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 エリーナが呪文を唱えると、二人の足元がふわりと浮き上がった。


「――!?」


 楽しそうな彼女とは対照的に、カイレンはその目に警戒心を宿らせる。

 そのまま二人は風に抱かれて空へと舞い上がる。重力が消えたかのような感覚に、カイレンは思わず息を呑んだ。

 夜の闇に浮かぶ無数の王城の灯り。波打つように広がる森の深緑。広大な敷地が遥か下に小さく見えた。

 カイレンは、果てしなく広がる星空の中にいた。

 すぐ頭の上をまたたく星々。流星は光の尾をひいて輝き、蒼と紫が溶け合う空間に月が白銀の光を落とす。

 幻想的な世界の中で、彼はただ立ち尽くしていた。


「一曲いかがかな? 王子様」


 澄んだ声が響く。

 振り向くと、エリーナがそこにいた。風を纏ったように赤茶色の髪をたなびかせ、しなやかな手を差し出している。

 どこからともなくワルツの旋律が流れ出す。

 カイレンは言葉を失っていたが、なにかに憑かれたかのようにその手を取る。指先の温かさが電流のように彼の身体を突き抜ける。

 二人はごく自然に、ステップを踏み出していた。


 エリーナのリードに乗せられて、気づけば心地よい旋律に身を委ねていた。

 互いの衣装が夜風に揺れ、動くたびに光が弾ける。星の間を滑るようにステップし、果てのないフロアを舞う。

 しだいにカイレンもエリーナをリードし始める。彼女の瞳を見つめ、腰を支え、指先を握る手に力がこもる。


「あなたは人生が楽しくないという顔をしているが」


 不意にエリーナが、カイレンの首元で囁いた。


「誕生日くらい、楽しいことだけを考えて過ごさないか? あなたが望むなら、毎年こうやって珍しい魔法を贈ろう」


 カイレンは、エリーナに気取られないように小さく唇を噛み締めた。

 そうでもしないと、どういうわけか、涙がこぼれ落ちてしまいそうだった。


「……だから責任から逃げるな。誰かを犠牲にする方法ではなく、皆が幸せになれる方法を考えろ。あなたなら必ずできる」


 そう言って、エリーナはまっすぐにカイレンを見つめて頬をほころばせる。


「誕生日おめでとう、カイレン。あなたの幸福を心から願っている」


 星々より眩しい笑顔から、カイレンは目を離すことができなかった。


 ◇


 つかの間の舞踏会を終えた二人は、地上に降り立った。

 夢から覚めやらぬ様子のカイレンとは対照的に、エリーナはすでに頭を切り替えている。


「アイシャを迎えに行かなくては。居場所を教えてくれるか?」

「……この庭園の、南の端にいる」


 カイレンが指し示した方向を、エリーナの視線が追いかける。


「あっちだな。ありがとう!」


 立ち尽くしたままのカイレンを置いて南に急ぐエリーナ。

 その途中でシュバルツが合流する。


「エリーナ! このあたりで爆発があったようだが、大丈夫か!?」

「さすがシュバルツだな。ありがとう。まったく問題ない」

「水晶を握り込んでも反応がないから……」


 苦しそうな表情のシュバルツに、エリーナは申し訳ない気持ちになる。


「心配かけて悪かった。あとで詳しく説明するが、この庭園は外とは異なる時空になっているから、上手くいかなかったんだと思う」


 そしてこの庭園の南端にアイシャがいるという情報を得たことを伝え、一緒に急ぐ。

 カイレンの言っていた通り、南のアーチ近くの東屋で、親しげに談笑する若い男女を発見した。


「アイシャ!」


 エリーナが呼びかけると、若い女性はきょとんとした表情で顔を向ける。


「もしかして、そっちはオーウェンか!?」

「そうだけど……」


 シャツにオーバーオールという庭師の格好をした青年も、目をぱちぱちさせている。

 走ってきたエリーナとシュバルツを目の前にすると、二人は顔を青くして立ち上がった。


「かっ、勝手に庭園に入ったりしてすみません! すぐに出ていきます!」

「……? ああ、大丈夫だ。私は別に、怒りに来たわけじゃない」


 珍しい獣人従者を引き連れた貴族らしき令嬢に声をかけられたのだ。平民の二人が動転するのは当然だ、とエリーナは状況を理解する。


