かる。家を借りるだけで、こんなに金と手間がかかるとは」
「気にするな。でも悪い、あとは銅貨しか残っていない」
「大丈夫だ。拠点が確保できればどうとでもなる」
無事に契約手続きを済ませ、鍵を受け取ったふたりは、さっそく新居へと向かう。
「おい、そっちじゃないぞ。家はこっちだ」
不動産屋を出て右方向に歩き始めたエリーナを慌てて引き留める。
「おっ、そうかそうか。すまないな」
「……屋敷にいるときは気付きようもなかったけど、もしかしてエリーナ、おまえ方向音痴か? 朝も宿から五番街じゃなくて十番街の方向へ歩き出してただろ」
シュバルツの指摘に、エリーナは少なからず衝撃を受けた。
「私が方向音痴……? そうなのか? そもそも昔は方向という概念自体をあまり意識したことがなかったが。でも確かに、新しい国かと思ったらつい最近訪問したばかりの国だったり、日暮れまでには着くと言われた場所まで三日かかったり、妙なことは結構あったな」
三日もかかったじゃないかと激怒し首を刎ねに戻ろうとしたが、結局、元の町に戻ることもできなかったことを思い出す。
そうかこれが方向音痴というやつかと、エリーナはなぜかちょっぴり嬉しい気持ちになった。
借りた物件は七番街。小路に佇む二階建ての一軒家だ。
築五十年と年季が入った木造家屋だが、古民家が醸し出す特有の趣がある。
「ところどころ修理は必要そうだが、全然問題ないな」
「一階を店舗にして、二階を家にしよう。うん、いい家じゃないか」
エリーナは間取り図を確認しながら階段を登る。
住居部分の間取りはキッチンと広めの居間、それと小さな部屋が一つ。不動産屋いわく前の住人がリフォームしたとのことで、小さいながら浴室も付いている。
ニコニコしながら一通り見て回り、再び居間に戻る。
「私はこの居間を生活拠点にするから、シュバルツはこっちの部屋を使うといい」
「普通、こういうのは女性が一部屋使うもんだろ」
「私を気遣ってくれているのか? はははっ、シュバルツは優しいな! だが心配は無用。必要であれば亜空間を作り出せるから、実質私の空間は無限大だ」
「なんだそれ? 無茶苦茶すぎるだろ……」
エリーナは得意げに両手を広げると、亜空間を作り出してみせる。
膨大な魔力を使うために長くはもたないが、たとえば着替えなど一時的なプライベート空間としては十分である。
「ほら、問題ないだろう?」
「いや、おまえが部屋を使えば亜空間を作る必要も無いだろ。また倒れられても困るんだ。とにかく俺は居間でいい」
「同居人には、なるべくいい暮らしをさせたいのだが」
「いいって。…………もし不便が出たら、ふたりで一つの部屋を使えばいいし」
シュバルツが何気ない様子でB案を提示すると、一瞬きょとんとしたもののエリーナは破顔した。
「なんだなんだ? 大きな図体をしてシュバルツは寂しがりだな。いいだろう、私はいつでも歓迎するよ」
「……ほんとに意味わかってるのか?」
シュバルツのぼやきは、新居にはしゃぐエリーナの耳には届かない。
ポケットマネーの残りを使って掃除用具や最低限の家具などを買い出し、よろず屋開店の準備に勤しむのだった。