29 《閑話》アステアの新緑祭ー③
最後の課題までたどり着いたエリーナとシュバルツ。
残り僅かになった蝋燭に気を揉みながら、三つ目のスペースに入る。
「課題はこれか」
例によって課題の紙と判定台が置かれている。
一枚目の紙には、4×4の魔方陣が書かれている。時間さえかければ正解できる、思考型の課題だ。
二枚目の紙には、これまでとは趣向が異なる、ペア参加者向けの課題が書かれている。一人を抱きかかえた状態で扉の向こうの迷路を抜け出せればクリアだが、途中で落としてしまうと即リタイアである。
三枚目の紙には、腕っぷしに自信があるものは武器を選んでこの先に進め、と書いてある。脇の木箱には剣や弓、槍、防具などもいろいろ入っていて、戦闘系の課題だと思われた。
「三つの中から好きなものを一つクリアすればいいらしい」
シュバルツはエリーナを横目でちらりと見る。
「二枚目が一番簡単じゃないか? おまえは俺に抱えられているだけで済む」
「いや、三枚目でいこう。クリアすればボーナスタイムが与えられると書いてある。さっきの課題で時間を使いすぎてしまったから、巻き返したい」
ちょっぴり残念そうな顔をするシュバルツに、エリーナは抱えていた卵を預ける。三枚目の課題に対応する扉の前に進み出た。
「頭を使って疲れたから、ストレッチにちょうどいい」
「武器はいいのか」
俺にはこれがあるが、とシュバルツは腰に佩いた剣に触れる。ドルフがくれたミスリル剣は、外出するときはいつも身に着けるようにしていた。
「愚問だ。私以上に強いものなどあるはずないだろう?」
首や腕を回すとコキッコキッと小気味の良い音が響いた。エリーナの口角が怪しく持ち上がる。
「いくぞ!」
掛け声と同時に勢いよく扉を開け放つ。
そこには巨大な蛇が待ち構えていた。入ってきた二人を鋭い眼光で睨みつける。背筋が震えるような不気味な音を出すと、毒牙を剥き出した。
「バジリスクか」
「聖教ではアステア神の腕を噛んだ邪悪な獣として有名だ。これが最終課題とは、考えたな」
バジリスクは虫の居所が悪いのか落ち着きがない。シャーッと威嚇しながら、跳ねるように二人に襲いかかった。
「身体強化」
エリーナはぐっと拳を握りしめると、渾身の力でバジリスクの頭を打ち抜いた。
鈍い音と共に巨体は宙を舞い、そのままドシャッと地面に叩きつけられる。伸び切った身体はぴくりとも動かない。
「……魔法を使うかと思った」
冷静に剣でとどめを刺したシュバルツが、ぽつりと呟いた。
「魔法だとやりすぎてしまうことがあるからな。殴ったほうが早いこともある」
「手、見せてみろ。怪我してないか?」
「平気だ。ありがとう」
バジリスクの姿は霧のようにスッと消え、代わりに半分の長さの蝋燭とクリアの証であるメダルが現れた。
「よし! ゴールに急ごう!」
メダルと蝋燭をポケットに仕舞い、卵と燭台を抱える。最後の扉が開いた向こうには、ゴール地点の光が見えていた。
「……つかまっていろ」
「わっ! なんだ!?」
シュバルツはひょいとエリーナを抱きかかえると、力強く地面を蹴る。跳躍するようにゴールまでの直線を駆け抜けた。
「おめでとうございます! 三組目のクリア者が出ましたーっ!」
神官と観客が歓声を上げる中、エリーナは地面に足を降ろす。
「お疲れさまでした。蝋燭とメダルは回収しますねー」
「最後の番号札の方が終わるまで、しばらく待ちください」
――最終的にアステアの迷宮をクリアしたのは五十組中十六組。
エリーナ・シュバルツペアは堂々の二位という結果を残した。
「やった!」
「さすがですエリーナさん、シュバルツさん!」
拍手しながらオーウェンがやってきた。
「オーウェンも五位だなんてすごいじゃないか。私はシュバルツがいなかったら一つ目で脱落していたからな」
「へへ。手ぶらで帰らずに済んでよかったです」
「では、一位の方からお好きな賞品をお選びください。皆々様、本日はご参加いただきましてありがとうございました。アステアのご加護を!」
参加者たちががやがやと帰路につく中、入賞者は賞品が並ぶテーブルの前に並ぶ。
一位に輝いた単身の青年は目当てのものが決まっていたらしく、迷いなく一つ掴むとさっさとその場から去っていった。
「次は私たちか。どれにしよう?」
紹介されたのは、アステアの加護付き高級布、聖教付き魔道具師特製の消えないランプ、大聖堂内の特別なレストランで使える食事券。神官は「イベント入賞者しか手に入れることができない品物ですよ」と太鼓判を押す。
しかしエリーナが目に留めたのは、残る一つだった。
「欲しいなら、それにしたらどうだ」
じっと見つめるエリーナに、シュバルツが穏やかに声をかける。
「……でも、あなたにとっては得にならないものだ」
「おまえが喜ぶ顔を見られれば、俺は充分得をする」
エリーナが手に取ったのは、聖教が主催する学習教室の優先入学券だった。
さまざまな事情から公的な学校に通うことができない子供や、学びの機会を得られなかった社会人などを対象にした、早朝と夜間に開く学舎のようなものだ。格安で通えるがゆえに入学希望者が多く順番待ちになっている、と過去の依頼者から小耳に挟んだことがあった。
