20
庭園の夜空に花びらと土埃が舞う。
魔法が直撃した地面は陥没し、焦げ臭さが咳き込むエリーナの鼻を突く。
「何事だ? ケホッ。こんなところで雷魔法を使うなんて……避けなかったら即死だったぞ」
「あれっ? どうして生きているんだろう」
もうもうと立ち上る土埃の中から現れたのは、小首を傾げるカイレンだった。
ラフなシャツとスラックスの上に、立襟のローブジャケットを肩から羽織っている。その涼やかな表情は、酷い有様の庭園とひどく対照的だった。
さすがのエリーナも、思わず苦い顔をする。
「今のはあなたか? 私が言えたことじゃないが、人に向かって魔法を放ったら危ないだろう」
その問いにカイレンは答えず、ゆっくりと歩いてエリーナとの距離を縮める。
「僕の部屋に勝手に侵入したの、君だよね? 全ての鍵を壊せる魔法使いがいるとは思わなかったな」
「――! あの部屋は、あなたが?」
エリーナは目の前の青年をまじまじと見つめる。
均整の取れた長身。シュバルツ以上の背丈があるが、線は細く、手を伸ばしたら消えてしまいそうな儚さがある。
肩まで伸ばした髪は金糸のようで、美しいエメラルド色の瞳はどこか懐かしさを感じさせた。
(いや、初対面のはずだ。エリーナに家族とシュバルツ以外に関わりのある者はいない)
涼しげな顔をしてどこか楽しそうなカイレン。黙り込むエリーナを観察するように眺めていたが、はっとして表情を明るくする。
「もしかして、君がエリーナ・スカイ元伯爵令嬢?」
「そうだが」
「わあ、来てくれたんだ」
(私じゃなかったら即死するような魔法を放っておいて歓迎するだって? なんなんだこの男は)
掴みきれない青年の態度に、エリーナは困惑を隠せない。
「すまないが、あなたは誰だ?」
「僕を知らないなんて、ますます面白い。カイレン・セスト・ヴァリシエル。この国の第一王子と言ったらわかる?」
「!」
――この男が、悪名も名声も轟くカイレン王子か。
次期国王にして、最高の魔法使い。数々の情報から人相の悪い男を想像していたが、実物は途方もない美青年だ。
カイレンはゆったりと腕を組む。
「あの部屋はね、僕の大切な場所なんだ。誰にも見せたくなかったから君を始末しようと思ったんだけど、困ったな。目の前でこうも易々と魔法をかわされてしまうと、いっそう興味が湧いてしまう」
「……」
「魔法はどこで学んだの? この国での学歴と魔法使い登録はなかったから、外国に留学でもしていたのかな?」
「……そんなところだ」
魔女の国生まれの魔女のため、外国という表現に嘘はない。
魔女族は閉鎖的な希少種であり、生涯を生まれた森や洞窟で終える。そういった確認するまでもない常識があるから、この手の質問に『魔女』は選択肢に入らないのだろう。
もし「おまえは魔女か?」とずばり訊ねられたなら、エリーナは潔く「そうだ」と答えると決めている。
「魔力持ちの届出がなかったのは妙だけど……、どうやら君の実家はうまいことやったみたいだね?」
実家の話が出ると、エリーナはぴくりと眉を動かす。そのことに気がつくとカイレンは口角を上げた。
「大丈夫だよ。法に触れていないことは僕にだって手出しできない。後天的に魔力が発生するケースも稀だけどある。そのあたりを追求する意味も興味もないし、スカイ伯爵家をどうこうするつもりはないよ」
「……鍵を壊したことと、勝手に部屋に入ったことはすまなかった。ちょっと人を探していてな」
「誰を探しているの?」
「アイシャ・ミルズという娘だ。城の厨房に納品をしに来たきり、行方がわからなくなっている」
カイレンは顎に手を当てて考える素振りをする。
少しして何かに思い当たったような顔をすると、にこりと微笑んだ。
「もしその娘の居場所を知っていると言ったら、どうする?」
「――! 教えてくれ!」
「うーん。その代わりに、君は僕になにをしてくれるのかな?」
その意味ありげな表情に、エリーナの胸には、インクを一滴垂らしたような疑念が生まれる。
「……まさか、あなたがアイシャをどこかへやったんじゃないだろうな?」
「さあ? それはどうだろう」
心が読めない笑顔を浮かべるカイレン。
エリーナは、彼にまつわる噂を思い出していた。
(政治の手腕は確かだが、強行的な手段も多く、不満を抱える民も多いとシュバルツは言っていた。実際、よろず屋に訪れる客にも元を辿ればこの男が原因の依頼があった。リリスの件も、熾烈な魔法使い制度の歪という見方もできる)
エリーナは、こいつならやりかねなさそうだと目を細める。
彼はその視線を面白そうな顔で受け止めると、そっと彼女の耳元に唇を寄せる。
「そんなに熱く見つめないでおくれ。僕の心には、ずっと前から一人のお方しかいないんだ。よかったら年頃の貴族令息を紹介するけど?」
「結構だ」
今世では恋愛をする暇などない。一人でも多くの者を救うことがエリーナの生きがいだ。
ぴしゃりと断じると、カイレンは特に気分を害した様子もなく、「そう? それは残念だ」と笑いながら身体を離した。
「話を戻す。これなら答えられるか? どうやって私の居場所を突き止めた?」
