22
「おじいちゃんっ!」
「おお、アイシャ! よく帰ってきた!」
玄関から飛び出してきた祖父の胸に、アイシャはまっすぐに飛び込んだ。
「心配かけてごめんなさい! まさかこんなことになるなんて……っ」
「何があったかは後でゆっくり聞かせておくれ。無事で本当に良かった」
祖父と孫娘は、二度と離れないというようにしっかりと抱き合った。
再会の喜びを分かち合うと、ドルフは少し離れた位置で気まずそうに立っている青年に目を向ける。
「オーウェン」
「はっ、はいっ!」
オーウェンはぴしりと背を伸ばす。
「アイシャと君が好きあっていることは知っているよ。これからは、仕事の合間に会うのではなくて、うちに遊びに来なさい」
「えっ!?」
「なにか問題でもあるのか? 昨日今日知り合ったわけでもあるまいし、驚くことかね」
「いや……俺はまだ一人前の庭師でもないし……昔からアイシャの周りをウロウロしてばかりで……おじさんにはよく思われてないかと……」
頭を垂れて、自信なさそうにオーウェンは呟いた。
そんな彼の肩を、ドルフは優しく叩く。
「昔は儂も余裕がなくてピリピリしていたんだ。怖がらせてしまったなら謝ろう。……儂はいつまでもアイシャのそばにいられるわけじゃない。君がいてくれたら安心だ」
「――!」
オーウェンは弾かれるように顔を上げる。
穏やかな表情で頷くドルフを見ると、きゅっと唇を噛み締めた。
「あっ、ありがとうございます! 俺、必ずアイシャを幸せにします!」
「あたしもオーウェンを幸せにするわ。バリバリ働いて、三人で住める家を買うからね!」
「もっと修行を積んで、早く一人前の庭師になります。家を買ったら、庭にはおじさんとアイシャの好きな花を植えましょう」
寄り添い合う三人はの姿は、すでに家族そのものだった。
その光景を眩しそうに眺めながら、エリーナはふっと洩らす。
「家族って、いいものだな」
こぼれ落ちた呟きに、シュバルツが反応する。
「伯爵家に帰りたくなったか?」
「まさか。今の私の家族はシュバルツ、あなただけだ」
「……そうか」
そっけない返事だが、シュバルツの後ろではもふもふの尻尾が嬉しそうに揺れた。
「これで一件落着のようだな。役に立ててよかったよ、ドルフ殿」
エリーナが声を掛けると、ドルフはエリーナとシュバルツに向かって深々と腰を折った。
「心から感謝するよ、エリーナさん。依頼料だが、ほんとうに銅貨一枚だけでいいのかね?」
ポケットから財布を取り出しながら、もどかしそうにドルフは訊ねた。
「ああ。儲け目的でやってるんじゃないからな。もしよかったら、困っている人に店を紹介してもらえると助かる」
「もちろん茶飲み仲間に宣伝させてもらうよ。それで、あまりに依頼料が安すぎるんで、迷惑かとも思ったんじゃが――」
ドルフは銅貨一枚をエリーナに渡すと、今はもう営業していない鍛冶屋だったスペースに入っていく。
戻ってきた彼の手には、立派な看板があった。
「今の看板も味があって儂は好きだが、このほうが万人受けはするじゃろう」
木材と鉄を組み合わせた、ドルフが一から設計して鋳造したオリジナルの看板。
『エリーナのよろず相談店』と滑らかに刻まれた文字の横には、狼のモチーフがあしらわれている。
調査の結果を待つ間、孫娘が見つかっても見つからなくても、感謝の気持を現したいと思ったドルフが徹夜で製作したものだった。
「儂にはこれくらいしかできないが、どうか受け取っておくれ」
「……私に、これを?」
信じられないという表情をして、エリーナは恐る恐る看板に触れる。指先だけでなく、身体全体が小さく震えていた。
その様子を見たドルフは、気に入らなかったのかと慌てる。若者が営む店には地味すぎただろうかと。
