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「さて。あまり気は進まないが、私のいるべき場所に帰るとしよう」


 エリーナ・スカイ伯爵令嬢のいるべき場所。

 それは王都グランリーフのスラム街ではなく、貴族街にあるスカイ伯爵邸、つまり自宅である。

 身体の弱かった実母が病死した後、父は愛人だった平民の女性と彼女に産ませた娘を屋敷に引き入れた。継母のグレタと妹のドロシーであった。


『エリーナとその母がいるから自分たちは大切にされないのだ』


 そう思い込んで長年恨みを募らせていたグレタとドロシー。

 スカイ伯爵家の戸籍に入ったあとは、自分たちの時代が来たとばかりにやりたい放題振る舞い始めた。面倒事が嫌いなスカイ伯爵が何も関与しないのをいいことに、エリーナを虐げるようになった。

 気弱なエリーナでは為す術もなかったが……今の彼女は違う。


「私を大事にしろとは言わないが、実の娘として正当な権利は主張させてもらう」


 不遇な人間の内側に転生し続けたエレンディラ。やり返す力を持たない者たちには共通点があることに気づいていた。

 かれらには権力も圧倒的な力もなかった。それゆえ強者に蹂躙されゴミ同然に使い捨てられた。

 幸いにして今世では伯爵令嬢という立派な身分があり、魔女としての豊富な魔力もある。

 やられたらやり返すし、力を持つ者として弱き者を助けて守っていかねばならない。

 ――それが百年にわたる輪廻転生を経てエレンディラが決意したことだった。


 継母と妹に一泡吹かせてやりたい気持ちはあるが、エリーナは復讐を望んでいなかった。ただ静かに暮らしたいと、彼女はそれだけを願っていた。

 だから、今後彼女たちと揉めた場合、平和的に話し合いで解決したいと思っている。

 ……今のところは。


「まあ、出方によってはこちらもやり方を変えさせてもらうがな」


 エレンディラ、もといエリーナは不敵な笑みを浮かべながら王都二番街に戻り、実家の前に立つ。血が滲んだボロボロの服をまとうエリーナに門番はギョッとするが、関わりたくないというように黙って門を開けた。

 屋敷に入ると、焼き菓子のこうばしい香りに包まれる。


「おや、茶会でもしているのか? 優雅で結構」 


 一週間近く何も食べていない腹がぐうと鳴る。

 魂は元気だが、肉体的には限界ギリギリなのだ。


「ちょうどいい。菓子をつまみながら話をしよう」


 匂いに導かれてサンルームに入ると、継母と妹がアフタヌーンティーを楽しんでいた。テーブルには白磁のティーカップが並び、三段のスタンドには芸術品のような菓子が盛られている。

 突如闖入してきたエリーナに気がつくと、二人はくしゃりと顔を歪めた。


「あら、死に損ないが戻ってきてしまったわ」

「嫌だわお母様。こんなみすぼらしい娘、うちの者じゃないわよ。お姉様のほうがまだマシだったわ」

「お楽しみのところ失礼。腹が減っているから、菓子を一つ分けてくれないか?」


 エリーナが口を開くと、ふたりは狐につままれたような顔をする。


「はぁ? なんなのその口調」

「気に入らない子だったけど、いよいよおかしくなったのかしら? それならそれで精神病院に送る理由になるから好都合だけれど」


 グレタはくすくす笑うと、ティースタンドからパイを取って床に放り投げる。


「ほら。残さずきれいにお食べなさい」

「お母様ったら、犬じゃないんだから。シュバルツでもそんなことしないわよ!」


 二人は口元に手を当ててはしゃぐが、そのパイがふわふわと宙に浮き始めると顔を硬直させる。


「…………!?」


 異変に気付いたものの、もう遅い。

 パイは空中で静かに分裂すると、一瞬のうちに急加速する。


 ――ベチャアッッ!!