「ドルフ殿に頼まれて探しに来たんだ。もう四日も帰らないことを心配しているぞ。さあ、早く帰ろう」

「おじいちゃんが? それに、四日ってどういうことでしょう。今朝は家から出勤しましたが」


 噛み合わない話にお互い顔を見合わせるが、少ししてエリーナはようやくすべてが腑に落ちる。


「――なるほど。それもこの庭園が原因だったんだな!」


 エリーナは三人に説明する。この庭園はカイレン王子の領域であること。時間の流れを通常の八分の一程度に遅らせる魔法がかけられていること。

 つまり、ここでは一晩での出来事でも、現実世界では四日が経ってしまっているのだ。

 話を聞いたアイシャとオーウェンはさらに顔色を悪くさせた。


「うわーっ、おじいちゃんにすっごく心配かけちゃったわ! 仕事も無断欠勤してるってこと!?」

「やばい、師匠は激怒してるだろうな。げんこつじゃ済まされないかも」


 頭を抱える二人は、やがて責任はどっちにあるのかという口喧嘩を始める。


「だから言っただろ。庭師の俺でも見たこと無い庭なんだから、勝手に入らないほうがいいって」

「穴場を見つけたと思ったのよ! だいたい、家には遊びに行きたくないってワガママ言ってるのはオーウェンじゃない」

「ドルフさんは俺みたいなのが出入りしてたら嫌だろ。こそこそしたくないし、一人前になってからちゃんと挨拶したいんだ――」


 二人のやり取りから、エリーナはふと不思議に思う。


(アイシャとオーウェンがここに入ったのは偶然みたいだ。カイレン王子が仕組んだことではなかったのか……?)


 問いかけたとき沈黙していたから、てっきり彼の仕業だとして話を進めてしまったが……。誤解であれば悪いことをしてしまった。

 否定すればよかったのにと思うが、カイレンからしたら真偽など最早どうでもいいことだったのかもしれない。軽く遊ばれた感覚さえある。

 そうそう顔を合わせられる立場の人間ではないが、もし今後会うようなことがあったら、謝罪しようと心に決める。


(性根は優しい青年のようだからな。二百年経っても真実を見抜けないとは、私もまだまだだ)


 改めて花々が咲き誇る庭園を見渡す。

 時間を遅らせる緻密で美しい魔法に感心しながらも、なにか大事なことを忘れているような気がして首を傾げるエリーナ だった。


 ◇


 ふらふらと覚束ない足取りでカイレンが帰ってきたのは、エレンディラの絵姿や像が並ぶ部屋だった。

 エリーナが飛び降りた窓は開いたままで、少し強くなってきた夜風にあおられてカーテンがはためく。

 彼はひときわ大きな、女神のようなポーズをしているエレンディラ像の前で膝をついた。


「あなたの面影を追うようにして、僕は最高の魔法使いになり、この国で魔法使いの地位向上を果たしました。そして今日……見つけてしまったのです。素晴らしい魔法の使い手を」


 目線を上げて、像を見つめる。

 今なお誰もその力を上回ることのない、歴史上で最高の魔女。

 ”禍魔女”などと悪名ばかりが轟いているが、カイレンにとっては誰よりも気高く美しい、唯一無二の女性だった。

 彼は小さく声を震わせる。


「時間を巻き戻す魔法の構築は、時の流れを八分の一に遅らせるのがやっとでした。行き詰まっていましたが……、彼女に学び、技術を得れば、必ずやあなたを蘇らせることができる。――僕には分かります。あのときあなたはなにかに後悔しながらも、諦めて死んでいった。途中だった夢を叶えてください」


 そっと像の手を取ると、指先でその冷たい感触をなぞる。

 像を見つめる瞳は、いつの間にか静かな熱を帯びていた。


「愛しています。エレンディラ様」


 血の通わない、冷ややかな指先に唇を落とす。

 カイレンはいつまでも、像の前にひざまずき続けていた。


次話で2章ラストです。

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― 新着の感想 ―
おいおいおい。 オージは禁忌の領域に足を踏み入れようとしてるのかい(;´∀`) 時間を巻き戻すだなんてそりゃ神の領域だよ。 下手に戻せばどう世界が変わるか分かったもんじゃないぜ。
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