「それくらいなら教えてあげる。ある令嬢がスラムの暴力組織を壊滅させたと聞いて、目撃情報や衛兵の証言から君の存在が浮上した。スカイ伯爵家に使いをやったら縁を切ったというから、王都すべての不動産屋に君の絵姿を配布して『この女性に物件を紹介しなかったか?』って調査を入れたのさ」
招待状を持ってきたウィリアムの姿がふと脳裏に浮かぶと同時に、エリーナは嫌な予感がした。
「……私が夜会を欠席すると伝えたから、アイシャを攫って私がここに来るように仕向けたわけじゃないだろうな?」
腕を組むカイレンは、黙ったまま目を細める。
エリーナは深く長いため息を漏らした。
「あなたは日頃からこんな手段を使って政治をしているのか?」
呆れを含んだ物言い。カイレンは今日初めて嘲笑を浮かべる。
「君に何が分かるっていうんだ? 政治は騙し合いだ。手段にこだわっていたらあっという間に殺されてしまうんだよ」
「屈折しているな。……だが、それはきっと、最初はあなた自身のせいではなかったんだろう」
エレンディラとして生きていたとき、彼女の力を求める権力者の中にも、同じようなことを言う者がいたことを思い出す。
奪い奪われる世界に生きるかれらは孤独を抱えていた。華やかな世界の裏側は血で染まっている。やられるまえにやらないと、生き残ってはいけないのだ。
だから少しはカイレンを理解できる部分もあった。エリーナは諭すような口調で語りかける。
「大切な人が急に家に帰ってこなくなるんだ。残された家族がどんな気持ちになるか、分からないか?」
「……」
「今、想像してみてくれ」
訊ねながら、エリーナはかつての家族のことが胸をかすめた。エレンディラは家族を捨てて祖国を飛び出している。そのうえ極悪人として名を馳せてしまった。祖国の家族の気持ちを考えたことは一度でもあっただろうか。
後悔の気持ちを感じかけたとき、カイレンのとんでもない発言によって意識を引き戻される。
「もう二度といなくならないように、城の一番奥の僕しか知らない部屋に閉じ込めて、外の者と会うという発想すら出ないほどに僕で満足させる」
「――え?」
「最愛の人が望むことは、僕の手ですべて叶えるから問題ない。いつだって最高のものを並べよう。僕以外の者なんて必要ないとわかるまで、余計なことを考える暇などないほどに愛を注ぐ」
「そ、そうか。もういい、よくわかったよ。誰かが悲しむような手法はやめてほしいということを理解してくれたならいい」
きらきらと輝いていたエメラルドの瞳からは光が消え、仄暗い闇が見え隠れしていた。
彼の触れてはいけない一面に触れてしまった気がしたエリーナは、慌ててこの話題を切り上げる。
「で、アイシャは無事なのか? 危険な状況にあるならば、話はかなり変わってくるが」
「その娘の安全だけは保証しよう」
「なら良かった」
その言葉にエリーナは胸を撫で下ろす。
「居場所を教える代わりに、私は何ができるのかとあなたは言ったな。まずこれを聞こう。そもそもあなたは私を呼び出して何をしたかったんだ?」
すると、カイレンは一転して顔を綻ばせる。
「魔法を見せてほしかったんだ。スラムのならず者を生きたまま氷漬けにしたと聞いたけど、そんな魔法を使えるのは僕以外にいない。君の魔法に興味がある」
「……それだけ?」
「美しい魔法を見ることが、僕の唯一の生きがいなんだよ」
美しくもどこか寂しげな微笑みに、エリーナはふと気づく。
(――そうか。忘れていたが、この国の王族はハイエルフの末裔だから寿命が長いのだった)
このカイレン第一王子も百歳超えだとシュバルツが言っていた。
だとしても、この男のやり口は行き過ぎている気がするが。
「気持ちはわからなくもないが、そのために手間を掛けて私を呼び出したりして、暇なのか?」
「ははっ、やっぱり面白いことを言うね。そうだね、普段の仕事で本当にやりたいことなんて一つもないから、そういう意味では、僕は暇を持て余しているのだろうね」
自虐的なセリフを放つカイレンの目は笑っていなかった。
長きを生きても満たされることのない、深い孤独を帯びた瞳。
(……もしかしたら、王子は辛いことをたくさん経験してきたのかもしれない)
エリーナにすら、そう感じさせるほどだった。
(根本的には優しすぎる青年なんだろう。王子の生き方は、とても危うくみえる)
背負い込んだものを投げ出したいのに、優しさゆえに抱え込んでいる。けれども正面から向き合うこともできず、葛藤を抱えている。
百歳超えとはいえ、実質的には二百歳であるエリーナからすると、まだまだかわいい子供のようなものだ。
(すぐに解決できるほど軽い悩みではないが、元気づけることぐらいはできるか?)
そういえば今日の夜会はカイレン王子の誕生会だった。
そのことを思い出したエリーナは、彼に披露するいい魔法を思いつく。悪人を氷漬けにするという地味なものではなく、お祝いに相応しい華やかで心が弾む、とっておきの大魔法。
エリーナは優雅に膝を折ってひざまずくと、きょとんとするカイレンを見上げて手を取った。
「では、今宵誕生日を迎える殿下にささやかながらお祝いの贈り物を。――天空の舞踏会」