「きゃっ!?」

「嫌だわ、なにこれ!?」

「おっと失礼。手が滑ってしまったようだ」


 顔中に飛び散るクリームと、ねっとりしたパイ生地。

 パニックを起こす二人に向かって、エリーナは水魔法を発動する。

 パイは流れ落ちたが、厚化粧は水で滲み、派手派手しいドレスはびしょ濡れという有り様だ。


「ああ、悪いな。栄養不足がたたって魔法のコントロールがきかないみたいだ」

「はあっ!? さっきから何なのよお姉様のくせにっ! こんなことしてただで済むと思ってるの!?」

「おやめなさいドロシー! この娘は本当におかしくなってしまったんだわ!」


 気色ばむドロシーをグレタが制止する。


「とうとう気が触れてしまったのよ。何をしでかすか分からないから近づいては駄目よ。ああもう、面倒なことになったじゃない……」


 グレタがドロシーを止めた理由は、正確に言うと微妙に違っていた。


(まずいわ。この娘は魔力の暴走を起こしている。見誤ったわ)


 真っ赤な紅をひいた唇を噛む。

 ――気に食わない義娘エリーナが魔力持ちであることが判明したのは、屋敷に来て間もなくのことだった。

 魔法使いが最高の職業とされるヴァリシエル王国では、検査の結果一定以上の魔力を持つと分かった者は、必ず専門教育を受けることになっている。魔力持ちが出ることは最高の栄誉とされ、どの家にとっても自慢の息子、娘となる。

 嫉妬に駆られたグレタは、測定官が一瞬目を離した隙に、封印前の書類の数値に「、」を打った。すなわち実測値より過少に申告し、定められた基準において『魔力無し』と判定されるように細工したのだ。

 衝動的に犯してしまった行為に、しばらくはバレるのではないかとひやひやして過ごしていたが、一年後実娘ドロシーにはまったく魔力が無いことが分かると、自分の判断は間違っていなかったと思い直した。

 そもそも、本来の魔力だって大したことはなかった。魔力なんて得体のしれないものは、教育を受けさせなければ自然に衰えていくだろうと思っていた。少なくとも平民の間では「そうらしい」というふうに言われていた。魔力の暴走を起こすなんて、今の今まで考えたこともなかった。

 

(数値を改ざんしたことや、教育を受けさせなかったことが王家に漏れたら、どんな罰が下されるか分からない。わたくしたちは『知らなかった』で通さなければならないわ。……いえ、いっそ『縁を切った』ということに……!)


 平民出身で学がないグレタだが、損得勘定の速さと保身のための知識は図抜けていた。

 縁を切っておけば、事後的に何か起こったとしても、法的に罪には問われない。管理責任が及ぶのは、その時点で同じ戸籍に入っている家族のみである。

 どこかで野垂れ死ねばよかったのにと小さく舌打ちをした後、グレタは作り笑顔を浮かべた。


「わかったわ、エリーナ。なにか望みがあるのでしょう? 言ってごらんなさい」

「なんでよっ! ペットに手を噛まれたのだから、お仕置きをするべきでしょ!?」

「ドロシーは少し静かにしていてちょうだい」


 突然の申し出にエリーナは困惑する。


(望みというか……腹が減っていたから菓子が欲しかっただけだし、やられたからやり返しただけなのだが)


 エレンディラだったらパイを鋼鉄に変えて頭ごと吹き飛ばしただろうが、今世は穏便にいくと決めている。

 この件はやり返したから、別にもういいと思っていた。

 しかしよくよく考えてみると、グレタの申し出はエリーナの人生で初めて訪れたチャンスでもあった。

交渉という余地が生まれたのだから、みすみす逃すのは惜しい気がしてきた。


(これから世のため人のために生きていくにあたって、正直言ってこの母と妹は足手まといだ。元のエリーナの情に免じて排除するほどでもないが、このまま一緒に暮らしていくのはなかなか厳しいぞ……)


