6ー②
屋敷を出ると、夕焼けが街を赤く染め上げていた。
乾いた風が頬を撫で、通りを行き交う人々の声や馬車の車輪が軋む音が聞こえる。
シュバルツは無意識に鎖骨を触りながら大きく息を吸い込むと、自分が自由になったことを実感した。
スカイ伯爵家と決別したふたりが向かったのは、王都平民街にある手頃な値段の宿屋だ。
傷だらけの令嬢を抱えて現れた獣人を見て、宿屋の主人は目を丸くしたものの、シュバルツが多めに金を渡すと無言で鍵を差し出した。
この価格帯の宿屋で訳ありの客は珍しくない。金さえきちんと払ってくれたらそれで良いのだ。
ベッドに横になったエリーナは、安堵の息をつく。
「倒れる予定はなかったから、魔法で家を建てようと思っていたのだが……。悪いな」
「サロンで見世物にされるたびに、使う当てのない金を寄越されていた 。役に立ってよかった」
「あなたにとっては不愉快極まりない金だろうに。ありがとう」
エリーナが感謝すると、シュバルツはその青い瞳をじっと見つめた。
少し躊躇い、意を決したように口を開く。
「……おまえ、エリーナじゃないんだろ?」
「――!」
突然の問い。エリーナが僅かに目を開くと、彼は静かに言葉を継いだ。
「話し方も雰囲気もまるで違う。だけど、まったくの別人というふうでもない。妙な感じだ」
エリーナは小さく息をつく。
「獣人は勘が鋭い種族だ。あなたに隠すつもりは毛頭ないよ。確かに私はエリーナだが、エリーナではない」
十六年間エリーナの中にいたエレンディラは、エリーナの唯一の友達がこのシュバルツであることを知っていた。
だからすべてを正直に打ち明けた。
自分は百年前に生きたエレンディラ・ナイトレイという名の魔女であること。
大罪を犯したため苦難の転生を繰り返したが、エリーナ・スカイが召されると同時に魂の呪縛が解け、彼女の肉体を継いだこと。
エリーナの最期については、シュバルツがひどく悲しむだろうと思って、暴行を受けたことまでは語らなかった。
「――そうか。エリーナは死んでしまったのか」
シュバルツは拳をぎゅっと握り、長い睫毛を伏せる。
「最後までエリーナは立派だった。大人しくて怖がりだったけれども、優しいあの子らしい姿だった」
客室の中に、しばらく黙祷のような静寂が流れた。
「……エリーナが生きた証は私の中に残っている。生まれたときから一緒にいたんだ。あの子の誇りは私が守るし、あの子の生き方を裏切るようなことは絶対にしないよ」
「……あいつは気弱なくせにお人好しだったが、驚くほど肝の座ったところもあった。不思議な女だった」
その呟きに、エリーナも同意する。
「そうだな。自分がどんな目に遭おうと不満一つこぼさなかったが、あなたが不条理な折檻を受けたときは『抗議しに行く』と憤慨していた。懐かしい」
シュバルツは大切な思い出を懐かしむように頬を緩める。
「過ぎた空腹からのことだと思うが、寝言で『ドロシーの顔にパイを投げつけてやりたいわ』なんて言ってたこともあったな。俺の部屋まで聞こえてくるくらいだから、相当溜め込んでいたんだろうな」
「そうだったか? それはまったく覚えていない」
シュバルツはおかしそうにくくっと喉を鳴らす。
「他にもあるぞ」
彼の口から次々と語られるエリーナの豪胆なエピソードに、エレンディラは驚く。
(内側から見るのと外側から見るのでは、意外と印象が違うものなんだな)
ほうほうと思いながら耳を傾けていると、シュバルツは何かが腑に落ちたように口元を緩ませる。
ベッドサイドにひざまずくと、エリーナの手を取り、その甲にそっと頬を擦り寄せた。
「さっきの問いは愚問だった。……俺を一緒に連れて行ってくれてありがとう」
「こちらこそ。私たちはずっと一緒だ」
視線を交わらせると、ふたりは穏やかに目を細めあった。
◇
その晩。
食料品店で食材を買い込んできたシュバルツは、部屋の簡易的な竈で料理を作って並べた。
リゾット風に柔らかく煮込んだ麦粥と、滋味深い野菜スープである。
肩にブランケットをかけるエリーナは、目を輝かせながら次々と口に運んだ。
「料理ができたんだな。――うん、五臓六腑に染み渡る美味しさだ!」
「狩られて捕まるまでは里で自炊生活していたから、一通りはできる」
「そういえば、故郷に戻らなくていいのか? 獣人は義理堅い種族だ。屋敷から連れ出したことに恩を感じているのなら、気にしなくていい」
「俺に家族はいない。……まさか助けておいて放り出すなんてこと、しないよな?」
瞳に仄暗い闇が浮かぶが、エリーナは一笑に付する。
「こらこら、牙を剥くな。これからも一緒だとさっき言っただろう。私からあなたを手放すようなことはしない」
なだめるようにわしゃわしゃとシュバルツの頭を撫でると、彼は耳を横に倒して大人しくなった。
撫でながらエリーナはどこか懐かしい気持ちを覚えるが、それはどこからくるものなのだろうと不思議に思う。
記憶の中のエリーナも、エレンディラだったときも、獣人とのかかわりは彼以外にないはずなのに――。
考えていると、尻尾を揺らしていたシュバルツがふと問いかける。
「これからどうするのか、考えはあるのか?」
エリーナは彼の瞳を見つめると、匙を置いてゆっくりと口角を上げる。
「もちろん決まっている。明日から行動開始だ。――この街で、よろず屋を始めるぞ!」