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ヴァリシエル王国は花の盛りを迎えていた 。
抜けるような青空にそびえる王城はあたたかな陽気につつまれ、庭園には花々が咲き乱れる。通りすがる使用人たちは目にも鮮やかな緑に目を細め、暖かい季節の訪れを喜ぶ。
ゆったりとした時間が流れる王城を、ただこの男だけは忙しない様子で闊歩していた。騎士団長であり、第一王子カイレンのお目付け役であるガラハルトである。
ガラハルトは大股で目当ての部屋までたどり着くと、形だけのノックをして無造作に扉を開け放った。
「カイレン殿下!」
誰もいないがらんどうの部屋に野太い声が虚しく響く。
ガラハルトはわかっていたとばかりに苦い顔を浮かべると、頭を抱えた。
「屋上庭園にいらっしゃらないから、行き違いで執務室に戻られているかと思ったが……。もしや、新しいお気に入りの場所を見つけられたのか? くそっ、また一から探さなければいけない」
がっくりとうなだれながら、どこか自分に言い聞かせるように、ぶつぶつと独りごちる。
齢百歳を超える王太子のお目付け役になったはずなのに、その実態としては、毎日鬼ごっこか隠れんぼをしている状況である。
ガラハルトは気持ちを落ち着けるように深く息を吸い込むと、窓の外に遠い目を向ける。
平民街の方向に立ち上る白煙 を見つけて、ポツリと呟く。
「……確か十六の鐘からは公共施設建て替えに関する会議が入ってるよな? それまでにはお戻りになるだろうか。侍従職のほうでも行方は探してるはずだが……」
職務上、自分も捜索を続けるべきだろう。
お目付け役という名称だが、実際のところ自立しているカイレンに手助けは必要ない。ただ自由すぎる彼の”居場所をしっかり把握しておく”ことだけが唯一にして最大の任務だ。
騎士団長の仕事の合間を縫って遂行するには相性の悪い任務だが、「もうお前以外に任せられる者がいない」と国王じきじきに指名されてしまっては断れるはずもない。
「……離宮の方を探してみるか」
執務室をあとにするガラハルトの背中は、どこか小さく見えた。
◇
王都七番街にも、季節の移ろいが訪れていた。
街路樹の花びらがひらひらと青空を泳ぎ、『エリーナのよろず相談店』と彫られた真新しい看板に舞い落ちる。
昼下がりの店内に客の姿はなく、つかの間の休息時間が流れていた。
カウンターに頬杖をついて、入口のガラス扉の向こうに行き交う人々を楽しげに眺めるエリーナ。
その傍らの壁に腕を組んで寄りかかるシュバルツは、入口付近の壁の角に目を向けると、眉をひそめてエリーナの耳元に顔を寄せる。
「なあエリーナ。あいつ、このところ毎日来てないか」
その言葉に、エリーナは視線を扉から少し右にずらす。
そこには、優雅に足を組んで椅子に腰掛け、書物に目を落とす美貌の青年の姿があった。
「そうだな。まあ、ただ座って本を読んでいるだけで邪魔をするわけでもないから、好きにさせておいたらどうだ?」
「この国の王太子だぞ? 平民街のよろず屋で読書していていいのか?」
呆れたようにシュバルツがこぼす。それは本人にも聞こえる声量だったが、当のカイレンは涼し気な表情で読書を続けている。
エリーナはにこにこしながら立ち上がると、ぽんぽんとシュバルツの肩を叩いた。
「カイレン王子は優秀なんだろう? 今は城にいなくても支障はないという判断ならば、私は何も言うことはない。ここを居心地よく思ってくれているのなら、それは喜ぶべきことだ。それよりシュバルツ、また背が伸びたんじゃないか?」
「……自分じゃよく分からない」
「出会ったときは私より小さかったのにな」
渋い顔をするシュバルツをよそに、エリーナはカイレンに歩み寄って声を掛ける。
「その魔法体系書は私も読んだことがある。よくまとまっていて、良質な書物だ」
分厚い書物から目を上げたカイレンは、誰もが見惚れるような美しい笑みをたたえる。エルフの血を引く彼は、人間の域を超える現実離れした美貌だ。
「すべての魔法使いの聖典と呼ばれる書物なんだ。何回読んでも足りないくらいだよ」
「勉強熱心なんだな」
「僕には夢があるからね。学ぶことはまだたくさんある」
「夢があるのか。素晴しいことだな。応援するぞ」
そのまま魔法談義に花を咲かせる二人に、シュバルツは再び腕を組んで面白くなさそうに鼻を鳴らす。
獣人族は高い身体能力を誇るが、魔力を持つ者はほぼいない。シュバルツにとってはわからない話だった。
――と、そのとき。扉のベルが鳴り、客の訪れを知らせた。
「いらっしゃいませ」
シュバルツの挨拶で、エリーナは弾かれるように顔を上げ居住まいを正す。
入店して所在なさげにしているのは、三十代後半ほどの男女である。気の良さそうな雰囲気を纏った二人組だ。
ふたりはシュバルツが引いた椅子に恐縮しながら腰掛ける。エリーナはカウンターを挟んで自分の椅子に腰を下ろすと、「んんっ」と一つ咳払いをした。
「私が店主のエリーナだ。この店を頼ってくれたであなた方の勝利は確定しているから、安心してほしい。困りごとを教えてくれるか?」
「どうも、エリーナさん。八番街でパン屋を営んでいるゴドーといいます。こちらは妻のトゥーラ」
「八番街のパン屋? もしかして、"パンのなる木”か?」
エリーナが訊ねると、ゴドーは「知ってますか!」とパッと顔を輝かせる。
「シュバルツが何回か買ってきてくれたことがあったな。惣菜パンも美味いが、私はバゲットが気に入っている。サーモンのマリネを乗せると、ワインによく合うツマミになるんだ」
「そうでしょうそうでしょう。うちのバゲットは水分少なめでカリッと焼き上げてますから。小さな個人店ですけど毎日丹精込めて仕込みをして――」
饒舌になるゴドーだが、次第に勢いを失い、浮かない顔つきになる。
「その……今日の相談は、パンのことなんです」
「パン? それなら、私よりあなたのほうがよほど詳しいはずでは?」
「僕たちにもよくわからないことが起きているんです」
ゴドーは机の上で組んだ手から目を上げて、縋るようにエリーナを見つめた。
「毎週水の曜 だけ、どういうわけかいつも通りのパンが焼けないんです。偶然なんかじゃなくて、きっかり毎週です。とても売り物にできる出来じゃないから、このままじゃ店の存続にかかわります。――この謎を解き明かしてもらえませんか、エリーナさん」
書き溜めていると連載再開まで時間がかかりそうなので、ちらほら更新していくことにしました。ブックマークしてお待ちいただけますと嬉しいです。
3章もよろしくお願いします。




