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突如壁にめり込んだ仲間に驚き、男たちは素っ頓狂な声を上げる。
「なっ、なんだぁ!?」
「おいっ、しっかりしろ!」
エリーナは自分の左手をさすって満足気に声を弾ませる。
「おお、いいな。拳は痛いが生きているという感じがするぞ」
「なんだてめぇ!? くたばったんじゃなかったのか」
「くたばったが、生き返った」
「なんだと!?」
「とにかくその子を返してくれ。優しくて良い子なんだ」
「ふざけんじゃねぇ! ぶたれ足りないみてぇだな!?」
角材を握り直した男たちは、エリーナに向かってそれを振り下ろすが――。
「花光の閃爆」
彼女の身体に届く前に、角材は木っ端微塵に砕け散った。
しかもその木片は、なぜか鮮やかな花びらへと姿を変えてしまっている。
男たちは場違いに美しい花吹雪に視線を泳がせると、唇を噛んで身構えた。
「っクソ!? いったいどうなってんだ!?」
「ええい面倒だ! ナイフ出せナイフ!」
「やっちまえ!」
ぎらりと光るナイフを振りかざすと、エリーナに襲い掛かる。
しかしエリーナが素早く呪文を詠唱すると、次々とナイフは吹き飛ばされ、男たちの下半身は氷に呑み込まれる。
「「「うわあっ!?」」」
泳ぐように身体を動かして氷から逃れようとするが、強大な魔力でつくられた氷はびくともしない。
エリーナは男たちの前に仁王立ちすると、妖しく瞳を光らせた。
「サラとこの私を、よくも酷い目に遭わせてくれたな? どうやって罪を償ってもらおうか」
「ヒッ……!」
「おまえたちを肉片に変えることは簡単だが、もう誰も殺さないと決めている。どうしたものか……?」
「にっ、肉? あっ、……いや、その……」
彼女は脂汗を垂らす男たちの周りをゆっくりと歩きながら、品定めするように上から下まで眺める。
冷酷無慈悲だったエレンディラ・ナイトレイであれば有無を言わさず命を奪っただろう。しかし恵まれない者への転生を繰り返し、エリーナ・スカイとして十六年を生きた今の彼女は、異なる考え方を持ち始めていた。
感情のままに処すのではなく、国家法律によって裁かれるべきであると。
更生する機会を与え、正しい道へ導いてやるべきだと。
(まどろっこしいが、それが人の道というものだ。――そうなんだろう、エリーナ?)
裏社会にずぶずぶそうなこの連中が実際に更生できるのかはわからない。しかしそれは自分が気にすることではなく、罪人の取締りや懲罰をつかさどる監察院の仕事だ。
足を止めたエリーナは男たちに問う。
「衛兵に自首するというのであれば解放するが、どうする?」
「なっ……、なんなんだ貴様はっ!?」
「ふざけんな! たっ、ただで済むと思うなよ!?」
「ぶっ殺すぞォ!!」
わずかに勢いを取り戻した男たちはエリーナに噛みついた。うち一人はエリーナに向かって唾を吐き捨て、わざとらしく下品な顔をしてみせる。
その瞬間、エリーナは気が変わった。
(だめだ、ちっとも反省しやしない。どうやら命が惜しくないようだ)
話が通じない奴には、別の方法でわからせるしかないだろう?
「過ちを認めないのであれば仕方ない。二度と悪事を働けないように、完膚なまでに叩きのめしてやる」
エリーナは――いや、その悪魔のような笑みはエレンディラだった。
彼女は素早く呪文を詠唱すると、男たちに向かって次々と魔法を打ち出してゆく。
下半身を氷漬けにされて動きを止められている彼らは攻撃をもろに食らい、「うああああっ!!」と呻き声を上げ、あっという間に動かなくなった。
エレンディラは「おや」と攻撃を止めると、白く細い首をコテンと傾ける。
「しまった、うっかり蹂躙してしまった! 魔法を使うのは百年ぶりだから、人間の身体は脆弱だということを忘れていた」
もちろん殺したわけではない。ただボコボコにしただけだ。
「小一時間もすれば氷も溶けるし意識も戻るだろう。衛兵には後で声をかけるとして、まずはサラだ」
拘束されているサラの縄を解いて、小さな口から布を引っ張り出す。サラは「うわぁぁん! 怖かった! 攫われるのも怖かったけど、エリーナおねえちゃんが死んじゃったほうがもっと怖かった!」と頬に幾筋もの涙を伝わせた。
「そうだな。エリーナは素晴らしい女性だった。彼女を見送って、私も胸が裂かれる思いだ」
「……? おねえちゃんは生きてるでしょ?」
無垢な質問に、エリーナははっとして目を見開く。
「……ああ。サラの言う通りだ。エリーナは生きている。あんな奴らに負けたりしない」
ニコッと笑ってみせると、サラも安心したようにえくぼをみせた。
「おやサラ、怪我をしているじゃないか。縄が擦れてしまったんだな。……治癒」
治癒魔法の淡い光が、サラの細い腕を包んでいく。皮がむけて血が滲んでいた部分はあっという間に塞がった。
「わぁ、すごい! エリーナおねえちゃんは魔法使い様だったの? ありがとう!」
「まあ、そんなところだ」
お礼を言ってもらえたことにじんとするエリーナだが、あることに気付く。
(魔法を使えばサラの足も治せるんじゃないか?)