「……すまない、シュバルツ。私は学校に通ってみたい。もっと世の中を知りたいんだ」
「また不安そうな顔をしてる。言っただろ。おまえはやりたいことをやっていいんだって」
「シュバルツ……」
「暴走しそうになったら俺が止めるから、安心しろ」
シュバルツはエリーナの小さな頭を優しく撫でる。
エリーナは丸い瞳をぱちぱちと瞬かせたが、くしゃりと破顔した。
「ありがとう。あなたが側にいてくれて、私は幸せ者だ」
そんな二人の後ろでは、オーウェンがあたふたと声を上げる。
「ちょっとエリーナさん、本当にいいんですか!? 加護布も魔道具も絶対に手に入らない代物ですよ! 食事券だって金貨一枚分まで食べ放題なんですよ!? エリーナさんが貰わなかったら僕まで回ってきちゃいますよーっ!」
「私はこれがいい。アイシャとドルフ殿によろしくな」
エリーナは、太陽のように眩しい笑顔でそう言った。
◇
夕食後の紅茶を飲み終えたカイレンは、静かにカップをソーサーに戻した。
広すぎる部屋には彼と給仕しかいない。陶器が触れ合う音がやたら大きく響いた。
「執務室に戻る」
「かしこまりました」
廊下を進むにつれて賑やかな笑い声や話し声が近づく。新緑祭に合わせて王城の小広間では祝宴が催されているのだ。
カイレンは楽しそうな様子をちらりと横目で見ながらも、そのまま通り過ぎようとする。すると、ちょうど中から出てきた貴族と鉢合わせた。
「これはカイレン殿下。失礼いたしました」
「ずいぶん賑やかだね」
「今日は新緑祭でございますから。皆、もう集まっておりますよ。ささ、どうぞ中へ」
「僕は招待されていない。執務に戻るところだよ」
「――!」
貴族の顔がさっと青ざめ、慌てて頭を下げた。
「大変失礼いたしました。失言でございました!」
「君が悪いわけじゃない。弟が主催の宴だろう。気にせず楽しむといい」
カイレンは表情を変えることなくその場を後にする。しばらく進むと、廊下の曲がり角から話し声が漏れてきた。
「――ン殿下は何を考えているかわかりません。つかみどころが無くて信用できませんよ」
「そもそも人心を掴むおつもりが無いんでしょう。正論が正義だとはき違えておられる」
「才はあるが人は寄らぬというのは、まさにこのことでしょうな」
「今のままで国は十分平和なのに。変に頑張られて、こっちは大迷惑ですよ」
「あっ、――!」
角から姿を現したカイレンを見つけると、臣下たちはひゅっと息を呑んで押し黙る。
「あの…我々は、その……」
「廊下でも熱心に会議をしているなんて。君たちへの評価を改めないといけないかな?」
「――!」
「申し訳ございません! どうか御慈悲を――!」
「私たちが間違っておりました!」
カイレンから漏れ出る仄暗い覇気にあてられて、次々と頭を床に擦り付ける。彼は無言でその前を通り過ぎた。
(陰口には慣れている。僕のことを嫌いであろうが、きっちり仕事をすればどうでもいい)
不快という感覚はもはや懐かしく、ただただ面倒だった。
――陰謀渦巻く城の中で、己の感情は最大の敵だった。
弱みを見せればつけ込まれる。
いかに心を平坦にできるか。表情を崩さずにいられるか。そうやっているうちに、本当の自分がどこへいってしまったのか、カイレン自身にも分からない。
感情を殺して執務に励んだ結果が『何を考えているか分からない』『人間味がない』『仕事を増やす』であり、民からの人気よりも実をとる判断が『心がない政策』『距離を感じる』であった。
もっと上手くやれたんじゃないか、と後悔することが無いわけではない。周囲は自分のことを天才だともて囃すが、そんなことはないとカイレンは冷ややかに捉えていた。陰では血の滲むような努力をしてきたからだ。この百年、カイレンなりに民を思い国を思って精一杯生きてきた。
ふと、平民街のよろず屋の少女の顔が浮かぶ。
(――彼女だったら、こういうときどうするだろう?)
怒って相手を吹き飛ばすだろうか。それとも真摯に受け止めて、私が悪かったと頭を垂れるのだろうか。
しかしそもそも、あの少女が悪く言われる状況が想像できなかった。
エリーナ・スカイという少女は、青空に輝く太陽のように眩しくて真っ直ぐだ。
(さすがに今日は、よろず屋に行く暇がなかった)
ずっと城にいる方が、不思議と疲れを感じる。
執務室に着くと、デスクの上には書類が山積みになっていた。パレードの前にかなり片付けたはずなのに、新たに運び込まれたようだった。
「……」
カイレンは深くため息を付くと、デスク裏の窓を開ける。カーテンが夜風でふわりと舞った。
街の上空には花火が打ち上がり、ぱっと咲いた火の花に歓声が重なる。賑やかな音が妙に遠く感じられた。
「…………寒い」
窓を締め、執務椅子に腰を下ろす。
書類の山に手を伸ばした、そのとき。
「……?」
窓の外からコトリと小さな音がした。
不思議に思って再び窓を開ける。すると、先程はなかった若木の枝が引っかかっていた。抜けるような青空を思わせるリボンが結ばれている。
カイレンはしばらくそれを見つめると、ふっと口元を綻ばせた。
「……君という人は。すべてを飛び越えて、まっすぐ僕のところに来てくれるね」
デスクの隅にそっと若木の枝を置く。
――気がつけば、もう寒さは感じなかった。