 そこで一つ提案する。


「実は、家を出ている間に人生の目標ができたんだ。今まで育ててもらった手前言いにくいのだが、この屋敷から出て自立した暮らしをしたい」

「あらあら! いいじゃない! ちょうどわたくしもそう思っていたところよ!」


 願ってもない提案に、グレタはぱっと顔を輝かせる。

 相手は魔力の暴走を起こしている危険な状態だ。こちらから追い出すのと、自分から出ていくと言って出ていくのとでは、雲泥の差がある。


「自立ということであれば、伯爵籍を抜けて暮らすのはどうかしら? 平民も貴族も大して変わらないし、むしろ自由で生きやすいと思うのよ」

「伯爵籍を抜ける?」


 力と権力がものをいう世界で、生まれ持っている貴族籍を手放すというのは、いかがなものだろう。

 今世のエレンディラの生きる意味は『弱きを助け善く生きる』だ。そのために使えるものは使っていきたい。

 貴族から平民になるのは簡単だが、逆は望んだってとうてい無理なはず。


「私としては、伯爵位は残したまま、分家のような形で独立できるとありがたいのだが」

「……仕方がないわね。ただでとは言わない。この家から一つだけ好きなものを持って行くことを許可するわ。宝石でもなんでもいいから、それで話を付けましょう」


 強欲なグレタにとって苦渋の決断だが、王家からの懲罰に比べたら遥かにマシだった。

 国王は争いごとを好まない穏やかな性格だが、厄介なのは第一王子カイレンだ。

 端正な美貌をもちながら頭も切れると評判が高い次期国王。すでに王から大部分の実権を引き継いでいて、自分自身が魔法使いということもあり、こと魔法使いが絡む事案には口うるさいと有名だった。


「なんでも? それは例えば、命でもいいのか?」


 エリーナが聞き返すと、質問の意図に気づいたグレタは眉間に皺を寄せるが、猫撫で声で答える。


「構わないわ。貴族籍に代わるものなのだから、こちらもそれぐらいの誠意はみせましょう」

「……なるほど。母上の気持ちは分かった。ではこうしよう、シュバルツと引きかえに私はこの家とすっぱり縁を切ろうじゃないか」

「嫌よ! シュバルツはわたくしのものだもの! わがまま言わないでお姉様!」

「お黙りなさい、ドロシー!」


 珍しく声を荒らげたグレタに、ぐっとドロシーは押し黙る。

 グレタは頭痛を感じているのか頭を押さえ、はぁとため息をついた。


「……惜しいですが、いいでしょう。その代わり当家とあなたは今この瞬間から無関係だと約束して。この先何が起こってもスカイ伯爵家は責任を取らないし、あなたのことは『知らない』で通すわ」

「約束は守ろう」


 グレタから二つの鍵を受け取ったエリーナに、ドロシーは醜悪な顔を向ける。


「ちょっとお母様っ!? どうしてお姉様の言いなりなの!? あの女、なんか変よ!」

「しっ! 刺激しないの! また買ってあげるから今回だけは我慢しなさい。これは我が家の存続がかかった問題よ」


 言い合う二人を置いてサンルームを出ると、エリーナはそのまま階下へ向かう。

 スカイ伯爵家の中でも限られた使用人しか立ち入ることができない空間で、五階建ての屋敷の半地下に当たる場所。ランプを片手に階段を降りると、ひんやりとした空気が足元と頬を這った。

 薄暗い廊下の左手に小さな部屋が浮かび上がる。入口にかけられた大きな錠前が異様さを醸し出していた。


「シュバルツ、私だ。エリーナだ。入るぞ」


 グレタからもらった鍵で扉を押し開けると――。

 そこには、白銀の耳と尾を持つ美しい獣人男性がいた。


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名前の割には白銀なんですね。 もしや覚醒状態で黒一色になったり……? それはそうとねぇ。 シュバルツ……声は堀さんかな、あ、いやなんでもないですー。
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