生まれつきの障害で不自由のある右足。
エリーナとして生きてきた十六年の知識をたぐる。
(この国の魔法使いというのは、特別に魔力の高い者が就く職業だったか? 高貴な存在ゆえ、おいそれと依頼を受けないらしいが)
長い間虐げられていたエリーナ。知識量はあまり多くない。
(百年前、治癒魔法を使える魔法使いは一握りだった。今はどうなっているのか分からないが、少なくともこの国の魔法使いはあてにならなさそうだ。しかし、魔女の力を持つ私には容易いこと)
魔女としての力は魂と血に宿ると言われている。
この身体を巡る血液は人間のものだから、正確に言えば魔女エレンディラだったときに比べると魔力は三分の二程度に減っているが、それでも十分事足りる。
エリーナはサラの右足に両手をかざすと、「中級治癒」と唱えた。
ヒールよりも上位の、肉体の深い組織にまで影響を及ぼす魔法だ。
淡い光が右足を包みこんでいく。そのまましばらく手をかざしていると、奇形を呈していた部分が見る間に形を変え、あるべきところにあるべき骨肉がおさまった。
「……よし、治せたようだ。歩いてごらん」
足の見た目が変わったことに目を丸くしていたサラ。促されるままに、おっかなびっくり歩いてみる。
「――――! えっ、ちゃんと歩ける! どうして!?」
「ふふ。これからは好きなだけ走れるな。自分の足で、どこまででも行くといい」
「ううっ、嬉しいよぉ。ほんとはね、いつもみんなの一番後ろからついていくの、寂しかったんだ。ありがとう……! ありがとう……っ!」
ぐしぐしと両目をこするサラの頭を、エリーナは地面に膝をついて優しく撫でた。
「サラに涙は似合わない。私の心を明るく照らす笑顔を見せてくれないか?」
絶望の中スラムに流れついたエリーナは、サラの優しさと笑顔に励まされていた。
その顔をまた見せてほしいというつもりで言ったのだが、サラはぽっと顔を赤くする。もじもじとして、指の隙間からエリーナを見て呟いた。
「……サラ、エリーナおねえちゃんと結婚したい」
「急にどうしたんだ? 身に余る光栄だが、君にはもっとふさわしい男性がいる」
「やだ。おねえちゃんがいい」
天真爛漫な性格はどこかへ引っ込んでしまい、エリーナがサラを家まで送る道中、サラはずっと顔を赤らめたまま手を繋いでいたのだった。
◇
サラを送り届けると、エリーナは自分の左手を見つめて呟いた。
「そういえば、治癒魔法を使ったのは初めてだな」
エレンディラだったころ、病や怪我に困った者がわざわざ訪ねてきて治療を懇願してきたことがあった。けれども、面倒だとか眠いからとか、今思えば血も涙もない理由をつけて断っていたのだ。
最期の時を除けばエレンディラ自身は怪我や病とは無縁だった。したがって、最強の魔女である彼女の一番不得手な魔法を挙げるなら、それは治癒魔法だろう。
「……今世では治癒魔法の腕を磨こう。一番得意な魔法だと言えるようになろう」
手をぐっと握りしめて、『人のために生きる』決意を心に刻みつけた。
その足でエリーナは氷漬けにした男たちがいる裏路地に引き返す。
「なあ、どうせろくでもない仲間がいるんだろう? 洗いざらい吐け」と尋問してスラムで幅を利かせている暴力組織の情報を得ると、アジトごとサクッと掃討した。
通りすがりの衛兵に男たちとアジトのことを報告し、「あなたのお名前は……?」と訝しむ衛兵に「名乗るほどの者ではない」とだけ答えて別れた。
「いやあ、いいリハビリになったな。悪人が百人くらい減ったと思うと、空気も美味い」
見上げた雨あがりの空には、淡く虹がかかっていた。
この日魔女エレンディラ・ナイトレイ――もとい伯爵令嬢エリーナ・スカイは、スラム街から新たな人生の一歩を踏み出した。