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ドロシーと別れたエリーナは、城の奥へ奥へと進んでいた。
(アイシャの足取りや使用人関係はシュバルツが調べてくれる。私は限られた人間しか入ることができない区域を探そう)
万が一事件に巻き込まれている場合、思わぬ場所で身動きが取れなくなっている可能性もある。
エリーナは気配を消す魔法と身体強化を使い、影のように廊下を素早く進んでいった。
曲がり角に来たときは、より人の気配が少ない方を選んで曲がる。だんだんと灯りの数が減っていき、薄暗くなっていった。
公的なエリアではなく、階段を登って私的なエリアらしき場所に入ってしばらくすると、とうとう突き当りになった。
(ここがヴァリシエル王城の最奥というわけか)
目の前には厳重に鍵のかかった巨大な扉がそびえている。
ドアノブに小さな鍵がついているだけの他の扉と違い、ここだけ扉の意匠も鍵のタイプも違う。その威圧感は人を拒絶し、まるでとても大切なものを守っているかのようだった。
エリーナは直感的に、この先になにかが隠されていると確信した。
「ふん。鍵などあって無いようなものだ」
8の字を描くようにしなやかな指を動かすと、ガチャンと音を立てて大きな錠前が床に落ちる。
「魔法を遮断する術がかけられているが、まだまだ未熟だな」
”稀代の禍魔女”にかかれば開けられない扉など無い。
実際彼女は、その強大な力と美貌ゆえ、権力者によって何度も閉じ込められたり罠に嵌められることがあったが、そのすべてを打ち破って抜け出している。
扉の中に入って何も無い廊下をしばらく進むと、また鍵のかかった扉に出くわした。
(さっきより少し強い遮断魔法がかけられている)
さくっと鍵を壊し魔法を解除して奥に進む。
廊下の幅が狭くなり、隠れ通路のような様相になってくる。
突き当りには、またしても扉があった。
「どうなっているんだこの場所は? 入れ子構造のようになっているぞ」
絶対に誰にも入ってきてほしくないという強い意志を感じる。
更に狭くなった廊下からは、時折罠が飛び出すようになった。不意に弓矢が飛んできたり、落とし穴が仕掛けられていたり、上から鉄の塊が落ちてきたり。
襲い掛かってくる亡霊のような鎧の騎士達を打ち倒しながら、エリーナは高笑う。
「あははははっ、楽しいなあここは! さあさあ、次はどんな仕掛けが飛び出すんだ!?」
長い廊下にはたっぷりと殺人的な仕掛けが施されていて、エリーナを満足させた。
さらにいくつかの扉を越えて、とうとう彼女は最後の扉にたどり着く。
その扉を開けて飛び込んできた光景は、廊下ではなく、静寂に包まれた部屋だった。
「――――!!」
エリーナの瞳が大きく見開かれる。
薄暗い部屋の壁を覆い尽くしているのは、ただ一人同じ女性の肖像画だった。
雪のように儚く美しい銀色の髪に、夜の闇を溶かしたような紫色の瞳。慈愛に満ちたほほ笑みを浮かべる、若く美しい女性である。
(何枚あるんだこれ? 百はあるんじゃないか?)
片手に炎を灯し、部屋の中に足を踏み入れる。
明るくなった空間には、さらに驚くべきものが並んでいた。
(同じ女性の銅像だ。王族の誰かか? ……ふむ、ショーケースにもなにか飾られているようだ)
ガラスケースを覗き込んだエリーナは、ひゅっと息を呑む。
(これは――――私の箒だ!)
折れて朽ちかけた、ずたぼろの箒。
百年近くともに歩んできた相棒を忘れるはずがない。エリーナはすぐに気がついた。
(どうしてこんなところに?)
じわじわと嫌な予感がしてきて、隣のショーケースに飛びつく。
黒ずんだ血のついた、これまたぼろぼろのドレスが飾られていた。
「私の服じゃないか! 死んだときに着ていたものだ!」
血痕から感じるのは明らかに自分の魔力。血まみれになったのなんて死に際のあの一度きりだから、すぐにわかった。
他のショーケースにも、あのとき身につけていたらしきものがずらりと並んでいた。一つ残らず、かつての自分に関係するものばかりだ。
「おいおい一体どうなってるんだ? そうなってくると、もしやこの肖像画は……?」
エリーナは顔を上げ、肖像画と銅像を交互に凝視する。
髪の色こそ違うが、よくよく見れば顔つき自体はエレンディラにそっくりなことに気づくと、思わず頭を抱えた。
「ああ……あのときは魔力が枯渇していたから、色が抜けてしまっていたのか……」
途端にエリーナは、この謎の部屋が恐ろしくなってきた。
今まで恐怖心らしい恐怖心を味わった経験のない彼女だが、初めて背筋に震えが走るという経験をしている。
「ううっ、気味が悪い。私は世界中から嫌われる魔女だったんだ。どうしてこんな、まるで大事なもののように飾られてるんだ?」
ここが悪女記念館だというのなら納得するが……それならそうと掲示してもらわないと困るし、展示品もぞんざいに扱ってもらわないと。
どこの誰がこんなことをしているのかも、知りたくはないが放っておくには不気味すぎる。
混乱を極めるエリーナだが、ショーケースの中の干からびた果実(エレンディラの血がついているため保存していると思われる)を目にして、はっと野菜屋のアイシャのことを思い出す。
(今はアイシャを探さないと! 深く考えるのは後だ!)
この部屋を受け入れがたい気持ちだったエリーナは、即座に頭を切り替える。
「この部屋にはいないと思うが……。おい、アイシャ、いるか!? いたら返事をしてくれ!」
呼びかけるが、返事はない。
魔力を研ぎ澄ませても生物の気配は感じられないので、ここはハズレだと結論づける。
「来た道を戻るのは面倒だな。窓から出るか」
もちろん窓には魔法で強力なロックがかけられていたが、エリーナは腕を払って一瞬で解除する。
窓を開けると上から毒が塗られた鉄格子が落ちてくる。それも難なく吹き飛ばすと、エリーナは地上を覗き込んだ。
「下は庭園か。着地に問題はなさそうだ」
身体強化を施して風魔法を詠唱する。
ひらりと窓枠を飛び越えると一気に加速して落下し、芝生の直前でふわりと着地した。
「箒があればなあ。臓腑が浮く感覚は好きじゃない」
エリーナは名残惜しそうな顔で、飛び降りてきた窓を見上げる。
あの部屋は気味が悪かったものの、箒だけはできることなら持って出てきたかった。魔女にとって箒と使い魔は唯一無二の相棒であり、エレンディラも例に漏れず一本の箒を生涯使い続けていたのだった。
(今の私なら修理することができる。いつか必ず迎えに行くからな)
前を向き直ったエリーナは、むこうに見える塔を目指すことにした。
庭園を突っ切っていると、ふとあることに気がつく。
(この庭園、複合魔法で覆われている)
先刻ドロシーにかけたクロノ・タイムロックの下位にあたる、時の流れを遅くする魔法だ。
体感的には、通常の八倍ほど時間の進みが遅くなっている。
(長く花樹を楽しみたいからか? 不完全ではあるが、緻密に計算された美しい魔法だ)
自分とは魔法の解釈と理論が異なるものの、この魔法を作った魔法使いはとても魔法が好きなんだろう。
そんなことが伝わってきて、エリーナは心の奥が温かくなった。
(今のところこの国の魔法使いに良いイメージはないが、見どころのあるやつもいるんだな)
――そんなことを考えていたとき。
稲妻のような閃光と爆発がエリーナを襲った。




