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王都はメインストリートを擁する五番街を境にして平民街と貴族街に分かれている。八番街に軒を構える”パンのなる木”は庶民に愛される昔ながらのパン屋だ。
丁寧な焼き上げが醸し出す味わいはもちろんのこと、店主のゴドーと妻で接客担当のトゥーラの親しみのある人柄によって、密かにシュバルツが贔屓にしている店でもある。
「ここが店です。実際に状況を見てもらう方が早いでしょう」
「案内をありがとう。心が落ち着くような、素敵な店だ」
「曽祖父がティッカ村出身でして。村の護り木をモチーフにしてこの店をつくったそうです」
こげ茶色のウッドテイストの店を見上げ、ゴドー夫妻は嬉しそうに頷いた。
「ティッカ村といえば国内第二位の小麦の名産地だ。一昨年は干ばつの影響で収穫量が落ちたけど、今期は問題なさそうだね」
「国境沿いの田舎村のことを、よく知っていますね」
ゴドーはなぜかついてきているカイレンに視線を移す。
この青年だけ抜群に身なりがよく、平民と思えないオーラを放っている。
よろず屋の従業員ではなく貴族か何かではないかという予感が頭をかすめたものの、エリーナとシュバルツはまるで彼に構わないので、自分の思い違いだろうと心の中で言い聞かせた。
「皆さん、中へどうぞ」
トゥーラが店のドアを開ける。
中に入ると、店に馴染んだ香ばしい香りが出迎えた。
店名の通り、木材を生かしたあたたかみのある内装だ。ひときわ目を引くのは店内中央の木を模した大きな柱。大樹に茂る豊かな恵みのように、パン型のオーナメントや季節を感じる桃色の花の装飾が吊るされている。
壁に沿うようにしてパンの陳列スペースがあるが、今はどのバスケットもからっぽで、一つも並んでいない。
「今日は水の曜だが、店休日か? ……ああすまない。水の曜だけパンがうまく焼けないという相談だったな」
「そうです。一か月ほど前から急にいつも通りにいかなくなってしまって。とてもお客さんに出せる出来ではないので、やむなく臨時休業を」
「ふむ……。ちなみに、原因に心当たりはあるのか?」
エリーナが問いかけると、ゴドーとトゥーラは困り顔でお互いを見る。
「作り方は変えていないんでしょう?」
「定期的に改良はしているけど、一か月前に変えた訳じゃないからなあ。材料も、いつもの卸から仕入れてるいつもの品物なんだもんな?」
「卸さんからは、仕入れの品物や品質に変わりはないと聞いてるわ」
「すみません、エリーナさん。僕たちも色々確認はしてみたんですけど、原因はわからなくて」
「……製造の手順や材料は変わりなしか」
エリーナとシュバルツは腕を組む。カイレンは物珍しそうに店内を見回していて、まるで観光地にでも来ているかのようだ。
「うーん……。シュバルツ、パンの出来に影響を及ぼしそうな要素を知っているか?」
「原料と手順そのもの以外だと、温度や湿度か。たとえば発酵に問題があると、うまく焼きあがらない可能性はあると思う」
「発酵って何だい?」
無邪気に口を挟んできたのはカイレンだ。
シュバルツは(どうしてこの男が着いてきているんだ)と眉間に皺を寄せるが、本人は涼しげな顔でそれをスルーする。
「……こねた生地を寝かせる工程だ。酵母の働きによってパンが膨らみ、香りと旨味がでる」
「そうなんだ。ねえゴドー、失敗したパンはある?」
「あっ、はい。今朝ダメもとで焼いたバターロールが調理場に」
ゴドーの指示でトゥーラが持ってきたバターロールは、町のパン屋や商店で売られているものとは異なる見た目をしていた。
「……ぺちゃんこだな」
「硬いし、香りも感じられない」
「僕が普段食べているパンは、もっとふわふわだ」
「すっ、すみません。シュバルツさんはご存じかもしれませんが、普段はこんなんじゃないんです!」
弁明するゴドーの肩を、パンから目を上げたエリーナが優しく叩く。
「心配いらない。今から魔法を使って、原因を探ってみる」
「魔法っ!?」
一番いい反応をしたのはゴドー夫妻ではなくカイレンだった。
彼はパッと顔を輝かせると、エリーナの側にいたシュバルツを押しのけて一番近くに陣取った。これにはシュバルツも苦言を呈す。
「おい。どういうつもりだ」
「エリーナ嬢の魔法は美しい。一番近くで目に焼き付けたい」
「天下のカイレン殿下がそんなことを仰るなんて意外だな」
皮肉交じりに口角を上げるが、カイレンはどこ吹く風だ。
「僕は、僕の認めたものに対しては惜しみない敬意を表するよ。必要であれば、全力で手に入れる実力も覚悟もある」
カイレンはシュバルツの耳元に顔を寄せると、独り言のように呟く。
「……やっぱり君は、彼女のことを愛しているのかな?」
「――!」
「分かりやすい獣人だね」
黄金の睫毛に縁どられた翡翠色の目を細める。
「僕が惹かれているのは彼女の魔法だけど――それってライバルになってしまう?」
俯いて微動だにしないシュバルツに、カイレンは「ふふ、冗談だよ。真面目だな、シュバルツは」と言い残し、エリーナの元へ戻っていった。