「いや申し訳ない、押し付けるつもりはないんじゃ。気に入らなかったら置いて帰ってくれて構わないよ」
「……嬉しい。私のために、手作りしてくれるなんて……」
感激に震えるエリーナは、ひしっと看板を抱きしめた。
贈り物は掃いて捨てるほど貰ってきたが、それが当たり前では無いことに気づけなかったから、エレンディラは非業の死を遂げた。
多くの人の気持ちを踏みにじってきた自分は二度と贈り物なんてもらえないだろうと思っていた。それが当然だと疑ってもいなかった。
(こんなに幸せな気持ちになったら、女神から罰が下るんじゃないか? ……ああ、それでもいい。この気持ちを味わうことができただけで満足だ)
看板を離そうとしないエリーナに、ドルフは安心したように微笑む。
「喜んでくれたなら、一安心じゃ」
「おまえはいつだって一生懸命やっている。だから生き急ぐ必要も、不安になる必要もないんだ」
シュバルツに言われて、エリーナは初めてこの気持ちの名前を知る。
(――私は不安だったのか)
大罪人の自分が生きていてもいいのか。人を救わないと、存在する意味がないのではないか。
心のどこかでそんなふうに焦りを感じていたのかもしれない。
けれど、穏やかな表情を向ける四人を見渡すと、ざわめいていた胸の中がすっと凪いでいく心地になる。”今の自分”は間違っていないのだと、そう思わせてくれる。
「そうだそうだ。シュバルツ君にも渡すものがあるんじゃよ」
そう言ってドルフが奥から出してきたのは、一振りのミスリル剣だった。
「鍛冶屋をしていたころ、お客さんから礼にと貰い受けた剣なのだがね。老いぼれには無用の長物だから、シュバルツ君に使ってもらうほうがいいだろう」
「……いいのか?」
一目でわかる上等な剣だ。
飾り物としてではなく、実践でこそ真価を発揮するような、凄みのある剣だ。武器屋で買おうとしたら庶民には手の届かない価格だろう。
ドルフは声を潜めると、ぱちりと片目をつぶってみせた。
「お転婆な店主を守るには、このくらい持っていないといかんじゃろう?」
シュバルツはまだ看板を抱きしめて感激しているエリーナを横目で見ると、くっと笑って口角を上げる。
両手を差し出すと、ずっしりとした剣を受け取った。
――ドルフとアイシャ、そしてオーウェンに見送られて、ふたりは朝日が照らす道を家路につくのだった。
◇
「ただいま。一晩の出来事だったが、やたら長く感じたな」
家に着いたエリーナは、シュバルツが淹れた紅茶を飲むと、居間のソファに身を預けてまどろみ始めた。
今日まで走り続けてきた疲れが出たのかもしれない。シュバルツはそっと彼女を横抱きにして寝室に運び、毛布をかけてやる。
ベッドサイドに腰掛け、白い頬にかかる髪を指でそっと払いながら、シュバルツは目を細めた。
――『伯爵家に帰りたくなったか?』
――『まさか! 今の私の家族はシュバルツ、あなただけだ』
ドルフの家でのやり取りを思い出すと、胸が熱くなる。
彼はゆっくりと身体をかがめると、エリーナの額にそっとキスを落とした。
「……おまえが俺のすべてだ。おまえ以外、何もいらない」
とてもこれだけでは足りなくて、彼女の桜色の唇を指先でなぞると、エリーナはくすぐったそうに口元を緩めた。
無防備な表情を見て、シュバルツは苦しそうに眉を寄せる。
「家族以上を望んでしまうことを、どうか許してくれ」
もう一度だけ頬に唇を落とす。
これ以上は健やかな眠りを乱してしまいそうだったので、名残惜しい気持ちを押し留めて部屋を後にする。
(……今日は、ゆっくり寝かせてやろう)
臨時休業の札を表に出さなければ。
昼食に何を作ったら喜んでくれるだろうかと頭の片隅で考えながら、シュバルツは朝日差し込む明るい窓の外を見上げた。
3章に続きます。




